バスルーム乱入
突然名前を呼ばれて 揺り起こされたのは、どれ位眠った頃だろうか。
「沙里!沙里!!起きろ!!」
遠くから聞こえる?それともすぐ近く?
はっきりしない頭で必死に意識を引き戻し、無理矢理に目を開けた。
「沢見さん…。」
目の前に息を切らして必死の顔で私を呼び起こす沢見さんが膝をついて私の両肩をもって揺さぶっていた。
「沙里…良かった…。」
彼は大きく息をついて表情を緩ませたが、すぐさま私を抱き上げた。
私…助かった…。
しがみついた沢見さんから、温かさが伝わり、心臓の音が聞こえて、また涙が出てきた。
「ごめ…なさ…。」
沢見さんの荒い息を聞いて、本当に申し訳ないことをしたんだと反省の念でいっぱいになった。
かじかむ唇で謝ってみたが、彼は一言も発さず、 私を家に連れて帰った。
玄関のドアを閉めると、ジャケットを脱がせ、私をお風呂に押し込んだ。
「早く入って。お湯は後で抜いてくれたらいいから。」
言葉少なに言うとドアを閉めた。
普段はユニットバスが湿気るから、と言う理由でシャワーばかりなのに、この時は浴槽にお湯が張ってあった。
沢見さんが時間とともに焦りを募らせ、こうしてお湯を張って待って、そして必死に探してくれたんだと思うと、また泣けた。
凍える手でボタンを外し浴槽に入ると一気に体に血が通ったような気持ちになった。
温かさが身に沁みた。
もう…逃げてばかりじゃなくて、丁寧に生きてゆきたい…。
自責の念と、感謝の気持ちで、何だか生まれたてのような気持ちに包まれていた。
その時、ぼんやりと湯船のありがたさをかみしめていると、突然ドアが開き、沢見さんが顔を出したのだ。
ぎゃー!私は裸、裸!!何、何―!?
人は本当に驚きすぎると、声が出ないし、動けない。
私は固まったまま、沢見さんを凝視した。
沢見さんは私を確認するとほっとした表情を浮かべた。
「よかった…。起きてるね。寝るんじゃないよ 、溺れるから。」
言うだけ言うと、何事もなかったかのように沢見さんはドアを閉めたのだ。
あまりに静かだったから心配してくれたのだろうが、私は言葉もなく、あぅ、あぅ、っと口をがくがく動かすばかりだった。
…えぇ、そうでしょうよ…。
たかが高校生の裸見たところで、経験豊富な沢見さんからすれば何てことないですよね!?
自分のささやかな胸を眺めると、居ても立っても居られなくなり思わず水中にもぐってしまった。
沢見さんの…馬鹿―!!
お風呂から出ると沢見さんは敷かれた布団の中で電気をつけたまま横になっていた。
無邪気な顔…眠いよね…もう夜中の1時だもの…。
電気を消そうとスイッチに手を伸ばしたら、私に気が付いた沢見さんが言った。
「沙里、出た?」
「あ、はい。あの沢見さん…ちょっとだけお話したくて。」
言うと沢見さんには何も言わずに、珍しく緊張した顔で布団に座った。
私は畳に正座をして沢見さんに言った。
「私…家を出てから自業自得の連続で、所詮高校生一人じゃ、生きていけないって事を痛感してる…。今日、正直死ぬかと思った…。けど、そう思ったら何だか凄くやり残したことが沢山あった気がして…。私、今なら何でもできるきがするよ。親にも…自分の気持ちを告げて向き合えるかもしれない。大切なのは上手に転ばずに進むかじゃなくて、ぶつかりながらでも分かり合って進んでいくことなんだと思えたから…。」
沢見さんは少し驚いた顔をしながらも、うん、と頷いた。
「沢見さんに時間をもらって、塾や学校に追われずに毎日過ごしていたら、何だか冷静に自分の事を考えられるようになったみたい…。気づかせてくれて、ありがとう。探してもらって、ごめんなさい。」
ペコリと頭を下げると沢見さんは静かに言った。
「沙里はまだ高校生だし、今から親と沢山喧嘩するかもしれない…。けど、それでも自分の辛さをきちんと伝えて、お互いの妥協点を探せばいい。ぶつかれる親が…いるんだから。」
その言葉で頭を殴られた気がした。
そうだった、沢見さんは早くに両親を亡くしてる。
甘えが許されない日常の中、必死に今までやってきたんだ。
「私の態度って…ここにいる間中、甘いことばかりで沢見さんをイライラさせたよね、沢見さんはぶつかれる親もいないのに…本当にごめんなさい。」
すっかり涙腺が緩んだ状態の私は、また涙が止まらなくなった。
知らない間に、私は沢山人を傷つける…。
しゃくりあげていると目の前に沢見さんがいて、励ますように頭をポンポンと叩いた。
大きな手が温かい。
