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説教その弐 人生の分かれ道

ごめんくださいましよ。

お嬢さん

あんたですよ、ほら、今これを

長い爪でこんな小さいボタンを

ぽちぽち必死で押してるあんた。

今日の選ばれし栄誉を授かったことに

感謝おしよ。

あたしかい?

あたしはただの幽霊でございます。

名前なんてものは当の昔に

忘れちまったんだけどねえ。

それじゃあ具合が悪いって言うなら

お岩 とでも名乗っておくとしましょうか。

ほほっ。あたしも気が利いてるだろう。

分かりやすいなまえでさ

何?知らないだって?

本当に近頃の若いもんは・・・。

まあ

あたしの事はどうでもようござんす。

そんなことよりね、あんたの前の

ほら、顎がちょっとばかり

しゃくれてる、34,5の気の強そうな

女がいるでしょう。

あの人の3日前の様子

見てみたくはないかい?

遠慮は要らないよ。

何しろ無料だからね。

いまどき無料なんて気前のいい話

どこいったってないだろう?

騙されたと思ってさぁ、見てお行きよ。

だんだんその気になってきたようだね

それじゃあ、よーく頭を使って

見るんだよ。

漫画ばかりじゃダメだよ。

たまには想像することしないとね。

だんだん脳が退化していくからね。

それじゃあ、意識を集中して・・・

デパートの化粧品売り場が見えてきたよ。

化粧品の匂いと、白いライトに照らされた

白塗りのお化けみたいな

女の顔が見えてきたよ。

お化けのあたしが言うのもなんだけどね。

どうやら相当厳しいようだね。

若手がびくびくしているよ・・・。

クワバラクワバラ



シーズンごとに沢山のプロモーションに

追われている美容部員達は

次々に発表される新シリーズに

頭を悩ませていた。

興味の無いものにとっては

どれも同じじゃないかと思われる

美容液一つにとっても

毎年の流行に乗せて

やれ美白だ、やれしわ取りだと

ファッション雑誌ははやしたて

購買意欲をかきたてる。

売り上げナンバーワンを誇る

ここ新宿丸丸デパート化粧品売り場は

美容部員にとって最高峰の職場だった。

派手な広告で知名度を上げ

お客様への説明や、きめ細かいサービスで

一つでも多くの売り上げをあげようという

他社との競争は凄まじいものがある。

そしてなにより

女の園という特殊な環境は

完全なる縦社会で

チーフの意見は絶対であり

自由な空気などどこにもなく

若手社員は自分の仕事を誇りに思いながらも

緊張続きで

疲れきっていた。

そんな中勤続10年になる横山みどりは

去年から売り場のサブ責任者となり

売り上げの向上はもちろん

新人の教育から、顧客のデータ管理まで

全てをパーフェクトにこなす

頼もしい存在で

チーフからも同僚からも

好かれていたので

忙しいながらも

充実した毎日を送っていた。

しかし、誰にも知られていないが

今年の末には長年付き合った

幼馴染との結婚が決まっており

公私共に順風満帆なはずの彼女にも

最近心穏やかにはいられない

悩み事があった。

同じフロアーの宝石売り場に

新しく移動になって入ってきた

佐藤剛司という彼女よりも5歳も若い

男に社員食堂で声をかけられ

まだ知り合いもいない男と

近所の美味しい店の話をするうちに

今度一緒にランチでも行こうと

いう話になり

何度か共に食事をするようになった。

最初こそ5歳も若い男と

二人きりで何を話せばよいのかと

戸惑っていたのだが

男はそんなことはお構いなしに

毎回仕事熱心な彼女を賞賛し、

いつかは自分で商売するつもりだと

決して夢物語ではない計画を

熱く語って

今はまだガキだけど・・・と

照れたように笑った。

回数を重ねるにつれ

押しの強い男の若さが婚約者にはない

逞しさのように感じられ

結局先週の休みの前日

いつものように飲みに行った帰り道

求められるまま男の家に行き

そのまま、なるようになってしまったのである。

それからというもの

男は毎日彼女を求め

気を許した女もまた男を求めた。

明日の休みは婚約者と一緒に

式場を下見に行く予定に

なっているのに

心は揺れて迷っている。

このまま結婚する?

そうよ、何事も無かったようにすればいい。

あの人はいつも私のそばにいて

つまらない仕事の悩みも真剣に聞いてくれたじゃない。

でも・・こんなに激しい気持ちで人を思ったことないじゃない。

それにこんなに強く求められたことが

今まであった?

