ACT.十八 発覚
『間賊たちに告ぐ! ただちに攻撃を停止しなさい。事態を平和的かつすみやかに解決するため、局は、各艦長との話し合いの場を提供したい……』
マイクに向かって話すグラーデルの横で、和音は両腕をきつく拘束されていた。
爆撃に次ぐ爆撃により、穴だらけになってしまった甲板が哀愁を誘う。飛び出た槍はいまだに帯電しているため、避けるようにしながら、他より一段高いデッキに上がった。時々流れ弾がそばを通過し、そのたびに、周囲を固める局員たちが応戦している。
通告を繰り返すうち、フェルマータの攻撃がピタリと止んだ。飛び交っていたグライクも速度を緩め、引き下がり、挟間船の眼前にゆっくり降りてきた本体を守るよう停止する。
「あっ」
思わず、和音は小さく声を上げていた。接近するフェルマータの頭頂部に、見慣れた小島がくっついている。間違いなくムウだ。直前まで争っていたフェルマータがここに来たので、よもやとは思ったが、どうやら予想通り共同戦線を張ったらしい。
ぶつかる直前まで近寄って、ふたつの船は動きを止めた。グラーデルがマイクを下ろすと同時に、フェルマータの一部が開き、まるで舌のように台がせり出してくる。上に立つのは、腰に手を当てるオレンジ髪の人物と、腕を組む金髪の人物。
一歩前に進み出てから、グラーデルはよく通る声で話した。
「応じていただき痛み入るよ。BS、そして、キャプテン・ザック・トリガー」
派手な格好をしているので、一人が黙であることはすぐ知れた。けれども、思わず瞬いてしまったのは、グラーデルが「トリガー」と呼んだ人物が目に入ったからである。
BSよりも高い背、凛とした立ち姿。眼光鋭く前をねめつけるあたりは威圧感たっぷりで、まさしく挟間最強の賊を束ねる船長に相応しいものの、その姿はどう見ても女の人としか思えない。
彼女はにこりともせず、グラーデルの視線を受け止めた。それから静かに目を閉じ、台を蹴って宙に踊る。不敵に笑う黙が後に続いた。
ダン、と二人は管理局船の甲板に下りる。立ち上がっても依然黙するトリガーにかわり、BSが、お得意のふざけた敬礼をしてみせた。
「噂の間賊、登場~ってね。――イイ娘にしてたかい、子リスちゃん?」
ニッコニコと、この上なくご機嫌で尋ねられたので、多少なりとも安堵しかけた和音の心は、秒速十メートルで反旗をひるがえした。
「それは、もちろん。誰かさんがいないので、とぉっても心穏やかに過ごせましたよ」
「それはナニより。確かにひょう君は、ああ見えてトラブル引き寄せるお茶目さんだからねェ」
「――俺じゃねっすよ! 和音が言ってんのはあからさまに所長のことじゃないすか!!」
ツッコミが、やけに遠くから聞こえた。遠巻きにこちらの状況を見守るグライク群の先頭、ひときわ目立つ黒いボディに乗った兵衛が、濡れ衣だとばかりに身体をじたじた揺する。それを近衛がなだめているのが見えた。
咳払いをして、グラーデルは注意を自分の方に引きつけた。
「まず、確認しておきたいことがある。君たちが局に対して攻撃を加えてきたのは、ここにいる少女を救出するためだと受け取って、いいのかな?」
違うと思いますよ、と、心の中でだけツッコミを入れる。
黙の目的は和音ではなく、その腕にくっついているT・Mだ。口にしたが最後、己の身が危険にさらされることは明白なので、あえて公言しようとは思わないものの、この期に及んで自分をBSの一味と勘違いしているあたり、本当にグラーデルの頭の構造を疑ってしまう。
黙としても、T・Mが和音の手元――もっと言うならば、グラーデルの背後一メートル以内にあると知られるわけにいかないのだろう。フッと笑い、
「間賊って人種はナ。社会の歯車である管理局より、よっぽど仲間に対する情があつい生き物なのよ。OK?」
と、小馬鹿にしたように手を閃かせる。真意を隠して相手の判断力を乱す、得意のおちょくり戦法だ。
グラーデルの目が細くなる。かと思えば、すぐ傍にいる者にしか聞こえない音量で、
「黒いグライクの動向に注意すること」
と指示を出し、真っ向からBSを見つめ返した。
「局は、その要求を呑むことは出来ない。……哀しいけれどね。誰であろうと、罪は償わなければいけないものだ。この子は引き渡せない」
「んん、別に問題ねェよ。アンタがそう言うだろうことは充分予測できたんでネ。だからこうやって、武力に訴えてでもダッカンしようと思ったわけ」
ぐりぐりと耳をほじりながらの言葉に、すっとグラーデルは声のトーンを落とした。
「ただし、取引は出来ると思うんだ」
「……ふぅん?」
「君が所持するT・Mを、管理局側に明け渡してもらいたい。……そうすれば、ここにいる子は解放してあげるよ」
へっ、と黙が失笑した。それは一見何でもない行動のようだが、何故か和音は、背筋が寒くなるのを覚えた。
どうしてだろう。くつくつと肩を揺らして笑うBSから、ただならぬ気配を感じる……?
