ACT.四 ミッション・インポッシブル
まずは自分の持ち物を確認する。――と、いっても、カバンはどこかへ消えてしまったので、たいした物はない。ポケットに入っているのは、ハンカチとティッシュ、携帯電話、それに忌まわしきペンダントだけだ。
腕とベルトに依然ある、BSに身につけるよう言われた正体不明の腕時計モドキと万歩計モドキは、所持することに多大な不安を覚えるものの、危険なものでないことは信じてよさそうだ。牢屋へ入れられるまでの間、自分は気絶していたのに、管理局に没収されてないのである。下手なものだったら問答無用で奪われているだろう。どうせ使い方も分からないのだし、放っておくしかなさそうだ。
この所持品の中で使えそうなものといったら、携帯電話ぐらいしかない。とりあえず駄目元でいじってみると、やはり、通話やメールは全然出来なかった。本体の機能そのものに異常はなかったので、何か役に立たないかと頭を絞り、結果、アラームの音量を最大に引き上げ、十分後にセットしておく。
今度は周りの様子をうかがってみた。牢屋の造りは、見るからに頑丈である。鉄格子の太さは二センチ近くあり、壁も鉄板製だ。到底人の力でどうこう出来る代物ではない。
はなから直接の牢破りは不可能だと思っていたので、和音はめげなかった。ここは古来からある、伝統的な脱獄方法に頼るしかないだろう。
鉄格子をつかみ、叫んだ。
「すいませーん! 看守さん、いますー?」
一拍置いて、房の前にぬっと大男が姿を現した。かなりの長身で、横幅も厚みも人並みはずれている。日焼けした肌にスキンヘッド、太い眉に深い彫り、鋭い瞳。
あまりの迫力に、一瞬言葉を失うが、勇気を奮い立たせて、申し出てみる。
「あのぉ……トイレに行きたいんですが……」
「………」
男は無言で、右手の指輪を鍵にかざした。ピィンと音がして、触れてもいないのに扉が開く。
あごをしゃくって出るように命じられるから、おずおずと足を踏み出す。いきなり二の腕をつかまれ、物のように引っ張り出された。再度指輪をかざせば、扉は元通りに閉まり、和音の身体はそのまま引きずられるように連れられる。
向かい側にいた銀の髪の男は、こちらに背中を向け、食事を取っている最中だった。
牢屋の全体像はかなり広い。通路を挟んで、独房が両側にずらっと並んでいる。投獄中の者たちはおのおの、食事をしているようだが……その光景に、和音は我が目を疑った。
あるものは、どう見ても石としか思えぬものを、バリバリ噛み砕いている。肌がやたら黄緑色で、ぬめっとしている男が食べているのは、奇怪な形をした昆虫である。ちょんまげ姿の侍が、ピシッと正座をして箸を持ち、ご飯を食べている横で、髪の毛が細い葉っぱと化した緑色の者が、看守にライトを当ててもらっている。かと思えば、くすんだ銀色のロボットが自分でボタン電池を交換しているし、人の上半身に馬の胴体――そう、ケンタウロスとしか思えない生き物が、キラキラ光る水で喉を潤していた。
「――、――、……!?」
頭がくらくらする。ありとあらゆる小説から、様々なキャラを引っ張ってきて、ごちゃ混ぜにしたかのような有様だ。人であるモノ、明らかにそうでないモノ、機械のようなモノ、正体不明のモノ、生きているのかすら怪しいモノ……。
とにかく、何もかもがめちゃくちゃだった。ここは異世界らしいから、見たこともない生物がいるのは分かるが、なぜ毛皮の服を着た原始人や、中世ドレス姿のお姫様がいるのだろう?
混乱を起こすこちらをよそに、男はぐいぐいと腕を引き、牢屋から出るドアを開けた。
急な階段を上りきれば、見えたのはフェリーの通路のようである。クリーム色の床に、白い壁。幅は狭く、大人二人がやっと並べるほどだろう。
通路をしばらく進むと、今度は階段を上ることになった。そこでゆうに三階分は歩いたものの、まだトイレに到着する気配はない。和音の背中が汗ばんだ。どうしよう、これ以上時間がかかると、変なところで携帯のアラームが鳴ってしまう――。
「おう、見張りご苦労!」
偶然、四階と三階の間にあたる踊り場で、青い軍服を着た二人の男と出くわした。片方はコーヒーを手にしたドレッド・ヘアの黒人で、もう片方は、金髪に鶯色の肌をしている。
挨拶され、和音の腕をつかんでいる男が立ち止まった。やっぱり無言のまま、それでも「いつものことさ」といわんばかりに、肩をすくめてみせる。
「そうそう、本日の仕事上がりに、飲みにいかないかって話をしてたんだ。お前もどう?」
金髪の方の男がそう言い、ぐいっと酒をあおるマネをした。
「ちょうどメンバーが足りなくて困ってたんだよ。ボルボットとヤヒコ、後ラスカーシャでも誘おうかと思ってたんだが、大人数大歓迎! そうすりゃ団体割引が使えるからな」
黒人の方も言い募る。スキンヘッドの男の眉が動いた。気難しそうな雰囲気はそのままに、しかしかなり乗り気らしく、次第に二人の会話に引き込まれていく。
…………チャンス到来か?
