一瞬の油断
「ウィルス・ルガード……何故、貴方がその名を」
ベディング侯爵がウィルスの名を口にした瞬間、顔から表情が消え完璧に作られた仮面が剥がれ落ちた。
ウィルスを王都の端にある砦へ飛ばしたのはベディング侯爵なのだから、名前を出せばなにかしらアクションがあるだろうとは思っていたが、正直コレには私も予想外だった。
「彼は近衛隊にいた優秀な騎士だったのでしょ?私が知っていても可笑しくは無いわ」
「あの者の名を口に出す者は、この城内にはいません……」
「私ではない、セリーヌがあれを護衛にしたいなど今初めて聞いたからな」
「でしたら……」
侯爵がアーチボルトの方へ顔を向け、アーチボルトが首を横に振り否定したのを確認し私の隣に控えるジレスを鋭い視線で射抜いた。
ジレスは侯爵の変化など気にもせずに微笑みながらさも楽し気に口を開く。
「私でもありませんよ。もっとも、事前にウィルスを護衛にしたいとは聞いてはいましたが。彼なら身分も実力も王妃様の護衛騎士になることに問題はありませんし、向こうでもかなりの功績を上げていますからね。宰相の立場としては彼には城に戻って来てほしいのですが……」
「…………」
「あぁ、一つ気になっていたのですが、ウィルス・ルガードは何故移動になったのですか?前宰相に聞いても答えてはいただけなくて、ベディング侯爵に聞けとの一点張りでして」
黙ってしまった侯爵に黒い笑みを浮かべ追求するジレスはとっても楽しそうだ。そりゃあもう生き生きとしている。
なにこれ、日頃の鬱憤晴らし?同族イジメ?
てか、出てくるなら最初から助けなさいよ。
「宰相殿には関係の無いことだ。彼に関しては前王の意思で行なったこと、それを覆すことをしてはなりません!」
「でしたら、現王のアーチボルト様が許可をすればよろしいのでしょ?」
「セリーヌ、お前はウィルスを護衛にしたいのか?」
「はい」
「……ならば、私は許可する」
「アーチボルト様!」
「黙れベディング、前王が決めたこととはいえ今は私が王だ。ウィルスは大罪人というわけでもない、戻しても支障はないはずだ」
「……ですがっ」
「私は、セリーヌの願いはなるべく叶えてやりたい」
私の手を両手で包み込み、皆の前でベディング侯爵に逆らって見せたアーチボルト。
侯爵からしてみれば黙って従っていたお人形が意思を持ち噛み付いてきたのだ、驚きを禁じ得ないだろう。現に顔面崩壊してるし。
さてさて、何度も繰り返すが王の言葉は重いのだ。アーチボルトが白だと言えば黒も白になる。
前王や侯爵が「否」と言えど王が「可」と言えば誰も何も言えない。
当初の予定では色仕掛けや取引など色々考えてはいたが、必要はないみたいね。
「私にウィルス・ルガードをくださいませ」
これなら、我儘王妃様で十分。
それに、今迄の仕打ちを考えれば可愛い我儘でしょ。大丈夫、皆「何時ものことか」としか思わない。
けれど、それを許せない者も若干一名居るみたいだが。
「いくら王妃様といえど少々我儘が過ぎますぞ」
唸るように声を出す侯爵に、先程まで笑顔で大人の魅力を振りまいていた面影がなくなっている。
多分侯爵の地雷はウィルスだったのだろう。でも何故ウィルスが?アネリは特に気になるようなことは言っていなかったし、ジレスも彼が優秀だということに否定はしなかった。
だからあとは本人を見てからと、調べるのは後回しにしていたのだ。
「まぁ、なにを今更。ベディング侯爵なら
私が城内でなんと言われているかご存知でしょ?」
「……多少のことには目を瞑りますが、これに関してはいただけませんな」
ウィルス・ルガードに何かあるのだろうか。
「あらあら、ベディング侯爵は何か勘違いをなさっているのね」
「……は?」
「多少のことには目を瞑る、ですって?貴方、何様なの?」
私は精神的苦痛による慰謝料を貰うつもりなのよ……。
私は被害者、侯爵は加害者。
私は王族でこの国の王妃、侯爵は君主制の下に維持されている貴族階級を持ってはいる。が、国があり君主がいるからこそ地位を得ているだけ。
前王の側近だろうが只の一貴族が、王が許可をすると言っていることを覆そうなどと神にでもなったつもりなのか。
「アーチボルト様は皆の前で許可をすると発言なさいましたわ。王の言葉は絶対なのだと先程、アメリア嬢のときに貴方は言いましたわよね?随分と貴方にだけ都合の良いこと。それに、ウィルスが移動になった理由も語らず、大罪人でもない優秀な騎士を王都へは戻したくないなど……これはベディング侯爵の我儘ではなくて?」
「……ならば、そこまでして望まれる優秀な騎士をセリーヌ様の護衛になさるのですか?それも又、都合の良いことだとは思いませんか?」
「えぇ、だって、私の我儘ですもの」
「……」
「私はウィルス・ルガードが欲しいのです。なにか、いけなくて?」
こっちは命とか貞操とか母国へ帰る為にとか本当に色々懸かっているのよ。
王都の隅っこに追いやった、侯爵にとっては要らない騎士なのだからさっさと寄越しなさいよ!
