標的は古狸
止まっていた音楽が再び奏でられ周囲が踊り始める中、互いに向かい合ったままのアーチボルトとアメリア嬢。
世界中に二人だけしかいないような空気を醸し出している彼等に、ここでスポットライトでも当てればチープな恋愛映画のラストシーンのようではないか。
けれどね、アメリア嬢よ。
その立ち位置はこの世界の主役で、ヒロインのフランの場所なのよ。でもって、不本意ながら悪役ポジションの私がこの場にいる。
「アーチボルト様」
思っていたよりも冷たい声が出てしまった。
正面にいるベディング侯爵は、黙って私の動向を伺っているが、私の声に反応しぎこちなく視線を寄越したアーチボルトは私を見て固まり、アメリア嬢は良い雰囲気を邪魔されたことに腹が立ったのかアーチボルトには見えないよう私を睨みつけている。
あら失礼。でも、仕方がないわよね?
「私、ベディング侯爵家の……そこの彼女から、正式にご挨拶を受けていませんの 」
「アメリア嬢とはジレスの執務室で会ったのだろう?」
「えぇ、ですが……彼女も先程言っていましたでしょう?私を王妃だと気付かずに無礼な物言いをしたと」
「そうだったな……」
「彼女が数名の令嬢方と宰相室の扉の前で大きな声を出し、扇子を近衛隊の騎士に向かって振り上げていましたの、私驚いてしまって直ぐに声をかけましたわ。そうしましたら、叩かれていたのがアーチボルト様が直々に任命した騎士で」
「……扇子を?」
「えぇ、私は部屋に入れずに困ってしまい、退きなさいと言ったら彼女を怒らせてしまったみたいで、アーチボルト様の騎士に扇子を叩きつけて去って行ってしまいました。でも、誤解でしたのね」
「叩きつけてだと、フラン!怪我は?」
「僕はあれくらいなんともありませんが」
アーチボルトが怒鳴った声に反応し、踊っていた者も談笑していた者も動きを止め再び此方へと皆の関心が集まった。
私は、「まぁ」っと口元に手を当て、どうしましょう?と困り顔をしてみた。
フランが「あれくらい」と言ったことで、彼の頬や肩を触っていたアーチボルトの眉間に皺が寄る。
あのフランの言い方では、叩かれましたと言ったようなものだからね。
「アメリア嬢、どういうことだ?私に嘘を言ったのか!」
「私は、何も、信じてくださいアーチボルト様!こんなっ、酷いですわ」
「酷いだと、私の騎士に手を出しておいて」
「恐れ入りますが、アーチボルト様」
顔を両手で覆い泣き崩れたアメリア嬢を庇うようにベディング侯爵が険しい顔をしながら立ち塞がる。
「どういうおつもりで私の娘にそのような質問をなさっておられるのですか?」
「ベディング!フランが、私の専属騎士が危害を受けたのだぞ!」
「危害をとは、些か大袈裟ですな。しかも、そこの騎士が言ったことを信じ、娘が叩いたという証拠も無しにそのようなことをおっしゃるとは……」
「だがっ!」
「身分が下の者を、ご自身の騎士を案じ、信じたいという想いは分かりますが、貴方は王なのですよ。況してや先程アーチボルト様が双方誤解であったとおっしゃっていましたでしょう」
そうだろう……このような大勢の人間が集まるような場での王の言葉は重いものね。
「アーチボルト様、落ち着いてください」
「セリーヌ……」
「アメリア嬢もお立ちになって、侯爵家の令嬢がなさる振る舞いではありませんわ」
「……はい」
興奮するアーチボルトの腕にそっと手を添え、まだ泣き続けているアメリア嬢に優しく声をかけ微笑む。
ほらほら、皆落ち着いて。
ベディング侯爵に支えられながら、ゆっくりと立ち上がり訝しげな顔をするアメリア嬢の頬は濡れていないし、化粧も崩れていない。やはり泣いた振りか。
「侯爵家からすれば、平民の騎士や他国の王女など顧慮する必要のないほど価値が低い者なのでしょう」
ねぇ?とベディング侯爵に問うと、侯爵は「そのようなことはございません」と頭を下げるが。
「あら、ごめんなさいね。私てっきり、侯爵家の令嬢が挨拶もなしにつらつらと言い訳を口にし、このような場で人目を憚ることなく泣いていたでしょう?これでは、私達が悪者みたいではなくて?私はご挨拶がまだだと指摘して差し上げただけなのに、困ったわ」
「失礼いたしました……娘も動揺していたもので、アメリア」
「……はい、ベディング侯爵家の娘、アメリア・ベディングと申します。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」
「ごきげんよう、アメリア嬢。私が王妃だと分かっても、ご挨拶がまともに出来ない方なのね」
