勇者の旅立ち
2011年2月頃に書いたものです
トモエは十四歳。
中学校二年生の女子で、趣味はゲーム。
今日も学校生活をつつがなく終わらせ、家に帰ると同時にゲーム機の電源を入れた。宿題だの予習復習だの前に行われる、トモエの帰宅の儀式である。
テレビをつけるとチャンネルは既にビデオ出力に合わさっていて、今一番のお気に入りである「ファーライランド戦記2」のロゴが音楽とともに浮かび上がってきた。
「はあー」
トモエはため息をついた。
「ファーライランド戦記2」は最新のゲームではない。もう八ヶ月も前に購入したもので、何度も何度もクリアして遊びつくしている。本屋に並んでいる分厚い攻略本を調べるよりも彼女に聞いた方が問題の解決は早いであろうやりこみっぷりだ。どの敵のヒットポイントがいくつだとか、そういうデータもすっかり覚えている。
そしてこのゲームには、隠しイベントがあるとか周回クリア数が増えるといいことがあるとか、そういうオマケ要素はほとんどなかった。せいぜいクリア後にそれまで開かなかった扉が一つ開いて、スタッフルームに入れるくらいのものだ。
ストーリーもひどくオーソドックスなもので、世間での評価がやたらと高いということもない。売れ行きもそれほどよくはないし、続編の開発の予定もない。
それでもトモエがそのゲームを遊び続けているのは、キャラクターのイラストがとにかく美麗で好みだったからだ。
新鋭のイラストレーターが描いたものながら、柔らかい線で描かれた美しいキャラクターたちは十四歳の心をぐっと掴んだ。
一番のお気に入りは、ストーリーの冒頭で滅ぼされるファーライランド王国の王子である「セディベル・ローセン・ファーライランド」。主人公の仲間となって共に世界を冒険するセディベル王子。
金髪の少し長い髪が後ろでゆるく束ねられていて、まつげは長く、魅力的な碧い瞳で微笑んでいる。
そのイラストを見た瞬間、トモエはゲームの購入を決めた。愛読しているゲーム雑誌に載っていたそのイラストには顔の横に小さく「CV:上野屋シュウ」と書かれていて、それは彼女にとって至福の組み合わせを予感させるものだったからだ。
上野屋シュウは人気の男性声優で、トモエの中では一、二を争う美声の持ち主だった。少し低くて甘い声をヘッドホンで聞くと、それだけで体が熱くなってしまうほどに魅了されている。
「ファーライランド戦記2」はキャラクターがよくしゃべるゲームだった。
戦闘中はかけ声をあげ、イベントの時はフルボイスで話す。
仲間は麗しの王子の他に、クールで美しい女魔術師のシェールと暑苦しい熱血中年神官戦士のゴースナーがいるが、彼らのことはどうでもいい。キャラクターごとにボイスのオン・オフ機能があったので、ちゃんと王子以外の声が出ないように設定してある。
お気に入りのキャラクターがお気に入りの声でしゃべる。
そしてなにより素晴らしいのが、主人公を女性にした場合、王子と恋に落ちるイベントが発生するのだ。選択肢を間違えずに進めれば、最後には王国を復興させるために一生ついてきてくれないかと言われ、二人は結ばれる。
そのイベントでの甘い言葉の数々が、トモエにこのゲームをプレイさせ続けている理由だった。
レベルを最高まであげ、数々のイベントを一つ残さずこなしてあるセーブデータがずっと保存されている。これさえあれば、ちょっとプレイすればエンディングで王子と結ばれるのである。最後にセディベル王子が「一生あなたを愛し続ける」と言って終わる最高のイベントを何度だって見られてしまうのだ。
お気に入りのイベント直前から再開できるセーブデータがいくつも並んでいるロード画面を見ながら、トモエは同時にパソコンの電源も立ち上げた。「ファーライランド戦記2」のファンサイトをのぞくためだ。トモエは「ファーライダンダー大集合!」というサイトの常連だった。彼女こそがどんな質問にも即時に答える、頼りになる質問掲示板の主のような存在の「もえぽん」なのである。
今日も質問掲示板をチェックし、新たに困っている子羊がいないか確認しようとブラウザを立ち上げる。とはいえもう八ヶ月も前に発売されたゲームなので、ほとんどの質問は答えつくされている。ちょっと検索すればわからないことなどもうない。