「そんなにT・Mが欲しいかい。人ひとりの命と引き換えに出来ちゃうほど、T・Mってのは、偉大なモノだと思うのかい?」
くっとあごを上げて返された問いかけに、グラーデルは心底、不思議そうな表情になった。
「……驚いたな。T・Mを熟知しているはずの、君の口からそんな言葉が出るなんて。いまだかつて、挟間風を操る技術は発明されていない。それどころか現在の調査では、風を自在に使うことは不可能とまで認定されているんだ。……どれほど重要かは、言わずもがなだよ」
「そう、言わずもがなだ」
ニヤリと笑う黙の目に、これまで見たこともないような炎が踊る。
「世界の秩序を乱す力を持ったアブねェ物質なんかより、命の方がよっぽど重要ってことはな」
そうして、ぴく、と眉を上げるグラーデルに、真っ直ぐ指を突きつけた。
「結局のところ、アンタは生物の命をなんとも思っちゃいねェんだよ。どんなに偽善者ぶろうとも、どんなに世界のためを思っているフリをしようとも、管理局絶対主義の元で行ってきた間賊虐殺という、これまで選んだ選択肢は誤魔化せねェさ」
ざっ、と局員たちの間を怒りにも似たものが駆け抜けた。船長をばっさり斬り捨てたBSに対して、たちまち怒号と非難の声が吹き荒れる。中には完全に激昂している人もいるようで、和音は生きた心地がしなかったが、本人は馬の耳に念仏、何も気にせず不敵にたたずんでいる。
同じく周囲を歯牙にもかけず、トリガーが口を開いた。
「名ばかりの取引に甘んじるほど、我らが無知と思ったか。『娘を解放する』と約束したところで、『殺さぬ』と約束したわけではない……」
吐き捨てるように言う。
「取引に応じた瞬間、そこの娘が背後から貴様の毒牙にかかる様が目に浮かぶな」
くっ、……と。グラーデルが小さく、本当にかすかに呻いたのが聞こえた。そのことが和音の心を凍りつかせる。あてずっぽうでも何でもなく、トリガーの発言は的を得ていたのだと――悟ってしまう。
ここまで露骨に挑発され、グラーデルはいったいどういう行動に出るのか。答えはすぐさま明らかになった。振り返った彼の指示で、和音は前の方に押しやられ、心の準備もないまま頭に冷たい銃口をあてがわれてしまったのである。
「……私は世界のしもべだからね」
冷たい響きの声に、一気に船の上が静まり返った。
BSとトリガーを見下ろしながら、銃を構えるグラーデルの顔に表情はない。
「ひとりを救うのと引き換えに、全世界中が悲劇に見舞われるのだったら、そのひとりを犠牲にしてでも、他の人々を守らなければいけない。……哀しいけれど、それは仕方のないことだ」
「へいへい。こちとらハナから、アンタみたいな頑固者を説得する気はねェですぜ、っと」
ごく軽くぼやいて、それから黙は指を一本立てた。
「T・Mをアンタに渡せば、そこのお嬢さんは無傷でコッチに戻ってくる。……そういう内容の取引なら、考えないでもナイぜ」
あくまでケロリとして述べるから、グラーデルは、
「考える以前に、君は『そうしなければ』ならないんだよ」
と、さらに強く和音に銃を突きつける。
無機質な穴に頭を狙われるのは、ただの脅しと分かっていても、すこぶる恐ろしいものだった。まして銃を握っている人が人である。冷たい汗が噴き出して、勝手に膝が震えてしまう。
果たしてBSは、T・Mを所持しているのが和音である現状で、どうするつもりなのか。
注目を浴びる中、目を閉じる黙。片手を腰に当て、もう片方の手で、すっと自らのチョーカーを示してみせた。逆さになった、シンボルマークの黒星。
