お兄様しか愛せない
スライム杯参加作品。お題は「神」だったはず。
2014年1月頃書いたようす。
文化祭前のたくさんの確認を終えると、ようやく会議は終わった。
なのに僕はうっかり忘れものなんかしてしまって、玄関からUターンして生徒会室の前まで戻ってきていた。
会議用のテーブルの後ろに置きっぱなしにしてしまったのは資料満載の紙袋で、これを忘れては会長に怒られてしまう。曽田君、副会長なのにどういうことなのかしらと、会長である国分愛は縦ロールを揺らしながら言うだろう。
その会長の声がふいにし始めて、僕は思わず身をかがめてしまった。
奥にある準備室という名の倉庫から出てきたのは二人。声からして、生徒会長の国分愛、通称「マナ様」と、副会長である通称「氷の貴公子」こと、四界隼人で間違いないだろう。
マナ様のすらっとした足には紺色のハイソックス。上履きは、みんなと同じもののはずなのにやたらと清らかな真っ白。これも人徳というものなのだろうか。成績優秀、おまけに並ぶ者のない美人。背はすらっと高く、スタイルはとてもいい。この場合のスタイルの良さは、女子の憧れ的なもので、スレンダーすぎて男からするとややものたりないのだけれど。
「悩みを聞いて欲しいのだけれど、よろしくって?」
マナ様の声は高すぎず低すぎず、とても落ち着いている。聞いていて心地よいのは、滑舌の良さのせいか、彼女の品の良さ、知性に裏打ちされたものなのか。
「なんなりと、国分君」
こんな気取った返しをする四界隼人はとても冷静な男で、成績はもちろん優秀。長く伸ばした前髪は通常ならスカしていると思われるのだろうが、四界はどこか常人とは違ったオーラを醸し出しており、強烈に印象付ける効果的なスタイルまで昇華されている。彼にはもう一つあだながあって、一部からは何故か「フェンリル」呼ばわりされていたりして。なんにせよ、クールな男として受け止められていると考えていいだろう。
「もうすぐ文化祭が執り行われるわ」
四界の言葉遣いを「気取っている」と言ってしまったが、マナ様の口調も大概おかしい。芝居がかった大仰な喋り方で、同じ生徒会に入って半年以上だけれど、いまだに面食らうことが多い。でも、似合っているから問題ないのだけれど。マナ様も四界も、普通の高校生らしからぬトンガリ具合で、それに魅せられた奴らの票でそれぞれ当選したんだから。
「そこに、わたくしのお兄様がやってくるのですって」
マナ様の声がほんの少しだけ揺らぐ。四界の返事は「ほう」で、危うく噴き出すところだ。
僕はすっかり、立ち上がるタイミングを見失ってしまっている。
このままじゃ会長と副会長の秘密の相談を盗み聞きすることになってしまう。
「兄上が来る。いいじゃないか、何かまずいのかい」
君の兄上は確か、この学校の卒業生だったろう。四界情報によると、八年前の生徒会長だったらしい。兄と妹で生徒会長を務めるなんて、なんと優秀なご家庭だろうか。さすが、だてに縦ロールにしてないななんて僕は感心してしまう。
「お兄様だけならばいいの。……実はその日は、一緒に来る方がいるのですって」
大切な人を紹介すると言われたと話すマナ様の声には、元気がない。
文化祭だから自分はどうしても学校に来なくてはならない。
でも、お兄様の紹介したい人は、その日しか来られない。
ならば、文化祭に連れて行こうという話になったのだとか。お兄様も元生徒会長で、懐かしい恩師にも紹介しようと思うからとかなんとか、マナ様は苦悩に満ちあふれながらも、上品な声で話した。
「恋人を連れて来るのだね」
四界の返しに、マナ様の足が一瞬、ガクンと揺れたのを僕は見た。
しゃがんだまま、動かないように必死になって、会議用のテーブルと椅子の足の向こうに、ハイソックスとスラックスが並んでいる光景をじっと見つめている。
今更立ち上がれない。完全に盗み聞きモードだ。二人の会話が終わって部屋から出ようとしたら確実に見つかるだろう。僕はバカで、アホだ。でも今更「えへへ、お疲れ様」なんて言えない。成り行きに任せるしかない。
僕が立ち上がれない理由はただ一つ。国分会長と四界副会長は、お互いをよきライバルとして認め合っており、ついでに惹かれあっているのではないかとみんなが噂しているからだ。二人は揃ってとてもクールな人達であり、付き合っていたとしても人前でいちゃつくことはないだろう。でも、二人の間にはただならぬ空気が流れているのですよ! と生徒会の書記であるところの嫌居沙莉ちゃんは言う。明るいムードメーカーであるところの彼女はニコニコひそひそ、先輩である僕に対しても完璧なため口で「怪しいよね!」と言い、会計の佐太倉マックス貢からも同意を得ていた。
僕としては、どうかなあと思っている。確かに二人の仲は良い。僕は四界と同じ副会長なのだが、彼ほど頼られている感じはない。確かに、ないんだ。あれ、じゃあやっぱり二人は……?
