ACT.二 重なった不幸
目が覚めたとき、自分の体は冷たい床に、仰向けに寝転がっていた。
何度か瞬いて、のろのろ腕を持ち上げる。額に押し当れば、自然と安堵の息が漏れた。ことによっては、二度と目が覚めないかもしれないと思っていたのだが……とりあえず、生きてはいるようだ。
ゆっくりと起き上がる。少し頭がくらくらするも、それ以外で目立った異常は見受けられなかったし、大きな怪我も負っていない。
ここは灰色に沈んだ、狭苦しい部屋のようだ。一方の壁に、並べられた鉄格子。時折響く、人とも獣ともつかない叫び声。見上げた反対側の壁に小窓がついていて、その外では、あの深緑のうねりが流れている。まったく別の場所に来たわけではないらしい。
何だかどこかで見たことのある光景だなあ、と、のん気に考えた。この無機質な雰囲気は、そう、まさしく、映画やドラマに出てくる牢屋そっくりだ。
牢屋そっくり…………。
パチンと頭の回線が繋がった。自分の体と、目の前の光景を見比べる。
ここは、牢屋。そして、その中にいる自分。イコール―――投獄されている?
「嘘ぉ……」
にじにじ鉄格子に這い寄って、両手で鉄棒をつかむ。押しても引いても、当たり前だが、太い格子はビクともしなかった。出入り口には大きな錠がかけられていて、そこも、ガチャガチャ揺すろうが何しようが、開く気配はない。
認めないわけにはいかなくなって、途方にくれた。この狭苦しい部屋――独房に、自分が投獄されているのは、間違いないらしい。
図書館に行こうとしていただけなのに、足もとがスッポ抜けて、風に翻弄され、怪しい男と出会ったかと思えば、ついに牢屋入り! 何なのだろう、この怒涛の運命は。
「よう、嬢ちゃん。まだ若いってのに、いったい何やらかしたんだ?」
向かい側の牢から声をかけられた。どうやら、和音が閉じ込められているような狭い独房が、通路を挟んでいくつも並んでいるらしい。
おっかなびっくり、声のしたほうを見ると、ひげモジャで筋骨逞しい体つきの男性が、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
周囲が薄暗いためはっきりしないのだが、それでも、ゴワゴワした男の髪が、見たこともないような銀髪なのは知れた。完璧な金属光沢。無遠慮に向けられる瞳もレンズみたいな薄水色で、こういってはなんだが、ロボットのような印象を受ける。
何を、と聞かれても、返事に窮することこの上ない。
「別にその……何もしてないんですけれど……」
小声で答えると、男はグワッと目を開いた。あまりの迫力に、ついびびって後じさるが、
「その通りだ!!」
というセリフに、拍子抜けする。
「オレたちゃ、何にもしてねえよなあ。その通りだぜ! なーんも悪いことなんかしちゃいねえ。なのに管理局の奴らときたら、『干渉罪だ』などとぬかしやがる。クソッタレめ!」
ふん、と勝手に盛り上がり、鼻息荒く憤慨している。
なにやら、微妙に勘違いされてしまったが、訂正するのも何なので、黙っていることにした。問題はそこではない。今はそれよりも、もっと気になることがある。
「『管理局』?」
「あぁ? まさかお前、知らねえなんて言うんじゃねえだろうな?」
喧嘩腰で睨まれ、出そうとしていた言葉を丸呑みにした。とてもじゃないが、「ハイ」と言える雰囲気ではない。
とりなすように曖昧な笑みを浮かべつつ、極力無難な言葉を、脳内で検索する。
「あの……私、気絶したままここに運ばれて……それで、状況がよく分からないんです」
どぎまぎしながら口にした言葉に、男性はあっさりと納得してくれた。
「そーかそーか、そりゃ分からんわ。気の毒に。ここは泣く子も黙る挟間管理局の船の中だ。それも、第十三号船とくらぁ! 本当に、ついてなかったなあ……」
しみじみと同情してくれるあたり、見た目と違って、そう悪い人でもないらしい。
和音は少しでも「ここ」の情報が欲しかったので、適当にあいづちを打ち、話を繋げることにする。
