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 停学が明けてから二週間が過ぎようとしている。

わたしの高校生活は、相変わらず針のむしろだった。周囲の目は冷たく、いない者のように扱われている。それでもまだ、直接的な暴力とかがないだけ、マシかもしれない。

 その日は雨だったので、昼休みに屋上へ行くのも億劫で、わたしは学食でうどんを食べることにした。トレーにかけうどんを乗っけて、周囲に人のいない席を選ぶ。

「何あれ……?」

「なんかの罰ゲーム?」

 近くで囁かれる声が聞こえた。聞き覚えのある声だから、たぶん同じクラスの女子だろうけど、顔の確認はしなかった。

 彼女たちの言い草はもっともだ、と思う。何せ、わたしの前にあるうどんには、七味唐辛子が山盛りになっているのだから。

 わたしには灰色の粒にしか見えないけど、彼女たちからすれば、丼の中心にできた赤々とした唐辛子の山が異様に見えるのだろう。

 味覚もおかしい、と感じるようになったのは数日前だ。目ほど急激な変化ではなかっただけで、兆候は前からあったのかもしれない。気づいたときには、何を食べても、ほとんど味がわからなくなっていた。家族や宮沢と食事をするときは、訊ねられるのが面倒で、味のない食べ物を咀嚼して飲みこんでいる。唐辛子を大量にかけたりすると、微妙に舌にひりついた感じがするので、今日みたいに一人で食べるときは、刺激物を多めにかけるようにしていた。

 でも、別にいい。だって、やっと……。

 わたしの口角が自然と上がってしまう。

 ポケットの中でスマートフォンが振動した。

 このタイミングでかけてくるのは十中八九、宮沢だった。

「はい、もしもし? 今ですか? お昼御飯中ですけど、大丈夫ですよ。今日は……十七時? いつもより早いですね……晩御飯? 別にいいですけど……」

 わたしは通話を切ると、スケジュールアプリを起動させた。そこには、たくさんの×印が並んでいる。わたしは、今日の日付に新たな×印を入力した。

「……今日で契約終了か」

 今日が宮沢に土下座をしてから、一か月後となる。つまり、わたしと宮沢の関係が終わりを迎える日だった。

 わたしは宙を見上げ、深く息を吐いた。


 その日、宮沢に連れてこられたレストランは、いつものようにグレードの高そうなところであったことに加え、個室だった。

 わたしは味のわからない料理を「おいしー」と舌鼓を打っているように見せ、一通りのものを平らげる。

「……早いもんだね、一ヶ月ってのは」

 食事もひと段落をしたころで、宮沢が遠い目をしてつぶやいた。

 わたしは小首を傾げる。

「いや違うな……君がいたから早く感じたんだ、この一ヶ月を」

やっぱり言っている意味がわからない。だけど、雲行きが怪しくなるかもしれないと思ったわたしは、本題を切り出した。

「宮沢さん。あの、約束のことって……」

「もちろん、ちゃんと守るよ……契約には、お互いの信頼が何より大切だからね」

 宮沢はそう言うと、持っていたカバンの中からA4サイズくらいの封筒を取り出した。分厚いマンガ雑誌が入っていそうな封筒を受け取る。封がされていなかったので、わたしはチラッと中身を確認した。そこには確かに、わたしが待ち望んだものが、しっかりと収まっている。

「ありがとうございます!」

 わたしはこのときばかりは素直に笑顔を作っていたと思う。すぐさまその封筒を、わたしは鞄の中にしまった。

 わたしは高揚していた。今すぐにでも、宮沢の顔面に蹴りを入れ、ここから走り去りたいくらいにはテンションが上がっている。

「一つ話をしてもいいかな?」

 わたしの心の内とは関係なく、宮沢は真面目な表情でこちらを見据えてくる。

「……はい」とわたしは神妙に返事をした。

「うちの会社にもね、たくさんの契約社員がいる。彼らは皆、一生懸命働いているわけだが、それがなぜだかわかるかい?」

「お金が、欲しいから?」

 わたしの答えに宮沢は小さく吹き出す。

「それもあるだろう。だがね、彼らが懸命に働く理由は他にもある」

「なんですか?」

「正社員になるためだよ」

「え?」

「その働きが認められれば、いつ切られるともわからない契約社員から、その会社での立場が保障される正社員になれる……だから、彼らは懸命に働くんだ」

 宮沢の言おうとしている意図がさっぱりわからなかったけど、ここは「へえ、勉強になりました」と愛想笑いをする。

「……ある意味では君も同じさ」

 また意味がわからない。

「左手を出してごらん」

 宮沢は微笑みながら、わたしに向かって掌を上にした状態で左手を差し出してくる。

 わたしは拒否する理由が思いつかず、言われるがまま宮沢の手に左手を置いた。宮沢の右手の指が、わたしの左手の薬指を締め付ける。ように感じた。

「見てごらん」

 わたしは宮沢の手から解放された左手を見る。そこには、指輪が嵌められていた。モノトーンでしか捉えられないわたしの目でも、きらきらと輝いているのがわかる石がついている。

「えっと……これは?」

 表情を作っていたわたしも、さすがにこれには戸惑いを隠せない。

「その指輪、いくらだと思う?」

 わたしは宮沢のペースに乗せられたまま、「百万円、とか?」とあてずっぽうを言った。

「……五百万だよ」

 宮沢が得意げに笑った。

「ええ?」

 驚きの金額だった。

「結婚しよう」

 遊びに行こう、くらいの軽快な口調で、とんでもないことを言われた気がする。

「は?」としか、反応できないわたしの心を置いてきぼりにして、宮沢は語り始める。

「僕はずっと、君みたいなコを待ってたんだよ……君を他の誰かに抱かせたりはしない。君にとって、僕は、最初で最後の男になるんだ」

 わたしの背筋を冷たいものが走った。

「君は、まだまだ輝ける。僕が、磨きに磨きをかけて、その指輪のダイヤがちっぽけに見えるほど、最高の宝石にしてみせよう」

 宮沢の目は自信に満ち溢れていた。

「だから、結婚しよう。君が高校を卒業したらすぐにでも」

 頭がおかしいんじゃないの、と思った。でも、それくらいどこかぶっ飛んだ発想や神経がないと会社の社長なんて務まらないのか、とお父さんを比較対象にして思い直す。

これがプロポーズというものなのか?

 わたしの勝手なイメージでは、もっと心が華やぐようなものだと思っていたのだけど……内心、早く帰りたくて仕方がない。

 わたしがYESとしか答えないことを確信しているような宮沢の表情だった。

 今のわたしには、鞄の中にある三百万円を無事に持ち帰らなければいけない、という使命がある。ここの場はなんとしても、宮沢の機嫌を損ねずに、切り抜けなければならない。

「……嬉しい」

わたしは左手の薬指に右手で触れた。

「喜んでくれた?」

「はい、ありがとうございました」

宮沢の問いに、わたしは満面の笑みで答えた。こうしてわたしは、宮沢のプロポーズにはっきりとした意思を示さないまま、この会を終えることができた。



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