「恋人なのかしら」
「その状況で恋人ではないなら、一体なんだと言うんだい」
年齢的にも適齢期だろう、と四界は言う。
八年前に会長だったのなら、今二十四か五か。適齢期というには若干早い気もしないでもないが、なにせマナ様の「お兄様」だ。マナ様がそもそも、親の決めた許嫁がいると言われてもなんの違和感もないキャラクターなので、お兄様が早々に良家の子女を見初めて結婚の準備をし始めてもいいんじゃないかな、と思える。
マナ様の呼吸が、聞こえた。何か言おうとしたのに言えなくて、でもしゃべる準備はしたので息をひゅうと吸い込んだ、その音が聞こえた。
あのクールビューティのマナ様が、どんと構えた本物のお嬢様であろう国分愛が、足を震わせている。
どうしたんですか会長。どうしちゃったんですかマナ様。
「そんなのは、嫌」
どうしたんだい国分君。
「お兄様に恋人が出来るなんて、嫌!」
マナ様が頭を抱えてしゃがみ、僕はめちゃくちゃに慌てた。
このシリアスな場面で、実はいたんだよねなんて言えない。
でもこの心配は杞憂に終わった。四界がすぐに、マナ様の腕をとって立たせたからだ。いや、椅子を引いて座らせてくれた。氷なだけじゃなくて、貴公子なわけだ。紳士的な対応だなと感心しつつ、僕はまたじっと石のごとく固まる。
「君がブラザーコンプレックスだったとはね」
ごくごく冷静な口調で四界は言った。結論出すの早くねえ? なんて僕は思うが。
「お兄様ほど素晴らしい男性はいないの」
「しかし、実兄と恋愛関係にはなれない。不毛だよ、国分君」
「そうかしら」
なるほど、本当にブラコンらしい。
マナ様の意外な素顔に僕は正直ワクワクするのだけれども、四界はどうなんだろう。声はいつも通り過ぎて、何の揺らぎもない。
「それはそうだろう。婚姻できず、内縁で良しとしたとしても子を為すにはリスクが高すぎる。未来に残るは禍根だけだ」
マナ様の返事はない。
僕は思わず、顔をしかめてしまった。確かに四界の考えは正しいんだけれども、あんまりにも正論過ぎてなんというか、胸が詰まってしまう。
「お兄様ほど、素晴らしい人は」
「先程聞いた」
ほら、これだもの。四界は見た目は悪くないが、これじゃあモテないだろう。ロマンが無さすぎる。と、僕は思う。
「お兄様は神よ! 私の太陽神なの! あんなに素晴らしい人は本当にどこにもいないの。頭も良くて品があって、家族思いでとても優しくて、美しいのよ」
「アポロンは酷く残虐な行為も平気でする」
やめろよ四界。心の中で呟くだけの僕は、無力だ。ここでかっこよく出て行くのもいいけれど、なんていうかやっぱり、盗み聞きしてたのかい曽田君と言われると思うと辛い。
鼻をすする音が聞こえた。
これはもしかしたら、マナ様が泣いてしまったのだろうか。
いつもいつも、凛として、毅然として縦ロールを後ろにふぁさっとしているマナ様が。
こんなに完璧な生徒会長他にいねえだろって皆に噂されている才色兼備の国分愛が。
放課後の生徒会室で泣かされているなんて――。
「国分君、僕にしておきたまえよ」
ほえーっと言いそうになってしまった口を必死になって、閉じる、閉じる。
「今は君の兄上には敵わないかもしれないが、深く付き合えばきっと良さがわかるだろう」
「それは、あなたの良さがということかしら?」
「もちろん」
キザったらしいったらない! というか、沙莉ちゃんの想像は半分は当たっていたというわけだ。僕は全然、四界の思いなんて気が付きもしなかったけれど。マナ様はこれっぽっちもなんとも思っていないようだけれど、四界は多分、彼女に恋焦がれていたんだろう。
僕はこれまでに彼女なんていた事のない寂しい十七歳なので、こんな事を言える立場ではないんだけど、でもなんだろうな。四界、唐突過ぎるだろ。自信満々でちょっと痛すぎるし。これで会長が前向きな返事したら、正直ガッカリしてしまいそうなレベルでこの告白はうまくないと思う。
