二月前
ヴィアン国アーチボルト王の側室として格式の高い家柄から三名の令嬢が選出された。
後宮へ入る令嬢達の歓迎とお披露目を兼ねた式には各家の当主と、政治の中枢を担う面子が勢揃いしている。
式は舞踏会や晩餐会といった公式の宴を催すときに使用する広間ではなく、謁見や接見に使用されている床から天井まで全て白い大理石を用いて作られた白の間と呼ばれる部屋で行う。
広間にある玉座よりも簡易的な椅子が二脚置かれ、床には複雑な刺繍が施された黒い絨毯が敷かれている。天井にはクリスタルのシャンデリア、部屋を彩る祝福の意味を込めたカサブランカ。
この日の為に完璧に装った彼女達は誰一人としてこれらに劣ることなく輝いていた。
「モーナ・ラインズと申します。側室として陛下にお仕えいたします」
先頭を歩き一番先にアーチボルトに挨拶をするのは、ベディング伯爵と関係の深いラインズ家の令嬢であるモーナ。儚げな美女であるモーナは雰囲気だけならフランに近くアーチボルトからの心象は良い筈。
ただ、本人が騎士好きだと公言しているだけあり、部屋の隅に配置された近衛騎士隊を視界に入れたときの目がギラギラしていてとても怖かった。
モーナの挨拶に頷き「よろしく頼む」と答えたアーチボルトに微笑みながらも意識が他にあると気付いているのは私と他二名の側室、それと彼女の父親だけだろう。
真っ白な肌に折れそうなほど細い身体とは対照的なボリュームのあるドレスが良く似合っていて、まるでウェディングドレスのようだと感嘆しながらベディング陣営の気合を感じた。
「ティア・カルバートと申します。側室として陛下にお仕えいたします」
横にずれたモーナの代わりに前に出たのは宰相であるジレスを輩出したカルバート家の令嬢であるティア。
小柄だからか年齢よりも幼く見えるティアは一人だけ刺繍の一つすらないシンプルなドレスを身に纏っている。これがただの綺麗な令嬢であれば地味な装いだと失笑されるところだが、流石ジレスを生み出したカルバート家のご令嬢なだけありその精巧な容姿とシンプルな装いが彼女を神秘的に見せている。
他の二人とは違い口角すら上げず無表情を貫くティアにアーチボルトが若干口元を引き攣らせているが、二人は幼馴染のようなものだと聞いているので心配はないだろう。
一度現国王を見捨てまたこうして戻ってきた重鎮達はティアを利用する気はないらしく、我関せずといった感じで式に出席している。
「ミラベル・オルホフと申します。側室として陛下にお仕えいたします」
ジレスの元婚約者であり、先日中立を公言したオルホフ家の令嬢ミラベル。
ティアから悪趣味だと称される彼女はジレスの嫌な顔が何よりも好きらしく、今もジレスに向かって微笑んだあと嫌な顔をされ喜んでいる。
背中の開いた大胆なドレスは長身細身の彼女を引き立て、顔立ちと相俟って少しキツメの印象を与える。
肉食系、冷淡、艶やかと好みに煩いアーチボルトの為に選んだ令嬢達なのだから、微妙な顔で私を窺うのは止めてほしい。
一癖ある令嬢達だとは予め伝えてあるし、家柄や派閥などを考慮すると彼女達が適任なのだということは説明済みである。
そもそも善良な令嬢をアーチボルトの側室にとか、そんな残酷なことはできない。
無視だわ、無視……と式の進行をしているジレスに合図を送った。
「皆、国と民の為に貢献してくれることを願っている」
挨拶が終わればあとは王と王妃からの言葉で式は締めくくられる。
アーチボルトからの言葉は余計なことを言わないよう、予めジレスと私で無難な言葉を選び覚えさせた。本人は不服そうだったが、フランを虐めてはいけない、フランを敵視したら即追い出す……等といったことを口にするつもりだと言うのだから私達が介入して正解だった。
「今日此処に居る者達は、皆が国王陛下と国を支える者達です。この先、誰一人として欠けることなく、国王陛下に苦渋の決断をさせることがないよう、切に願います」
裏切ったらいつでも始末するからね……?と脅しも兼ねた言葉を口にしておいた。
王妃に子が居ない今、この機会を逃すことなくベディング伯爵陣営はモーナを焚きつけるだろう。仮にモーナがベディング伯爵に情報を全て流していたとしても、私が彼女達に国王の子を望んでいるのだから此方に手を出す理由はない。
またあのような襲撃があっては堪らないと、眉根を寄せベディング伯爵から視線を逸らした。
「では、側室方を後宮へ。当主である方々はこれから別室へと移動したあと数枚ほど書類にサインをお願いします」