「十三号船なんですか! うわあ、どうしよう……!!」
「お互い、運が悪かったとしか言えねえぜ。何でよりによって、俺が逮捕されなきゃならねえんだ? 同じことをしてる奴らは他にごまんといるってのに。ったく、ツイてねえ!」
「本当ですねえ」
うんうん、といかにも「それらしく」うなずきながら、頭の中では、得た情報を元に推理劇を展開する。
男の話しぶりからするとおそらく、「挟間管理局」なるものは、警察のような団体だ。名前からして、挟間を管理しているらしいことも分かる。
挟間を管理しているのだったら当然、『キョウカン』という場所について詳しいだろう。わけが分からないまま「ここ」に来てしまった自分にとっては、頼れる存在かもしれない。
いい加減和音は、自分が、いつも暮らしている世界とは違う場所に迷い込んでしまったことを、自覚していた。こうも立て続けに非現実的なことが起こると、逆にその事実は、すんなり胸に落ちるのだ。
――私は何も悪いことはしてないんだし、きちんと事情を話せば、きっといいように取り計らってくれるに違いない。警察みたいな組織なら、絶対に大丈夫だ。
自分自身に言い聞かせるようにして、不安な気持ちを落ち着かせる。一種の軽い自己暗示だ。こうでもしなければ、気に病み過ぎて潰れてしまう。
ガラガラ……ガシャン――
出し抜けに大きな音が響いた。金属のものを引き開けるような音。男がはっとしたように顔を上げ、通路の右側に視線を飛ばす。
乾いた靴音が近付いてきた。それはゆっくり、ゆっくり、規則的なリズムと共に接近する。影が伸びて、和音の房の前を動いていき、男の房を通り過ぎた足が、ピッタリと目の前で停止して―――
「目が覚めたようだね、BS」
現れた一人の男性が、そう、声をかけてきた。
牢屋の似合わない人だな、というのが第一印象だった。中肉中背で、茶色い髪にほんわりした翠の瞳。まるで敵意のない、にこにこした微笑みを向けられると、こっちは保育園の生徒か何かになったような気分である。青い軍服より、ひよこマークのエプロンのほうがマッチする男性だ。歳は、三十代前後か。
彼は沈黙する和音を前に、ふわりと目を細めた。
「初めまして、と言うべきかな。私はグラーデル・ハック。挟間管理局・第十三号船の、一応船長だよ」
ひっ、と息を呑んだのは、和音ではない。牢の中の男が反応したのだ。先刻の不遜な態度が打って変わり、奥に引っ込んで、出来るだけ男性――グラーデルから遠ざかろうとしている。その目には、明らかな「怯え」が見て取れた。
「君の名前を、教えてくれない?」
声をかけられ、視線をグラーデルに戻す。この人のどこが怯えるほど怖いか分からないので、問われるままに答えた。
「新羅和音です」
「歳は?」
「十九歳……」
「どの世界出身?」
ここで、ハタと我に返る。船長ということは、この人が全ての最高責任者で、つまるところ、自分の現状を訴えるべき相手ではないのか。
「あの! わ、私――『ここ』じゃないんですよ!」
「――?」
ぴく、とグラーデルの眉が動いた。
こうなったらヤケだ、と立ち上がると、一気にしゃべりまくる。
「図書館に行く途中だったんです、私。そうしたら道に迷っちゃって、どうしようかと歩いていたら、急に足もとがなくなって、落っこちて……。気がついたら、風の中にいました。途中、グライクとかいう乗り物に乗った人に会いましたが、わけの分からないこと言われた上に突き飛ばされて、もう踏んだり蹴ったりです。そのまま気を失い、目が覚めたらここにいたという訳なんですけれど、正直、何がなんだかさっぱり分かりません! ここ、どこなんですか? どうして私は捕まっているんですか? 元の場所に戻るには、どうしたらいいんでしょう?」
気の済むまでまくしたてて、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す。
