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翌日の学校で、わたしは千絵にダブルデートを途中ですっぽかしたことを平身低頭謝った。久世のことは話の流れ上、触れないわけにもいかず、当たり障りのない部分だけをかいつまんで伝える。
千絵は「まあ、別にいいけどね。前島なんて好みど真ん中ってわけでもないし。数ある候補の一人でしかないから」と強がりながら許してくれた。
昼休みになって屋上へ行く。
教室の隅に溜まっている綿埃みたいな雲が広がっている。
今のわたしの気分にはぴったりだ。
フェンスに寄りかかってボーッと遠くを眺めている尾崎舞子を見つけた。
わたしが歩み寄る足音に気づいたのか、舞子がこちらを振り返る。
わたしはすかさず、ポケットからジッポのライターを取り出すと、蓋を開けるのと同時に火を着け、舞子の前に差し出した。我ながら流れる手捌きだったと思う。
ライターの炎を見つめる舞子に、わたしは「どう?」と問う。舞子は「上達したねえ」と笑った。
つかみはOK。わたしは本題を切り出す。
「あのさ……」
「ん?」
「この前の話、まだ生きてるかな?」
「この前の話って?」
たぶん舞子はわかっていて訊いている。できれば直接的な文言を出さずに進めたかったけれど、舞子が言葉にすることを求めているなら、わたしはそれに応じるしかない。
「その……お店? 舞子が働いているところに、わたしを紹介してくれるって話」
舞子が「ふーん」といたずらっぽく笑う。
「何? 好きな男でもできた?」
舞子の軽口に、わたしは「違うし!」と否定する。その語調が強くなりすぎて、まるでわたしが慌てているみたいになってしまった。
「ちょっとお金が欲しくなっただけだし!」
「いくらくらい? 十万とか?」
わたしが改めて言うと、おかしそうに笑いながら舞子が訊いてくる。
わたしは素直に答えた。
「人の未来を変えられるくらい」
舞子が働いているキャバクラ「Girls」は、電車に揺られて三十分ほどの繁華街にあった。
事務所と呼ばれる小さな応接スペースのソファに座らされたわたしは、舞子から店長を務めている柏木という男を紹介された。年は三十代くらい。痩せていて目がギョロッとしているからか、蛇を連想させる。
「葵ちゃんてさ……」柏木は、わたしの顔から足先までを舐めるように見る。
「もしかして処女?」
「はいぃぃ?」
唐突な質問に、適切なリアクションが思い浮かばない。
隣に座っている舞子が、「え? そうなの?」と意外そうな顔をわたしに向ける。
「な、なんでそんなこと訊くんですか」
答えるのを避けるように逆に質問をする。
「いや、なんか雰囲気的にさ。処女だとこの仕事、結構きついよー。体とか触られるし。ま、それでもウチはソフトなほうだけどね」
ソフトでも体を触られるのか……はじめてのバイトにしてはハードだよなあ、と思う。でも、今のわたしが欲しいのは、お小遣いではないのだ。
「イヤだなぁ、そんなわけないじゃないですか! もうすぐ18ですよ。それで経験ないなんて、女として終ってるじゃないですか」
女として終わっているわたしは、精一杯の虚勢を顔に貼り付ける。
柏木はわたしの調子に合わせるように「だよねえ!」と笑う。
「ま、処女っぽいてのも、清純系で押せば逆にウリになるしね!」
柏木の爬虫類を思わせる目は、わたしの嘘を見透かしているような気がした。それでも、追及せずに、都合の良いオチをつけられるのは柏木がわたしより何段階も大人だからなんだろう、と思う。
柏木は「OK」と両手をパチンと合わせ、舞子のほうを見る。
「じゃ、教育係はマユミちゃんに任せるから。よろしくやってよ」
ここでは「マユミ」と呼ばれているらしい舞子は、敬礼の構えをする。
「了解の介ー」
わたしは柏木に「よろしくお願いします」と頭を下げる。
椅子から立ち上がった柏木は、「あ、ちなみに……」と一瞬、鋭い表情を見せた。
「ここでは葵ちゃん、何がなんでも二十歳で通してね。これ絶対」
「はい、わかりました」
わたしも舞子に倣って敬礼すると、柏木は満足げに頷いて、事務所を去っていった。
「葵」
呼ばれて舞子のほうを見る。
舞子は、わたしに向かって、右手を差し上げていた。
わたしはそれに応じるように舞子とハイタッチをする。
わたしがこのお店で仕事をするときの名前――「源氏名」という言葉はあとで知った――は、「あおい」を文字って「アカエ」に決まった。
教室にいるときも派手だったが、今、わたしの横に立っている舞子には、ゴージャスさが加わっている。思いっきり肩を出した光沢のあるピンクのドレスに、フル装備のメイクは、舞子をどっから見ても完全なるキャバクラ嬢に仕上げていた。
わたしがあまりの変貌ぶりに驚いていると、「口開けっ放しだとアホに見えるよ」と舞子から突っ込まれた。
わたしは、と言えば、メイクも髪のセットも舞子にやってもらった。「葵の場合、初々しさがポイントだからねー」と言われ、ドレスもどちらかというと、白に近い水色のおとなしめにしてもらった。わたしからすれば十分すぎるくらい、攻めた服装なのだけど。
「さーて、じゃあ、行きますか」
緊張で唾を飲み込むわたしを連れて、舞子は店内のフロアを通り抜ける。
店内の照明は抑えられていて、それぞれのテーブルごとにランプが灯されていた。
ぱっと見渡す限り、お客はスーツ姿の四、五十代の男性が大半のように見えた。そこに数人の女の子が付き、楽しそうに話している。
舞子が言うには、このお店で働くほとんどの女の子が、わたしたちと同年代らしい。
舞子があるテーブルの前に立った。
すでに座っている男性たちから「遅いよ、マユミちゃん」とか「待ってたよ」と声がかかっている。けっこう人気があるらしい。
「今日はねー、みんなにわたしの後輩を紹介しようと思ってぇ」
男性たちが、「誰?」「その子?」と、舞子の後ろに立つわたしを覗き込もうとする。帰りたい、という気持ちを懸命に抑え込む。
「こういう仕事はじめての子だから、お手柔らかに、優しくしてあげてね。じゃあ、お披露目しちゃいまーす」
舞子が自分の前に出るように示す。
わたしはテーブルの前に立って、練習していた笑顔を作る。
「ア、アカエでーす。フツカ者ですが、よろしくお願いいたしまーす」
テーブルの男性たちから「『ツ』が一個少ないって!」と笑いながらの突っ込みが入る。つかみはうまくいったらしい。これも舞子の入れ知恵だった。
舞子はわたしを連れて、空いているソファに座る。
唯一、このテーブルでわたしが出来たことと言えば、お客が煙草を口にくわえたときに、ジッポのライターに火を着けて差し出せたことだった。