娘に一声掛けることなく当主達は部屋を後にし、側室三人は近衛騎士に先導され後宮にある各自の部屋へと向かう。このあとは夕食を軽く取ったあと王の訪れを待つことになるのだけれど、三名一度に入った為にアーチボルトは三日に渡って各部屋を順に回ることになっている。
「ジレス、あとは頼むわよ」
「分かっております」
互いにしっかり頷き合いその場から離れる。
アーチボルトは私達の遣り取りを横目にのほほんとした顔をし、ジレスが頼まれた内容が自分のことだと気付いていない。
ギリギリまで逃げ回り、やっと観念したかと思えば側室の部屋を回ることに文句や不満を零しただけではなく、泣き落としのようなことまでしたのだ。何もなくても部屋を訪れるのは義務であり配慮だと言い聞かせ、彼女達の矜持を傷つけることだけは阻止するべくジレスには騎士を動員してでもアーチボルトを部屋に放り込むよう言ってある。
そのあとのことは彼女達の方で上手くやると、お茶会以降から遣り取りしていた手紙に書いてあったので大丈夫。
「やっと……肩の荷がおりたわ……」
小走りで自室内を移動し、着替える間もなく大きなソファーに飛び込んだ。
窮屈なドレスに高価な装飾品の数々。朝から身支度だけで気力を使い果たし、式の最中は各派閥の動向を窺う。準備から本番まで本当に、本当に……大変だった。
「お疲れ様でした。軽く何か食べられる物をご用意いたしますね」
「お願い。お腹が空いて倒れそうだわ」
遠くでぷっと吹き出す音が聞こえ目だけを向ければ、扉付近に立つアデルが意地の悪そうな顔で私向かって首を左右に振り肩を竦めた……。
「アネリ。軽食はアデルが取りに行くそうよ」
何て気の利く護衛騎士かしら!と態とらしく手を叩けば、アデルが眉間に皺を寄せる。
「それならよろしくお願いいたしますね。必ず毒見を済ませた状態でお持ちください」
「……承知しました」
「私達も暫くお側を離れますので、セリーヌ様はこのままお部屋で待機を願います」
「分かったわ」
私を馬鹿にした罰だとほくそ笑んでいる間に、エムとエマは寝転がる私から装飾品を回収し、アネリの手によってドレスから室内着へと変わる。
「ウィルス達は何処へ?」
「彼等は側室様達の護衛騎士の元へ向かいました」
「側室の護衛は近衛騎士隊よね……?」
「はい。彼等はこの後宮の主であるセリーヌ様の護衛騎士ですから、どの護衛騎士よりも上の立場となります。ですので、万が一に備えソレを初日に分からせ……んんっ、後宮内での注意事項などを確認に向かいました」
「噂や勝手な憶測で判断する頭の悪い者達も居ますから、身体に叩きこ……色々と覚えてもらわなくては困りますものね」
エムとエマが途中で言葉を切って誤魔化してはいるが、全く誤魔化せていない。
まぁ、ウィルスがいればある程度加減はするだろうと……根拠のない信頼を彼に置いたことで、翌日側室達の側に控えていた護衛騎士が九十度に腰を曲げ大きな声で挨拶をする姿を目にして目元を覆うことになるのだが……。
「あと二月後にはセリーヌ様のお誕生日ですね」
「誕生日だからといって、何かあるわけでもないわよ?」
この世界に誕生日を祝うという習慣はあるが前世と比べると大分薄く、誕生した年は盛大に祝うが翌年からは特にこれといったものはない。
国王や皇帝の誕生日であれば国によって違うものの、大抵は祝日となっているが。
「セリーヌ様のお誕生日なのですから、国を挙げて祝うべきですわ」
「お兄様に感化されすぎよ」
「ですが、レイトン様がアーチボルト様に詰め寄って何か脅し……頼まれていましたが」
「お兄様が?」
「レイトン様が納得されるくらい盛大なものにするべきだと脅し……てはいません、頼まれていました」
「そう、脅したのね」
「貴方達……こっちへ来なさい」
口を滑らせたエムとエマがアネリにお説教されている間に便箋を用意してお兄様への手紙を書く。コレは明日の朝直ぐにでも送るつもりだ。
「もう、本当に……」
国王ではなく王妃の誕生日を盛大に祝う国なんて聞いたことがない。
昨年は色々と遠慮していたと言っていたが、たった一年我慢しただけで嫁いだ妹の誕生日を祝えと他国の王を脅すほど遠慮がなくなるのだから恐ろしい。
使者もプレゼントも必要ないと書いたあと封をして、あの妙な知識はどこで得たものなのかを考えハッとする。
幼いレイトンに多大な影響を与えたのがエルヴィスなのだから、彼が元凶だ。
だから、即ち……全てあの姉の所為だったのかと、今迄のレイトンの言動を振り返り妙に納得してしまう。
