馬鹿げた話し
不満そうに私を見つめる三人に呆れながら、何も聞こえませんとばかりにお菓子を口に含む。
友好国や同盟国ならまだしも、長年争ってきた敵国である帝国の皇帝との噂なんて迷惑を通り越して致命的だ。帝国に私一人が招待された時点でくだらない噂が立つだろうとある程度の予想はしていたけれど……ロマンス?誰と?私にそんなものを求めるほうが間違っている。
「そんなに見つめられても、ひとつも真実のないただの噂なのだから諦めなさい」
常日頃から浮かべている優雅な微笑みとは違った、こう、ニヤニヤとした笑みを浮かべる三人に目を細め冷たく言い放てば、彼女達は淑女らしからぬ声を発して肩を落とした。
「残念だわ、とても……残念」
「ミラベルは皇帝とのロマンス推奨派だったものねぇ」
「えぇ……アーチボルト様が愛妾を持たれているのだから、セリーヌ様が帝国の皇帝と恋愛を楽しまれても良いと思うの」
良いわけがないでしょうに……。
セオフィラスがまだ皇子だったときから、自国を問わず貴族や民からの人気が高かった。彼の容貌もそうだが、次期皇帝という地位も魅力のひとつだろう。
自身が被害を受けさえしなければ、敵国の皇帝すら推せるのだから女性は逞しいものだわ。
「もしかして」
ティーカップを置いたティアが姿勢を正し真面目な顔で呟き、そのあとに続く言葉に耳を傾けていれば……。
「秘められた恋なのかもしれないわ」
真理に辿り着いた者のような物言いをしたティアに唖然とする私を余所に、モーナとミラベルは目を輝かせ小さく悲鳴を上げた。
「そうよね、そのほうが素敵だもの」
「本ばかり読んでいるティアにしては、よい思いつきだわ」
「モーナが日頃から馬鹿にする本から発想を得たのよ」
「馬鹿になどしていないわ。ただ、文字だけの本が嫌いなだけよ?ロマンス小説は読むもの」
「私もロマンス小説だけなら読むわよ?」
「……モーナもミラベルも、側室で良かったわね?とてもじゃないけれど、侯爵夫人や伯爵夫人は務まらないわ」
「それなら天職ということよね?私もセリーヌ様のように秘められた恋をしてみようかしら」
「モーナが?無理よ、騎士を見る眼差しが怖いもの」
「ミラベルだって、ジレス様を見つけたときの顔は、こうよ……!」
「……そんな変な顔はしていないわ」
「二人共そっくりよ?」
話しのネタにされている私からしてみれば頭の痛いことだが、王が無関心を貫くこの後宮に閉じ込められた彼女達の気分が少しでも和らぐなら、これくらい笑って流せてしまう。
「そういえば、もう直ぐセリーヌ様のお誕生日ですわね?大々的にお祝いすると、兄から聞いたのですが」
「大々的には行われないはずだわ」
「お祝いは行われるのですか?」
「そうみたいね……」
国を挙げて祝うべきでは?などと言うジレスを説き伏せ、最終的には小規模なものでと互いに手を打ったのだけれど、後日渡された書類を目にして、どの辺が小規模なのだと頭を抱えたのを覚えている。
「やっぱりそういった王宮内の情報は、ティアのほうが入ってくるのは早いのね」
「私は王宮内。モーナは外交関係でミラベルは王宮外。三人共分かれていて丁度良いわ」
「ねぇ、小規模とはいえ夜会は行われるだろうし、その前に私達だけでセリーヌ様のお誕生日のお祝いをするのはどうかしら?」
「楽しそうね。会場は後宮内か、このティーサロンも素敵よね……ティアは?」
「勿論賛成よ。でも、会場よりもお祝いのプレゼントはどうするの?」
「特別な物がいいわ。お誕生日会を提案したのはミラベルなのだから、何か妙案があるのではなくて?」
三人共、家柄的に厳しく教育を受けてきた優秀な淑女であるというのに、どうして祝われる私を前にお誕生日会とやらを計画しているのだろうか……。