それとも全然好意はないけれど、言ってみただけだったりして。その線もあり得るか。四界、恐ろしい男だったんだなお前って。
「そんなの、きっとわからないわ」
「いや、僕は君のために、幻の神を倒してみせる」
そうして僕は、「神殺し」を名乗ろう。と、四界は言った。これは恥ずかしい。
気取っているのレベルを超えて、最早「厨二病」だ。良かった、僕はこんな風じゃなくてと心底思ってしまう。こんなの他人に聞かれたら、明日から学校に来られない。
更に、マナ様の反応は、こう。
「無理よ。あなたに、神は殺せない」
これまたビックリするほどのバッサリ感。どうなんだろう、台詞としてはカッコいいけれど、なんだろう、これもちょっとおかしいよね。四界に合わせて返したからこうなったのか、マナ様もちょっとズレているのか。
でもなんにしても、百パーセントの「お断り」だ。
氷の貴公子の表情はどんなものだろう。見えないのが惜しい。見たかった。うぐぐ、とか言ってるのだろうか。申し訳ないけど、今、ちょっと楽しい。とはいえ今の立場は「悪趣味な盗み聞きをしている最低野郎」なので、せめて口外はしないでおくとしよう。
「それは、残念だ。でもいつか、理解してもらえる日が来るよう祈っているよ」
会話はそこで終了して、四界は部屋を出て行ってしまった。しゃがみこむ僕にはまったく気が付かないまま、早足でスタスタと一目散に。
捨て台詞はちょっとカッコよかったかなと思う。僕としては、とりあえず四界に見つからなかったことでほんのちょっと安心した。それで多分、気が緩んだ。大きく吐き出した息の音が聞こえてしまったのだろう、マナ様がガタンと、勢いよく立ち上がった。しまった、聞こえたか。慌てて口を抑える僕。でも、もう遅い。
すたすたと近づいてくる足。
どう考えても見つかる。
観念して、立ち上がる。
「曽田君……。どういうことなの? ずっとそこにいたの?」
「うん、ごめん」
素直に話す以外ないだろう。僕は深々と頭を下げて、忘れ物をして取りに戻って、出るに出られなかったのだと説明をした。
「おかしいかしら」
てっきり怒られると思っていたら、そうではなかった。会長は椅子を引いて僕に座るよう促し、今、二人きりです。
「おかしいっていうのは、お兄さんが素敵だって話?」
「そうよ」
おかしいかどうかは、僕にはわからない。僕には妹がいるけれど、マナ様みたいに綺麗でも可愛くもない。ごく普通で、頼られればそれなりに嬉しいけれど、世界で一番大事だよとかそんな気分にはなれそうにはないから。
そういう僕もごくごく普通の男だから、妹が「お兄様が至高」なんて思いを抱く可能性もないだろう。
「僕は国分さんのお兄さんをみたことがないから、なんとも言えないけれど」
マナ様の瞳が揺れている。揺れる瞳の中に、僕が映っている。
僕は副会長で、会議室の席はいつも沙莉ちゃんの隣。その隣が、マナ様だ。並べられたテーブルは、沙莉ちゃんとマナ様の間で九十度曲がる。だから僕が見ているマナ様の姿っていうのは大抵、斜め前から見たものか、それか、後姿かのどちらかだ。
改めてこうして目の前にいられると、綺麗な顔だなあ、ってね。素直にそう思える。すうっと通った鼻、意思の強そうな大きな瞳。整えられた眉毛の形も上品で、唇はつやつやしている。化粧はしていないようだから、これは素のマナ様ってことだ。
こんな綺麗で知的な女の子が「神」とまで言うのだから……。
「でもきっと、素敵な人なんだろうね」
「どうしてそう思うの?」
「国分さんのお兄さんだからさ」
その瞬間の顔、僕は一生忘れないと思う。
はっとしたように目を見開いたら、長いまつげがぱあっと上がって瞳がまるで太陽のようになって。
柔らかそうなピンク色の唇が、まるで花が開くかのように小さく開いて。
「そ、そう……」
