ご褒美
卓也の部屋に警察が来てからと言うもの私は晩御飯を作った後も電気を消して小さな手元ライトをつけたまま沢見さんを待つようになった。
幸い、チャイムが鳴らされることはなかったが、沢見さんにはかなり不思議がられた。
「なんとなく…、誰か来たら怖いから。」
ごまかすと、それ以上聞いてこなかった。
警察が来たことを言えば沢見さんは面倒くさく思うだろうし、早く出て行けと言われそうだと思った。
だが、沢見さんはと言うと、何だか機嫌が良いことが多く、明らかに用意された晩御飯を楽しみにしているようだった。
帰宅するなり部屋の明かりをつけながら鍋の中身を覗き込み晩御飯が何かをチェックする。
自分の好きな晩御飯だと小さくガッツポーズをとっていたりするのが可愛い。
「沙里、料理うまいなー…。しかも大金渡してる訳じゃないのにちゃんとしてるよね。」
ハンバーグをほおばりながら感心したように言った。
「親に仕込まれたもん、同い年くらいの女の子には負けないよ。」
「ふーん。疲れて帰ってきて晩御飯があるとか、何かいいよね。」
さりげなく言いながら子供のようにご飯をかきこんだ。
そんな沢見さんをニコニコ見守っていた私に沢見さんが突然提案した。
「そうだ、今度の休み服買いに行こうか。」
「どうしたんですか?急に。」
「ほら、前に服が乾いてないって、ドライヤーで長いこと風呂場にこもってたじゃん。あれはまずいでしょ。もう一着くらいあってもいいと思うけど。」
嬉しい提案だったが、無駄な出費は抑えたかった。
「…うれしいけど、お小遣いはあまり持って来てなくて…。」
「いいよ。俺が買う。」
「いや、けど…。」
ここに来てから毎朝、朝昼晩の食事材料費も二人分貰ってるし、光熱費、水道代、全て2倍に跳ね上がっているはずだ。
返事に躊躇していると沢見さんがふわりと笑った。
「じゃ、決まりな。」
こうして日曜日、こそこそと急ぎ足で家を出て二人で電車に乗り服を買いに出かけた。
二人で街を歩いていて知った。
意外なことに、沢見さんは買い物が嫌いじゃない。
服を見るのも、買い食いするのも、雑貨を見るのも興味深そうにのぞき込んでくる。
どこか達観したような所が多いので、こんなことには全然興味がないかと思っていた…。
「沢見さん、アイス食べない?」
「え、寒いじゃん。」
「美味しいよ、きっと。」
私がアイスを買い、食べるのを不思議そうに見る。
「変なの、寒いのに。…けど、沙里が食べてるとおいしそうに見える。」
ものほしそうな沢見さんが可愛くて、思わずアイスを差し出して笑った。
「食べる?」
「うん。」
沢見さんが何のためらいもなく渡したスプーンでアイスをすくって口に運ぶのを見てドキリとした。
間接…って奴だよね…。
こうゆうの平気なんだ、沢見さんって。
私は結構ドキドキしちゃうのに、つくづく罪な人…。
しかし…沢見さんと歩くと…目立つ!!
背が高いから?スタイルがいいから?
