ファッションモンスター
犬吉杯参加作品。お題は「忍者」。
2013年8月頃書いたものです。
「駄目ね」
いやみったらしい長い溜息とともに、書類はゴミ箱へ放り入れられる。
ここまでにゴミ箱行きになった企画は既に十を超えている。女性向けファッション誌「CAN-Yeee!」編集部の定例会議には、重苦しい空気が流れていた。
「次はあなたよ、銅島クン!」
カツカツとハイヒールの音を響かせてホワイトボードの前に戻り、編集長の真理寺那々子は会議参加者のうち、唯一の男性である銅島秋祈を指差した。
◇
銅島秋祈が一銘出版に就職を決めたのは、この会社が出している少年誌「週刊少年ゴージャス」のファンだったからだ。小学生の頃からずっと途切れることなく読み続けてきた愛読誌を作る担い手になりたい。中学生の時そう心に決め、勉学に励んできた。「少年ゴージャス」は業界内では三番手か四番手という微妙な売れ行きの雑誌だったものの、他にはない個性こそを重んじた絶妙な作家選びをする雑誌で、コアなファンが多い。もともとは父がファンだったという理由もあって、秋祈は「少年ゴージャスクイズ王選手権」などというテレビ番組に出演した経験がある程の、魂の底からの「ゴージャスファン」だった。
一銘出版に内定が決まり、見事「ゴージャス」編集部へ――。
編集部の面々は「あのクイズ大会に出ていた子」に気が付き、秋祈の入社を歓迎した。それが、去年の春の出来事。
しかしなぜか、「ゴージャス」勤務は一年しか続かなかった。
「CAN-Yeee!」編集部から直々に、秋祈に来てもらいたいと要請があったからだ。
当然、秋祈は「ゴージャス」編集部に残りたい。あの手この手を尽くし、先輩たちに泣きつき、編集長にも土下座した。しかし、残念ながら「ゴージャス」よりも、「CAN-Yeee!」の方が圧倒的に売れ行きは良い。一銘出版を支える三本の柱のうちの一柱からの指名を、秋祈が逃れられる訳がなかったのである。
憂鬱な五月。ゴールデンウィークを終えて二度目の編集会議。
気分はブルー一色。外を吹く爽やかな風も、花びらを散々ちらした後の青々と茂った葉の緑も、秋祈の気持ちをちっともわかっていない。ため息、うんざり、会社に来るたびに撫でてしまう「少年ゴージャス編集部」のプレート。人生の無常さを噛みしめて、それでもいつか再び「ゴージャス」に返り咲く日を夢見て、虚ろな瞳に抜けるような空の青色をぼんやりと浮かべて、秋祈は会議に参加していた。
ファッション誌の使命、それは「新しい流行」を生み出すこと。
この日の会議は、次の「冬」に起こす新たなムーブメントの提案を編集者たちにさせるというものだった。何をどう着こなし、どう愛らしく見せるのか? 「CAN-Yeee!」ならではのご提案をしなければならない。
「二十代でありながら、いつまでも男性から「可愛いねー」と褒められたい系女子」がターゲットだと、真理寺編集長は四月の定例飲み会の時、秋祈に何時間も熱く語っていた。なにをコンセプトとして打ち出し、どう納得させ、流行らせていくか? 女性ばかりの編集部の飲み会はとにかくやかましく、次に飛び出してくる話題の予想がつかない。キャアキャアワイワイ、時には想像を絶する下ネタで盛り上がり、秋祈はひたすらに疲れ果てるばかりだった。
◇
「銅島クン、次にクるコンセプト、あなたの考えを聞かせてちょうだい」
真理寺編集長は年中露出の多い服に身を包んでおり、髪の色も派手だし、カラコンはロイヤルブルー、まつ毛は盛りに盛っている。年齢は伏せられていて知る術もないが、多分ババアなんだろうと秋祈は考えていた。若作りの編集長はやたらめったら秋祈に構い、仕事を教えるだの用語を覚えましょうだの、ベタベタベタベタ、いやらしいことこの上ない。
我慢していれば「ゴージャス」へ復帰できるかもしれないと信じて会社に通っていたものの、その前にもしかしたら、心が擦り切れて死んでしまうかもしれない。ここのところ秋祈の心を覆っている雲は、真っ黒で分厚くて、いつでも雷鳴を鳴らしていた。その結果、今日、秋祈は一つの賭けに出ようとはっきり決めていた。
会議で思いっきり、顰蹙をかってやろう――。
「忍者で」
「Pardon?」
「忍者でいいんじゃないっすかね」
今年の秋は「忍者」で決まり!