ひとり蚊帳の外ではあるが、コロコロと変わる彼女達の会話が私の最近のお気に入りでもある。
「あるわ。最近、王都に珍しい物が入ってきたのよ」
口元に人差し指を当て、ふふっと得意げに微笑むミラベルに皆の視線が集まる。
「テディベアというのよ。クマという動物に似せて作ったぬいぐるみなのだけれど、とても手触りがよく、可愛らしいのだとか。今迄誰も目にしたことのない高品質な人形だと聞いたわ」
「……テディベア?」
「はい。そのような名前でした」
この世界にも小さなものから大きなものまで様々な動物がいる。馬だって、牛だって、豚だっているし、クマも大きくてごつくて凶暴なものが存在しているのだ。
だからこそ、そのクマの形をしたテディベアと愛らしいという言葉が結び付かず、モーナとティアは首を傾げている。
「ミラベルは本物を見たの?」
「現物はまだ一体しかなく、私はお父様に絵を見せていただいただけなのです」
「そのぬいぐるみはどこの国から入ってきた物か分かるかしら?」
「恐らくオルソン国かと。この季節に取引する国は限られていますし、何より、オルソン国から他にも珍しい品物が入ってきていると聞きましたので」
「……そう」
やはりあの国かと眉を顰め、ティーサロンの隅に立つアデルへと視線を投げる。
互いに思い浮かべる人物は同じ。テディベアを作って販売するなんて、姉さんしかいない。
「セリーヌ様は、テディベアというものをご存知なのですか?」
私を窺いながら恐る恐る尋ねてきたミラベルにあたたかに微笑む。
「えぇ。似たような人形を、貰ったことがあるの」
前世だけではなく、今世でも。
どちらも同じ人からのプレゼントだったのだと、最近気付いた。
幼かったセリーヌがある時期まで家族のように大切にしていた人形は、きっと誰から貰ったものなのか本能的に分かっていたのかもしれない。
「平民でも買える値段の物もあるらしく、王都で流行するのではないでしょうか?私は注文を済ませていますので、もしよろしければ届いたらお見せいたします」
「セリーヌ様のプレゼントにするのではなかったの?」
「私のよりもっと宝石をあしらった最上級の物をプレゼントするわ。それに、同じお人形を持っているのも姉妹のようで素敵でしょう?」
「それなら、私もミラベルの物を見てからひとつ注文してみようかしら?」
「どれほどの生地なのか気になるから、私にも見せてちょうだい」
「ティアは嫌よ!絶対にお人形を解体するもの」
「やりそうだわ」
「だったら生地を手に入れてくれればいいわ」
まだ販売すらされていないテディベア。
紅茶を注ぐアネリからアデルへと素早く視線を走らせるが、どちらも小さく首を横に振る。
アネリはまだしも、実家が豪商であるアデルにすら入ってきていない情報を口にしたミラベル。彼女の実家であるオルホフ家の取引先とやらがオルソン国の可能性がある。
確か、娘が後宮へ入ると同時に中立派を宣言し、今ではその筆頭だと言われるまでになったのだとか……。
「是非、セリーヌ様のテディベアは私にプレゼントさせてください」
「楽しみにしているわ」
「はい」
どうも警戒心を薄れさせる子だわ。
頬を染め心底嬉しそうに笑うミラベルは、手紙の遣り取りをしていたときから妙に好意的だったのだ。少し怪しく思っていたので警戒していたのに、どうも、こう、後宮に入って顔を合わせるようになると、彼女からはアネリ達と似た視線を度々感じ、現状困惑中である。
「ねぇ、ミラベル。オルホフ家が王都にある邸宅を数件買ったと耳にしたのだけれど?」
「まぁ……モーナがどうしてそれを?」
「どうしてって、貴方のお家が買った邸宅は、こちらの派閥だった者達が所有していた物件だからよ」