沢見さんを二度見する子もいれば、二人組で明らかにこちらを見て何か話している人たちもいる。
気づけばどんどん距離をとって歩くようになってしまった。
本人は自覚がないんだろうけど、恰好良すぎるんだよ…だめ、肩を並べて歩くなんて、耐えられない。
「あれ?沙里?どこ?」
人ごみで立ち止まりきょろきょろと私を探す沢見さん。
「なーんで、そんな離れてんの?はぐれるじゃん。」
「あ、ごめんなさい。」
慌てて駆け寄ると、沢見さんがふわりと笑って言った。
「疲れた?カフェ入ろうか。歩きすぎたね。」
この人…いろいろ自覚ないなぁ…。
カフェに入り、買い物袋を棚に落ち着かせるとコーヒーを注文してから思い切って聞いてみた。
「沢見さん、女の子にモテるでしょ。」
「モテる…。うーん、そうなのかな。友達に言われることはあるけど…。」
やっぱり、あんまり自覚なし…。
「俺、あんまり人を好きになったりしないんだよね。言われて付き合うのも…うまく行かなかったし。」
「付き合ったりとかはあったんだよね。」
「あったよ。けど、俺が思う感覚と女の子達が求めてる恋愛の感覚は微妙に違うんだよね。うまく言えないけど…。あと裏表がある女、最悪だなー。ばれるっつうの。」
微妙な感覚…私にはさっぱり判らなかった。
私は男の子と付き合ったこともないし、沢見さんが言ってる意味は漠然としていてピンと来ない。
「ど…どんな子が好み…。」
ドキドキしながら聞いたのに、沢見さんが言葉を遮るようにして言った。
「少なくとも高校生ではないな。悪い男に騙されるような世間知らずな我儘娘だけは勘弁かなー。」
「ひ…ひどい…、そんなに正直に言うなんて、最悪。」
沢見さんはニコっと笑ってコーヒーを飲む。
「しかし、一人が楽、って所に落ち着いてたはずなのに…。何故か高校生と同居することになるとはな…。」
ちらりと私に目をやって、呆れたようにため息をついた。
う…疎ましがられているのはよくわかる…。
私が項垂れて自分のカフェオレをかき回していると頭上から吹き出す声が聞こえた。
「うそうそ、沙里も頑張ってるもんな。今日はそのご褒美。何かを解決したかったら、ちゃんと口に出して、向かい合って、解決していくんだよ。少しずつだけど、沙里はちゃんと考えてるから偉いよ。」
あの夜の事を言っているんだろうか…嬉しかった。
この人は…沢見さんは私を理解してくれているんだと思うと、心がほぅっと温かくなった。
それと同時に息苦しいような、切ないような、沢見さんが愛おしくてたまらない気持ちになった。
私、好きなんだ、沢見さんの事…。
はっきり自覚した。
「そろそろ行こう。まだ買ってないものあったよね。」
沢見さんが紙袋を持ち上げて時計を見ながら言う。
今はそばに居られる幸せを噛みしめていよう。
複雑な気持ちを隠しながら頷いて席を立った。
数日経ったある日の事だった。
平日、沢見さんが出て行ってからいつものように朝の掃除をしていると突然チャイムがなった。
時計を見るとお昼前、こんな時間に誰だろう…。
どちらにしても出るわけにはいかない。
息を殺してそっとドアに近づき、覗き穴から外を覗くとそこに卓也が立っていた。
何で!?
びっくりして血の気が引いた。
昼間だから、と油断していた。
生活音が聞かれていたのだろう、何度もチャイムが押され、帰る気配がない。
「すいませーん。お宅のベランダに洗濯飛んでると思うんですけど、とってもらえないですか。」
とうとう卓也は声に出してドアの前で言った。
居間からベランダを見ると、確かに見慣れない肌着らしきものが落ちていた。
仕方ないな…。
私はベランダからそれを拾うと、チェーンをかけたままの玄関ドアを数センチだけ開けた。
その間から肌着の裾を出す。
「あ、これこれ、すみませんね。替えがないもんだから。ありがとうございます。」
肌着を引っ張った卓也が一瞬家の中を覗こうと体の向きを変えた気がして慌ててドアを引いた。
危うく肌着を挟みそうな勢いでドアが閉まりバンと音を立てる。
「…ッチ。」
卓也は聞こえるように舌打ちしてから玄関を後にした。
こ…怖い…しかも、どうして昼間にいるの?休んでる?仕事を辞めた?