「…………」
にっこり笑顔で朝のアメリア嬢と似たような言葉を口にしてあげた。
俯き唇を噛み締める彼女の姿は高身長の男性方には見えないだろうが、彼女と身長の変わらない私にはハッキリと見える。
「私、アメリア嬢に返さなければならない物がありますの」
でもね、本番はこれからよ。
「アネリ」
隅に控えていたアネリを呼び、レースのハンカチで包まれている物を受け取った。
「それは何だ?」
「コレですか?私の侍女が拾っておいてくれましたの。お返ししますわアメリア嬢」
「……なにを?」
アメリア嬢はハンカチを広げ、現れた物を見て言葉を失い、ベディング侯爵はアメリア嬢の手からそれを取り何かを見つけ苦い顔をした。
「折れた、扇子か……?」
「はい、アーチボルト様。折れてしまった物をお返しするのもどうかとは思いましたのよ?ですが、侯爵家の家紋が持ち手に入っていましたので」
貴族が調度品に家紋を入れ持ち歩くのは珍しいことではない。
何かあったときには身元の保証にもなるし、アメリア嬢が頻繁に宰相室へ訪れているのだから、侯爵家くらいの家柄なら城へ入る際に家紋が入っている扇子を見せればすんなりと入れてしまうのかもしれない。
だが、本人の手から離れた家紋が入った物は悪用されてしまうこともある。
その際、責任を負うのは悪用された家。そんな大事な物を投げ捨てるアメリア嬢の気が知れない。
アネリはあの騒動の中、冷静に事態を把握し床に転がっていた扇子を拾い懐にしまっていたらしい。
部屋でマッサージ受けながら、ジレスから渡された書類と共に家紋の入った扇子を見せられ吃驚した。アネリは「ナニかに使えるかもしれませんから」と黒い笑みを零していたけど。うちの侍女優秀すぎる!
「これは……確かに娘の物です」
「余程強く投げ捨てていかれましたのね、ただ落としただけではこうはなりませんもの。侯爵家の家紋が入った物です、お気をつけになって」
「お父様、私は」
「黙りなさいアメリア」
静まり返っている広間にベディング侯爵の低い声が良く響く。
さてさて、メインイベントですよ。
「ベディング、先程証拠もなしにと言っていたな?だったらその折れた扇子はなんだ。やはり、アメリア嬢は嘘を言っていたのではないか!」
「アーチボルト様、そのような物証拠にもなりませんわ。それに、アメリア嬢とのことは誤解だと、許せとそうアーチボルト様がおっしゃっていましたでしょ?」
「だが、フランとアメリア嬢、どちらが正しいのか証明されたではないか」
本当に感情のみで動く人だ。
監視カメラみたいに映像があるわけでもないし、口裏合わせればどうとでも出来ること。
確固としたものがない状況でやったやらないなど無駄だ。
それに、どちらが正しいのかとか私はそんなことはどうでも良いのよ。私の獲物は彼なのだから。
「そのようなことおっしゃらないで。アメリア嬢が悪いわけではないわ」
「セリーヌ?」
「疑われても仕方のない紛らわしい行動をとらぬよう教育していないのですから。侯爵家の者なら、これから色々な方達とお会いすることもあるでしょう?これが近衛隊の騎士ではなく他国の使者や護衛騎士、私ではなく他国の王族の方であれば、そのようなことはしていない、知らなかったから、では済みませんわね」
『瓜田に履を納めず、李下に冠を正さず』とかこの世界にはないのだろうか。前世では結構有名な詩なのだけど。
まあ、本来なら自国であっても許されないことなんだけれどね……ほら、この国を治めているのがアホの子アーチボルトだから。
さて、侯爵は私が何をしたいのかは分かったのだろうか。ベディング侯爵の視線がアーチボルトではなく私に向いている。
そうそう、貴方が今相対しなければならない者はアーチボルトではなく私なのよ。
「紛らわしい行動と言うのであれば、そこの騎士とて同じではないのですか?」
「まぁ、騎士の者は任命書を受け取りにジレスの元を訪れただけ、それも予め決められた時刻によ。アメリア嬢は……何故宰相室へ?ジレスと会う予定でもあったのかしらね、ジレス?」
「いえ、ベディング侯爵なら兎も角、アメリア嬢とお会いする理由はありません。数日置きに宰相室へ無断でお越しになり、私も困っていたところです」
侯爵はフランもアメリア嬢と同じだと言いたかったのだろうが、彼にはハッキリとした理由がありあの場にいた。
だが、アメリア嬢は明らかに可笑しいのよ。ジレスと話しをしたときに彼女が頻繁に押しかけて来て困っていると聞いたから、アーチボルトの側に控え口を挟まずに静観していたジレスに話しを振ったら……キラキラ輝く笑顔を見せ口から毒を吐いた。