「――T・Mはここにある。ただし、コイツは俺から離れないんでネ。俺自身がソッチに行くから、交代で子リスちゃんを返してもらおうか」
真剣至極な真顔でついた、大嘘である。だが、これ以上説得力のある嘘はなかった。シンボルマークのチョーカーなら、BSは肌身離さず持ち歩くだろうし、実はそこにT・Mがあった、と言われても、納得するに足りる結末である。
ふむ、とグラーデルもうなずいた。
「やはり、それだったんだね。……手を頭の上に乗せて、ゆっくり前に出るんだ。同時にこの子は返してあげるから、無駄な抵抗はしないこと」
「しナイしナイ、いくら俺でも、人質がいる状況でそりゃナイわ」
肩をすくめて、言われたとおり頭上に手を乗せる。
和音は気が気ではなかった。先の読めない展開に、苦しいぐらい動悸が早い。じりじり前進する彼を思わず見ると、ちょうど視線がかみ合った。ヘラヘラしていた顔に、一瞬、独特の笑みが浮かぶ。
――俺は絶対アンタを助けてやる、誓ってイエスだ――
出会った直後に言われた台詞が、耳によみがえった。そうだ、あのときから彼は、何の策もなしに動くような人ではなかった。追い込まれるごと、奇抜な方法を披露し、何度もピンチを切り抜けたではないか。
自分は無力だから、だったらせめて、黙を信じる選択肢ぐらいは選ばないといけないのかもしれない。少なくとも聞き分けのない行動を取って、彼の策略をおじゃんにするようなことだけは、避けたいと思う。
グラーデルの指示で、両腕が自由になった。頭に押し付けられた銃口にうながされ、深呼吸ひとつ、そっと足を踏み出す。
一歩、一歩。和音が歩く分だけ黙も前に進むようだ。そしてまた、一歩………
肩をつかまれた。すごい力で後ろに引っ張られる。わっと倒れこんだのはグラーデルの腕の中で、そのままひっ捕らえた手首をまとめて、ぐいっとつるし上げられてしまった。
「やはり――そうか!」
息を止めるBSの前で、グラーデルは珍しく、勝ち誇ったように口を開いた。
「おかしいとは思っていたんだよ。BSがどうして、この少女ひとりのためだけに、何度も私と接触するような危険をおかすのか。長年の宿敵であった、フェルマータと協力までするなんて――。でも、今、仮説にしか過ぎなかった私の考えが、正しいことを知ったよ」
ぎ、と手に力を込められた。こちらのことなど一切気遣っていないパワーで、だ。和音は短い悲鳴を上げたが、次いで彼の口から発せられた言葉に、凍りつくことになる。
「この子がT・Mを持っているんだね。おそらくは、この、外そうとしても外せない読風機がそうなんだろう?」
黙は無言だった。雄弁な彼らしくないその態度が、何より答えになる。
「初めに彼女を捕らえたとき、読風機が外れないことは、身体検査ですぐに分かったよ。でも、どんな装置や魔法を使用しても、腕についているそれは読風機以外の反応を示さなかった。――今考えると当たり前だね。T・Mは未知の物質。現在のテクノロジーでは、捕捉すらも出来ないものなのだから」
そうして、改めて和音の腕のそれを見て、感心したように息を吐いた。陶然にも近い様子に、トリガーがチッと舌打ちする。
「豚は真珠の価値を知らんでいい。そもそもそれは、娘の腕から外れんのだぞ。どうするつもりだ、グラーデル・ハック」
「別に困ることはないよ」
トリガーを見下ろして、彼は、特に何も感じていないことが明らかな口調で言いきった。
「どんな魔法がかかっていようとも、腕そのものを落としてしまえば、外せないことはないんだからね」