案の定新しい質問はなかったが、トモエはそれについてまったく気にせず、次に交流掲示板をのぞいた。こちらはゲームについて熱く語り合う場であり、こちらでも「もえぽん」は大活躍していた。王子に関するあらゆる話題にコメントをつけ、もっとも発言数の多い参加者になっている。
質問掲示板同様、交流掲示板にも発言数はもう少ない。それでもトモエはチェックせずにはいられない。誰かが今更ながら「ファーライランド戦記2」を購入して、自分と同じようにセディベル王子に入れ込んでいる可能性はゼロではないからだ。
あの麗しい王子の話をしたい。彼こそが神の与えたこの世の至宝であると、声高らかに訴えられる相手が欲しいのだ。
交流掲示板には、新しい投稿が一つだけあった。
「皆さん、知ってましたか?」というタイトルだ。
トモエは迷わず下線のあるトピック名をクリックした。
――なーにが知ってましたか、だ。
――このゲームに関して知らないことなんか、自分にあるわけがない。
そんな気持ちで、書き込みを読んでいく。
「新しい裏技を発見しました。推奨レベルは、40以上です。
ロード画面で再開したいデータにあわせて下のコマンド入力すると……!」
初めて目にする話だった。コマンドを入れる裏技があるなんて。そんな古めかしい仕掛けがあったなんて。この時代に、発売後八ヶ月も経ってようやく発見されるようなことがあるなんて。
トモエにとってこの書き込みはとても胡散臭いものだった。しかし、このゲームに関して「自分が知らない」ことがあるというのが許せない。ちょうどセーブデータを呼び出したところなのだから、このままコマンドを入れてみればいい。
なにか起きればとてつもなくラッキーだし、ダメでも「何もおきませんでしたけどw」と突っ込みを入れればいいだけだ。
パソコン画面とテレビを交互に見ながら、トモエはコマンドを入れていった。どのデータにしようか迷ったが、推奨レベルという言葉が気になって、エンディング寸前のレベルが99、つまり最高のものを選んだ。
大事に大事に保存してある、全恋愛イベントを網羅したセーブデータにカーソルを合わせ、コマンドの最後に、◎ボタン。
聞きなれないファンファーレが流れ、テレビ画面がホワイトアウトしていく。
ついでに、トモエの視界も真っ白になっていった。
気がつくとトモエは、少し薄暗い建物の中に立っていた。
目の前には美しいローブに身を包んだ女性が薄く微笑んで立っており、突然こう口走った。
「あなたの旅に、神のご加護と導きと、正義の行いがあらんことを」
すぐに気がついた。そのセリフは何度も何度も、いや何百回も目にしたことがある。
ゲームを再開した時に、「プレイ開始地点にいる司祭がかけてくれる台詞」である。
視線を上に動かすと、祭壇の上に美しいステンドグラスのはめられた大きな窓が見えた。
これもすぐにわかる。このステンドグラスは、魔王のいるネバーフィルドキャッスルに一番近い町、ファーディガンラムの街にある教会のものだ。
ということは。
ゲームの世界に入り込んでいるということだ。
彼女の脳は、瞬時にそう判断した。そして、期待をこめて後ろを振り返る。
予想通り、世界で一番麗しい男性がそこに立っていた。
「エルディ、さあ、出発だ」
窓から入る光で流れる髪を煌かせながら、セディベル王子が上野屋シュウの声で言った。
エルディこと、エルディアーネ・トーレンこと、トモエは昇天寸前の状態だ。
美麗な2Dのグラフィックがそのまま人間になっている。まったく無理のない美しさだった。
ハリウッドの有名な俳優にも、いや、世界中どこを探したって、こんなに美しい人類はいないだろう。
美しい王子の後ろには、二人の仲間も立っている。
女魔術師のシェールと、暑苦しい熱血中年神官戦士のゴースナー。二人も、2Dのグラフィックのままの姿だ。シェールの冷たい感じの美しさに圧倒されてしまいそうだし、ゴースナーの方は、やたらとでかい。腕は毛むくじゃらで、本当にむさくるしくて、この再現度の高さは必要ないな、なんてトモエは考えつつ。
――これは、夢じゃないだろうか。
オーソドックスな方法で、頬をつねってみるが何もかわりはない。
何もかわりはないが、かわりに、トモエは信じられないくらいいいことを思いついた。
「王子、ちょっと頬をつねってくれませんか?」
――どれだけ萌えちゃうシチュエーションだよ!
