事後処理
大国ヴィアン。
同じ大国と称される国であっても、帝国は軍事大国、ラバンは経済大国。
そして、ヴィアンは資源大国であり文化大国だ。
繊細な技術によって増改築が繰り返された王城の壮麗な外観、内観ともに、初めて目にした者達の視線を奪い、皆一様に見惚れ感動を覚えることだろう。用途に応じた複数の塔、大広間の地味な色彩と壁画、精巧なシャンデリアが相乗効果で美しさを生み出している。どれも派手さはなく上手く調和が取れているのだから大したものだ。
広大な庭園を馬車で横切り、視界の端に入った噴水に目尻が下がり口元が緩む。あの噴水には忘れられない心に刻まれた大切な思い出がある。
城を出て王都の街並みを眺め、定期的に配下の者達から上がってくる報告と照らし合わせこの国が安定していることを再確認した。
美しい王と麗しい王妃。この二人から生まれる子は、地位も美貌も豊かな国もその全てを捧げられ、将来は民に愛され輝くばかりの統治者となっただろうに。
「納得がいくまでと言ってはいたが、まさか側室を用意するとはね……」
正妻である王妃の役目は、後継者を残し優れた統治者に育てること。
まだ半数の国はこのような時代錯誤の考えを改めず、側室や愛妾を増やし男児を産ませることに躍起になっている。ヴィアン国もその類であり、王妃が男児どころか子を産めなくては居場所も人権もなくなってしまう。
正妃の産んだ子だけが性別関係なく王位を継げるといった帝国のような国であれば、嫁いだ王女は生きやすいだろうに。
ふっ……と小さく息を吐き出すと、今迄黙って対面に座っていたクレイが目を開けた。
「それについては手紙で説明すると、姫様が」
「そう……」
「あのように感情的に動揺する姿は久々では?」
「……」
「姫様が嫁がれた日は大変だったと、侍女から聞いています」
他国の者達が集まるなか、高ぶる感情を抑えきれずつい表に出してしまった。
妹の事になると歯止めが効かず理性を失うと分かってはいても、あのような言葉を口にする最愛の妹の姿を見て黙っていられるわけがない。
あの場でヴィアン国の者達を葬らなかったのだから、まだ僅かに理性が残っていたのだが。
「理想の兄だと思われるよう努力してきたというのに……」
「理想?手の掛かる兄の間違いでは?」
クレイの辛辣な言葉で最愛の妹に宥められたことを思い出し片手で目元を覆った。
「王族の婚姻の解消はそう簡単にはいきません。ましてや、姫様の婚姻は同盟に関係してくるものですから。それを解消しようと言うのであれば、アレくらいしなくては」
「分かっているよ。本人がそれで良いと言うのであれば僕は構わないよ」
「ですが、姫様だけが泥をかぶるのは納得がいきません」
「子ができず離縁された元王妃なんて、どこの国でも嘲笑されてしまうだろうね。噂は直ぐに尾ひれを付け諸外国に広まるだろうし」
「そのような噂を放っておく気はありません」
「勿論だよ。寧ろ、アーチボルトに非があり、離縁はヴィアン国側の失態だと噂を流すつもりだからね。それに、あの子が離縁してラバンに戻って来たら、大切に囲ってあらゆる非難から僕が守るつもりだ」
当然のことだと自国の王太子に尊大な態度を取るクレイの隣では、グエン窓を開け馬車と並走する黒服隊に手紙を渡し指示を飛ばしている。
大好きな主の横を抜け目なく取ったギーは、独り言やクレイと話ながら手紙を書いていたレイトンに「アレは?」とグエンが窓の外へ出した手紙を指差した。
「エルヴィス宛だよ。感謝と、少しだけ揺さぶりを掛けてみようかと思ってね」
「疑っておいでなのですか?」
幼い頃からの親友であり、大切な妹を同じくらい大切に庇護する遠い国の第三王子。
彼が居なければ家族や妹の大切さを知らず、全てが自身の駒なのだと言う冷酷で卑劣な男になっていたかもしれない。
「僕はね、エルヴィスほど賢く悪質で質が悪い男を見たことがない。病弱な王子という仮面で能力の高さを全て覆い隠し下手に出る。敵対意識を持たせず価値のない者だと思わせているが、アレは猛獣だよ」
「セオフィラス・アディソンとどちらが厄介ですか?」
「そうだね、僕やセオでは彼の相手にもならないだろうね。彼に力がなくて良かったよ。もし、あの国で王太子として生まれていたらと想像するだけで恐ろしい」
だが、彼がセリーヌに牙を向けることはない。
彼がまだ赤子だったセリーヌを見つめる瞳にはとても愛おしいという感情が現れていた。面会許可を得て日に何度も暇さえあれば乳母が抱くセリーヌを眺めていたと聞いたときは耳を疑い、きっと頭がおかしいのだと思ったものだが、数日後には私も仲間入りしていた。