グラーデルは何度か瞬いていたが……唐突に、哀しそうな表情をした。
「ずいぶん大変な目にあってきたようだね。それ自体は、とても気の毒だと思うよ。……でも」
はあ……と、やけに物憂げなため息をつく。
「漂流者のふりをすれば、容疑を免れることが出来る、ってことぐらい、私にも分かるんだよ?」
突然出てきた単語に、ぶっ飛んだ。
「『容疑』!? 何のことですか、それ!?」
「とてもありえそうな言い訳だよね。ちょっと苦しいけど、事例はたくさんあることだし」
「え、べ、別に、言い訳でも何でもないんですけれど?」
「――ああ、その言い方。実に自然だね。さすがはBSの仲間、か。……悲しいけれど」
「何の仲間ですって?」
「どうせなら、その演技力を有効に使うべく、役者にでもなればよかったのに。……君は、将来の選択を誤ってしまったんだ」
「演技なんかじゃありませんってば!」
嫌な汗が背中に浮かんで、つい声が上ずる。何やらこの男性、人の話を思い切り聞いていない。まるで初めっから、自分が嘘しか話してないと決めてかかっているような対応だ。
事あるごとに悲しげな顔を向け、嘆くばかりで、ちっとも取り合おうとしないなんて。
「――とにかく、ここから出してください! さっき話したとおり、私は牢屋に入れられるようなことは、何もしてません!」
たまらずに叫ぶと、一段とグラーデルの表情が悲壮感を増した。声が小さくなり、いっそ哀れむような視線をよこされる。
「BSの、仲間でも……?」
「びーえすなんて、知りませんっ」
だからどうして、ここで放送衛星が出てくるのか。それすら自分は分からないというのに、彼はまったく聞き入れてくれない。
泣きたくなりながらも、とにかく必死で無実だと言いつのる。ここで見捨てられては、見知らぬ場所に来てしまった自分には、もうどうすることも出来なくなってしまう。
賢明に食い下がっていると、彼は今までで一番深いため息をついた。
「君の努力は認めるよ。でも、動かぬ証拠があるんだよ。……残念だけど」
懐から何かを取り出した。ちゃらり、と微かな明かりを反射したそれを見て、和音は心底目を丸くする。
「私のペンダント!?」
トップに黒い星のついた、お気に入りのデザインだ。そういえば今、自分の首には下がってない。てっきり風にあおられたとき、どこかへいってしまったものとばかり思っていたのに。
和音の言葉を聴いたとたん、グラーデルは、死刑判決でも受けたみたいに、大げさな動作で目元を覆う。
「ああ。やはりこれは、君のなんだね。……人生とは、なんて無常なんだ……」
勝手にたそがれているが、こちとらぜんぜん釈然としない。憮然としていると、
「間賊の中でも、Sクラス級の犯罪人たるBS……。その仲間が、そろいの黒星を身につけていることぐらい、管理局は調査済みなんだよ。……悲しいことに」
と、この上なく痛々しそうに、こちらを見られてしまった。
…………BS………??
唖然としている和音に、グラーデルは近付いてくる。鉄格子越しに手を取り、ペンダントを優しく渡された。くるりときびすを返す。
「今はそっとしておいてあげるよ。トワイライト・ムーンの話は、また後でね。……出来れば、人生の矛盾について、よくよく考えて欲しいな……」
上着をなびかせて去る、その後姿を呆けて見送る。
入れ違いにやってきた茶髪の男が、ワゴンを押しつつ、パンとスープの載ったトレイを各房に入れていった。どうやらお昼時らしいが、その光景ももはや、目に入らない。
和音はふらふらと退き、へたりこんだ。
――つまり、あれですか。
ブラック・スターとかいう、黒星をシンボルにした悪人がいて。その仲間もみんな、このペンダントみたいな黒星を身に着けているから、自分もその一人だと。そう思われたわけですか。そうですか。
ペンダントに視線を落とす。ぎりりと握る。
黒い星のペンダント。たったそれだけのことで、牢屋入り。投獄決定。
叫ばずには、おれなかった。
「そんなの、ありーっ!?」