心拍数が急上昇していく。夢なら夢でいい。だって、楽しいのだから。
「頬を? なぜだ?」
王子はしっかりとシュウ様の声で話しだした。これはたまらない。初めて聞くボイスに体の芯が興奮してビリビリと震える。
「いいから、やってください」
「ふふ……子供のようだな」
美しい微笑を浮かべた顔が近づいてきて、細長い白い指がトモエの頬を軽くつまんだ。
――鼻血が出そうだ。
――空を飛べちゃうくらいの勢いでブーっと噴出してしまいそうだ!
――ごらんください! 鼻血による人類の初飛行です!
そう思ったが、実際には鼻血は出ていない。ただ、王子の笑顔が目の前にあるだけだ。
夢なのかどうかの判別は結局つかなかった。
それでも、夢だとしても、何年ローンを組んでもいい、三千万円くらい払っても惜しくない。今現在のトモエにとっては、それくらい価値があるドリーム体験だ。
次はシュウ様の声でなんと言ってもらおうか。
トモエの中で、言われたいセリフが一位の座をかけて争い始める。
――どれがいいだろう。
――どれがいいだろう?
――どれがいいだろう!?
すぐに決まった。
勿論、あれだ。
「一生あなたを愛し続ける」
エンディングの後、二人は結ばれる。
王子と女勇者は二人で国を復興させるのだ。
恋愛イベントを全部出現させてクリアすれば、それはそれは可愛らしい一男一女と共に、寄り添いあう主人公と王子を最後に見ることができる。
――たまらん!
もしも今の体験が夢ではなくて、「あの裏技の効果」だったとしたら、一生を王子と添い遂げることができるはずだ。
平和になった国で、王子と二人、手をとりあって。なんという、なんという素晴らしきトリップ人生だろう。なるほどトリップ系の物語が流行るはずである。
トモエの心はスパークした。
――お父さん、お母さん、トモエは嫁に参ります。
ラスボスのいるネバーフィルドキャッスルはすぐそこだ。さっさと魔王デデゼオンを倒して、ついでに真のボスであるベルデオゼアンもやっつけて、夢のエンディングに進むしかない。あのセリフを聞くまで、通常のプレイなら三十分でいける。夢の始まりまで、あと、三十分!
「よし! 魔王を倒しに行こう!」
そうトモエが言うと、仲間たちはキリっと顔を引き締めた。
「とうとう行くのだな。準備はいいか?」
シュウ様の声で、王子がしゃべる。
――たまらーん! わざと「いいえ」と言って、もう一度聞きたい!
