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薄荷

カモと羊羹


「なぁ、夜壱」

「んー?」

「俺の羊羹、知らね?」


 家に上がり込んで早々に言われた言葉に、俺は思わず噴き出しそうになる衝動を堪えた。やっべ、噂にゃ聞いてたがまさか生で聞けるたぁ思わんかった。マジウケるわ。……っぶ。コイツの口から羊羹とか似合わなすぎにも程があるっつーの。そら、ポカーンだわ、普通。“羊羹”ってのがまんまの意味だと思ってりゃあな。


「知らんな。てかお前、俺の羊羹って……んなに言うならちゃんと名前書いとけよ。そこらへんに名前も書かずに長時間放置しといたら、そりゃ他の奴に食われるだろ」

「……長時間も放置してねんだけど?」


へー。長時間放置してねぇんだ、へー。そりゃ、初耳。……結構あの羊羹キテた感じだったけどな。まぁでも、消費期限はギリクリアってとこか?


「あっそ。まぁでも無いってんなら誰かに盗られちまったんじゃないか?」

「夜壱」


はは、俺めっちゃ睨まれてるわー。だからって、なんだかなー。そこまで睨まれる筋合いないっつーか、なんつーか。妙に確信持ってるくさいけど、どっかから情報が行ったのか。……後で調べて締め上げとっか、ソイツ。


「俺、羊羹より饅頭とか団子の方が好きなんだけど? むしろ羊羹とか最後に食ったのいつだったっけってレベルなんですけど?」

「いや、お前だ。お前だろ、夜壱」


……今日の俺ってば、完全に尋問のために呼び出されてんじゃん? クソつまんねぇー。なんか急激に萎えてきたわ。あーもう、こんなんなるんならホイホイ来るんじゃなかったよ、全く。せっかく久々にヤれっと思って楽しみにしてたっつーのに、とんだぬか喜びってか。


 それまでは何とも感じていなかったというのに、出張続きで疲れが抜けきっていない体が急に重く感じ始め、それと同時に一刻も早く家に帰って休みたいという欲求が強まってきた。日頃いいベッドで寝ているせいか、ビジネスホテルのベッドは相変わらずどうにも好きになれない。


出張のため、かれこれ1週間程帰っていない家のベッドを思い出していると、ふとアイツの顔が浮かんだ。アイツのことだ、絶対これ幸いとばかりに我が物顔で俺のベッドを占領してやがるに違いない。……なんか考えてるうちにむしゃくしゃしてきたんで、帰ったら一回どついてやろうと思う。


「羊羹は知らねぇけど、カモなら最近いいカモ拾ったぜ?」

「……カモ?」


 俺の言ったカモという言葉に対して、目の前でいかにも不可解といった表情が浮かんだ。まぁ、これは当然の反応と言える。カモってマジ何だよっていうね。俺もコイツの言う羊羹ってのが人を指す言葉だってことを初めて知った時、まんま同じこと思ったし。


しかしながらぶっちゃけた話、羊羹なんていう明らかただ単に名前に一文字付け足してみました的な意味不明なモノよりも、よっぽどアイツはカモらしいと思う。本当に思ってた以上に、アイツは俺にとって実に“いいカモ”であった。


「そ。俺、今それの世話で忙しいんだよ。……だからヤる気ねぇんだったら俺、帰るぜ?」


家でカモが待ってんだよ、と微笑みつつ若干上から目線で言ってやると、俺の言わんとすることを察したのか表情が見る間に変わっていった。……おぉ、怖。マジもんみてぇ。


「どういう風の吹きまわしだか知らんが、さっさと返せ。アレは俺のだ」


いやもう俺のだし。とっくに書類出しちゃったし、なんて洗いざらいぶちまけたらさすがに俺死ぬのかな。




***




 何でアイツと結婚なんてものをしたかというと、正直その場のノリとしか言いようがない。たとえるなら、人通りの多い街中で不意に目があった奴がいかにも気の弱そうな奴だったりして、そんな気なかったのに気づいたらカモってたってのと同じ感じ。しかもアイツ、ハンコまで持ってたしな。まさにカモネギ。アイツの名字は中途半端にマイナーで、ハンコ用意すんのめんどくせぇなと思ってたんでちょうど良かった。




 女と一つ屋根の下で暮らすなんて自分でも頭がイカれちまったんじゃないかと考えたりもしたが、実際に暮らしてみるとどういうわけか案外イケた。なかでも特にアイツに触られても頭痛も吐き気もせず、せいぜい鳥肌が立つ程度で済むことには非常に驚かされた。おまけに今じゃ鳥肌すら立たない。


そんなわけでアイツはそもそも本当に性別が女なのかと疑うことをしばしば繰り返した後、アイツはやっぱ文字通りのカモだったってことで、俺の頭はそう理解することに落ち着いた。しかしながら一旦アイツがカモだと思うと、今度は色々と気にすんのがどうにも馬鹿らしくなってくるわけで。


 俺のベッドが大変寝心地が良いことに気づいたアイツが、俺があまり家に帰らないのを好い事に頻繁に無断で俺のベッドで寝ている姿を発見する度、最初の頃はわざわざ退かして部屋の外に転がしていたのを、この頃は面倒なので気にせずそのまんま寝ている。結果として、今まで一人で使っていたベッドを二人で使うはめになっているわけだが、カモのアイツは寝姿までもカモらしくコンパクトにまとまってほとんど動くことなく、まるで生きた死体のように寝るので隣で寝ていても全く気にならない。


