そして冒険者は東へ旅立つ
2011年9月頃の作品。
企画競作参加用。お題は「ホテルリバーサイド」(二つ目)。
「見えてきたぞ!」
草原をまっすぐに突っ切る街道を、馬車が走る。
銅貨十枚で旅人を大都市へと送る乗合馬車には、希望にあふれた少年が三人。
王都に次いで賑わう都市、シャルディアの輪郭がうっすらとはるか遠くに、しかし、手の届く距離にあった。自分達の生まれた村にはなかった高い建物の影、それだけでもう、心が躍る。
彼らが生まれ育った辺境の村にあったのは、小高い丘と家畜、畑と井戸と、平凡な家族が暮らす小さな家だけ。少年達が憧れたのは、父の持つ鍬ではなく、自らの腕ひとつで成り上がった冒険者たちの英雄譚だ。
王都を襲った魔物を退治して、攫われた姫を無事に連れ帰ったという伝説の騎士フレイヴァーや、古代遺跡の中に隠された迷宮の奥から数々の秘宝を持ち帰ったという凄腕のトレジャー・ハンターであるニスケス、魔道を極め、魔物の巣食う異世界へ渡り、人を超える力を得たという大魔法使いのパークミン……。
世の中のほとんどの少年達が一度は憧れるであろう、冒険者への道。彼らもその憧れを募らせ、十四歳になったら必ず村を出て旅へ出るのだと決めていた。
小さな剣や手作りの弓を手に、三人は村の外れで落ち合った。両親の反対程度ではこの情熱を止められなくて、少年たちはそっと隠していた小銭を握り締めてシャルディア行きの馬車へ飛び乗ったのである。
かつてない人の群れの中を三人は歩く。見たことのない光景、あまりにも大勢の人、立ち並ぶ店と騒がしさに少年達の胸はさらに高鳴っていく。
「すごい景色だ。さすがは大都市と名高いシャルディアだな!」
戦士を志すツオンが声をあげ、
「一体どれだけの人がいるんだ?」
いつかは大陸一の弓使いになると決めているセイガも目を見開き、
「とにかく、宿を探さないと」
魔法使いに憧れるルーゼが二人の腕を引っ張って歩く。
野菜を売る店の親父に道を尋ね、宿屋街へと三人は向かう。
ひしめきあう小さな安宿中からなんとなく選んだ一軒に部屋を取り、冒険者向けの依頼を斡旋している紹介所へと向かい、紆余曲折はあったものの、なんとか初心者向けの仕事を見つけ、ほんの少しだけ自分達よりも経験のあるほかの冒険者たちとパーティを組んで町から出て、初冒険を果たした。
なにも知らないド素人の少年達と一緒に旅をしてくれた先輩戦士は、人のいい男だった。
近くの森に出た子鬼の退治に行く道中、彼はこんな話を三人にして聞かせた。
「俺はいつか冒険者として大成功したら、『ホテルリバーサイド』に泊まるって決めているんだ」
「ホテルリバーサイド?」
「知らないのか。まだ田舎から出てきたばかりのひよっこ冒険者じゃあ仕方ないかな」
自分だってほんの二ヶ月前にド田舎から出てきたばかりの彼がこの話をしたのは、自分もまた初めての冒険の時に先輩から同じ話をされたからだ。そうとは知らない三人は少しばかり腹を立てたものの、その正体の方が気になっておとなしく話に耳を傾けている。
「シャルディアで、いや、この国で一番の宿屋。それがホテルリバーサイドさ」
「そんな宿、あそこにあったかな?」
「いいかひよっこども、ホテルリバーサイドはあの安宿街にはないんだぞ。領主様の館へと続く大通りの途中にあるんだ」
三人は思わず顔を見合わせてしまう。領主の館なんて恐れ多いものはまだ目にしていない。そんなものがある通りに足を踏み入れていいとすら思えない。
自分たちの小心ぶりを強く意識しながら、初心者たちはまだ続く先輩の話に耳を傾ける。
「素晴らしい、最高級の宿屋なんだそうだ。いついっても清潔で、信じられないほど美味い飯が出てきて、美女揃いの給仕がそれはそれは丁寧にもてなしてくれるんだそうだ」
「へええ」
「領主様の奥方やご令嬢達も、家よりも快適だとしょっちゅう通っているというし、よその国から来たお偉いさんをもてなすのにも使われているって話だよ」
この大都市で一番贅沢な暮らしをしているであろう家族が快適だと褒めるなんて、一体どれほどの素晴らしい宿屋なのか。残念ながら少年たちの乏しい経験だけでは、外観ですら想像するのが難しかった。
