表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
transient  作者: 悠凪
6/12

6

 20年前の春。

 一人の女子高生の遺体が発見された。通っていた高校の桜の木の下で。

 きれいに整えられた髪と制服と、手を合わせて横たわる姿は桜の花びらで埋め尽くされて、とても死んでいるようには見えなかった。

 女子高生は5日間、行方が分からなかった。いつもなら両親どちらかの送迎で学校に通っていたのだが、その日はたまたま電車で帰る予定になっていた。

 学校から帰らない娘を心配した両親が、警察に行き共に探したが見つからず、5日後の早朝、桜の木の下で発見された。

 変わり果てた娘の姿に、両親は気が狂いそうなほど悲しみ、娘を抱きしめて泣いた。

 一人っ子で、ピアノが得意な明るく元気な性格の少女。切れ長の大きな瞳が愛らしい黒髪の少女は、たった17年でこの世からいなくなってしまった。

 遺体発見から20年。まだ犯人は見つかっていない。

 当時お嬢様高校として有名だった学校での事件は、大いに騒がれ、古くからいる地域の人間は未だにそれを記憶していた。



 自分が生まれる前の葉月のことを聞いた誠は、言葉もなくリビングのソファーに座っていた。

 そばに葉月はいない。それがすごくありがたいと思った。

 聞くんじゃなかった。

 そんな気持ちが自分の中でグルグルと渦を巻く。でもそれも後の祭りだと、冷めた気分でいる自分も、誠の中にいた。

 これを聞いて、どんな顔をして葉月に会えばいいんだろう。あの明るい笑顔を見せられたら、どんな顔をして返せばいいんだろう。なんて言えば良いんだろう。

 大きなため息とともに天井を見上げる。勿論なにも浮かばない。

 葉月はちょっと離れるねと言って、姿を消した。それから誠は、母親にその事件のことを聞いたのだった。

 誠が思っていたこととはあまりにも違っていて、夕食時に聞いたことを後悔した位だ。一気に食欲はなくなりそのまま箸を置いてソファーで呆けていた。

 リビングから自分の部屋に通じる廊下を視界の端に入れた時、スッとスカートの影が見えた。思わず身を乗り出して確認するように目を眇めると、ドアにひょこっと葉月が姿を現した。

 にっこり笑って誠を手招きする。誠は一瞬躊躇ったが、ソファーから立ち上がりドアに歩み寄った。

 葉月はそのまま誠の部屋に入っていく。何も言わず誠も部屋に入ってドアを閉めた。

「…………聞いた?」

 葉月は少し緊張した様子で誠に問いかけた。誠は何も言わずに小さく頷いた。

「そっか。ごめんね、嫌な話を無理矢理聞かせて」

「いや……それは、大丈夫」

「いいよ。いい気はしないでしょ。私が死んだ時の話なんて」

 そこで言葉を切った葉月は、花の咲くような笑顔を見せた。

「でも。ちょっと嬉しいかも」

「………何が?」

「私の事に興味持ってもらえた気がして」 

 切れ長の目が細められ、その顔が穏やかに笑む。誠はいたたまれない気持ちになって顔を背けた。

「なんで、笑ってられんだよ」

「え?」

「あんた……本当に馬鹿なのか?自分が殺されてなんで笑えんだ」

 言っちゃいけない。そう思っても、誠はコントロールできなかった。

「訳分かんないだろ。何もしてないのに殺されて桜の木の下なんかに置かれて……犯人捕まってないとか。なのにあんたはいつも笑ってて……ほんと、馬鹿じゃないのか」

 声を荒げるのだけは我慢できた。でも、言葉の端々に自分の感じる黒いものが見え隠れして、葉月に言うべき言葉ではないと分かっていても、止められない。

「あげく恋愛がしたいだと。あんたの頭の中どうなってんだ」

 イラつきと自己嫌悪で、誠は頭をかきむしりながら、ベッドに身を投げ出すように座り込んだ。葉月は何も言わずに誠を見つめている。泣いたり怒ったりするわけではない。ただ黙って誠のことを見ていた。