「ゴージャス」でかつて連載されていた忍者漫画「忍びのセオリー(作:コロ山ジロウ)」のヒロイン、「流 星 の お 凛」のイラストの上に適当な煽り文句をのせた企画書を、秋祈はぽいと編集長の前へと投げ出した。
会議室がざわめく。
女子社員達は驚いた様子でキョロキョロおどおど、ある者は持ち込んだペットボトルに手を伸ばし、ある者は窓の向こうへ目を向け、ある者は「CAN-Yeee!」の今月号をペラペラとめくる。
編集長は自分の前に投げられた「お凛」を凝視し、動かない。
これでいい。これでいいんだ、と秋祈は満足感に包まれていた。フザけんな、こんな奴栄光ある「CAN-Yeee!」編集部にはいらねえ! と「ゴージャス」へのしをつけて返される。辞令が即座におりて、明日にも秋祈は「いやあ、やっぱり女性のファッション誌では使えないって言われちゃいました」と出戻りを果たし、先輩方にしょうがないやつだと怒られようものなら「やっぱり僕には『ゴージャス』しかありません! 全身全霊で素晴らしい雑誌を作って行きますからよろしく云々!」と叫ぶつもりだ。便所掃除を命じられようが構わない、雑用しか任されなかろうが、とにかく「ゴージャス」編集部に戻れるのならそれでいい。
会議室に集う十一人の女性の視線は冷たい。秋祈はそう感じていた。それでもかまわない。だってちゃんと彼女だっているし。ちょっと地味で控え目だけれども、「CAN-Yeee!」の路線とは違って「清楚」で良識がある恋人がいるんだから、それで充分。
「銅島クン」
彼女と手を繋いでグルグル回る妄想を止めて、秋祈は顔をあげた。
さあ来いエロババア! どんな罵声も浴びてやる!
秋祈はテーブルに両手をついて、じっと構える。
「来たわ。時代の、いえ、次代の大波が」
返事は「はい?」くらいしか出て来ず、秋祈は眉をしかめていた。
「どういう意味ですか?」
「温故知新、王道復古、レトロブームの更に先を行こうって魂胆ね。素晴らしいわ」
編集長は秋祈の作った適当な企画書をバンバン叩いて、その度にお凛がふにゃふにゃと揺れる。
「このくらいの大胆さが必要なのよ! ママだってガーリーなプリンセスだの、エロカワな浴衣着こなし術だの、そんなのはみんなもう飽きているのよ!」
会議室に置かれた長テーブルの周囲をグルグル歩きながら、編集長は頼りない部下たちの背をいちいち押していく。そして最後に秋祈の後ろに立つと、右肩をぐいぐい揉みながら真理寺スマイルを炸裂させた。
「秋から冬は『忍者』で行くわ! みんな、それぞれの『忍者スタイル』を考えて!」
編集部員たちはいい返事を挙げ、一斉に会議室から飛び出していく。
「編集長! 図書館へ行ってきます!」
「くのいち、くのいち……!」
あっけにとられる秋祈の前で立ち止まったのは、副編集長の緑沢あかねだ。
「銅島くん、やったわね……」
真っ赤な極太フレームのウェリントンタイプのめがねをくいっくいいじりながら、身を低くして凄んでいる。
「次は負けないから」
がおーっと吠えるようなアクションを一つして、彼女もまた走り去っていく。
「銅島クン、あなたを引き抜いて本当に良かったわ」
まだ肩を揉みながら、編集長は秋祈の顔に頬を寄せ、ふうっと耳に息を吹きかける。
「ひえっ」
素晴らしい新戦力ね! ととどめに一回秋祈の背中を叩いて、編集長も会議室を去っていった。
この日の会議について、もしかしたら壮大な冗談なのではないかと秋祈は思っていた。
しかし、編集長も編集部の面々も、連日大真面目に新しい「忍者」スタイルについて話し合っている。
「長いマフラーを忍者風に巻く、というのはどうですか」
「そんなの当たり前でしょう? マフラーくらいじゃ忍者にはなれないわ」
「足元はやっぱり、わらじになりますかね?」
「水蜘蛛の術の時に履いているのはなんて名前になりますか?」
「お弁当は竹の皮に包んだ握り飯、でどうでしょう」
バッカじゃなかろうか。なんでもかんでも自分たちのいいように解釈して、なんだってファッションだのなんだの、女はどれだけ貪欲なのだろう?
