75日目 魔法演算学:置換積構、部分積構について
75日目
部屋中が燻臭い。さすがの俺もマジでブチ切れ五秒前。
窓を全開にし、ポプリの材料として作っておいたナエカ、リシオやファイアスウィープを混合し乾燥させたものをお香として焚いておく。お花のいい感じの香りが広がっていくも、煙の臭いはなかなか取れず。
ギルのケツを執拗に蹴りながら食堂へ。燻臭さが俺の体にまでしみ移っていたのだろうか、食堂に入った途端全員にガン見された。アエルノチュッチュの連中にだけ『見せもんじゃねえッ! ギルぶつけんぞッ!』って言っておいた。
ポポルもフィルラドも苦笑いを隠せていない。イライラをなんとか落ち着けるために、鎮静効果のあるハーブティーにさらにナエカと堕鳥草から抽出したエッセンスぶち込んで一気にがぶ飲みする。体にしみこんでいく魔法要素が実に心地よかった。
ついでにミルクもがぶ飲みし、精神的に落ち着いてきたところで、ギルのジャガイモの大皿から腹いせをかねてジャガイモをくすねた。ギルの分まで食ってやろうと思ったけど、ヤケ食いしても四つが限界だった。ギルのヤツはもちろん『うめえうめえ!』ってジャガイモ食ってた。当然、俺がくすねたことには気づいてすらいなかった。
授業はカルブ先生の魔法演算学。カルブ先生、教室に入った途端ビクビクしてすっげぇ丁寧な口調で話し出した。いつもと違い語尾に『~ね!』が付かない。フィルラドが何かを察したようだったけど、杖で小突いて聞いたら『今のおまえには絶対わかんないと思う』とメモが回ってきた。いったい何があったんだろうか。
肝心の内容は置換積構、部分積構について。術式の中には普通の積構じゃうまく演算できないものもあって、それをうまく演算するために昔の偉い人が考えた手法がそれららしい。
置換積構ってのは術式のある一部分を簡略的な一つの要素とみなし、簡略的な項を含んだまま計算したのちに元の項を然るべき処理を施して代入するって方法。要は、こんがらがるくらい面倒くさいやつはいっこいっこ確実に処理しましょうってことなんだと思う。
こいつはまぁ、式の変形とか考え方の違いで済む話だからそんなに難しくない。問題は部分積構のほう。真っ当な方法じゃ演算できない術式に対し、こないだやった積構の演算法則から等価な式へのアプローチをかけられないかってコンセプトなんだけど、これがまた面倒だった。
合成術式の積構はそれぞれ部分部分の術式の積構の合成として表すことができるんだけど、これを等価変形すると『ある一つの術式の積構は、合成術式の積構から別の術式の積構を引いたもの』っていう事がわかる。この最初の『ある一つの術式の積構』ってのを問題としている術式として、どんどん演算できる形に変形するってのが部分積構の考え方だった。
当然、計算量は倍近くになるし、変形後にまた部分積構する場合もかなり多い。クーラスと俺以外のクラスメイトはほぼ全滅。魔法演算学の本気に戦慄する。
カルブ先生、『ここは難しいところですから、よく復習をするようにしましょう。慣れれば考え方そのものはあっけないものです』って言ってた。考え方はあっけなくても演算が死ぬほど面倒なのは変わらない。
授業はなぜか早めに終わった。なんかやる気も出ないし無性にイライラして暇だったので、アエルノチュッチュ寮にカチコミに行こうと杖と触媒を用意していたら、アルテアちゃんに声をかけられた。
曰く、『お前が欲しいものがあるぞ』とのこと。なんかやたらとにこやか。いぶかしみながらも後を着いていき、クラスルームに到着。超笑顔のロザリィちゃんが『まってたぞっ!』って手をひらひら振ってた。どうしたのかと思い近寄ったら……
……なんと! なんとなんとなんと! ロザリィちゃんがクッキーをプレゼントしてくれたのぉぉぉぉぉ!
もうね、ここ最近の嫌な気分が全部ぶっ飛んでいった! あとね、ロザリィちゃんがね、『日ごろの感謝の気持ちだよっ!』ってにっこり笑いながら手をぎゅってしてくれたの!
味はもちろんちょうスウィート! 『うめえうめえ!』って思いっきり貪った! ロザリィちゃんの愛情にあふれていてもう言葉で表せないほどおいしかった! 世界で一番おいしかった!