「だがなあ、そのかわりすごく高いらしいんだ。一番狭い部屋でも、一人一泊で銀貨が十五枚いるっていうんだぜ」
「そんなに!」
それだけあれば、今使っている安宿なら半年は暮らせるだろう。三人は皆驚き、そして同時に強い憧れを抱いた。
「有名な冒険者たちは、みんなあそこに泊まるって話だ。俺もそれに続きたいと思っている」
先輩の目は遙か彼方を見ている。三人の少年達も一緒になって、その彼方にそっと思いを巡らせた。
どんな依頼もこなす、凄腕の冒険者。その活躍を詩人達が歌い、田舎に暮らす少年達の胸を熱くさせるのだ。
いつかは自分もそうなりたい。
それが、すべての冒険者の見る夢だった。
しかし、夢を叶えられる人間は、大勢のうちのほんの一握りに過ぎない。
高い魔の山の上に住むという、本当にいるのかいないのかわからない大魔法使いに弟子入りするといってルーゼが去り、とある依頼の途中で見かけた森人に一目ぼれしたといってセイガの行方がわからなくなり。
そして、大した剣の腕も、その他に代わりになる能力も自身にはないとわかって、ツオンは最後の依頼を終えると仲間達と別れて一人、シャルディアの町へと戻っていた。
故郷を出てから五年。自らの冒険者としての可能性に見切りをつけて、村へ戻ろうと心に決めていた。あとはやってきた時と同じように、銅貨十枚を払って乗合馬車に乗り込むだけだ。
しかし、その前に。
すべてを諦めて帰るのなら、その前に行きたいところがあった。最初の冒険の途中で聞いた、「ホテルリバーサイド」。どうせなら一度くらい、世界で一番立派な宿に泊まってみたいじゃないか。
白で統一された上品な入り口のホールで、ツオンはその最後の願いをも諦めることになった。
この五年で値上がりしたのか、それともあの先輩戦士が嘘を言ったのかはわからないが、一泊の料金は銀貨十五枚ではとても足りなかったからだ。冒険者をやめようと決めてからずっと節約して、荷物袋の底にひそませていた虎の子の銀色の硬貨たち。最後の最後の贅沢のために取っておいたそれが無駄だったとわかり、力のない足取りで外へ向かって歩く。
どうしようもなく後ろ髪を引かれて、ツオンは入り口の前で振り返った。
大きな宿だった。この五年の旅の中で貴族の屋敷を見たことは何度もあったが、そのどれよりもずっと立派で、品のある造りの建物だと思う。入り口のホールには花と絵が飾られ、揃いの服に身を包んだ従業員たちがキビキビと、絶えず微笑みを浮かべながら働いており、床には塵ひとつ落ちていない。入り口だけであの様子なら、宿泊したらどれだけ素晴らしい体験が出来るのだろう。しかし、今の夢破れた青年にはそれを味わう術はない。諦めて散々世話になった安宿街に戻らねばならないが、どうしようもない未練が足を止める。
「ちょい、君」
そこに、突然声がかかった。その方向へ視線を移すと、小柄な老人が笑顔で手招きをしている。
ツオンの表情は厳しい。しかし老人はますます激しく手招きをし、くるりと背を向けて歩き出した。立ち止まったまま青年がそれをただ見ていると、老人は振り返り、また手招きをする。
「おいで」
「なんの用ですか?」
老人はお構いなしに歩き、ホテルリバーサイドと隣の建物の隙間の路地に入っていった。と、思ったらひょいと顔を出し、さらに手招きしてくる。
「おいでおいで」
急ぎの用があるわけでもない。興味を引かれ、ツオンはその後についていった。青年の姿が路地に入ってきたのを確認して、老人はニイっと笑う。少し不気味に感じながらもついていくと、老人はホテルリバーサイドの中へと通じる裏口のドアを開いて屋内へ入っていった。
おそるおそるあとに続く。中は広いが質素なつくりで、どうやら従業員用の休憩所のようだった。
老人は相変わらずの笑顔でツオンに中に入るよう手を振って、一番奥のテーブルへと招いている。
「あの……」
「君もアレだろう。アレ。いわゆる夢破れた、冒険者」
突然の指摘に、ツオンの体はかあっと熱くなる。