「もういいって、いじめるつもりはないからね。あんまり泣くと目がパンパンになるよ。」
そういって茶化す沢見さんがいつになく優しくて、思わず胸に飛び込んだ。
沢見さんのパジャマのシャツから洗濯洗剤の香りがする。
朝に私が洗ったパジャマだ。
沢見さんはそっと労わるように私の背中に手を回すと静かに話した。
「親ってほんっと、馬鹿だよね。『自分たちの子供』ってだけで必死に働いて、お金も労力もつぎ込んで、気が付いたらヨボヨボになって。そのうち見捨てられちゃうかもしれないのにさぁ…。けど、子供は子供で必死に親の顔色だって窺うし、期待に答えられない時は申し訳なさもある。お互い話し合わないと理解できないことはたくさんあるよ。親だから、とか子供だからって過信はしちゃいけないんだよ。俺ももっと早く、親が生きてる間に色々話せばよかったな、って自分が思うから言えるんだけどね。」
言いながら沢見さんが、自分と私をまとめて布団で包んで、少しだけ笑った。
沢見さんの腕の中は暖かくて安心した。
その夜はたくさん沢見さんと話をし、彼の話を聞かせてもらえた。
彼が見晴らしのいい丘に建つ国立大学に通っている三回生であること。
理工学を勉強するため、学科を専攻していること。
背は178センチであること…。
二人で毛布に包まったまま、色々な質問に答えてくれた。
そして私も、警察が卓也の部屋に来ていたこと、卓也が洗濯物を取りにやってきたこと、何故、急に買い物に出られなくなっていたのかを話した。
黙って聞いていた沢見さんは、「次は隠さずに教えてよ。」と言った。
「何も言われなきゃ、俺だって何も判らない。もやもやしたまま過ごすのはやめよう?これからは、俺らもっとオープンで行こうよ。」
『これからは…』その言葉で勝手に二人の未来が想像されてうれしくなった。
朝目覚めると、沢見さんが隣にいて、私たちは一つの布団をかぶって眠っていた。
家に帰ろうと決めたはずなのに、沢見さんの寝顔を見ると、意思が揺れた。
目を閉じると少し幼くも見えるその横顔が愛おしい。
ずっとこうして居たいな…。
窓から差し込む光が明るくなり始め、新しい一日の始まりを告げていた。
数日後、ベランダで洗濯物を干していると、隣の部屋の窓が開くような音がした。
卓也が出てきた!?
平日いるなんて、やはり仕事を辞めてしまったのか…。
勿論、すぐに室内に引っ込もうとしたが、この日は窓が開く音がしただけでスリッパを履いて出る様子もない。
下の部屋だったのかな…?
不思議に思いながら、そっと手に持っていたシャツを籠に戻そうと向きを変えた瞬間、隣のベランダから身を乗り出して、卓也がこちらをのぞいているような気配がしたのだ。
え!?なに!?
鳥肌が立つほど、ぞっとした。
そちらの方を振り返ったが、変哲のない防災壁の向こうには誰もこちらを覗いてはいなかった。
…やだ…気持ち悪い!!
とにかく慌てて室内に戻り、鍵をかけた。
今の私、かなり疑心暗鬼なんだよね…。
息を殺して歩き、畳にそっと座ると、ベランダの外をじっと見つめた。
その後は別に音がするでもなく 、卓也がいるのか出かけたのかも分からないほど静かだった。
気のせいだったかもしれないし、鳥でも止まっていただけかもしれない。
次の日は朝から雨だった。
一日中暗く、洗濯も外に干せず、ひっそりと室内で過ごしていた私は、夕方近くになりノロノロと台所に向かった。
沢見さんは私が家を飛び出して行ったあの日から、ネットで材料を注文してくれる。
こんな生活もあと数日…。
次の休みがやってきたら沢見さんは私を家に送ってくれるのだと言った。
今までどこにいたかをちゃんと説明してやる、と言ってくれた。
そうしたら沢見さんには自分の気持ちを伝えて、堂々と会いに行ける二人になりたい…。
勝手な妄想を膨らませてニヤニヤしていると、調味料がないことに気が付いた。
どうしよう…わざわざネットで材料まで買ってくれているのに、晩御飯を楽しみにしている沢見さんががっかりしてしまう。
卓也も朝から生活音もせず、いないみたいだし…一瞬だから。
もう少しで彼が帰ってくることに焦って 、思わず家を出た。
いつものスーパーまで行かずに、一番最寄りのコンビニで少々割高で小ぶりなサイズの調味料を購入した。
「あって良かった!」
思わず独り言をつぶやき、ドアを開けると、瞬間後ろで足音が立ち止まった。
「沢見さん?」
私は振り返った。
そこには以前よりも少しやせ、頬に無精ひげを生やした卓也が私を睨みつけるように立っていた。