13
13
控え室にある鏡に映ったキャバクラ嬢の顔を眺める。
別人みたいになったキャバクラ仕様の自分だった。
お店で働くようになって二週間が過ぎようとしている。メイクも髪のセットも、一人でできるようになったし、最近ではお客さんの相手を一人ですることもある。
この時間になると、頭が冴えてくる感じがする。ヘルプで入ったときの動きや振る舞い、一人で対応するときの表情などをイメージトレーニングするようにしていた。
その反動かもしれないけど、学校でのわたしの気の抜けっぷりは惨憺たるものだ。
千絵から聞いた話では、今日なんて、現代文の授業中――この前、一悶着あった先生の授業だ――わたしは鼾をかいて寝ていたらしい。先生はもはやわたしなどいないかのように黒板に向かって板書をしていた、という。
「アカエちゃーん、ご指名入ったよー」
控え室のカーテンを捲り、従業員が声をかけてきた。
わたしは「はーい」と返事をし、指示されたテーブルへと向かう。
「あ、宮沢さん。今日も来てくれたんですか」
わたしはソファに座っているお客さんに笑顔を作った。営業スマイルの要素もなくはないけれど、実際にわたしを指名してくれるお客さんには愛想が良くなってしまう。
宮沢は、わたしが働き始めて数日のヘルプで出会った。そのとき特に頑張ったつもりはないけど、それ以降、来るたびにわたしを単独で指名してくれる。
年齢は四十代半ば、といったところだろう。
いわゆる「おじさん」という感じはしない。会社の社長をしている、というのはヘルプではじめて会ったときに聞いていた。スポーツマンらしく肌は浅黒く日焼けし、精悍という言葉がぴったりくるような男性だった。身に着けている時計やスーツなども、よくわからないけど、どこかのブランド品のような高級感がある。
テーブルには、わたしが作った水割りやフルーツの盛り合わせが並んだ。
「宮沢さんが社長やってる会社って、なんて名前なんですか?」
定型の挨拶会話を一通り終えたわたしは、特に気の利いた話題も閃かず、思いつく言葉を口に出していた。お客さんによっては会社のことを訊かれるのが嫌な人もいる。難しい顔をされたら、次はスポーツのことでも訊こう。そう考えながら、わたしは宮沢の表情を観察する。
「あれ、名刺まだ渡してなかったっけ?」
なんら気にした風でもない宮沢は、スーツから黒革のカードケースを取り出すと、一枚の名刺を渡してくる。
「わあ、嬉しー」と大袈裟に喜んで、わたしはそれを両手で受け取る。
いかにもIT企業っぽいロゴで、「Lock on!」とあり、その下に「代表取締役 宮沢武史」と印字されている。
舞子から、お客の中には女の子にいい格好したいばかりに、身分を偽る「口だけ社長」――亜種に「口だけ取締役」や「口だけ部長」――という人たちがいる、と聞いた。そういう人たちはたいてい名刺などを見せたがらないらしい。
偽物の名刺まで用意しているというのも考えられなくはないけど、わたしが困るわけじゃない。第一、わたしだって二十歳だって嘘をついているのだ。誰を責めることができよう。わたしは素直にこの名刺の内容を受け止めることにする。
「スゴい、この会社、アカエも知ってるー。超有名な会社じゃないですかー」
テレビでCMを見たことがある会社だった。
「そう? フツーの会社だよ」
宮沢は水割りを口に含んで目を細めた。
「どうやったら、宮沢さんみたいにお金持ちになれるんですか?」
社長イコールお金持ちではない、というのも舞子に教わったことだ。でも、宮沢に関してはイコールと考えても良いように思う。それにこの質問は、わりと切実に訊いてみたいことだった。
宮沢は金持ちであることは否定せず、「たとえばそうだな……」とフルーツの盛り合わせにあるバナナを二本取って、手前に置いた。
「アカエちゃんは、どっちのバナナのほうが食べたい?」