そんな彼だからこそ、セリーヌが計画していることを手紙に書き意見を仰ぐという名目で揺さぶり、どう動くのかを知りたかった。
君と私の大切な妹が馬鹿な計画を立てている。
さて、エルヴィスはどう出るのだろうか……。
※※※※
海との関わり合いの大きいオルソン国。海の恵みで国を大きくし、発展させた大国は海を統べる国とも呼ばれている。
その国の王太子セドア・ボルネオの私室は二つほどあり、そのうち一つは彼の趣味部屋だ。窓は小さく、昼でも暗く照明が必要な小部屋は、セドアが許可した者しか立ち入ることが許されていない。
そのような特別な部屋の中を見回し、悪趣味だと吐き捨てる者と、まさしく趣味部屋だと納得する者。
そして、部屋の持ち主であるセドアの背を踏みつけ剣を床に突き立てている、オルソン国第三王子エルヴィス・ボルネオ。
「……っ、ぐっ」
骨が軋む音がやけに耳に入り、痛みを堪えて息を吐くたびに獣のような声が勝手に出る。床に腰と膝を打ち付けたからか思うように身体に力が入らず起き上がることができない。
「煩いわね」
頭上から冷たく吐き捨てられた言葉に、セドアは自身の耳を疑った。
病弱で力のない弟はいつでもセドアの言いなりで、媚びることでしか生きていけない情けない生き物だ。幸いなことに頭は悪くはなかったので手のひらの上で泳がせ管理しながら生かしていたというのに。
――コレは、誰だ……?
式典に訪れた大司教と結託し、ヴィアン国の弱みとなる者を保護しながら逃がしたエルヴィス。セドアと同じように向こうの国の誰かと繋がりを持っていたのかと憤り、重罪人として捕らえるよう命令をくだした。
直ぐに騎士に連行されたエルヴィスが見られると思っていたが、一日、二日、三日と経っても眼前に現れることはなく、痺れを切らしたセドアはエルヴィスの屋敷へ騎士団を差し向けた。
港での報告は既に受けていた。目的の人物も大司教にも逃げられ、セドアの手に残ったものは負傷した影と騎士達。口ばかりで使えないジェナリアは壊れた人形のように広い私室の隅で震えている。
抑えきれない怒りは、騎士に連行されて来たエルヴィスの姿を目にして一瞬で消え、その背後に立つジェイと側近の一人に視線を向け口角を上げた。
力のない者達の末路は決まっていて、ソレを決めるのは強者である自分だけ。
言い訳くらいは聞いてやろうと事の経緯を説明するよう言えば、エルヴィスは何を考えているのかとぼけたことばかりを口にする。
寛大だと自負しているセドアだが、コレは躾けが必要だと大袈裟に首を横に振ったあと片手を上げ、側に立つ護衛騎士にエルヴィスではなくジェイを私室の隣にある小部屋へ連行するよう指示を出す。
近付いて来る騎士に眉を顰めて腕を掴まれる前に自身で歩き出したジェイを眺めていれば、エルヴィスが立つ方から小さな笑い声が聞こえ目を細めた。
『何がしたいのですか?』
強者であるセドアに媚び諂い地面に膝を突き泣きながら懇願したあと包み隠さず全てを報告するのが正解だというのに、状況が分かっていないのか穏やかに微笑むエルヴィスが的外れなことを口にしたのでセドアは怒りを露わにした。
怒りのまま罵倒したので何を口にしたのかはあまり覚えてはいない。
けれど、エルヴィスは自身よりも周囲が攻撃されることを嫌がる傾向があったので、だから、そう、あの女のことを口にした気がする。
何もできはしない王子と呼ぶのも躊躇うほど格下である弟を、いつものように精神的に甚振り憂さを晴らそうとしていた。
だが、部屋に待機させていた護衛騎士達はセドアの目の前で一瞬にして倒れ伏し、声を発する間もなくエルヴィスに胸元を掴まれたまま小部屋へと引き摺られた。
開け放たれていた小部屋の扉の奥にはジェイと騎士が二名。守るべき王太子の現状に気付いた騎士達はジェイに背を向け駆け寄ろうとしたが、その前に背後から首の骨を折られ絶命してしまう。
『何が……っ』
掠れた声で問い掛けた瞬間、勢いよく部屋の中へ投げ入れられおかしな方向へ首が曲がっている騎士達の側に転がり、地面に縫い付けられるかのように背を踏まれたのだ。
「……どう、してっ」
全く意味が分からないと混乱するなか、口から出るのは問いかけの言葉ばかり。
前髪を掴まれ強制的に顔を上げさせられたセドアは、無表情のまま冷たく自身を見据えるエルヴィスに目を見開いた。
「だって、リアの名前を出して悍ましいことを口にしたじゃない」
たったそれだけの理由かと驚くセドアは知らない。
それだけと称した女性だけが、エルヴィスの生きる意味だということを。




