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ふわふわ Runaway girl  作者: 及川
3/10

来訪者

沢見さんの所に居ついて1週間経った。

毎朝、沢見さんと同じ時間に起きて朝食をとる生活が板についてきた。

隣室の卓也が出て行った事を確認し、沢見さんが大学に向かったら私は洗濯をしかけ、アパートの戸締りをして、携帯と財布、ハンドタオルを持って出かける。

近くの公園外周をぐるりと回り、さらに高台に上り町を見下ろしてから近所のスーパーにより、晩御飯の買い物をして帰宅する。

沢見さんの言いつけをしっかり守り、時間にして30分、しっかり歩くようにしている。

ちょっと低めの私の身長にぴったりだ、と言って沢見さんは私に長座布団を買ってきてくれたおかげで、夜も気持ちよく眠れるようになった。

「は、疲れた…。」

独り言をつぶやいてアパートの階段を上がっていると、後ろから誰かが同じように階段を上る音が響いた。

私は買い物袋を左手に持ち替えて鍵を開けると室内に入った。

鍵をかけた直後、自室の前を誰かが通り過ぎたのがわかって、ぎくりとした。

だって、この部屋の前を通り過ぎて突き当りの部屋は卓也の部屋だ。

え…卓也に見られた…?

心臓が早鐘のようにうち始めた。

足音はまっすぐ卓也の部屋に向かい、鍵を開けるのかと思ったが…。

何度もチャイムが鳴らされ、ドアノブがガチャガチャと回される音がした。

しばらくして諦めたのか来訪者は階段に向かっていった。

台所の窓に映りこんだ人影は二人、男性のようである。

そっと買い物袋を下ろし、様子を伺っていると、彼らは何か話ながら帰っていった。

卓也ではなかったことにほっとしながら首をひねった。

何だったんだろう…卓也にお客さんなんてすごく珍しい…けど、卓也は夜にならないと帰ってこないんだよね…。

冷蔵庫に野菜を収めてベランダに洗濯物を干した。

沢見さんの家にはテレビもないので、それが終わると掃除に専念した。

物も少ない部屋なので、すぐに掃除も終わるが、髪の毛一本落ちていないように、お風呂もトイレも、全ての作業を丁寧に行う。

もともと沢見さんは掃除が得意だが、料理は苦手のようだった。

私は母に色々な料理を習っていたのでこの歳にしてはレパートリーが多い。

考えてみると、母も父同様厳しい人で小さな頃から徹底的に躾や作法を仕込まれた。

皮肉なことにこんな状況になって、役に立ったと痛感しているのだからおかしな話である。

この日の晩御飯はロールキャベツ。

夕方に備えて晩御飯準備も済んだ私がお風呂からでると、ちょうど卓也が帰宅したところらしく、隣室のドアが閉まり、ごそごそと生活音が聞こえてきた。

なれないなぁ…。

もやもやした気分を抱えながら、そうっと洗濯機に衣類を入れて移動しているとほどなくしてチャイムが鳴った。

ぎくりとして体が強張ったが、少ししてからそれが卓也の部屋だったことに気が付いた。

な…なに?卓也にお客さん…?

思わず居間からキッチンに移動し、隣の壁に耳をつけた。

卓也はやはり在宅だったらしく、程なくしてドアが開く音がした。

男性が話す声が聞こえて卓也の受け答えする声もおぼろげながら聞こえてきた。

そして、卓也の激高する声が。

「知らない。」「出て行った。」そう繰り返している。

私の事!?

一気に血の気が引いて、座り込んだ。

痛いくらいに耳を壁に押し当てて聞いていると「パソコン」「履歴」などの単語がところどころ聞き取れた。

もしかして、私のパソコン履歴を見られた…?