わたしはよくわからないまま、「えーっと、こっち」と指差した。
「どうして?」と宮沢が訊いてくる。
「だって、こっちの方が甘くてなってそうじゃないですか」
「なぜ、甘そうって思ったの」
宮沢は出来の悪い子どもへ教えるような目線になる。実際に出来が悪いのだから、異論をはさむ余地はないのだけど。
「だって、こっちのほうが、黄色が濃いし、斑点があるほうが甘いっていうじゃないですか」
逆にわたしが選ばなかったほうのバナナは、上部が緑がかっているくらい黄色が薄い。
宮沢は「そうだね」と微笑み、「ところが、僕は……」とわたしが選ばなかったほうのバナナを手に取った。
「こっちのほうが好きなんだ」
「えー、なんでですか?」
宮沢はバナナを剥き始める。
「こっちのほうが新しいからさ」
首を傾げたわたしに、宮沢は解説をする。
「世の中はね、新しいもの、とりわけ、初めてのものってのが、価値が高いんだよ」
宮沢はバナナの皮を剥くと、その実をわたしに示す。実の白は、見るからに硬そうで、わたしは食欲をそそられない。
「今のはわかりやすい例だけどね。世の中には一見しただけじゃわかりづらいものがたくさんある。僕はさ、普通の人が気づかないような新しいモノを嗅ぎ分ける嗅覚が人より優れているみたいなんだ」
宮沢はそう言って、未成熟なバナナを思い切り齧った。
「僕がアカエちゃんを指名するのも、同じ理由だよ」
齧ったものを咀嚼した宮沢は、わたしのほうに食べかけのバナナを差し出す。どうやら二口めを食べろ、という意味らしい。
わたしは宮沢に気取られないようにお腹に力を入れる。まだこの手のコミュニケーションを自然に受け流せるほどには慣れていない。でも、こんなの、わたしが欲しいチケットに比べれば、安いものなのだ。
わたしは宮沢の歯型が付いたバナナの身を口に含み、齧り切る。思った通り甘さはなく、芯のある感じがした。
宮沢が浮かべる微笑みが満足げに見えた。
宮沢が帰ったあと、わたしはお情けで舞子のテーブルにヘルプでつかせてもらう。
舞子が相手をしているのは、はじめて来店した水谷という男だった。どこにでもいる三十代のサラリーマンという印象以上のものはない。宮沢の相手をしたあとだと、頼りなさ感が倍増して感じられた。
舞子がひとしきり水谷を良い気分にさせて、お会計という段になる。ここはテーブル会計なので、従業員が金額の書かれた伝票を持ってくる。
はじめての客だからか、伝票を持ってきたのは、店長の柏木だった。
二つ折り型である伝票ホルダーの上蓋を捲り、水谷は金額を確認する。
「うっわ、高っ!」
思わず出てしまったという感じで、水谷は口を掌で抑える。
「お客様。当店は、適正な価格でやらせていただいてますよ」
柏木がにっこりと笑顔を浮かべる。そこに親しみ以外の圧を感じるのは、わたしの心が貧しいからだろうか。
「で、ですよね。別にボッタくってるってほど高いわけじゃないし……」
「当店は、女の子の質が高いので」
「で、ですよね。てゆーか、鮮度がいいですよね」
柏木が「わかりますか」と微笑んだ。
「なんか、匂いがさ。『獲れたて、もぎたて!』みたいな」
「ウチのお客様は、鼻の良い方ばかりです」
「また、来させてもらいますよ」
「お待ちしております」
水谷が冗談交じりに喋りながら、財布からクレジットカードを取り出す。柏木はそれを受け取ると、「少々お待ちください」と奥へ引っ込んだ。
大人のやり取りを終えたと見計らったらしい舞子は、さりげなく水谷の腕を抱きつく。
「まーた、私のところに来てね」
舞子の甘えた感じの声と上目使いの表情が、水谷の顔をとろかせる。うまいな、勉強になるな、でも、わたしにはハードルが高すぎるなあ、と思ってしまう。
そうは言っても、日に日にわたしは、この仕事に順応していることを実感していた。