ありがとう、の音量は小さかった。消え入りそうなお礼の言葉と同時に、頬がバラ色にふわーっと染まっていって、僕も人生で一番恥ずかしい気分になってしまう。
「いや、いいよね。僕も妹がいるんだけど、憧れるような感じは全然ないから! お兄さんがうらやましいよ、こんなに綺麗な妹がいて、慕ってもらえるなんてね、うん。男はみんなうらやましく思うはずだよ!」
僕が慌てて放ったこんなしどろもどろに、マナ様は耳まで真っ赤にしている。
どうしたんだ。褒められ慣れていないのか。もしかしてそうなのか。確かにマナ様は最初から「高嶺の花」過ぎて、アタックなんてしても無駄かな感がひしひしと漂ってはいるけれど。
意外過ぎる反応に、僕はますますグダグダになって、聞かれてもいないのにこんなことを口走ってしまう。
「うん、でも、ほら! あれだよ。そんな素敵なお兄さんが選んだ人だったらきっと、相手の人も素敵だよ。間違いないでしょう。お兄さんだって妹に祝福されたら嬉しいだろうし、それに、素敵なお姉さまが出来るかもって考えたら、いいんじゃない?」
真っ赤に染まったマナ様は、はっとしたように僕を見上げた。
「素敵なお姉さまが」
「そうそう。うん、そういうのも、いいんじゃないかなあ。僕ももしも恋人が出来たとして、妹がケチつけてきたり邪魔するようなことをしてきたら辛いかなって思う。想像でしかないけど」
出来たことのない彼女について話すのは相当恥ずかしい。
僕はやたらとあたふたと手を振って振って、最後に情けなく「へへへ」なんて笑って、それでやっと、黙った。
ちょっと気まずい沈黙。
マナ様の顔の上気も少しずつ、収まっていく。
どうなるどうなる。盗み聞きしていた趣味の悪い副会長に対して、生徒会長はどう出るだろう。
鼓動の音が高鳴っていく。
体中を駆け巡っていた熱が急速に去って、今は寒いくらいだ。
「……ありがとう」
スマーイル。
マナ様スマイルはそれはそれは優しく、艶やかだった。
僕の心の芯をどろんどろんに溶かしていくその笑みは、まるで太陽のよう。さすがお兄様がアポロンなだけありますねなんて考えて、僕は自身に芽生えた恋心を直視しないようにして誤魔化していく。
「これから、なにか相談したい時には曽田君に頼むわ」
マナ様はそう言って、くるりと身を翻した。良かった。これ以上見つめられたら、失禁してしまうところだった。
荷物をまとめて、会議室の戸締りをして、僕たちは二人で昇降口へと向かう。
「四界君は優秀な人だからと思って相談したのだけれど」
マナ様は少し困った顔でこう呟いた。
僕はまだしどろもどろだ。考えがまとまりきらない。でも、返事はしなきゃっていう責任感だけは一人前で、口が勝手にこんな風に答えてしまう。
「向き、不向きがあるんだよ、きっと。文化祭の計画だとか、試験勉強の時にはすごく頼もしいよ、四界は」
ああ、なんと無難な返事だろう。すごく普通だ。マナ様に対してあまりにも凡人じみた返答で、申し訳ない。
「ふふ」
そんな反省に沈む僕に、女神は微笑む。
「曽田君って、すごく優しいのね」
文化祭はもう来週に迫っている。
生徒会の大きな仕事はこれで終わりだ。僕たちは毎週生徒会室に集まらなくなって、顔を合わせる機会は確実に減ってしまう。
四界が何故あんな無謀な告白をしたのかわかった気がした。
「僕も……」
神殺しに挑戦してもいいかな、とは言わない。彼女をドン引きさせない「ノーマルさ」が、僕の武器だ。
「なあに?」
いつもはクールだとばかり思っていたマナ様が、今日はやたらと可愛らしく見える。
「困った時には、国分さんに相談してもいいかな?」
返事はYES、だった。
「部屋の隅でこっそり聞いている人がいない場所でね」
多分、今日の僕の失敗の話ってだけなんだろうけど。
やたらといやらしく聞こえる台詞に、悶えてしまう。
こうして僕は、女神に、恋をしてしまったのでした。