自室にはあまり普段使いではないパソコンが一台ある。

ごくまれに卓也にパソコンで連絡をしたことがあるが、それを見られたのだろうか。

ガラケーで入力が大変だった長文をパソコンでやり取りしたことがあるが、そこに卓也の住所などを特定できるような情報が載っていたのかもしれない…。

たまにしか使わないので履歴の消去などノーマークだったが、それを親が調べて警察に通報したとしても不思議ではなかった。

息をのんで状況を伺っていると、やがて卓也は警官二人と一緒に階段を下りて行った。

どうして?どこに行ったんだろう…。

どれくらいそうしていただろう、茫然と床に座っていると突然、ドアノブに鍵が差し込まれる音がした。

びっくりしてそちらを見ると、沢見さんが立って不思議そうにこちらを見ていた。

「た…だいま…。何してんの?」

壁際に座り込む私を不思議そうに見ている。

「え…いや、何でも…。あ、晩御飯ロールキャベツ作ったよ。」

慌てて取り繕って立ち上がった。

数十分で卓也は戻ってきたらしかった。

私が出て行った事を繰り返すしかなかっただろうし、それ以上の情報は卓也にはないはずだから、どこか場所を変えて話をしただけだったのかもしれない。

気の毒な事をしたと思いつつも私は隣の部屋にいたことで、無理やり連れ帰られるようなことにならずに済んだことにほっとした。

けど…もしかしたらこの部屋にも何か聞きに警察が来るかもしれない…。

居留守が使えるように、明日からは沢見さんが帰宅するまで出来るだけ電気をつけないように生活しよう。

昼間も部屋への入室は迅速にした方がいいかも…。

「どうしたの?怖い顔して。」

「え?」

はっとして顔を上げると沢見さんの不思議そうな顔があった。

目の前に並べたロールキャベツにもほとんど箸をつけていなかった。

「もう一週間経つんだもんな。心の整理はつきそう?友達とメールとかはしてるの?」

どうもそちらに気持ちが行っていると勘違いしたらしい沢見さんが水を飲みながら聞いた。

「連絡…そんなの取れないよ。だって、私クラスの子の連絡先も知らないもの。」

「一人も?」

沢見さんが驚いたように言うけど、仕方ないじゃない、と言いたかった。

「一人も…。」

「不便じゃない?色々。」

「別に、関わらなければ不便なんてないし。平気。」

「じゃぁ、何で学校に居づらくなったの?平気なのに?」

特定の友達と喧嘩でもしたと思っていたらしい、沢見さんが心底不思議そうに首をひねった。


私は口ごもった。

「中学校から仲の良かった友達とか、一緒に高校受験した子とかはいなかったの?」

「いません!だって、皆頭良かったから4人の中でこの高校に来たの私だけだったし。」

思い出すのも気分が悪い。

「ごちそうさまでした。お風呂、先にもらったからね。」

ほとんど箸をつけていなかったロールキャベツをキッチンに下げてラップをかけたが、沢見さんは何も言わなかった。

沢見さんがお風呂に入ると、私は居間の隅にいつもと同じように布団を敷きもぐりこんだ。

その夜、いつまでも眠れず、思考がぐるぐると頭を回り続けた。

中学時代、仲の良かった3人とは高校受験を機に疎遠になった。

皆一緒に同じ高校に行こう、と頑張って受験をしたけれど、蓋を開けてみると学力が同じくらいだと思っていたのは私だけだったみたいだ。

穿った考え方をするが、もしかしたら3人とも私だけは合格できる実力がないことを知っていて、陰で笑っていたかもしれない。

今となってはそれも確かめようがない。

自分だけが不合格だったことはとてもショックだったし、滑り止めの学校に行くのもつらかった。

同じ中学の子達には「何でここにいるの?」と悪びれることなく聞かれて不思議そうな目で見られる、まさに針の筵。

それほど私たち四人は本当に仲が良かったのに…。

こうなってくると私も変なプライドが邪魔をして、今までの同級生とも、新しい学校の子達とも打ち解けることができなくなった。

親は所在不明の名誉挽回の為に躍起になり、新しい塾選びに奔走し、私はどんどん孤立した。

すでにクラスでは「仲良し」グループが出来上がり、私の居場所はない。

ただひたすら勉強に打ち込むうちに、受験にまつわる噂を交えて、コソコソと私を指さし笑う連中も生まれ始めた。

息抜きもなく、ストレスだらけの毎日を過ごすうち、どんなに頑張っても成績はふるわなくなり、さらに指さされて笑われることとなる。

一体私は何のために行きたくもない、第一志望でもない学校に行っているのだろう。

いい大学に行くため?親の虚勢の為に?友達を見返すため?

帰宅すれば勉強の事しか口にしない母と父、唯一の癒しだった飼い猫は私に愛想が尽きたとでも言いたげに天国に逃げ去ってしまった。

ストレス解消のつもりで始めたSNSで卓也に出会い、愚痴を聞いてもらっているうちに心が晴れていることに気が付いた。

そこからのめり込み…。

けど、それも虚無だったとしたら、私は何を頼りに生きれば良かったのだろう。


「眠れない?」

寝返りばかりしていて沢見さんの睡眠を邪魔してしまったらしい。

「ご、ごめんなさい。うるさかった?」

沢見さんは以前眠りが浅いと言っていたんだった。

慌てて謝ると沢見さんが少しだけ不機嫌そうに言った。

「同じ部屋で寝てるからすごく気になる。どうせなら理由を話してすっきりしちゃえば?話を聞くくらいならできるけど?」

「…誘導うまいですね、私は沢見さんと違ってコミュ障だから。」

自嘲気味に言うと、沢見さんはぼんやりとした声で言った。

「また、今時の便利な言葉使って諦め気味に言うんだな…。俺からしたら羨ましいけどな、俺にないものばっかり持ってるから。まだ高校生で、両親もいて、お金出してもらって、学校行けて…。」

