ソウルメイト
2011年8月に書いたもの。
お題は「殺人鬼プータロー」。ブラックコメディのつもり。
「また、殺人事件です」
沈痛な面持ちのアナウンサーが一言述べるとテレビの画面が切り替わり、現地のリポートが始まる。
関東のとある町の路上で四十代の女性の遺体が見つかった。鋭利な刃物で何度も刺され、暗く細い路地の奥で息絶えたという。リポーターの男性アナウンサーは激しい身振りを加えながら興奮した口調で現場の状況を話している。
そのやりくちはここのところ連続で起きている殺人事件と手口が似ており、警察では同一犯の犯行として捜査を始めている、という話で中継は終わった。スタジオに戻る。陰惨な事件のリポートが終われば空気は一転明るくなり、最近噂の芸能人カップルの真相への突撃取材が高いテンションで報じられ始めた。
関東地方の、一都二県で半年前から続いている「連続殺人事件」。
その被害者は年齢も性別も職業もさまざまだった。場所もさまざまだが、事件には共通点がある。犯行場所は人通りの少ない路地裏。犯行に使われるのは鋭利な刃物。被害者から金品などは盗まれておらず、死体は見つけてくださいとばかりに路上の現場に放置される――。
そんな無差別な殺人がもう二十件も続いていた。
この凶行に人々は怯え、次に誰がどこで襲われるのか、警察は何をしているのかと不安の声をあげている。
その事件の犯人が、今テレビの前でほくそえんでいるこの男だ。
二十七歳、無職、独身、ニート生活を謳歌中。
高校卒業後、大学に入ったもののすぐに通うのを止め、ひたすら家でゆったりと暮らしていた。母親はいつかやる気を出すはずだと息子を甘やかし、父親はみないフリをし続けて早九年が過ぎようとしている。
彼は家でひたすら好きなように暮らした。
食べては寝て、ゲームをし、マンガを読み、ネットに繋いで、食べて寝る。
決して、人生をサボっていたわけではない。
彼は探していた。
自分だけの特別な何かを。
そしてとうとう見つけた。見つけたというよりは、編み出した。
完全な殺人。
ネットで、海外ドラマで、コミックで得た知識を合成し、死角をなくし、どこまでも完璧に研ぎ澄ませたその方法は真似をする悪い子がいたらいけないのでここに記すことはできない。
素早い動きができるようになるために、通信販売で体を鍛える道具も買った。それでビルドアップしていく息子を、母親はとうとう目覚めたのだと大喜びで褒め称えた。
彼は狩りに出かける。
就職情報誌を買ってくるよ、とか、セミナーに参加してくるといえばお小遣いつきで何一つ疑われることなく彼は外出することができた。母からもらった一万円札を財布に収め、事前にネットで調べた乗降客数の少ないローカル駅へ出かけ人通りの少ない路地裏で獲物をじっと待つのだ。
決して無理はしない。
誰の目にもつかぬように。
確実に仕留められそうな相手だけを狙って。
胸に隠した刃を振り下ろし、あっという間に知らない誰かの命を奪う。
初めての殺人を犯して、彼は、震えた。
そのあまりの至福に。
まるで神のようなその気分。
人の命は地球よりも重い。
その重たい命を簡単に奪いさる自分に激しく酔って、彼は人殺しをやめられなくなってしまった。
昼下がりのワイドショーを観るのが最近の彼の楽しみだった。
夕方や夜のニュースと違って、事件についてコメンテーターたちが大いに騒ぐからだ。訳知り顔の知識人たちが適当に出すコメントに彼はほくそ笑む。本業では出番の少ない女優やタレントたちが怖いと怯える姿に彼はにやつく。
今日も「関東広域における連続殺人事件」で話題は持ちきりだ。五件目くらいから少しずつ同一犯によるものだという見方が出てきて、二十件に達した今では完全に恐ろしい凶悪犯による快楽殺人だとテレビでは報じていた。
「ここでゲストに登場していただきます。元・警視庁捜査一課所属の鬼頭 権造さんです」
アナウンサーの紹介に一礼し、男が顔を上げる。
隙のなさそうな顔の下に出ている略歴のテロップには、過去の経歴と七十歳という年齢が書かれていた。しかし、緊張感漲る顔は若々しく、肌はツヤツヤとしていて還暦から十年も過ぎているようにはまるで見えない。
「鬼頭さん、この連続殺人と見られている一連の事件なんですが、犯人は一体どのような人物だと考えられますか?」
各界の識者たちに散々ぶつけられてきたこの質問に、鬼頭 権造は表情も変えずにこう答えた。
「暇人ですな」
「暇人? と言いますと?」
「犯行時間、場所はすべてバラバラです。被害者の特徴をみると、どうやら襲いやすい人物を選んでいる。じっと物陰に潜んで確実にやれると思った人間だけ襲う。これはかなり時間に自由が利く人間の犯行でしょう」
「はあ……」
「プータローですな。この犯人はプータローです」
ギラリと瞳を輝かせて鬼頭がこう言うと、隣のコメンテーターはくすりと笑った。
この日の鬼頭 権造のコメントは番組の司会者や他のゲストたちからは半笑いで華麗にスルーされたが、ネットでの反響は素晴らしく大きかった。
キトーさんGJ!