「とうとうね……」
「腕がなるぜ!!」
残りの二人もセリフを口にした。そうだそうだ。そういえばこんな声だったとトモエは思った。さすがにこういう状況だと音声のオフ機能は働かないらしいが、大きな幸せの前には些細な事だ。
街の出入口の場所もすぐにわかった。
何度この道を通ったことだろう。教会を出て、南西の方向へ。街の中に美しく配置された木や建物の間をくぐって、高い壁に囲まれた街を出る。
出たところではたと思いつき、トモエは大声で叫んでみる事にした。右手を高く上げた、ちょっとかっこよさげなポーズをとって。
「ステル・ルーン!」
弱い魔物がよってこなくなる効果のある魔法である。
振り返ってみると、仲間たち力強く頷いていた。どうやらこれで問題ないらしい。
物語の主人公になった快感に、トモエはブルっと震えた。なんという快感。超楽しい! 勇者の魔法を使い放題ということだ。装備の中には、魔法のパワーの消費を四分の一にする指輪が入っている。レベルもマックスだし、どれだけ最高位の魔法を連発したってパワーが尽きる心配はほとんどない。
禍々しいオーラを放つ魔王の城を目指して、歩き始める。
街のすぐ目の前に深い崖があった。ここは、女魔術師の出番だ。
「魔術の神よ。我が主、キーデンバートよ……!ここに道を示したまえ!」
美しい白い腕が青い宝石のはまった金色の杖を天に向かって突き出すと、なにもなかったところに白く輝く橋がかけられていく。
「行きましょう」
凛とした強い声は、こちらも人気声優の神崎ミオリの物だ。こんな声に生まれたかったよな、とトモエは心の中でちょっとうらやましく思った。
橋を渡り、途中にある宝箱を無視して最短ルートを突き進む。MAXまで強い勇者たちにとっては、最終ダンジョンの敵ですら雑魚扱いだ。魔法の効果で敵は出てくることなく、サクサク進む。
罠であるはずの落とし穴も有効活用し、あっという間に魔王の部屋の前へとたどり着いた。
ここでひとつ用を済ませば、夢のウェディングエンディングだ。トモエの心臓は高鳴り、息も荒くなっている。
「とうとうここまで来たな」
イベントが始まったらしく、セディベル王子が勝手に話し出す。
「エルディ、ここまでよくやってくれた。礼を言う」
王子は、強く決意を決めた真剣な表情でそう言った。
めっちゃかっこいいその顔と声に、ラスボスルーム前で勇者はエヘエヘとだらしなく笑った。
「さあ!魔王をぶっ飛ばしちまおうぜ!」
ごっついゴースナーの声は、心の中でキャンセル。
魔王のいる部屋の扉に、王子と共に手をかける。開く前に、一度目をあわせた。力強く頷く王子に、ときめきはもう最高潮――。
禍々しい装飾のほどこされた分厚い扉を開けると、巨大な影が前方に見えた。
巨体にふさわしい巨大な椅子に腰掛けているのは魔王デデゼオン。
大きな牙だらけの口を開けて、笑い出す。
この後にあの口から出てくるセリフは全部覚えている。
だから、その長セリフをちんたら聞くつもりは、トモエにはまったくなかった。
「アルティメットスパーアアアク!」
勇者に使える、最上級に強い呪文を遠慮なくぶちかます。色々と試したが、この呪文で弱らせるのが一番早いのだ。
派手な光と音をさせながら、稲妻が何本も魔王の頭に落ちていく。
「早く、シェール! マクタ・アック! 三倍掛け!!」
攻撃力を上昇させる魔法を女魔術師にリクエストしつつ、稲妻を落としまくっていく。
深淵の封印の洞窟で見つけた最強の剣に強化の呪文がかかり、物理攻撃に切り替える。
なにせトモエは攻略本を見て知っているのだ。隠し設定……魔王の弱点が、右足のすね部分だってことを!