「いるんだよね。よく、ここの前に。冒険者辞める記念に泊まろうと思ったんだけど、お金が足りないみたいな!」
老人はニコニコと笑顔を浮かべたまま青年の手を取って椅子に座らせると、ちょっと待っててと言い残して部屋を出て行った。どうしたものか悩みつつも、ツオンは結局、老人の帰りを座って待つ。
「おまたせー」
少しして老人は、盆にボウルを一つ載せて戻ってきた。ふわふわと湯気をあげるそれをツオンの前に置いて、自分は向かいの席に腰をおろしている。
「これね、ここのまかないのスープ。泊まれなかった人を見つけた時は、なんか悪いから、一杯出すことにしてんの。どうぞ飲んで」
ツオンは目の前の老人をじっと見つめた。
小柄で顔はしわだらけ。頭には薄くなった白髪がフサフサと揺れている。それはいわゆる老人のスタンダードな姿だったが、その顔つきはあまり見覚えのないタイプのものだった。鼻は低くて丸く、目は細くて小さな、彫りの浅い顔。発音にも違和感があり、異国から来た人間ではないかと思わせる。
「大丈夫。毒なんて入ってないから。むしろ体にいいよ」
「じゃあ、いただきます」
相手の正体はわからないが、最高級と謳われる宿の中だ。いきなり陥れられることもないだろうと考え、ツオンはボウルを持ち上げて野菜の浮かぶ茶色いスープを口に運んだ。
「これは!」
口の中に広がる不思議な味わいに、思わず唸る。
「美味しい!」
「それはよかった」
ボウルの横に添えられていたスプーンを手に取り、具を一気に口の中へ投げ込んでいく。柔らかく煮込まれた野菜がとろけて喉の奥へ流れ、体が芯から温まっていくのを感じる。今までに飲んだことのない、複雑だがどこか安心できる味わいのスープも一気に体の中へ流しいれ、ツオンは大きく息を吐いた。
「これはなんなんですか? こんなに美味しいスープは初めてです」
「それはミソだよ。いや、ほんとはミソじゃないんだけど、まあミソみたいなもんだね。ここ以外じゃ多分、出ないモンだよ」
「ミソ?」
きょとんとしたツオンの表情に、老人はホッホと満足そうに笑っている。
「私のいた国の、お袋の味なんだよね。いや、これを作るのは苦労したよ。二十年かかっちゃったし」
そこに、突然部屋のドアが開いて宿の従業員らしき女性が入ってきた。
「支配人! ……ああ、またですか?」
「まただよ」
「仕方ないですねえ、もう」
女性は呆れ顔ですぐに出て行く。
「支配人?」
「うん。まあね。ここの支配人のサトウです」
あっさりと頷く老人に、ツオンはおおいに慌てた。
「そうとは知らず、失礼しました。あのっ」
「いいのいいの。値段がちょっと高いでしょ、泊まるには。悪いと思ってんだよね」
そう話すと老人はおかわりはどうかと青年に笑顔を向けた。図々しいかという気持ちもあったが、この不思議な体験と支配人の魅力に負けて、ツオンはミソスープをもう一杯、ボウルに注いできてもらった。
「支配人さんはどこの出身なんですか?」
「うーん。ニッポンっていうところなんだけどね」
「ニッポン……?」
まったく聞き覚えのない地名に、ツオンは思わず首を傾げている。
「遠いんですか?」
「遠いだろうねえ。なにせ、どうやって来たのかわかんないんだから」
「わからないというのは、記憶がないとか、そういう事情でもおありで?」
青年が真剣な顔で向けた質問に、老人はふふんと笑って答えていく。
「そういうんじゃないよ。なんかね、トラックが突っ込んできて、こりゃ死んだなと思ったらこの町の外れにいたのよ」
「トラック?」
また知らない単語が出てきて、ツオンは眉をひそめた。
「トラックで転生とかトリップなんて、アニメとかラノベの世界だけの話だと思ってたよ。まさかホントにあるとはねえ」
支配人の独り言はまったく理解が不可能で、青年は疑問符を頭にたくさんうかべている。
「ああ、ごめんごめん。こっちの話よ。ま、とにかく東の小さな島国から来たってことでね」
「はあ」
それから支配人は、たまたま着ているものが珍しかったからか領主の娘の目に留まって、そこから言葉を覚えていったり、異文化になんとか慣れていったり、自分のいた国のやり方を紹介して驚かれたり喜ばれたりしたという半生について語り始めた。と、思ったら、青年の方をむいてこんなことを言ったりもする。
