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 高校に来るのは、二週間ぶりだ。

 停学が明けて、わたしは久しぶりに制服のスカートに腰を通した。

 あれ以来、わたしの世界は、ずっとモノトーンのまま回っている。ちょっと信号がわかりづらいな、と思ったりはするけど大きな支障はない。だから、誰にも言っていないし、もちろん検査の類もしていない。症状を話したところで、たぶん眼科の検査では何も出てこないだろう。そして、精神科に回され、「何がきっかけで?」と訊かれ、口を噤むしかないわたしが、簡単に想像できた。

昇降口で上履きに履き替え、廊下を進む。遠巻きに視線を向けられているような気がしないでもない。ただの自意識過剰かもれしれないので、気にしないようにする。

 わたしは、「3年C組」と書かれたプレートを確認すると、その下にあるスライドドアを開いた。

 ドアを開き切るまでは、ざわついていた教室内が、ピンと静まり返る。まるで事前に示し合わせていたかのような見事な沈黙だった。

 わたしが足を踏み入れると、教室は再び騒がしさを取り戻す。その喧騒に織り込まれるようにして、「おかしくない?」とか、「なんで舞子は退学なのに、向こうは停学で済んだわけ?」とか、「同罪じゃんねぇ」といった声が聞こえる。影口のラインをギリギリ超えて、わたしの耳に聞こえるような程よい声量加減だった。

 わたしが自分の席に着こうとしたとき、一瞬、並木千絵と目が合い、逸らされた。

警察にご厄介になって以降、千絵から何度かメールをもらっていたけど、わたしは返していない。舞子とわたしの噂が広まった今となっては、さすがに関わりたくないだろう。教室に入った瞬間に千絵が駆け寄ってきた頃が懐かしく、寂しくはあったけど、自業自得だと諦めることにした。

 その日、周囲から向けられる視線は、いわゆる「汚い物を見るような目」だった。でも、実際に汚いからなぁ、と思うと言い訳も立たない。ただ、これからも続くのは軽い地獄だ、と考えながら、どうすることもできずに窓の外を見ているしかなかった。

昼休みは、ご飯を食べる気にもなれなかったので、屋上へ上がる。かつて舞子が寄りかかっていた位置のフェンスによりかかり、ポケットからジッポのライターを取り出した。

蓋を開け、ホイールを回転させ、火を着ける。そして、しばらくモノトーンの火を眺めては蓋を閉め、また一連の動作を繰り返す。

「あれ?」

 何度か繰り返しているうちに、ライターの火が着かなくなった。ホイールをいくら回しても、ささやかな火花が飛び散るだけになってしまった。

「オイル、補充しなきゃね……」

 それならそれで……わたしは、火を眺めるという工程を省略し、再び一連の動作を繰り返した。なんとなく気持ちが落ち着く気がするのだ。

 突風が吹き抜けて、わたしはスカートの裾を押さえる。不意に上を向いた。

 空には雲一つない。きっとどこまでも青空なのだろう。今の私には、その「青」が感じられないのだけど。

 しばらくわたしが、灰色に映る青空を見上げていると、スカートのポケットでスマートフォンが振動した。

 わたしは着信表示に現れている名前を確認しながら、応答する。

「はい、もしもし?……宮沢さん。今ですか、大丈夫ですよ……はい、わかりました、七時ですね、いつものところで」

 この一分にも満たないやり取りが、わりと疲れる。わたしはスマートフォンのスケジュールアプリを表示させた。

 この停学期間中のあいだに、五回ほど宮沢に呼び出された。さすがにスイートルームは初回だけで、それ以降の場所はツインの部屋での逢瀬となった。

ときには、なかなか予約の取れない高級なレストランに連れて行ってもらったこともある。メニューに並ぶお値段は、一品一品がファミリーレストランの最高値メニューの十倍以上したけど、十倍以上のおいしさを感じたかというと、わたしは首を傾げる。そもそも味覚がお子様な上に、目と同様、どこかバカになっている気がしなくもない。もちろん宮沢の前では、「こんなにおいしいの食べたことないです!」と喜ぶのだけど。

 スケジュールアプリに表示された月間カレンダーのここ二週間に予定には、五つの×印がついている。そしてわたしは、今日に当たる日付に新たに×印を加えた。

 わたしはアプリを閉じて、スマートフォンをしまうと、再びジッポのライターを出していじり始める。

 七時になる前に、少しエネルギーを補充しようと思った。


 家に帰って、宮沢に誂えてもらった服に着替えると、わたしは久世家のあるアパートへ向かった。

 これはわたしにとって、宮沢に会う前の儀式のようなものだ。自分がなんのために、宮沢のところへ行くのかを確認することで、崩れそうな心の形を留める儀式だった。

 ただ久世家の部屋を眺めるだけで良かった。ときどき運が良いと、時朗や美晴と出くわすことがある。

 今日は運が良かったらしい。

 時朗と美晴は、アパートの傍らにあるコンクリートの壁に座っていた。美晴は、わたしがあげた色鉛筆で広告の裏紙に絵を描いている。時朗は、ぼんやりとゴムボールを弄んでいた。

「オス!」

 わたしの中でテンションが上がっていた。

 顔を上げた時朗は、「お姉ちゃん……」と、泣きそうに笑う。美晴も小さく手を振った。

 わたしは二人の前に来ると、かがんで同じ目線になる。

「元気か、ボーイ&ガール?」

 わたしが訊くと、時朗は「元気だよ……」と口をすぼめた。

「でも、いつもつまんないんだ」

 不服そうに下を向いた。

「そっか。私とおんなじだ」わたしは笑い飛ばす。「お母さんは? その後大丈夫?」

「……今はウチで寝てる」

 アパートのほうを時朗が見た。

「そう」と言って、わたしは美晴の頬に触れる。「ご飯はちゃんと食べてんの?」

「お母さんが、頑張って作ってくれる」

 美晴が小さな声で、訥々と答えた。

「お兄ちゃんは……お仕事だよね?」

 時朗が「うん」と頷いた。

「あげる……」

 美晴が恥ずかしそうに、紙を差し出してくる。今、完成したばかりの絵のようだ。

 そこにはショートカットで、ちょっと釣り目の女の子が笑っている顔が描かれていた。

「これ、わたし?」

美晴が照れたように頷いた。

「なんか、実物よりも美人じゃない?」

 ここ最近もらったものの中でも断トツに嬉しいプレゼントだった。

「ありがと」

 わたしは、時朗と美晴をギュッと抱き締める。二人の体温、心臓の鼓動を感じることができた。

「お姉ちゃんも頑張るからさ……二人も、お兄ちゃんとお母さんのこと、支えてあげてね……」


 わたしは宮沢が待ち受けるホテルのエントランスへ来ると、両手で頬をはたいて気合いを入れる。

 二人にたくさんのエネルギーをもらった。

わたしはまだ、戦うことができる。



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