物件という言葉に一瞬反応するティアだが、それよりも今手にしている本のほうが面白いと感じたのか、先程から少ない頻度で行う相槌すら打つことなく本に視線を固定している。
そんなティアを放置してモーナとミラベルだけで話すことがほとんど。
私も基本は相槌をするくらいなので、こうして彼女達から情報を得つつ、ゆっくりとお茶を楽しんでいる。
そして、今話題に出ている邸宅とやらは、多分私とフランの拉致に関わった貴族達が所有していた物件なのだろう。
「お父様は事業を他国にまで展開されているの。だから、あの邸宅はこの国に来られる取引関係者との打ち合わせや会合、宿泊施設に使う予定だと伺ったわ」
「態々用意するなんて、随分と大物なのね」
「取引相手には貴族だっているもの」
「そうなのね。我が家も手に入れようと競売に参加していたらしいのだけれど、手を出すのを躊躇うほどの値段で買われたのだとか」
「いわくつきの物件にしては高く買われたというだけのことじゃないかしら?」
微笑みを浮かべながらバチバチとやり合っているミラベルとモーナを眺めながら、私はこのあと向かう先でのことを考え溜息を吐く。
美しい庭園に心癒されるティーサロン。そして個性豊かな愛らしい少女達。
たとえ時折こうして火花を散らしてはいても、それすら微笑ましく心穏やかに見守っていられる素晴らしい時間だというのに……。
「どうしてむさ苦しい男達と向かい合って議論などしなければならないのよ……」
「何か言ったか?セリーヌ」
「いいえ、何も」
楽しい時間から一転。
お茶会後は国王陛下とその側近達が居る執務室へと移動し、色々と苦言や……苦言しかないがそれを呈しなければならない。
――どうして、私が?
書類で半分顔を隠しながら私の様子を窺っているアーチボルトを睨む。
助けを求めるかのように視線を彷徨わせるアーチボルトだが、普段彼の味方となるジレスとクライヴが救いの手を差し伸べることはない。
今迄静観していた私が動いたのは、どうにもできなくなった彼等に頭を下げられ頼まれたから。
「側室の部屋へ訪れるようにと、再三、耳が痛くなるほど進言しましたが、ただ部屋に入るだけで何もせず戻って良いとは言っていません」
「……」
「返事は?」
「……っ、はい」
「これを口にするのも、もう何度目かしら?ねぇ、アーチボルト様」
「な、何だろうか……?」
「本気でフランを正妃にするおつもりはあるのですか?」
「それは、だな」
「ありませんわよね?もし本気でフランを正妃にと望んでいるのであれば、このように大人気なく逃げ回るわけがありませんわ。あ、弁解は必要ありません。その行いが嘘偽りのない真実ですから」
「いや、私は」
「アーチボルト様がいつまでもそのようなことをされるのであれば、私にも考えがあります。今迄は私が何もかも我慢し、皆が良い方向へ進めればと協力もしてきました。ですが、先の見えない船にこのままずっと乗っているわけにはいきません。ですので、このあと直ぐにお兄様に手紙を」
「分かった!私が愚かだった!だから、手紙を出すのはまだ待ってくれ……!」
書類を放り捨て懇願するように片手を伸ばすアーチボルトに、うっそりと微笑む。
「では、あとどれくらい待てばよろしいのでしょうか?」
「……セ、セリーヌの誕生日を終えたら、私も……覚悟を決めよう……っ」
この世の終わりのような表情で言葉を絞り出したアーチボルトに呆れつつ、彼の隣で私と同じように苦い顔をしているジレスに、言質は取ったから念書をと指示を出す。
「そこまでするのか……!?」
当然するでしょうが……と、怯えるアーチボルトに頷く。そこまでしないと信じられないのだから仕方がない。跡継ぎは重要な問題なので、アーチボルト贔屓のクライヴですら念書に判を押させる為に予め印を持って立っているくらいなのよ?