殺人鬼プータローwww
すぐに鬼頭 権造の「殺人鬼プータローです」というふきだし付きのAAが作成され、掲示板やブログにすごい勢いで貼り付けられていく。
その反応はほとんどがネタとして笑っている類のものだったが、犯人である彼の背中には冷たい汗が流れていた。
これまでも、たとえばひきこもりやニートの青年が犯人ではないかと予想を立てる者はいた。世論もほとんどそうではないかと思っている状態だ。
彼はその事について焦ったことはなかった。問題はそこではない。
「プータロー」
この単語はひどく癇に障るものだった。
なんとなく青春に破れてうずくまるナイーブな青年感が漂う「ニート」という単語に比べ、容赦なく無職であることを揶揄してくる「プータロー」は彼の心を大きく傷つけてくる。
そして何よりも彼の二十連勝という輝かしい連続殺人が、その恐るべき犯人の通り名が「殺人鬼プータロー」になってしまった。
いつかカッコイイ通り名がつくと信じていたのに。
闇より出し者 とか、 東国に舞い降りた堕天使 とか。
実際インターネットでは彼をどう呼ぼうか議論が始まっていた。かっこよさげな案がいくつも出てきていたはずなのに、鬼頭のせいで「殺人鬼プータロー」に決まってしまったのである。
世間から毎日プータロー呼ばわりされ、彼は考えた。
このままでいいのか。それとも、プータロー呼ばわりされないための何らかの努力が必要なのか。
昼のワイドショーでは、ネットでの人気を受けて鬼頭 権造がほぼ毎日ゲストとして呼ばれていた。連続殺人事件以外のトピックスや芸能ネタにもコメントを求められ、厳つい顔でマジメにいちいち「くだらんですな」とか「間違いなくすぐ離婚するでしょう」などと遠慮なくぶった切っていく様が大いに受けている状態だ。
「ところで鬼頭さん、例の連続殺人ですが……ここのところ犯行が止まっているようです。二週間程動きがないようですが、どのように考えられますか?」
司会の女性アナウンサーからカメラが動き、鬼頭の鋭い表情がアップになる。
「私がプータローと言ったのが気に障ったんでしょう。無職の役立たずのくせにプライドばっかり高いから、今頃就職したほうがいいのか、はたまた就職している人間の仕業に見せるよう工夫しようか悩んどるんですよ」
スタジオにはワハハ、と笑い声が響き渡った。鬼頭だけが大真面目な顔で正面をまっすぐ見つめている。
その顔が大写しになって、彼は焦った。
なんだこのおっさんは。
まるで自分のことをどこかから見ているようではないか。
思わず視線をきょろきょろと左右に動かしてしまう自分に彼は少し呆れた。そんなことがあるわけがない。そう考え直し、明日にでもまた狩りに行こうと心に決め、場所をどこにするかの選定を二週間ぶりに始めた。
「また殺人事件が起こりました。今回の被害者は十八歳の男子大学生で……」
朝から連続殺人鬼が起こした新しい悲劇が伝えられている。
暗い路地裏で短い生涯を終えた前途ある若者の人となりがいかに素晴らしかったか、大勢が涙ながらに語っている様子に彼は満足そうな笑みを浮かべた。
しかしその笑顔も、昼には消える。
「鬼頭さん、犯人が動きましたが」
「あれでしょう。私が悩んでると言ったから、そんなことはない。自分はそんなちっぽけな人間じゃないぞとアピールするためにまた動いたんですよ」
「悩んでいると言ったから、と申しますと?」
「三日前に言いましたがね。プータロー呼ばわりされて悔しくなって、どうしようか悩んだんですよ。ちゃんと職についている人間に見られたくなってどうしようか考えていることをズバリいい当てられてやけになったんでしょうな」