この日は初めて散歩に行けなかった。
真っ暗な部屋で待っていた沢見さんは明らかにがっかりした様子で台所を見て言った。
「昨日の残りか…。今日は買い物行かなかった?」
確かに、毎日規則正しく、家の事をする…初めの約束ではあったけど…。
一日神経を研ぎ澄まして過ごした私は少しイライラしたが、沢見さんに理由を話すことはためらわれた。
次の日から、聞き耳を立てて卓也の動向を確認しながらの生活を余儀なくされることとなった。
うっかりドアを開けたら鉢合わせ…なんてことにだけはなりたくない。
聞き耳を立てる生活を始めて気が付いたが、平日でも仕事に行ってないようだ。
毎日当たり前のように出ていくと思い込んで過ごしていたが、一体どれくらい前から家にこもるようになったのだろう…もしかしてだいぶ前から家にいて、すでに何か感づいてわざと洗濯物を落としてきたのではないだろうか…。
怖くなり、すっかり疑心暗鬼になってしまった私は、だんだんと散歩や買い物はもちろん、ドアを開けることもできなくなってしまっていた。
晩御飯も用意せず、真っ暗な部屋で沢見さんを待つ生活が数週間続いたある日、それまで何も言わなかった沢見さんにとうとう切り出された。
「沙里、家に帰りな。」
約束を破っているのだから当たり前だ。
「やだ…。帰らない…。」
「何のためにここにいるの。約束を破ってんだから、自分でも自業自得なのは分かってるよね。子供みたいなダダこねられても困るよ。」
「…。」
私が黙っていると、彼がとどめを刺した。
「努力しない子は、ここにはいられない約束なんだから。」
突き放した言い方に、体中の血が沸騰した。
「努力?してないわけじゃない…それに『子』って、何?馬鹿にしてるの?勝手に自分で自立のストーリーを描いてたところ、そうじゃなかったからイライラしてるんでしょ?思い通りにならないから!私がどんな思いでここにいるか、判らないくせに!」
「…あぁ、判らない。全く。何だか隠し事してない?理由を聞いても話さない、約束も守らない、うまく行ってると思ったのにこんなことになってがっかりしたよ。当たり前だろ!」
初めて沢見さんの大きな声を聞いて、言葉もなく立ち尽くしていると、間を置いてから静かに言った。
「…こんなんじゃここには置けない。」
死刑宣告にも似たようなショックが体を震わせた。
「分かった…もういい、沢見さんもうちの親と一緒なんだよ…。高校生何て思い通りになって当たり前なんだよね!?親も、沢見さんも、大っ嫌い!!!」
隣室の事も構わず叫ぶと、ジャケットと財布だけつかんで玄関に向かう。
思い切りドアを閉めて走り出した。
もう…最悪!!
自然と涙が出て来て頬を伝う。
興奮で震える指でそれをぬぐい、ひたすら走った。
沢見さん、酷い!あんな風に言わなくてもいいのに…!私だってどうすればいいかわからないよ…!!
どれくらい走っただろうか。
少し冷静さを取り戻した私は、徐々にペースを落とし、平日に買い物をしていたスーパーに向かった。
心細さと寒さから、お店の中に入って暖をとっていたが、しばらくするとスーパーは閉店し、それ以外の店もどんどん閉まり始めた。
どうしよう…また行き場を失っちゃった…。
また両親の事を思い出した。
心配してるだろうな…子離れ出来ない典型みたいな親だったから…けど、もう私はどうなってもいいや…お母さんもお父さんも、可哀そう。
思い出すと涙が止まらなくなった。
がんじがらめにされたけど、私が憎くてしてたわけじゃないのは分かってる、今だってきっと必死に私を探してる…。
こんな娘で…可哀そうな二人…!!
通りかかった公園に入り、遊具の中にもぐりこむと声を上げて泣いた。
もっと自分の意思を、気持ちをぶつけてみれば良かった、学校での苦しみを相談してみれば良かった、何一つ試さずに、私は家を出てしまったんだ。
服で顔を覆い、思い切り泣いたがいつまでたっても涙は枯れることがなかった。
しばらくすると睡魔が襲ってきた。
疲れた…けど、本当に寒いし、このままだと死んでしまうかもしれない…そういえば、ホームレスの人が凍死したニュースを見たことがあったな…。
私はぼんやりとそれを思い出しながら自分を抱きしめて目をつぶった。
「自業自得…だよね、ほんと…。」
誰もいない遊具の中で、自分の声だけが寂しく響いた。