トモエは容赦なく魔王の足に攻撃を加えた。そのたびに、魔王役の大御所声優の悲鳴が大きく響き渡る。
すねへの攻撃が四回当たったところで、とうとう悲鳴は断末魔の叫びに変わった。
魔王の体が、ボロボロと崩れ始める。
そして、その中から本当のラスボスが現れる。
三人の仲間が「ああ」とか「うう」とか驚き唸っているのを横目に、トモエは即座に王子の胸にさがっているペンダントを引きちぎって魔神ベルデオゼアンに投げつけた。
まだその姿がすべて出ていないというのに、最初の罠だったはずの攻撃無効のバリアが破られる。
「エクスプロードイリューーーージョン!!」
ベルデオゼアンには最強の呪文、アルティメットスパークは効きが悪い。雷耐性があることは、これまた攻略本から仕入れ済みだった。なので、二番目に強いエクスプロードイリュージョンをかけまくる。その合間に、また後ろの仲間に強化呪文を催促。仲間たちは慌てた様子ながらも、効率よく攻撃力や防御力の強化の呪文が唱えてくれた。
魔神ベルデオゼアンにはこれといったウイークポイントがない。とにかく、ダメージを与える以外にないのだ。
しかし、やる気と興奮に満たされた状態の勇者様の方がよっぽど強かった。
戦闘中に勝手にその真の姿を現した聖剣でめった斬りにされ、「おわああ」と声をあげながら、哀れな魔神が崩れ去っていく。
――やった。
――終わったっ!
トモエは会心の笑みを浮かべた。
そう、これで終わり。感動のエンディングだ。
崩れた魔王の城の天井から光が差し込み、女神アーシスヴェールが現れる。
「よく……」
最後の感動のメッセージに割り込んで、勇者はこう注文を入れた。
「わかってるから!はやいとこファーライランド城に頼むわ!」
世界を救ったねぎらいの言葉が長々続き、最後には滅びてしまった王子の母国の城に飛ばされるのだ。そんなことは百も承知。女神役の有名声優の声にも、興味はない。
勇者の勢いに押されたのか、女神は黙って両手を空へと伸ばした。魔王の城の天井は一部が崩れて、雲ひとつない気持ちのよい青空が見える。
白い光に包まれて、四人のパーティは物語の最初にボロボロに滅ぼされたファーライランド城の正門前に移動した。
とうとう、エンディングだ。
二人で崩れた城をの中を歩きながら、王子はこれまでの苦労を語る。そして、勇者の労をねぎらい、愛を語り、永遠の誓いをするのだ……!
トモエはうっとりとした表情で、王子の言葉を待った。
「勇者エルディ……よく、やってくれた……」
何度も聞いた、シュウ様のセリフ。しかし、ゲームで聞いたものとは少し違って聞こえる。
「ありがとう。なにか、褒美を取らせよう。何がいい?」
「はあ?」
褒美を提示されるのは男の勇者だった場合のはずだ。
何故だろう。もしかしてバグなんじゃないか、と勇者は考える。
フラグは全部立ててあったはずだ。このデータで何度も何度も、夢のエンディングを見たんだから。
「あの……結婚は?」
「結婚?」
王子の顔色がさっと変わる。そして、後ろで控え目に立っていた女魔術師の手を慌てて取ってこう叫んだ。
「シェール。私とともに、この国を立て直していってくれないか!?」
「ええー!?」
王子とのロマンスを夢見ていた勇者は当然、抗議の声をあげた。
それまでクールで何の伏線もなかったはずの女魔術師は、急にぽっと頬を染めて、私で良ければなどと言い出す。
――なんだそれは! どういうことだこの、泥棒猫!!
「ひっ」
王子の口から、そんな短い悲鳴が聞こえた。美しい顔が強張っている。どうみても、恐怖を感じている顔だ。
――……もしかしてやりすぎて、ドン引きした、とかそういう状態?
王子は新しく婚約者になった美しい魔術師の後ろに、そっと隠れている。
――マジで?