自信満々で言い放つ鬼頭にズラリと並んだコメンテーター陣は苦笑している状態だ。
しかし彼だけは知っている。
鬼頭の言葉はズバリ真実をついている。百点満点の正解だ。
なんでもズバズバと無表情で言ってのける鬼頭 権造は、次第にネタ的な意味で人気者になっていった。特に最初に彼を起用した午後のワイドショーではいつの間にか毎日かかさず出演するようになっている。
「鬼頭さん、また犯人が動きを見せなくなりましたが……」
「悩んでおるんですよ。就職はイヤだから、アルバイトで手を打とうとかそんな軟弱なことを考えておるんでしょう」
思わずアルバイト情報誌をポトリと落とす。
「鬼頭さん、また被害者が出てしまいました」
「アルバイトの面接で落とされて、腹が立ったんでしょうな」
今度は思わず携帯電話を落とした。画面には、不採用の通知が丁寧な文面で書かれたメールが表示されている。
「鬼頭さん、二日連続で事件が起こるというのは初めてです」
「よっぽど怒ってるんでしょう。なにせ、アルバイトの面接で落とされたなんてことが全国に知られてしまったんですから」
彼の家の茶の間でも、鬼頭 権造のことが話題にのぼる。
「この人、おかしいわよねえ! 自分の言った事が全部本当だって思ってるんだもの」
あはははと声をあげて笑う母親にイラついて、彼はテーブルに両手をガンと叩きつけて怒鳴った。
「お前鬼頭さんのことdisってんじゃねーぞ!?」
「ひっ」
母親は慌てて息子に謝り、父親はこの嵐をただやり過ごそうと身を縮める。
「ごめんね、ごめんね」
その姿に舌を打ち、彼は自分の部屋に戻った。
何をしても、何をしなくても鬼頭 権造にはすべてお見通しだった。本当にどうしてそこまで彼の心理や行動がわかってしまうのか。
殺人鬼プータローはパソコンのモニターの前に座り、小さく震えた。
とうとう現れた。
自分の本当の理解者。
階下で息子をどうしたらいいのかわからずに二人でシクシク泣いている生みの親などよりもずっと俺のことをわかっている。
財布を掴むと、彼は家を飛び出した。
午後のワイドショーは生放送。今から出ればきっと間に合う。
電車に飛び乗り、彼は都心に向かった。
カントー中央テレビの駐車場の前でじっと、待つ。
町が赤く染まる頃、一台の黒いセダンが出入り口から出てきた。
思わず、走る。
駐車場の向かいの道路、街路樹の横で彼が立ち止まると、少し行ったところで車も止まった。
彼がゆっくりと近づいていくと後方の窓がスーっと開き、ゴツゴツとした手だけがぬっと出てきた。その人差し指は、まっすぐ彼をさしている。
「殺人鬼プータローだな?」
外から顔は見えなかったが、その声は間違いなく鬼頭 権造のものだ。
やっぱりわかった。
そして俺もわかった。この車に、彼が乗っていることを。
これが特別な関係でなかったらなんなのだろうか。
とうとう見つけた、自分だけの特別な誰か。
産まれてから二十七年でおそらく一番の幸福な気持ちに包まれて、彼は答えた。
「はい!」
一瞬、ニヤリと笑った鬼頭 権造の顔が見えた気がして、彼も笑った。
しかし彼は独房で膝を抱えて泣くことになった。
愛しの鬼頭ちゃんが既に警察の人間ではなく、彼の取調べをすることはなかったからだ。
こうして世間を騒がせた「殺人鬼プータロー」事件は終わり、日本には平和が戻った。
午後のワイドショーにはレギュラーコメンテーターとなった鬼頭 権造の姿がある。
「鬼頭さん、どうして犯人のことが一目でわかったんですか?」
アナウンサーの質問に、鬼頭はフンと笑ってこう答えた。
「適当に言っただけですよ」




