差し伸べられた手
私には一瞬の出来事のように感じられた。
アーチボルトの護衛に飲み物を頼み広間に背を向けたとき、テラスで護衛をしていたもう一人の騎士が音もなく床に崩れ落ちた。
口元を手で押さえ、騎士に近づこうと動かした足を止めた。
崩れ落ちた騎士の背後に人がいたからだ。
黒髪黒目、細身の男は真っ直ぐに私を見つめ微動だにしない。
何が目的なのかは分からないが護衛が倒れテラスには私一人、状況的に考えてかなりマズイ状態だということは分かる。
頭で考えるより先に身体が動き、広間へと駆け出そうとした私は腕を捕まれ、叫ぼうと開いた口を手で塞がれていた。
「面倒をかけさせるな」
「ぅっ……」
腹部を殴られ、くの字に折れ曲がった私の身体を男は受け止め「一言でも口を開けば、命の保証はない」と言い肩に担ぎ上げた。
どれだけ強く殴られたのか、呼吸が乱れ痛みで涙が溢れる。
このままでは連れ去られてしまう。
誰か、気付いて!……と顔を上げ、霞む視界のなかで私に向かってうっすらと笑うアメリア嬢を見て目を見開いた。
瞬間、私を担いでいた男はテラスの手摺に足をかけそのまま飛んだ。
飛んだというより落下したの方が正しいのだろうか、浮遊感と共に私の意識はそこで途絶えた。
※※※※※※※
「…………ろ、………おい」
バシッという音と頬の痛みに閉じていた瞼を開いた。ぼんやりとしたまま星一つない暗い夜空と草の匂いに数回瞬きし、何故地面に転がっているのかうまく理解できずにいた。
「起きたか」
「…………いっ!」
声が聞こえた方へと視線を向け、即座に身体を起こそうとしたがズキズキと痛む腹のせいで上手くいかない。
何を呑気に寝ていたのか……。
私を見下ろす男から少しでも離れられるように、地面に腕をつきゆっくりと身体を起こし後ろへ下がった。
「動くな」
ドレスの裾を踏まれ動くことが出来なくなった。
薄い生地だから勢い良く引っ張れば破れてこの男から逃げられるかも……などとは思えない。大切なドレスの生地が痛むだけだ。
護衛はいない、此処が何処かも分からない。どのくらい気を失っていたのだろう。私が居なくなったことにアネリ達が気付いてくれていれば良いのだが。
「……セリーヌ王妃で間違いないな」
「別人だと言ったら?」
「用がない者を生かしておくと思うか?」
「思わないわね」
帰還式の夜会の最中、攫われるのはフランのイベントだったはずだ。
だから人違いかと思ったが、どうやらセリーヌに用があるらしい。名指しでご指名だ。
この男に見覚えはないし、そもそもゲームのキャラに黒髪はいても黒目などいただろうか?
「私に、何の御用かしら?」
「あんた、随分と余裕だな。状況を理解してないのか?」
「殴られ、連れ去られた。何の為に、これからどうなるかは貴方に聞くしかないでしょ」
「…………」
会話が成立しているうちに色々聞き出したい。テラスで私の命をとろうと思えばこの男なら簡単に出来た。それをせずに態々人気のない場所まで連れてきたのだから理由があるはずだ。
それに、意識を失う前に見たアメリア嬢の笑みも気になる。
「あんたの命はとらない、そう命じられている」
「……そう」
「命はな……出てこい」
男の言葉と共に現れた奴等に舌打ちした。何処に隠れていたのか、小汚い男達は下卑た笑みを浮かべ近づいて来る。
「へぇ、コレが王妃様か」
「すげぇ、美人」
「なぁ、好きにしていいんだったよなぁ?」
これは現実なのだと言っていても、頭の片隅でゲームだと思っていたのかもしれない。
実際に危険な目に遭ってから気づくなんて自分の甘さに吐き気がする。
これから何をされるのかなど私でも分かる。
男が言った通り命はとられないかもしれないが、自ら命を絶ちたくなるほど屈辱的な目には合う。
ベディング侯爵の指示かと思っていたが、夜会の騒動のあと直ぐに行動を起こせば一番初めに疑われるのは彼だ。そのようなこと侯爵なら分かっているはず。
だとしたら、やはりアメリア嬢の嫌がらせ?それにしてはやり過ぎだと思うのだけど……彼女には破滅願望でもあるのだろうか。