何故主人公であるフランの障害となるセリーヌを助けるようなことをしたのかと首を傾げたが、恐らく赤子であるセリーヌを見て母性愛のようなものでも沸いたのだろうと頷いた。
赤の他人である義妹の為に女装までする人なのだから十分に有り得ることだわ。
「お人好しなのよね……しかも、サプライズが好きな人だったし」
「サプライズとは?」
起き上がりテーブルの上に置かれた紅茶に手を伸ばしながらどう説明しようか考える。
「人を驚かせて喜ばせることかしら……?ほら、兄であって姉のような人がいたと前に話したことがあったでしょ?」
「はい」
「その人が、今迄特別な人だけが貰えるものだと思っていたことを全て叶えてくれたのよ」
「それがサプライズというものですか?」
「えぇ、予期せず叶えられたわ……」
「とても素敵な方ですね」
「そうね……お兄様と似ているわ」
「レイトン様に……」
アネリが言葉を飲み込むのも仕方がない。アレが二人も居たら大変なことになるもの。
でも、二人が似ているというよりはレイトンが姉に感化されたと言ったほうが正しいのかもしれない。
「このまま予定通りに進めば良いのだけれど……」
明日の午後は側室達を呼びお茶会を行う。
これは慣例的なものであり、本来は親睦を深めるという名目で側室を牽制するものらしいが、一応協力関係にある私達は和やかにお茶を飲んで終わると思う。
「あとはアーチボルト様に頑張ってもらうだけね」
読みかけの本へと手を伸ばし、そのまま夕食まで読書を楽しむ。
最近はこんな些細なことすら楽しめなかったのだと嘆きながら夕食を取り、何故かベッドに入る前に執拗に勧められたハーブ茶を飲んで就寝する。
偶に眠りが浅いときに飲むアネリ特製のハーブ茶はぐっすりと眠れるので愛用しているのだけれど……。
「……深く考えないようにするわ」
今日は疲れているのでハーブティーは必要ないのでは?と考える前にアネリに布団を掛けられ思考を放棄した。
ここから先は私の仕事ではないのだから……と。
――深夜遅く。
騒がしくなった後宮内、王妃の部屋へと続く通路ではウィルス、テディ、アデルとこの国の王であるアーチボルトが激しく口論を繰り広げていた。
予め後宮へ出入りする許可をセリーヌからもらっていたジレスは後宮内に居る者達に緘口令を敷き、近衛騎士を動かし騒ぎの元凶であるアーチボルトを捕まえたあとは予定通り自身の妹の部屋へと意識を落とされグテッとした状態のアーチボルトを放り込んだ。
そんな騒動があったことを何も知らされなかった私は、翌日の朝「よく寝たわ……」と大きな欠伸を零した。
※※※※
「風邪を引きますよ」
二階のテラスの隅に座り込みながらジッと手元の手紙を見つめる主人の肩に上着を掛け、地面に温かい紅茶のカップを置く。
病弱な所為であまり激しい運動はできず、一度体調を崩せば二週間ほどは動けなくなる。
常に顔色は悪く、増えることのない体重が最近では忙しさのあまり減り続けている始末だ。
「ソレ、薬が入っているので飲み干してください」
「苦いのは苦手なのよね……」
カップを両手で持ち苦悩の表情を浮かべながらカルを窺うエルヴィスは少しも可愛くはない。さっさと飲めとぞんざいに手を振ればチビチビと飲みだす。
「あのクソ王子の繋がりをそのまま利用するつもりですか?」
「……えぇ、不幸が重なって王族が三人も亡くなってしまったと、エドルの名で手紙を書いたわ。あとは向こうからの返事待ちね」
「その不幸が人為的に起こされたものだと気付くでしょうか?」
「気付いてくれないと困るわ。第二王子が第一王子と母親、更には父親までを手にかけ王位を狙ったの。第三王子は放っておいてもそのうち消えるから放置よね」
「今迄のことを考えれば、王太子が変わっても取引は続けるでしょう」
「どちらにしろ、あの男は頃合いを見計らって切るわ。うちだけではなく帝国とも繋がっているし」
「前皇帝とですよね?」
「そうよ。あの男は、裏で暗躍がお得意だから……」
紅茶から視線を上げ毒々しい笑みを浮かべたエルヴィスにカルは息を呑む。
「私は……」
国母である王妃の亡骸を墓に埋めず、だからといって母国に帰すことなく、帝国に送った男。
それを知ったとき、自身に力がなく後手に回ったと分かってはいても突き進むしかなかった。
一周目のエンディングを目にし、二周目があるかも知れないという希望を持って……。
「いつも、あの子を幸せにはできないのよね……」
力を欲し、備えた二周目。
コレが本当に最後だと、エルヴィスはそっと瞳を閉じた。
お待たせしました。
活動報告にはお知らせがあります。