安定をとるか、心の赴くままに行動するか

35歳という微妙な年頃

人生を大きく左右する決断に

ただタメ息をつくばかりで

気乗りしないまま接客についた。

「お客様。本日はどういったものをお探しですか」

40過ぎかと思われる

たいして美しくもない女が必死の形相で

サンプルの瓶を見ている。

「えっと、その、この前雑誌で見た

 リンクルケアーの美容液使ってみたいんですけど・・・」

「はい。こちらでございますね。」

そう言って、棚の中に山積みされた

新商品を目の前に取り出す。

一本10万もする美容液は

最近の高級化粧品の中でも

特に人気があり、高価な品にもかかわらず

驚くべき売りあげの伸びをみせている

自慢の商品だ。

「ああ、これです。これ、本当に効果あります?」

「もちろんです。当社の研究所で

 3年の歳月をかけて作られた貴重な商品です。

 一度使っただけでも目に見えて違いが分かります。

 その証拠に今月に入ってからすでに50本以上

 売れているんですのよ。

 次の日のお顔の張りを見ていただければ

 決してお高いものではないと思いますが。」

「そうですか・・・一度で効果が・・・」

後もう一押し。

「こちらだけでももちろん効果は充分ですが

 お客様のお肌の状態を拝見いたしますと

 大分乾燥がひどいようですわね。

 よろしかったら、同じシリーズの

 基礎化粧のサンプルもお使いになってみません?」

思いつめた顔の女は決心したように

顔を上げると

「分かりました。これいただきます。

 それから、基礎化粧一式も全部ください」

「サンプルですか?」

「いいえ、全部買います。」

「はい。ありがとうございます。こちらの商品

 お使いになったことはございます?」

「いいえ、でも効果あるんでしょ?」

「はい。シリーズでお使いになれば更に効果的かと・・」

「それじゃあ全部。大丈夫今まで化粧品でトラブル

 起こしたことはないですから」

「はい。かしこまりました。すぐにご用意させて

 いただきます」

一気に20万近くを買い上げた初めての客を

注意深く見てみると

どうということはない格好からは

不釣合いな美しい輝きの

ダイヤの指輪が左手の薬指に光っている。

つい見とれていると

恥らうように左手の指輪を

触りながら女は言った。

「ふふ、綺麗でしょう。この年まで独身でいて

 良かったわ。先月彼にプレゼントしてもらったの」

「そうですか。羨ましいですわ」

「私よりうんと若くて、素敵なの。不釣合いかなって

 拒んでたんだけど・・・。結婚することにしたのよ」

「よろしいじゃありませんか。人生は一度きりですもの・・」

そう言って微笑むと

彼女は小声で耳打ちをする

「あそこのジュエリーショップ見えるでしょう

 彼あそこで働いてるの。」

そういって指差す先は佐藤の働く

ショップだった。

まさかね・・・

一瞬胸がちくりとする。

「最近ここに移動になって、私も何度か来てるうちにね

 若い男と一緒になるなら、もっと綺麗にならないとって

 ランジェリーとか洋服とか揃えてるの

 今日は最近皺が気になるから雑誌で見た美容液買おうかな

 って寄ってみたんだけど、良かったわ

 親切にいろいろ紹介してくださってありがとう」

「あのー、失礼ですが最近移動になったっておっしゃいますと・・・」

胸の鼓動が激しくなり

堪らず聞くと

「そう。一番若い彼よ 

 あなた佐藤をご存知?」

佐藤という名前を聞いた瞬間

目の前が真っ暗になった。

「え ええ。時々社員食堂でお会いしますから

 挨拶程度ですけど そうですかー。あの佐藤さんと・・・」

「そうなの。彼いい男でしょう。

 私彼の前の職場の経理をしていたんですけどね

 自分の店を持つのが夢だとか言って

 私の仕事までよく手伝ってくれたんですよ

 だから私もいろいろ彼に教えてあげて

 まさかこんなオバサン相手に

 本気になるなんて思わないから

 ずいぶん厳しく指導しましたよ・・・」

そう言って優しく微笑む女は

いつまでも指輪を大事そうに触れていた。

なあんだ。

ふっ と笑いがこみ上げてくる。

危ないところだった。

男のことを何も知らず

一時の感情に流されて

本当に大事なものを失うところだった。

佐藤がどんなつもりで

みどりを抱いたのかは分からない。

けれど目の前の女は

今こんなに幸せそうな顔で笑っている。

それでいいじゃないか・・・。

婚約者も私のことを誰かに話すとき

幸せそうな顔をするのだろうか

私は・・・

多分幸せな顔をするだろう。

先のことは分からない

でも、あの人を失わずに済んだことを

今は心から良かったと

思っている。


どうだい?

目の前のあの女は手に沢山の

ウエディング関連のパンフレットを持って

穏やかな顔で座っているだろう。

だけどね、ここだけの話

今後もいろんなことが起きるんだ。

自分のことだけを愛し続けると

信じている婚約者がね

結婚して何年もしないうちに

浮気をするんだよ。

彼女はそれはそれは苦しんで

それを忘れようと熱心に仕事に励む

すると不不思議なもんでね

そんな彼女の胸の内のことなんか

誰も知らずに、熱心に働く姿勢だけが

認められてね

チーフに昇格するのさ。

そりゃ気分がいいよ

女の園の親分だからね。

皆に尊敬されて、神様みたいに崇められて

無くしかけてた自信を取り戻すとね

また言い寄ってくる男が出来る。

そこでまた人生の分かれ道よ。

そこから先は秘密だけどさ

あんたも若いからって

ぼんやりしてたらいけないよ。

生きていれば何度だって

こうして選択を迫られる場面が訪れるんだよ。

どちらに転ぶかは自分次第。

選んだ道が正しいかどうかも

わからない・・・。

それでも決めなきゃ前に進めないんだからねぇ。

難儀なことよ。

悪いことが起きてもそのあとには

いい事も待ってる。

そうして寿命が尽きるその日まで

戦いは続くのさ

笑っても人生泣いても人生

どう過ごすかは自分次第なんだよ・・・。

いいかい 悪いこといわないからさ

あんたの今の男は止めといたほうがいいよ。

どうしてもって言うならとめやしないけどね・・・。

貧乏くじ引いても

それをハズレだと気付かなけりゃ

幸せなのかも知れないからねぇ・・・。

それじゃあ

あたしはこの辺で失礼するよ。

これでもいろいろ野暮用があってさ

忙しいんだよ。



 






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