鉄仮面侯爵は微かに眉を動かしただけ。流石古狸筆頭だわ。
「セリーヌ、何が言いたいのだ?」
「アメリア嬢はアーチボルト様の専属騎士に言いがかりをつけられた、と言っていましたわね」
「フランは叩かれたのだぞ!」
「えぇ、ですがそれを初めから見ていた者は令嬢方と騎士のみ。今回はアメリア嬢に何事も無く済みましたが、彼女は女性です、次は何があるか分かりません。城の中とはいえ護衛も付けずに令嬢方だけで歩くなど、家の教育を疑われても文句は言えませんわ。ですから、責めるのであればアメリア嬢ではなく彼女を教育した侯爵家」
「……セリーヌ様のおっしゃる通りです。私の教育不足でした」
「それと、そこの騎士はアーチボルト様が昨日帰還式で近衛隊に任命し、王の専属騎士になった者です。近衛隊は各騎士団から選抜された優秀な者達、王の懐刀ですわ。彼等に悪意を向けるのであれば王に向けるも同じ、彼等を疑うのであれば、王を疑うのと同じ。ですわよね?アーチボルト様」
「あ、あぁ……そうだ」
今気付きましたみたいな顔を隠しなさいよ。
ちゃんと分かっていて近衛隊の騎士を選んでいるのだろうか?他の近衛騎士と接していないから分からないが、クライヴとフランという時点で危ういのだけれど。大丈夫か?全ての責任は貴方が負うのよ……。
「私は、謝罪は結構と言いましたわよね?」
「はい…………!」
ゆっくりと周囲を見渡したあと、「私は」という言葉を強調すると、何か気付いたのか侯爵はハッとし表情を変えた。
私がアメリア嬢から受けた暴言のことで侯爵から謝罪される謂れは無いから「貴方が謝ることでは無い」と言った。
あれは本人からきっちりと貰うつもりだから大丈夫。
アメリア嬢とフランとのことに関してだが、私には全く関係が無い。助けたつもりも無いし、私はノーダメージだ。
だから「私は、初めから謝罪は必要無い」と侯爵に念を押した。
ほら、身分的に口に出す言葉は、色々暈して曖昧な感じにしろと教えられているから。
自身に都合の良い方へ持っていけるようにとかね?
そして、忘れているかも知れないが、私達がやり合っている場所は騎士達を労う為に開かれた夜会。此処には貴族や騎士達が集まっている。
フランが他の騎士達に嫌われていようが、彼は近衛隊の騎士。
フランに対してぞんざいな扱いをすれば、近衛隊がそういう扱いを受けたことになる。
さて、どうするのだろう?と侯爵を見ていると、彼はフランの方へ身体を向け若干崩れていた表情にはあの完璧な仮面を貼り付け直していた。
「そこの騎士は、名を何と言ったかな」
「近衛騎士隊所属、フランと申します」
「そうか、私の娘が迷惑をかけたな。すまない」
「いえ、私に至らない点があり、ご迷惑をおかけしました」
頭は下げないが謝罪した侯爵に、フランは頭を下げ謝罪した。
広間にいる者達は安堵したのか、張り詰めていた空気が和らぐ。
けれど、即座にあの受け答えが出来るフランにはやはり何か違和感を感じてしまい気味が悪い……。
あー、もう!と軽く頭を振り思考を切り替える。
アーチボルトは問題が解消されたとばかりに侯爵とフランに何か話しをしているが、侯爵は首を縦に軽く振るだけで沈黙している。
侯爵家が平民に謝罪したのだ、嘸かし腹が立つことだろう。顔には出していないが、拳を握り締めている。
うむ、雪辱は果たした、次は……。
「そういえば、アーチボルト様」
「どうした、セリーヌ?」
「お願いがありますの」
「でしたら、私は失礼いたします」
「ベディング侯爵にも関係があることですから、どうぞそのままで」
私に触れようとするアーチボルトの手を叩き落としてやりたい気持ちをぐっと堪え、引きつった笑みを見せるベディング侯爵を呼び止めた。
「アメリア嬢が言っていましたでしょ?私に騎士の者が一人と、侍女しかついていなかったから王妃だと思わなかったと」
「あぁ、騎士というのは昨夜のか?」
「えぇ、ですから私の護衛騎士を増やそうと思いまして」
「……そうだな、あの騎士ではセリーヌを守りきれないだろう。誰か良い騎士がいないかジレスに聞いてみよう」
「まぁ、それでしたら良い案がありますわ。ベディング侯爵」
「はい……」
良かった、アーチボルトは賛成らしい。
何かテディを悪く言っていたが、彼ほど優秀な騎士はこの国にいないからね?アホなこと言うな。
「私の護衛として、ウィルス・ルガードを呼び戻しても良いかしら?」
慰謝料もきちんと請求しなくちゃね。