最近は抱き枕として利用したりもしているが、寝起きが大層悪いアイツは全く以て気づいていない。そんな様子を見るにつけ、お前よくもそんなんで生きてこれたなとつくづくと思う。




***




 エンドレスな会話に飽きたので、さっさとあの男の家からずらかることにした。ぶっちゃけヤる以外に用ねぇし。……こう言うといろんな奴にお前ってすっげー冷めてんなと言われるんだが、俺別にゲイとかじゃねぇし。悪いが男相手にほの字とかマジ勘弁ってなもんで。そもそも女嫌いイコール男が好きって考える奴が単細胞すぎる。


それがどこのカモだとは言わんけど。






「朝君、朝君! 今日はレアチーズケーキがあるんだよ。朝君、レアチーズケーキ嫌い?」

「嫌いじゃねぇけど……相変わらず突拍子もねぇことすんのな」


 家に帰ってすぐ風呂に入った後、適当に髪をタオルで拭きつつ既に夕飯の準備が整ったテーブルの椅子に座ると、アイツが俺の目の前に皿に乗ったレアチーズケーキを持ってきた。ぱっと見、見た目はなかなか悪くない。


つーかコイツは何でかデザートに関しての腕前が半端ない。他の料理は成功率がせいぜい60パーぐらいなのに対して、デザートだけは今のところ失敗ゼロだ。そのくせ、料理は基本その時の気分で思いついたもんを手当たり次第に試してきやがるんで、失敗した時なんてのはかなり悲惨。そういう場合、俺は遠慮なくレトルトに走ることにしている。


「だって朝君の誕生日、今月じゃん」

「……お前、もしかしなくとも俺の誕生日知らねぇだろ」


レアチーズケーキを冷蔵庫に戻してきたアイツとともに夕飯を食べ始めつつそう言ってやると、いかにも心外といった顔をして俺の方を見てきた。しかしながら、そのわざとらしい表情が更に怪しい。普通に今月とか言うあたり、何日とかまでは知らねぇだろ。


「失礼な。知ってるよ! 世界で一番有名なビーグル犬と同じ誕生日でしょ!」

「は? 犬の誕生日なんざ知らねぇし」


え、知らないの。マジで? だっさー、みたいな顔しやがって。しばくぞ、テメェ。


「だからハトの日でしょ、ハトの日」

「お前、やっぱ俺のこと馬鹿にしてるよな? な?」


とりあえず正面にあったアイツの頭に両腕を伸ばして、梅干を見舞ってやった。なんか腕の中で、理由なき暴力、これぞまさにドメスティックバイオレンスだ! などと喚いているが、無視だ、無視。人の誕生日を語るのに犬やらハトやらを持ち出す方が悪い。


「8月10日でしょ?」


 暫くしてアイツの頭を解放してやると、痛い痛いと呻きつつアイツがそう言ったのでちょっと驚いた。へぇ、マジで知ってんのか。お前のことだからてっきり知らねぇと思ってたわ、などと考えていると、アイツが恨めし気な目で俺を睨みつつ、徐に口を開いた。


「どーせ、誕生日当日なんて帰って来ない率の方が高いだろうし。てか、金曜日の夜なんていたら奇跡だし。むしろお前どしたって感じだし」


……やっぱ今さっきの梅干、生ぬるすぎたな。もっかいやり直すか、と考えながらこれ見よがしに両手を握ったり開いたりさせていると、それまで睨んできていたアイツが一瞬にして怯むのが分かった。感情が割とそのまんま態度に出るんで、見てて面白いってのもこのカモの長所の一つである。ついついつられて思わず笑いそうになる口元を引き締めつつ、とりあえず続きを促す。


「そもそも誕生日なんてこの歳になったら、月さえ合ってれば祝うのなんて何日でもいいかなぁって思ってね。気が向いたから今日早速ケーキ第一弾を作ってみたわけよ。……ほら、数打ちゃ当たるって言うじゃん?」


ちなみに例のブツはまだ準備できてないから、と言うとアイツは何事もなかったかのようにして食事を再開した。……本当に何事もなかったかのように、だ。こういうこともまぁ、たまにある。そんでもってその度に果たしてこのカモは人の気持ちに敏いんだか、そうじゃないんだかが分からなくなる。


 いずれにせよ今この場において、アイツが俺の気持ちを全く理解していないことは言うまでもない事実であって。けれどもこんな平然と夕飯を食べている奴に向かって、今更そのナニを説明するなんてありえないわけで。結局、俺はいつもこの妙な不完全燃焼に似た気持ちを味わうはめになるのである。




 いつまでも箸を持とうとしない俺を不思議に思ったのか、アイツが不意に席を立ったかと思うとキッチンの方から鶏肉入りのお粥のレトルトパックを手にして戻ってきた。そしてそのまま俺の方まで来ると、これでも食えよと言わんばかりに笑顔で俺にそれを差し出した。……俺が不調で食えないもんだと、このカモはそう判断したらしい。


その笑顔から察するに、俺がこのまま受け取った場合、どうだ優しいだろうとでも言うに違いないんだろうが、いろいろと雰囲気をぶち壊してることにはやっぱり気づくことはないんだろう。……これじゃ、俺一人が馬鹿みてぇじゃねぇか。


目の前の笑顔を見ているうちに、なんか無性にムカついてきたんで、その頭にもう一発梅干を見舞ってやった。






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