長い沈黙が流れる。二人の呼吸すら聞こえそうなほどの沈黙を破ったのは葉月だった。

 大きな目に揺れる暗いものが、誠を捉えた。でも、怒りなどではなく、諦めのようなものに感じる。

「いまさら言っても仕方ないんだよ。私が死んだのはもう20年前だし、死んでしまったものは…どうにもならないじゃない?だから」

「じゃあなんでまだ存在してんだよ」

 吐き捨てるように、誠は葉月の言葉を遮った。

「何かあるからまだここにいるんじゃないのか?言いたいこと、したいことあっただろう?それを奪われて、閉ざされて……笑ってんじゃねぇよ」

 誠の方が、泣きそうな声を出していた。

 俺って、最低だよな…。なんで俺が怒ってんだよ。しかもこの子にぶつけるなんて最低で最悪だ。

 誠が大きなため息をついて頭を抱え込んだのを見て、葉月はそっと手に触れた。

 葉月の手の感覚が誠に伝わる。優しくて暖かい手の感覚に、誠は涙がこぼれそうになって、ギュッと目を閉じた。俯いたままの誠の肩が震えたのを見て葉月は、そっと言葉をこぼした。

「私のしたいこと、いっぱいあったよ。でもできないじゃない。どうして自分がここにいるのかも分からない…………生きたかったよ。死にたくなんかなかった。まだまだ、人生があると思ってた……生きていたかった」

 誠の涙に触発されるように、葉月の瞳から大粒の雫がこぼれた。泣いている気配を感じて誠は俯いたまま目を開けた。視界に入る床に、葉月の涙がポタポタと落ちてくる。

 誠はその涙を拭ってやりたかったが、まだどんな顔をして葉月を見ればいい分からず、動くことが出来なかった。

 二人のすすり泣く音だけが部屋に響く。今日の帰りまで、あんなに楽しげに笑っていた葉月の涙は、これまでの分を流すかのように大粒だった。声を出して泣かない代わりに、涙は止まらなかった。

 どのくらいの時間がたったかは分からないけど、誠は体中の空気を入れ替えるように、深呼吸をして目元をぐっと拭った。

 こんなに泣いたの、子供のころ以来だ……。

 もう一度軽く息を吐いて、誠は葉月を見上げた。葉月は誠を見つめて、その切れ長の瞳を優しげに細めた。

「泣いてくれてありがとう。誠くん」

 なんで、この子はこんなことが言えるんだろう。俺なら絶対言えない。

 穏やかすぎる葉月の声と表情に、誠は驚きを隠せない。まじまじと葉月を見つめて、それからふと表情を緩めた。

「ごめん。ひどいこと言った。それと、ありがとう」

「ん?何が?」

 キョトンとする葉月の手を、誠はそっと握った。

「嫌なこと聞いたのを、許してくれて」 

「ううん。私の事知りたいって思ってくれたの、嬉しかったから」 

「でも……思い出したくなかったんじゃないのか?」

 誠の言葉に、葉月は少し考えてゆるゆると首を振った。

「忘れてるわけじゃないんだよ。でも、受け止めようとはしてるんだ。これはどうしたって変わらないから…あ、でも今は、誠くんと一緒にいられて楽しいから、忘れそうになることもあるけどね」

 にっこりと笑われて、誠は苦笑した。

「ほんと、ある意味馬鹿だよな、あんた」

「ひどいなぁ、もう」

 ぷーっと頬を膨らませて葉月は誠を睨んだ。そんな葉月の前でスッと立ち上がった誠は、ぱっつん前髪を優しく撫でて微笑んだ。

「やっぱ、馬鹿だ。でも、そこが良い所だな」

「……そう?」

「ん……」

「そっか……」

 葉月は少しだけ目を潤ませて、それからまた笑って誠を見上げた。その顔が可愛くて可愛くて、どうしようもないほど、ふんわりと、誠の心に入り込んだ。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