「沢見さんは実家は?」

「親戚の家で育ったから、強いて言うなら、そこが実家?かな。親は俺が小学校の頃に事故で死んだから。親戚は出来た人でちゃんと大切に育ててくれたけど、お金だって、少しでも負担かけたくなくて沙里くらいの時はバイト掛け持ちしてたしなー…。」

そんな…そんな生い立ちだったなんて…。

「いいんだよ、コミュ障だろうが、友達とうまく行かなかろうが、頭が少々悪かろうが、生きてれば…。」

かなり眠そうな声だ。

「ごめんなさい…。沢見さん苦労してたんだ。私…やっぱり無神経…。」

「やだ、俺…謝られんの、嫌い…。」

ごめんなさい…。

私は唇を噛み、寝ぼけ声の沢見さんに心の中で謝って聞いた。

「今は大学生だよね。自分で働いて学費を払ってるの?」

「当然。学校終わってから家庭教師の仕事してる。我儘な中学生ばっかりで反吐が出る…。」

綺麗な顔をして口から出る言葉は最悪だな、この人。

苦笑しながら言った。

「すごい…沢見さん、頭いいんだね。私は第一志望落ちて…最悪だよ。友達とも疎遠になって、新しい高校では馬鹿にされて毎日過ごしてるうちに学校が嫌になっちゃった。成績も伸びないし、ははは…本当にみっともない…。学校の事思い出すとね、胃の辺りが気持ち悪くなって、急に汗が出てくるようになって…。変だよね…。沢見さんは受験する中学生を相手にしてるの?」

「受験をする子も相手にしてるよ。けど、そうじゃない子もいるよ。」

「そんな子もいるの?」

「いるよ、学校に行けない子。」

「行けない?」

「うん、病気で普通に学校に行けない子に教えてる。その子の為に親は必死でいつか学校に行けるようになった時の為に備えて安くない金を払って俺達にすがってくる。受験じゃなくて、学校に行くこと自体がとても高いハードルなんだ。」

私が言葉を失って黙っていると彼が続けた。

「彼は友達にもすごく会いたがってる…けど、自分は忘れられてるだろうな、って寂しがってもいる。今はしょっちゅうメール送ってウザがられてるかも、って笑ってた。」

「私は上手に笑えなかったなぁ…。」

入学式を思い出しながら言った。

「クラス発表の日、皆がね、嬉しそうだったんだよ。大き目の新しい制服来てさ、懐かしい友達と手を振りあったり、隣の席に座った知らない学校の子達に自己紹介してるのをしり目に『見つかりませんように』って縮こまって、顔を上げないようにして…。笑う…とか以前の問題。早く一日が終わりますように、時を戻したい、ってそんなことばかり考えてね。」

「けど、滑り止め受かってるじゃん。」

「…そうだよね。もっと初めから『滑り止め受かりました!』って、笑えてたら、うまく行ってたかもしれないね…。少なくともクラス一の高飛車、みたな陰口は叩かれずに済んでたと思う…。私、やっぱり馬鹿だよね…。」

「クラス一の高飛車ね、うまいな。ピッタリかも。沙里は冷たそうで、ツンとしてて…。」

ぐっ…。

「何だか偉そうで、周りを小馬鹿にしてて…。」

ぐぐっ…。

「…すごく、…綺麗…だからさ…。」

…えっ…?

自分の耳を疑った。

今、綺麗って言った?


静まり返った部屋の中に、沢見さんの規則正しい寝息が聞こえ始めても、私の心臓はバクバクと大きな音を立てていた。

ゆっくり布団から体を起こし、暗闇の中、沢見さんが眠っている方に目を凝らした。

月の光がかすかに入るその部屋では沢見さんの顔はよく見えない。

音を立てないようにそっと四つん這いで沢見さんの布団の所に行ってみた。

月明りに照らされた沢見さんの端正な横顔が見えた。

適当に乾かしたらしい、少しだけ湿り気を含んだような髪の毛が筋になって白い頬をなぞっていた。

薄く開いた形の良い唇から寝息が漏れる。

自分の方がよっぽど綺麗なくせに…嫌味なんだから。

身を屈めて、もっとよく彼が見えるように顔を近づけた。

距離が縮まるごとにドキドキが大きくなった。

ここを出ていけるように…、私は私を変えていかなければならないんだね…。

胸の高鳴りを必死で押し殺して、窓の外で輝く月を仰いだ寒い夜だった。

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