今なら、腕を捕らえている男の意識は、和音ではなく仲間二人に向いている。拘束する力は変わらないものの、こちらの些細な動きには気を払っていない状態だ。動くとしたら、このチャンスを置いて他にない。
緊張で強張る指をなだめ、慎重、かつ細心の注意を払ってポケットに手を伸ばす。音もなく携帯電話を取り出すと、そそそと何気なく三人に近付いた。
金髪の男が、すぐ目の前だ。彼が着ている軍服は、腰の辺りに口の大きいポケットがある。ビラビラしているところなので、これなら中に何か入れても気づかれなさそうである。
あせるなよ~、と自分に言い聞かせつつ、ゆっくり身を寄せる。三人は飲みにいく会話に気を取られているままだ。思わず手が汗ばんで、携帯を取り落としそうになるも、ぐっとこらえてポケットへと―――滑り込ませる。
「あっはっは、そりゃいいや!!」
いきなり黒人の男が大爆笑した。タイミングが良過ぎて和音は飛び上がったが、幸い、他の二人も弾けるように笑い出したため、特に見とがめられることもなく終わる。
「――さて、いつまでもサボっているわけにはいかんな。そっちも頑張れよ?」
軍服の二人組みが、そう言って話を打ち切る。スキンヘッドの男はうなずき、笑っていた顔をあっという間に仏頂面へと変化させた。ひょっとするとこの人物、無愛想な見かけによらず、結構な笑い上戸なのかもしれない。
ともかく――和音は乾いた唇をなめる。
もうしばらくで、アラームをセットした時間が来る。バイブレーションも、音量も、最大にしておいた。チャンスは一瞬、逃せば要領の悪い自分のこと、二度と脱獄することは叶わなくなるだろう。ここがまさに正念場というやつだ。
後はどうか、この世界の人たちが、携帯電話など知りませんように……!
「……うーん、これで四人目か。後もう四人は欲しいよなあ。それぐらい人数がないと、盛り上がらない―――」
と、立ち去りつつ金髪の男が、ぼやきかけたときだった。
『コケコッコー!! コケコッコー!! コケコッコー!!』
突如として、彼のポケットが盛大に鳴く。同時にブルブルッと激しく揺れ、不意打ちを食らった二人組みは、「わあああ!?」と派手にコーヒーをぶちまけながら、飛び上がらんばかりに絶叫する。
それは、腕を捕まえていた男も同じだった。何事かと身を強張らせ、バネ仕掛けの人形のように、勢いよく振り返る。
――和音は、このときを待っていたのだ。
ない瞬発力を振り絞って、拘束されていた腕をシュッと引き抜く。素早く身をひるがえす。開いた両足を、踏ん張る。
「ごめんなさいッ!」
謝罪と共に、自分より下の段にいた男の胸に、全体重をかけて体当たりした。
「っ!!」
これも、男にとっては不意打ちだったらしい。和音の攻撃などたいして効かないだろうが、虚を突かれたことと、足場が不安定だったことが手伝い、大きくバランスを崩してのけぞる。
両手が宙を掻いたのは刹那のこと。重力に導かれるままひっくり返り、その真下にいた、携帯電話に慌てている二人組みが事態に気づいたときには、すべてが遅くて―――
ズダダドガガバキガキゴス!!