さらにロザリィちゃん、『こないだは──くんだけに苦労かけちゃってごめんね』って耳元でささやいてくれた! 心臓が超ドッキドキ! ロザリィちゃんがプリティすぎて俺悶え死にそうだった!
詳しく話を聞いてみると、ロザリィちゃんはこないだのリボンの時のプチ・パーティーで俺が一人寂しく料理を作るゴーレムと化していたことを気に病んでいたらしい。
自分で言うのもなんだけど、そんな俺に誰も感謝の言葉一つ投げかけない。いくら友達のためにやったこととはいえ、あんまりすぎる。リボン制作だって面倒な作業全部やったってのに。
で、あまりにも可哀想だったからってロザリィちゃんはその翌日からピアナ先生のところでお礼のためのクッキーづくりの練習をしていたらしい。クラスルームで見かけなかったり寝不足気味だったのはそのためだった。
嬉しいってレベルじゃない。マジで涙が流れた。人前で涙を流すのなんていつぶりだろう。
ロザリィちゃんの天使な心に本当に癒される。夢じゃないかと思った。なんでこんないい子が俺の近くにいるのかわかんないくらい。俺、きっとロザリィちゃんに会うために生まれてきたんだと思う。
料理の苦手なロザリィちゃんがここまでやってくれたことに、俺はどうやって感謝を返せばいいのかわからない。ロザリィちゃんの指先にいくつかのやけどの跡を見て、せっかく止まりかけていた涙がまたあふれ出した。
ロザリィちゃん、『泣き虫の甘えんぼさんなんだから!』って頭をポンポンしてくれた。プリティすぎて失神しそうだった。
そうそう、ここ数日のイライラの正体も判明した。ロザリィちゃんが俺のおでこをつんってしながら『パーティーのあとからずっと拗ねてていじけてたんだよ!』って教えてくれた。
あのモヤモヤもイライラも呪いなんかじゃなくて、俺が誰からもありがとうって言われずに拗ねてただけらしい。『みんなを怖がらせちゃダメなんだぞっ!』ってデコピンしてくれた。もっとやってほしかった。
俺がいじけて八つ当たりしそうだったから、みんな俺を避けてたってわけだ。自分じゃ気づかないのもしょうがないよね、うん。
ちょっと恥ずかしいことに、クラスの全員が俺が拗ねてたってことを知っていた。フィルラドは『構ってもらえず拗ねたコーラスバードのヒナみたいだった』、ポポルは『いじけたピクシーの癇癪みたいだった』、パレッタちゃんは『拗ねた心はヴィヴィディナに更なる成長の息吹を与えました。漏れ出る負の魔力はとてもおいしかったです♪』、アルテアちゃんは『子供らしいところがあって逆に安心した』、クーラスは『本当にあのお前なのか信じられなかった』とか言ってた。
ギルのヤツは『親友ばかりに苦労かけてごめんな!』って言いながらジャガイモを渡してきた。ありがたくその場で食べたけどやっぱりただのジャガイモだった。
で、そのあとは夜までずっとロザリィちゃんとおしゃべりしてた。泣き顔を見られたのはちょっと情けなかったかもしれないけど、ロザリィちゃんのあふれ出る母性の前ではしょうがない。クッキーマジうめえ。ロザリィちゃんマジプリティ。
予想以上に日記が長くなった。やっぱりロザリィちゃんの可愛さは罪だと思う。あんな可愛いのは反則だって。
さて、今日は最高に素晴らしい事実で日記を締めよう。俺は生まれたすべての喜びをペンに込めながら次の文章を書くことにする。顔のにやけが止まらない。
次の休日、ロザリィちゃんとデートすることになった。
書き手の彼の実名が出ていたのですが、万が一彼にバレたとき、生爪剥ぎの呪い以上にエグい呪いをかけられると思うので、言い訳の逃げ道として伏せました。最低限の配慮をしたアピールとともに、『あくまでキミが話してくれた日常をモデルにした創作で、たまたまキミの日記と似ているだけだ』とごまかそうと思います。
おそらくバレた段階で私の安全はギルに抱きしめられるようなものですが、最悪の事態だけはこれで避けられる……と思います。たぶん。もし日記が止まったらそういうことだと思ってください。今から冷汗が止まりません。