こんな風に、秋祈の心はひたすらに冷め切っていた。
それが、少しずつ揺れていく。
誰も彼も真剣に、忍者について語り合っている。噂を聞きつけた「ゴージャス」編集部が協力を申し出て、「忍びのセオリー」や他の歴代忍者マンガが貸し出され、女性編集者たちも読みふけっては感心している。
「お凛の使ってる隠し刀、すごくカワイイ!」
「この編みあみの服、セクシーだよね」
すべてが新しいスタイルの為の種になり、全員が一丸となって花を咲かせるよう努力を重ねる。
鎖帷子風キャミソールが完成。
お互いの連絡用のメモは手裏剣型に折られ、秘密厳守の文字が添えられる。
鍵につけるチェーンはおしゃれなピンクゴールドで。
スマートフォン用のカバーには、鎖鎌の模様を入れて。
忍者で有名な土地の紹介記事も作られ、下着にだってこだわりたい! と女性用ふんどしの開発が決定していく。
「ふんどしですか」
「知らないの、銅島クン。最近はクラシックパンツって名前で売られているのよ」
ひそかなブームに拍車がかかる、と真理寺編集長はニヤリと笑ってみせる。
各種メーカーを巻き込んでの共同開発が始まり、改良が重ねられていく。
それは、忍者と現代の華麗なコラボレーションだった。
そんなまさかと思っていたアイディアも、実際に商品が出来上がってみればちゃんとしている。
大きなうねりの中で働きながら、秋祈は深く反省していた。
女性用のファッション誌だって、少年向けのコミック誌だって、やるべきことは一つ。
全員で心をひとつにして、作り上げていくんだ。
努力して、仲間と友情を育み、時には競いあって、雑誌が売れるように内容を充実させていく。
自分の子供じみた態度を恥て、秋祈は編集長の前で頭を下げていた。
忍者スタイルの提案がされる少し前、十月の定例飲み会の席で、深々と。
真理寺那々子はふっと笑うと、秋祈のグラスにビールを注いだ。
「いいのよ、銅島クン。そのお蔭で、新たなムーブメントが起きるんだから」
人生って何がどうなるかわからないわね、と編集長はビールを一口飲んで、そして続ける。
「だからこそ、人生は面白い。私たちはその人生を彩るお手伝いをしているのね」
マンガもファッションも同じよ。その言葉に秋祈は強く頷いてみせた。
二人の熱い言葉に、編集部員たちから熱い拍手が送られる。
「CAN-Yeee!」編集部が真に一つになった瞬間だった。
十月下旬、冬の新しいファッションの提案が一冊の雑誌によってなされた。
「時代は今、再びの忍者――!」
恋の隠密活動から、弁当の忍び食いまで、ありとあらゆる現代の日常を忍者でフィーチャーした「CAN-Yeee!」十二月号堂々の発売。
売れ行きは散々だった。
「たまにはこんなこともあるわね」
編集長は枯れ葉の舞う窓の外を見つめながら、ただこんなセリフだけを残して編集部から去って行った。
「なんでもかんでも取り入れりゃいいってもんじゃない」こんなスローガンのもと作られた次の号はごく普通に「甘かわふんわりウサギ系彼女特集」で、こっちは大いにウケていつも通りの部数が捌けた。
銅島秋祈は念願叶って「少年ゴージャス」編集部へ戻り、今は幸せに暮らしているという。