「んんっ、それで、セリーヌの誕生日はもう直ぐだが」
話を逸らそうと必死なアーチボルトが、数枚の紙を私の前に置いた。
それらを手に取り読み進めながら、徐々に頬が引き攣っていく。
「どうだ?」
「……お兄様の言う通りになさる必要はありませんと、あれほど言ったはずなのですが?小規模でと、互いに同意したはずでは?」
「小規模だろう?」
「二日前から王都で行われるこの祝祭とは?当日は、祝日とする?助成金?たかが王妃ひとりの為に、どれほどのことをするつもりなのですか……」
「前例がないわけではない。数十年前にも、王妃の誕生日を祝った国王がいたらしい。そのときは国外からも要人を招いたらしい。だからこれくらいなら小規模なものだ。それに、とある国にこれ以上私達に関わるなと警告をする意味でも必要なことだ!」
「とある国とは?」
「帝国のことではないでしょうか」
グッと拳を握り締めたアーチボルトではなくジレスに尋ねれば、肩を落とした彼の口から帝国の名が出てきた。
「帝国が会談を求めていると聞いたのだけれど?」
「はい。こちらに有益な提案がなされているのですが、アーチボルト様が」
「私は帝国との会談など行わない!あの国がどれほど我が国に損害を与えてきたと?今更、皇帝が変わったから国の方針も変わったなどと、信じられるはずがない。たとえ使者であっても、帝国の者が我が国へ入ることは禁じる!無断で入った場合は敵対行為とみなし即開戦を……っ!?」
「このような状態ですので、先日訪れた使者にはこちらの意向を記した書状を持たせましたので、もう訪れることはないかと」
「……っ、がっ、ぷはっ!手を、離せ……クライ……ヴ?」
アーチボルトの口を塞いでいるクライヴに軽く指を振って見せると、頷いたクライヴが手を離す。私とクライヴを交互に見て困惑しているアーチボルトが何か言う前に言葉を続ける。
「こちらの意向とは?」
「帝国側に敵対する意思がないということを示していただくために、会談場所はこの城で、自ら出向くと仰っている皇帝には最低限の護衛騎士だけを許可すると」
「そんな馬鹿げたこと……」
「もし実現するようなことがあれば、会談の日は祝祭の三日前でしょうか」
「実現するわけがない。私だったらそんなことが書かれた書状など破り捨てる」
胸を張ってそう口にしたアーチボルトだけではなく、この場に居る誰もがそんな書状を受け取ったら破り捨てる自信がある。更に燃やすまでがセットだろう。
「まったく……」
柔らかなソファーに凭れかかりながら、ジレスの三日前という言葉に眉を寄せ、確かその日は……!ともう薄れていた記憶を思い出したところで、ジレスがポソッと呟いた。
「実現したらどうされるのですか?」
動きを止めたアーチボルトに視線が集まる。
「いや……皇帝だぞ?」
そう、帝国の皇帝の身を危険に晒すようなことを、あの国が認めるわけがないのよ。
「ですが、その皇帝は戦場では最前線にいることで有名ですが?」
「それは戦場だからだろう?それに、皇子だったときのことだ」
「それだけ自由奔放だということでは?」
「……」
ジレスの追撃に言葉をなくしたアーチボルトと同様に、私もコクリと唾を飲み込む。
だって、あの皇帝は、もう何度もこの国に自ら足を運び、あるときは素性を隠し夜会に、またあるときは他国の王子の侍従に紛れて平然とこの城の中を歩いているような人なのよ?
「待って、有り得ないわ……絶対に……」
この場に居る私達も、書状を預かった使者も、皇帝と共に書状を読んだ実兄である宰相も、誰もがそのような馬鹿げた会談は実現するわけがないと思っていた。
書状を破り捨てることなく笑い声をあげた皇帝ただ一人を除いては……。