「好きにしろ。だが、俺の用件が先だ」
今にも手を伸ばしてきそうな男達を制し、ドレスの裾から足を離した。
まだ殴られたところは痛むが身体は動く、立ち上がって逃げようと思えば直ぐにでも出来る。
が、身じろぎひとつせずにその場から動かない私を不可解に思ったのか男は首を傾げた。
「……あんた、変だな」
「失礼ね」
「泣きも、喚きもしない。足を退けても逃げようとしない」
「泣いて喚いて何か変わるならそうするけれど、意味がないわね。それに、逃げる前に貴方に命じた者と用件が知りたいわ」
「雇い主を言うと思うか?」
言わないでしょうね。
例えこの場で言われたとしても、この男を捕まえなければ意味がない。後ろにいる奴等は所詮使い捨てだ。
「アメリア・ベディング」
けれど、助けが来ず好き勝手にされたとしても報復は必ずするわ。
アメリア嬢の名を出し、男の表情を伺うがピクリとも動かない。
駄目かと思ったとき。
「……違う。あの女じゃない」
ふわっと後ろに下がった男は首を横に振りアメリア嬢ではないと言った。
「俺の仕事は攫ったあとのあんたの行動、言動、感情の機微を観察、それを終えたあと後ろの男達に渡すこと」
「…………」
「それともう一つ、雇い主からだ。セリーヌ・フォーサイス、お前は本物のセリーヌなのか?」
「え……」
「……用はそれだけだ。あとは好きにしろ」
「待って!どういう意味なの!」
背を向けた男に手を伸ばすが、その手を別の者に取られた。振り払い立ち上がるが男は既に居なくなっていた。
今、何て……本物のセリーヌ?
「こっち向けよ」
「……触るな!」
「ほら、こっちにこいよ」
前方の男から伸びてきた手を叩き落とすが、後ろからも同じように手が伸びてくる。
「綺麗な女だなぁ」
「誰が先だ?」
「此処でいいのか?他の場所に連れてった方がいいんじゃないか」
逃げた男の言葉に気を取られていた隙に囲まれていたらしい。
周囲に視線を走らせ場所を把握し冷や汗が出る。よりにもよって王妃専用の庭園とは、随分と広間から遠ざかってくれたものだ。人気が少ないどころか誰もいないわよ。
履いていたヒールを脱ぎ、背後にいた男に投げつけ走り出した。
「っやろう!ふざけんなっ、追え!」
このまま走っていても追いつかれてしまう。何処かに身を隠さなければと、走りながら隠れられる場所を思い出そうとするが上手くいかない。
近づいて来る足音に恐怖を感じながらもひたすら走ることしか出来ない。
これがフランだったら、こんなことをしなくても助けが来ているのだろう。
クライヴが颯爽と現れ奴等を倒し、アーチボルトとジレスが駆けつけ手を差し伸べて。
でも、私は?
誰が助けに来てくれるというのだろうか。
ヒロインでもない悪役の私を、誰が。
「いたぞ!」
男の怒声にビクッとし、止まりかけていた足を必死に動かした。
馬鹿馬鹿しい、泣きごとを言って何になるのよ!そんな暇があるなら走りなさい!
私にだっているじゃない。
アネリ、エムとエマ、テディが、彼女達なら一緒に泣いて、怒って、報復する手伝いをしてくれるわよ!
だからっ……諦めるな、足掻け、足が動かなくなるまで走り続け……。
「なっ!?離しなさい」
角を曲がった瞬間腕を引かれ、同時に包み込むように抱きしめられた。
「よく、頑張ったな」
柔らかな声でかけられた言葉に体の力が抜けていく。
「あとは任せろ」
茫然とする私を地面に座らせ、彼は私が走って来た道に歩いて行く。
フードで顔は見えないが、装飾が施されている長いマントには見覚えがあった。
セリーヌとして会ったことは一度もない、けれどその声を知っている。
手足が震え力が入らず立ち上がれない。
危ないとか、何故とか思考が追いつかない。
抱きとめられたときに、彼の呼吸が乱れ息が上がっていることに気がついた。
フードから見えている部分から汗が流れ落ちるのを目にした。
「下衆ども、覚悟は出来ているな」
どうして、セオフィラス・アディソンが、帝国の皇子がいるの……。




