過去の想いとの決別
頬に手を当て「まぁ、困ったわ」なんてやってみるが……まあ、そんなすんなりと帰してくれるとは最初から思っちゃいない。
これだけ脅かした後で「帰っていい?」なんて聞くだけ野暮だし、逆に「どうぞ」とか言われてたら本当に困った状態になるところだった。帰りたいというのは本当の事だけれどそれは今ではないのだから。
「貴方が帰ったら向こうから理由を問われるでしょう、そうなったら間違いなく同盟解消になります。それどころか自身で戦争になると仰っていたではないですか。今二国で戦争になれば帝国が黙っていませんよ」
「帝国がもしこの機に乗じて戦争を仕掛けてくれば二国共に倒れます」
「…………」
まるで私が我儘を言っているのを説得しているかの様に言い募る腹黒と脳筋の言葉は、理由を知らない第三者から見れば至極真っ当に聞こえるだろうが忘れているのだろうか?
自国の王が王妃を蔑ろにした挙句侮辱までしたことを。
ジレスもクライヴも身勝手だな……。
そう言えばと、さっきまでキャンキャン吠えていたアーチボルトが嫌に静かな事に気付き目を向けると、翡翠の瞳はいつもの切り捨てるような冷たさでは無くどこか探るような目で黙って私を見つめていた。
ドクンと鳴った心臓が恨めしい。私の意志に反して胸が高鳴るのだから。
やはり、早目に決別する必要があるようだ。
「では、私にどうしろと?このまま惨めに王妃という名の椅子に座っていろと?」
「それに関しては王から謝罪を」
させますから、と憂いを帯びた声で呟いて私の方へ顔を向けた。
何も知らない少女なら、私はこの美しい人に労られていると胸をときめかせるのだろう。
実際腹黒ドSだと知っている私ですら感心するほどの演技力だ。けれど、私には『謝罪させるから許せよ』にしか聞こえないがな。
「謝罪ねぇ、なら他にもさせる必要のある人がいますわよね?」
「……フランですか?あの子は何もしていません。王が勝手に思慕を抱き振り回しているだけです」
最後の言葉を憎らしげに吐き捨てたジレスに、アーチボルトだけではなくこいつの頭もお花畑だと確信した。
「ジレス、貴方にも一から説明する必要がありますわね。まさか、宰相などという地位にいる者がこんなにも愚かだとは思いもよりませんでしたが」
「……私が愚か、ですか」
「ええ。そんなに怖い顔をしないで、たった一つの取り柄の美貌が台無しよ」
ふふっと口元を手で隠し微笑む私に更に気を悪くしたのか、今し方まで完璧に造っていた気遣わしげな表情が消え失せている。
そりゃそうだろう。自分では仕事の出来る男だと思ってそうだし。そんな男が美貌しかお前に誇れるものは無いと言われたのだから怒らない方が可笑しい。
「宰相とは君主に任ぜられて国政を補佐する者です。その者が国が傾くような事態を諌めるどころか容認しているなんて愚か以外の何者でもないわ」
「容認などっ、その様な事は一切していません!私は、王妃様の処遇を知らなかったのですから!」
「知らなかったでは済まされないのよ、貴方は宰相なのだから。王の愚行を唯一諌めることが出来た側近なのだから」
「ですがっ!」
「幼い頃からの付き合いならアーチボルト様がどの様な方か知っていたでしょ?子供がそのまま大人になった様な方がまともに物を考える事が出来るわけが無いでしょ」
「…………私が、子供」
あ、やばっ。最後のは声に出すつもりはなかったのよ?そんなに落ち込むなアーチボルトよ。良い意味で純粋、素直、無邪気ってことだし。悪い意味では人の話しを全く聞かない自己中心的な人だけど……。
「それに、調印式での約束事も、知らなかったのだから仕方が無いなどと言うのかしら?貴方は自身の補佐と文官数名を向かわせ報告も受けていると言っていたけれど」
「……その件については行き違いがあったみたいですね」
知らなかっただの行き違いだの……次は記憶にございませんか?何処の政治家だ。
「ジレス、貴方本当に報告を受けたの?」
「何を仰りたいのですか?」
いや、ちょっと気になることがね。
『ジレス様、只今戻りました』
『お疲れ様でした。で、どうでしたか?』
『同盟の方は無事に終えました』
『そうですか』
『すみません!失礼します!』
『ノックもしないなど、何事ですか』
『すみません、緊急の用件で。第三騎士団のフランの事です』
『何かあったのですか!?貴方達は下りなさい、報告書は後で確認しておきます』
『ですが、何か不備があると困りますので先に確認だけでも』
『下りなさいと聞こえませんでしたか?同盟は無事に済んだのですから、今日はゆっくり休みなさい』
国境の諍いで城から離れられなかったジレスの元に調印式から戻り報告書と口頭での報告をしようとした顔も無いモブキャラ達、そこにジレスの子飼いが部屋に入って来てフランが怪我をした事を伝え、城から出れない己に苛立つジレスはフランへの恋心に気付き始めるイベントだっけ?