「あの、褒美に妻にしてほしいんですけど」
とりあえずこう頼んでみたが、王子はプルプルと首を横に振った。
「領地とかならいくらでもあげるから! 決まったら伝えにきて、あ、大臣とかに!」
シュウ様の甘いボイスで、そんなことを言われてしまう。それはそれで新しい感じがして嬉しかったが、やはり聞きたいのは愛の言葉だ。
王子は慌てた様子で、迎えに来た王国の生き残りが作った義勇軍の元へ走っていってしまった。もちろん、女魔術師を連れて。
やがて義勇軍から「新国王ばんざーい! 王妃様ばんざーい!」と楽しげな声が上がり始める。
「勇者よ、おぬしはどうするのだ? 故郷はもうないのではなかったか?」
暑苦しいゴースナーの声がする。
――ちくしょう!これは男勇者版のエンディングじゃないか!
「よければ、わしの村に来るか?」
「誰が行くか! あんなムサ苦しいオッサン修行僧だらけのところに!!」
トモエは思いっきり正直に、心に浮かんだとおりの言葉を仲間に投げつけた。
普段は豪快で温厚なゴースナーの顔が、腹立たしげに歪む。
「そうか。それは残念だ」
大きな体がクルリと返って右手をあげて去っていくのを、トモエはただ黙って見送った。
――……男勇者版のエンディングって、どんなんだったっけ。
――確か、あてもない旅に出るとか、そんなだった気がする。
そして彼の姿を見た者はいない。
――ぎゃあああ!
一人悶える勇者のもとに、義勇軍の兵士が二人、駆けつけてきた。
「勇者エルディ様。今宵はささやかですが宴の席を設けます。どうかご参加ください!」
「新しい国王と、王妃様の結婚を祝福してください! 今日が王国の復活の日です!」
まだ若い、少年のような兵が眩しい笑顔で言ってきた言葉に勇者はこう答えた。
「誰がいくかー!!!!!」
廃墟と化したファーライランド城の裏門だったあたりの瓦礫に座り込んで、トモエはため息をついた。
――こんなはずじゃなかったのに。
――どこで間違えたんだろう。
――リセットボタンはどこ?
――ソフトリセット……◎と、スタートと、セレクトと、あと……Mボタンだっけ? えい、同時押し! 同時押し!
もちろん、手元にコントローラはない。想像したところで、何も起きはしなかった。
ガックリとうなだれている勇者の後ろから、足音が近づいてくる。
振り返ってそっと様子を伺うと、義勇軍の中心人物である王子の教育係だったミルジャー将軍と、若いのにその才能を高く買われて第三小隊の隊長になったボーツローの二人が歩いてくるのが見えた。
死んだと思っていた二人が王子のピンチに現れて闘うシーンはとにかくよかった。熱かったし、すごく萌えるイベントだった。
その二人が、誰もいない廃墟になんの用だろうか。お気に入りのキャラクターの会話を聞こうと、トモエは隠れたまま耳を澄ました。
「勇者エルディは見つかったか?」
「いえ……ゴースナー殿もおりません。一緒に行かれたのかもしれませんね」
「早く行方を掴むのだ。魔王や魔神を遥かに凌駕する強さの持ち主、このまま野放しにするわけにはいかない。野望を抱かぬうちに、始末しなくては」
「しかし……世界を救った勇者殿です」
「何を言う! 王子の言葉をきいただろう? 魔王や魔神など、エルディに比べれば赤子のようだったと。あんなに恐ろしい思いをしたのはこの苦しい戦いの日々の中のどこにもなかったといわれたのだぞ! 大体、そんな戦狂いが平和な世の中に満足できるわけがない。己の強さの証明の為に、なにをしでかすかわからないぞ」
トモエの心に、ひどく寒い風が吹き抜けていく。
――やってもーたー!