ベディング侯爵と互いに睨み合っていると、視界に広い背中が入り込んだ。
「ベディング、ウィルスは呼び戻しセリーヌの護衛騎士にする。近衛騎士隊に戻すわけではない、それで良いだろ」
「……左様ですか。アーチボルト様がそう言うのであれば、構いません」
頭を下げ立ち去ったベディング侯爵を見て、良し!慰謝料もふんだくってやった!と内心ガッツポーズをしていると、広間にいた者達からどっと歓声が上がった。
驚き周囲を見回すと、声を上げていたのは騎士達で、貴族は私と同じく困惑しながら視線を彷徨わせている。
ウィルスの名を口にしながら肩を叩き合う者もいれば、新米だろう若い騎士は年配の騎士にウィルスのことを尋ねている。
見える範囲では嫌な顔をしている騎士は一人としていない。
「凄いわね……」
「そうですね。賢く剣の腕も良く、人望もある……血筋も申し分ありませんしね」
「何者なのよ」
ジレスが横に並びボソボソと呟く内容にギョッとした。
なにその超人……え、私早まった?
「……彼は」
「ジレス、少し話しがある。クライヴとフランもだ」
更に何か言おうとしていたジレスをアーチボルトが遮り招集をかけた。何を言いかけたのかは気になるが一戦終えたあとだ休みたい。
さて、私はどうしようか。
アネリは……と探すが近くに居ないし、エムとエマも見つからない。喉が渇いたし、お腹も空いた。足だって高いヒールの所為で疲れた……。
せめて涼しい場所で休憩をと、アーチボルトにテラスに行くと告げたら「庭には出るな」と言われ護衛を二人付けられた。
言われなくても庭になど行かないわよ。
※※※※※※※
テラスの手摺にもたれ、夜の庭園を眺めていた。端に行けば階段があり庭園へと下りられるようになっている。
真っ暗なのかと思っていたが、所々木の下に明かりが灯されていて昼間とは違った景色に中々良いものだと感心した。
それにしても……前世の記憶を思い出してから激しく、忙しい。丸一日部屋でゆったりと寛ぎながら本を読んでいた日々が懐かしい。
あぁ、夜会のテラスって確かイベントがあったなぁと近づいてくる足音に溜息を吐き出し、少しくらい休憩させろと思いつつ顔を向けた。
「お飲み物でも如何ですか?」
手に持っていたワイングラスを差し出してきたのは中年の男性。身なりからして上位貴族だろう。
広間とテラスの間に待機している護衛が通したということは害はないと判断したのか、テラスにいる護衛も動く気配を見せないし。
「ありがとう……喉が渇いていたのよ」
私がグラスを受け取ると嬉しそうに笑い、その顔が誰かに似ていると考えていたら……。
「お初にお目にかかります。エズメ・リンドと申します」
「リンド……アネリの……」
「アネリ・リンドの父親ですな。隣、よろしいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ」
アネリの父親で、娘をマインドコントロールした狸だった。
「アネリは、娘はセリーヌ様のお役に立てていますか?」
「えぇ、とても助かっているわ」
「それはようございました」
「私、リンド伯爵にお聞きしたいことがあるのだけれど」
「なんなりとお聞きください」
「……何故この国の王ではなく、他国の王女に仕えるようにと教育を施したの?リンド伯爵だけではないわ、前々王に仕えていた者達はなにを考えているの?」
「そうですな……老い先短い老いぼれの命など幾らでも差し出せますが、なにも知らず罪のない子供達は守りたかったのです」
「守る?」
「セリーヌ様はこの国を、アーチボルト様をどう思われますかな?」
「…………」
「アレは、王の器ではありません。セリーヌ様ならお分かりになりますでしょう?ラバン国には鬼才といわれる王太子がいるのですから」
「何を言っているの……」
「セリーヌ様、来るべきときがきたら躊躇ってはなりません。愛する者も、この国で関わった者も、貴方が必要とする者だけを残し全て捨てなさい」
「リンド伯爵……?」
「人一人で抱えられる量は、多くはありませんから」
伯爵は囁くように告げ広間に消えていった。
座り込んでしまいたいのを我慢し持っていたグラスに口をつけワインを流し込む。
苦いだろと思っていたワインは甘くて、渇いていた喉をすんなりと通っていった。
一体何がどうなっているのだ?前々王の側近達は国を、アーチボルトをどうしたいの?
「セリーヌ様、なにかお持ちしましょうか?」
「……えぇ、同じものを」
護衛の気遣わしげな声にハッとし、ワイングラスを手渡しお代わりを頼んだ。
飲まなきゃやってられないとは、こういうときに使うのだろうか……。
やさぐれた気持ちになりワインを一気に飲んでしまったが、大丈夫よね?
前世ではワイン一杯では酔わなかったが、この身体がお酒を口にした記憶は全くない。ラバンでは兄が目を光らせていたから。
まあ、護衛もいるし広間にも誰かしらいるのだから私が少し酔ったくらい問題はない。
多分、相当疲れていたのだろう。
飲み物を取りに護衛が一人離れても、もう一人いるからと安心していた。
アネリやエムとエマ、テディという信頼できる護衛がついていないのに。
口元を押さえられ、抵抗する間もなく腹部を殴られ、荷物のように抱え上げられ。
朦朧とする意識の中、霞む目で見た先には私を見てうっすら笑うアメリア嬢がいた。




