ロスタイム
今、すべてを失う瞬間にたたされている。
愛する家族、愛するいえ、慣れ親しんだ仕事、人間には、人生には、サッカーでいうところの、ロスタイムはないのであろうか、サッカーでたとえれば、試合中けがをした、反則行為があった、試合を中断せざるを得ない不慮の事柄がしょうずるとプレー時間がストップできる その失った時を正規のプレー時間後にプレーをできるなんてなんてすばらしいシステムなのだろう。私も、人生のロスタイムを誰かが設定してくれないものだろうか。今から失っていく物に比べたらあのときやってしまった愚かな行為、自暴自虐なことを再プレーしてみたい。まかり間違えば、拍手喝采のプレーができていたのかもしれない。 今不惑の年齢になり、この思いは増すばかりである。今いろいろな書物を読んでいるが、時間が過ぎれば、新しい感情、目的が生まれてくると記載されている物がおおいが、そんなに簡単なものではないことが、実感できるし痛感している。
悲しみを拭うにはどうしたらよいのであろう、後悔する気持ちを薄らげていくのはどうしたいいのであろう、基本的に自分だけかもしれないが、男は郷愁を引きずり、あのころに戻ってもう一度やり直したい出来もしない、夢、願望を持ってしまうものなのだろうと思う。ははおやからうまれおち、けっこんしても、一家の大黒柱を気取っていてもしょせんは、妻の手のひらで踊らされて、自分の理想、夢、希望を心の底に潜ませてこの先も生きていかねばならない今私は、サッカーを見ると常にこんなことを考えてしまう。ロスタイム