一瞬、マジで世界征服でもしてやろうかなんていう発想が浮かんできたが、やはりそれはやめておいたほうがよさそうだと考え直した。
どう考えたって、一人きりではできるわけがない。寝込みやらトイレ中を襲われたら、どんなツワモノだって間違いなくやられるはずだと、思う。
王子様との結婚は叶わなかった。
助けたはずの王国からはお尋ね者認定されそうである。
今更むさくるしい修行僧のところに行くのも悔しい。
都合よくお金や宝物を落とすモンスターも、もういない。
途端に生きていくのが難しくなったこの世界。この世界にいる理由は、最早一つもない。
トモエは考えた。
どうにかして、現実に戻る方法は?
そして試した。
「タムーブ!」
帰還の魔法だ。これを唱えれば、帰れる。ゲーム内では最後にセーブをした場所にだが、男の勇者は最後「戻るべき場所に行くのだ」と言ってこの呪文を使っていた。それを、思い出したのだ。
美しい光が何本も足元から生えてきて、トモエの体を包み込んだ。
そして、ホワイトアウト。
おそるおそる目を開けると、そこはテレビの前だった。
思わず、自分の姿を見る。
もう伝説の鎧とか、剣は持っていない。
だらしない、やっすい部屋着姿をしている。残念な気もするが、いつものトモエである。
安堵のため息を大きくついて、天を仰ぐ。
面白くもなんともない白い天井だが、素晴らしい安心感があった。
パソコンのモニターをのぞいて先ほどの書き込みをチェックしたが、あのコマンドのかかれた投稿はもうなかった。
「この書き込みは削除されました」の表示があるということは、書き込み自体はあったと思っていいだろう。一体なんだったのか。他にもゲームの中に飛び込んだ人間はいたのだろうか。
悩んでいると部屋のドアが突然開き、兄のトモアキが顔を出した。
年頃ではあるが、なにか配慮が必要なことをしていることがないと思っている妹相手なので、ノックなどは一切しないデリカシーのない兄だ。だが、趣味は合う。
「もえぽん、今週のサキマガ」
そう言うと、兄妹で愛読している「週刊サキガケゲームズマガジン」をぽいと投げ入れてきた。
「もえぽんの好きそうなゲーム、載ってたよ」
ドアを閉め、兄はすぐに去って行く。
ロード画面を映し出しているテレビとゲーム機の電源を切って、雑誌をパラパラとめくると、トモエはすぐに「好きそうなゲーム」と兄が断定した作品の紹介記事を見つけた。
期待の新作情報解禁! 「シュルビッツ ストーリー」!
ゲーム画面とキャラクターのイラストが大きく掲載されている。
――本当だ。すごくいい、このビジュアル。
早速気に入ったキャラクターは、主人公のライバルだった。声は、青柳 寛二。上野屋シュウと並んで大好きな声優だ。シュウ様よりもぐっと声が低く、そのセクシーな声質はちょっと悪い役がたまらなく似合う。
トモエはその記事を隅々まで読んで、最後に発売日をチェックした。もう三週間後には店頭に並ぶらしい。これは買いだ、と判断する。絵も声もいいし、内容もちょっと良さそうだ。
ルンルン気分でもう一度記事を読み返していくと、よくよくみれば「フルボイスではない」ことがわかった。
舌打ちをして、雑誌を閉じる。
トモエは手を伸ばして再びゲーム機の電源を入れた。
テレビに「ファーライランド戦記 2」のロゴが浮かびあがる。
今度はレベルが36のデータにカーソルを合わせた。
これは、義勇軍がモンスターをひきつけている間に、敵に占領されたディプスク砦を落とすイベント直前のセーブデータだ。何度でも見たい、ゲーム内でトップ5に入るお気に入りの燃えるイベントである。
コントローラを握り、もう削除されてしまった書き込みを思い出す。
コマンドの、最後は、◎ボタン。
ファンファーレがなって、入力が成功したことを告げる。
―― あなたの旅に、神のご加護と導きと、正義の行いがあらんことを ――