聞くだけで痛い音を道連れに、三人はもつれ合って階段を落下していった。
詳細を見届けず、和音は背を向けて階段を駆け上がる。上手くいったと、喜んではいられない。今のは、ほんの目くらましにしか過ぎないのだから、早く身を隠さないと、あっという間に牢屋へ逆戻りだ。
通路へ出て、思い切って走りだす。ドアの前を通過するたびに、頼むから誰も出てこないでね、と祈らずにはいられなかったが、幸運なことに、人が現れる気配はない。
思い起こせば、今は昼時だった。みんな食堂かどこかでご飯を食べているのだろう。この隙に、どこか隠れられそうなところを見つけねば。
「ええっと、ええっと、どこかないかな、どうしようかな、どっちにいけばいいんだろう?」
キョロキョロと周りを見回す。同じようなドアが綺麗に並んでいる通路。どれかひとつを思い切って開けてみるのも手だが、誰かと鉢合わせしてしまうかもしれないので、なかなか実行する勇気がわかない。
「…………待てぇ!」
「う、うわっ」
もう追っ手がひとり、背後に迫っている。さすがは管理局、年端も行かない小娘の浅知恵など、通用する相手ではなかったようだ。
こうなったら逃げるしかない、と、とにかく声がした方とは逆方向に逃走を図る。自分の体力のなさに絶対的な確信を持つ和音は、直線距離を走ってもすぐお縄になってしまうだろうと分かっていたので、死に物狂いで頭を働かせた。
何か策、追っ手を食い止める方法などは、ないだろうか?
目の前が開ける。広々とした木製の床、その先に果てなく広がる緑色の風。
甲板だ。普通の船のデッキとまったく同じ造りをしている。
惰性でそこに駆け込みながら、視線をめぐらせ、和音は見つけた。覚えのある翼のついた乗り物が、一箇所にまとめて何台も駐車してあるのを。名はグライダー・バイク、通称グライク。
――そうだ、あれに乗れば確実に、ここから逃げることが出来る!
大きく方向転換し、一直線にグライクを目指す。こちらの魂胆に気付いたのだろう、「させるか!」と、後ろに迫る男が息巻く。
和音は自己ベストを更新する勢いで逃げたが、やんぬるかな。所詮、立派な青年男性とは、基礎体力に天と地ほどの差がある。いくらも進まぬうちに、遠かった声がみるみる接近し、とうとう、真後ろで勝ち誇ったように男がせせら笑った。
「つかまえ――」
た、と言われるのを覚悟し、絶望に目をつぶった瞬間、いきなり足がもつれた。
「ぎゃ!!」
ちょうど、足払いでもかけられたかのようだ。踏み出そうとした足が何かに引っかかり、結果、和音は両手を伸ばして甲板に綺麗にダイブする。それは今時、漫画でも登場しないだろう、見事すぎるコケっぷりで。
「うお!?」
捕らえるべき対象が急にいなくなり、さらに、コケた和音の身体にけつまずいたことで、追跡者はたたらを踏むを通り越し、ぽーんと派手な空中ジャンプを余儀なくされる。
普通であれば、そのままデッキに顔面着地するところだろう。けれども、このときは場所が悪かった。和音が転んだのは、よりによって甲板の端っこで、つんのめった男の勢いは、落下防止のために取り付けられた柵をも飛び越えてしまうに、充分すぎるほどだったのである。
「…………!!」
顔を上げたときにはもう、その場に人の姿はなく、か細い悲鳴がたなびきながら消えてゆくところであった。
茫然自失。したたか打ち付けた鼻とおでこの痛みだけを感じる。ひゅう、と吹きすさぶ風に頬を撫でられて、それでようやく我に返った。
――逃げられ、た?
首をめぐらせる。何度確かめても、だだっ広い甲板には和音ひとりしかいなかった。別の男が追ってくる気配はないし、船全体も静かなものである。
足元に違和感を覚えて、視線を落せば、そこは太い縄がごろごろ転がっている場所だった。幾重にも重ねられた隙間に、はいていたサンダルが挟まっていて、これのせいでコケてしまったのだろう。
……このときほど、自分の運動オンチさ加減を感謝したことはない。並の人ならひっかからないだろう場所で転べるなんて、さすがだ。常ならみっともなくて仕方ないものの、場合が場合だけに、今回はラッキーもいいところである。
ひとつ安堵の息を吐くと、やけにコーヒーの香りが鼻についた。匂いの原因は、肌色のデッキに点々と記されている、こげ茶色の水溜りである。自分を最後まで追ってきた男の足跡が、コーヒーと共に残されているのだ。たぶん、携帯電話に驚いてぶちまけたそれが、足にでもかかっていたのだろう。
見るからに怪しい痕跡が、道筋となって自分が座り込んでいる場所へと続いているので、慌てて立ち上がる。これでは見つけてくれといっているようなものだ。誰かが奇妙な足跡に気付いてたどってくる前に、場所を移動する必要がある。
上がった息を整えながら、そそくさとその場を後にする。
そうして――ふと、軽い疑問が心中に去来した。
「大」というも文字はつかないまでも、それなりに騒ぎを起こして、怪しすぎる足跡すら広範囲にわたって残っているというのに。
どうして、どこもかしこも、こんなに人気がないのだろう?