窓の外を見つめ立ち尽くすジレスが美しいとか何とか言って姉がテレビを指差し興奮していた。
いや、仕事しろよ。とか突っ込んだ気がするんだけど、この時の調印式ってラバンとのよね?
ゲームではこの時に約束事に関して一切ふれていないのだ。
王妃に関しての話しはフランが関わらない限りゲームの中では出てこない。ある意味モブキャラなのだから当たり前なんだけれど、流石に国が傾くような話しは出てこない方が可笑しい。だって、二日連絡が途絶えたら戦争なのだから。それに、姉からそんな話しは聞いた事が無い。
何か、どこからかストーリーが違う?
「セリーヌ様?」
ジレスの声で沈んでいた思考から浮上する。考えるのは後だ今はやる事があるのだから。
「いえ、報告を受けたのなら補佐と文官がミスをしたのかと、それでしたらその様な大事な事を報告すら出来ない者を調印式に行かせた貴方の職務怠慢ね」
「…………」
「知らなかったのは王とて同じ。知らなかったで済まないのもね、特に貴方は全てを把握し一つ残らず王へ報告をする義務があるわ」
「私のせいだと……?」
「貴方のせいでもあるわね、王の補佐すら満足に出来ないみたいだけれどこの国の宰相なのでしょ?」
「セリーヌ様が仰っていた他にも謝罪をさせる必要がある者とは、私のことですか」
強張った顔をするジレスに頷く。
分かってくれて嬉しいわ、いい加減疲れてきちゃったわよ私。
暗くなった部屋の雰囲気を和ませようとクライヴに視線を向けると、目が合いビクッと身体を跳ねさせ目を逸らしやがった。
次は自分かとでも思ったのか……大丈夫だよクライヴには用は無いから。
「お前は、何がしたいのだ……」
生暖かい目でクライヴを観察していたら黙っていたアーチボルトが口を開いた。
「何がとは?」
「フランに笑いかけたと思えば同盟解消だとか戦争だとか、挙句にラバンの王太子と手紙のやり取りだと?途絶えれば二日で攻め入るなどと、最初からこの国を乗っ取るつもりだったのか?」
そうか、黙って私の話しを聞いていたのはそんな事を考えていたからか……。
やはり、この人には何も伝わらないのだ。
「そう言えば質問の答えがまだでしたわね」
『はっ、最後に前列にいた騎士に微笑んでいただろ。何を企んでいる?』
『お前があのように微笑んでいるところなど見たことが無い』
「騎士に微笑んでいたと仰いましたがあの者とは目が合いましたの。あれが他の者であったとしてもあの時の私なら微笑んでいたでしょう。他意はありませんわ」
これは私の言葉。別に何かしてやろうとかは思ってないし。
で、次からは……。
「貴方は私が笑っているのを見たことが無いと、当たり前ですわね。隣国から嫁いで来た私に会ったのは数日前から城の中で過ごしていたにも拘らず結婚式の当日です、ヴェールから見た貴方の瞳はとても冷たいものでしたわね。しかもその夜に部屋へは来ず、緊張し不安で堪らなかった私は侍女から王は訪れないと言われましたのよ?貴方に私の気持ちが分かりますか?分かりませんわよね、ズタズタに傷つきましたわ」
真っ直ぐに私を見つめる王にセリーヌが言えなかった言葉をぶつける。
「私が貴方に一体何をしましたか?言葉を交わすどころか夕食の席にもこなくなり、私の為に造られた庭園で逢瀬を重ねる貴方の邪魔をしましたか?」
にじむ視界の先には目を見開き驚愕の色を浮かべるアーチボルトがいる。
本来ならこんな奴の前で弱味を見せたくはないが仕方が無い、必要な事なのだから。
「兄への手紙には毎日返事を書きましたわ。心配なさらないで、私はとても幸せです。アーチボルト様はとても優しく大切にしてくださっていますわ、と」
フランに自分を重ね、それを自分がされた事のように書いた。
「私が何を思い、誰を守るために耐えていたのか分かりませんでしょ?そんな貴方に微笑むですって、あり得ませんわ」
掠れた声で吐き出した言葉はちゃんと聞こえただろうか?
静かに一筋の雫が頬を伝い落ちた。