「あ、こういう自分語りはウザいよね。ごめんごめん」
「え? いえ、そんなことはありません。そんな波乱万丈な人生、聞いたことがありませんでした。とても興味深くて、もっと聞かせていただきたいくらいです」
「そう? じゃあ話そうかな」
その後、清潔好きと、細かい仕事ができるところを評価され、賓客をもてなせる宿屋つくりをまかされてこの「ホテルリバーサイド」が出来上がったのだという。
揃いの衣装である「セイフク」に身を包んだ従業員がいて、部屋はいつでも清潔、体を拭く布はいつでも柔らかく、身を清められる「フロバ」が常設されていて、食事もいつだって極上に美味。徹底的に指導を受けた従業員たちに宿る「オモテナシ」の精神……。それらはこの世界の住人に素晴らしく高級な物として迎え入れられ、「ホテルリバーサイド」はこの国で唯一の「ミツボシホテル」になった――。
「あの、『ホテルリバーサイド』とは一体、どういう意味の言葉なのですか?」
「ホテル』はまあ、宿屋だよね。『リバーサイド』は、川の隣ってことだよ」
「川の隣ではないではないですか」
シャルディアの町の中には川は通っていない。
「いやね、歌にあったんだよ。別に好きな歌ってわけじゃなかったんだけどさ。インパクトがあって。宿屋の名前を決めろって言われたときに、なんていうかなあ。魔がさしたってことかなあ」
「はあ」
「ホテルと言えばリバーサイド。川の隣さリバーサイド。食事もついでにリバーサイドってね」
なんとなく鼻にかかった声で、支配人はふんふんと歌い始めている。
彼のいたニッポンという国にそんな歌があったのだろうな、とツオンは理解し、ふんふんと頷いた。
「そんな遙か彼方からいきなり異国へやってきて、こんなに素晴らしい宿屋を作られるなんて、支配人さんは素晴らしい方なんですね」
「そんなことないよ。ニッポンじゃ当たり前のことをやってみただけだし。あの頃はホント、ロクでもない国だなって思っていたけど、あんなにいい国もなかったって話だよね。魔物も出ないし平和だし。働かなくても生きていけちゃうのよ? 失って初めてわかる故郷の良さってやつだね」
「お帰りになりたいとは思わないんですか?」
「もうジジイだし。最初はちょっと考えていたんだけど、結局帰る方法もわかんないんだもんなあ」
笑顔に少し、寂しさの影が落ちる。支配人はふうと小さくため息をつくと、顔をあげて青年に別れを告げた。
「ごめん。ジジイはもう眠いわ」
「すみません。あんまりにも楽しいお話だったので、長居をしてしまいました」
「いいのいいの。こんなジイさんに付き合ってくれてありがとうね」
支配人は椅子から立ち上がると、手を振って部屋の奥へと去って行った。
ツオンは適当な安宿に泊まり、この日あった不思議な体験に思いを馳せていた。
ニッポンとはどんな国なのだろうかと。
あの宿で行われていることが当たり前の国。支配人は偉ぶるところがなく、気さくな人物だった。ミソスープも驚く程美味だった。あれが従業員たちのまかないだというなら、宿泊客にはどれだけ素晴らしい料理が提供されるのだろう。
そこはもしかしたら、いつの世も人が求めてやまない「理想郷」なのではないだろうか?
次の日、ツオンが目を覚ますとシャルディアの町は大騒ぎだった。
「ヒロキ・サトウが死んだぞー!」
国で一番の宿を作り上げた伝説の変人の突然の死。その大きな知らせに、ツオンは思わず走った。
ホテルリバーサイドの前には大勢の市民が詰め掛け、騒いでいる。従業員たちは毅然とした表情でそれを鎮め、支配人が亡くなったこと、その顔は安らかだったこと、この宿が大勢の客に愛されていることをとても感謝していると告げた。
その光景に、そして昨日の支配人との時間にひどく運命的なものを感じて、ツオンは歩き出した。
故郷のある南へ向かう乗合馬車の乗り場ではなく、東へ――。
遙か遠い異世界、ニッポンへ旅立った若い冒険者がどうなったか知る者はいない。