ACT.十三 選択肢
その日から数日間、和音はBSの本拠地で、つかの間の安寧に身をゆだねることが出来た。
気持ちが落ち着いてしまえば、「挟間」という未知の世界は興味を引いて止まない。山とある不思議なものを前に、従来旺盛な好奇心がジッとしていてくれるはずなく、兵衛を引っ張りまわしては、片っ端から質問攻めにしていった。
兵衛はどんな質問にも対応し、気さくに説明してくれる。挟間のこと、ムウのこと、間賊のこと、黙のこと――特に夜中に話してくれた、BS一味の武勇伝は面白いの一言に尽きた。
管理局との追いかけっこにまつわる悲喜劇。フェルマータとの因縁の数々。訪問先の世界でうっかり神々に呪われたり、歴史的な革命に参加してみたり、貴重な財宝を手に入れたり、直面した絶体絶命のピンチから、鮮やかな脱出をはかってみたり……。
多くの冒険譚等を聞くたび、和音はときに笑い、ときに呆れ、ときにハラハラしながら、異世界気分を存分に満喫した。
兵衛自身、本当は戦闘要員で、抜群の運動能力と武器センスを有するらしい。しかし、こうやって言葉を交わす分には、普通の明るい好青年としか思えなかった。
あくまで静かなのが、弟の近衛だ。一言もものをしゃべらずに、掃除・洗濯・料理・裁縫と、一手に引き受けた家事を坦々とこなしている。おそらく、旅館のひとつやふたつは簡単に任せられるほどの作業能率だろう。一般人の倍は散らかす黙と、万事大雑把な兵衛の後始末を、ここまで見事に出来るのは、まさしく彼を置いて他にいない。
和音はよく彼にくっついて、あれこれ家事の手伝いをした。衣食住、いずれもお世話になりっぱなしなので、ちょっとでもお返しをしようと思ったのだ。
家事スキルが中の下である自分の手伝いなど、本当に手伝いになっていたかどうかは怪しい。けれど近衛は嫌な顔ひとつせず、にこにこ優しい微笑を浮かべ、こちらの好きにさせてくれた。
相変わらず、緊張感のカケラもないのが黙である。ふらっとどこかへ行ったかと思えば、トランク一杯の硬貨や、高価そうな毛織物の絨毯、酒樽、絵画、時には頬にビンタの跡をひっさげて、ふらっとムウに戻ってくる。
そういうことをしている合間、思い出したようにT・M外しをためすのだ。到底真面目にやっていると思えない。「BSの総力を挙げて~」と、あんなにカッコイイことを言っていたというのに、事実上、外す手段を必死になって探しているのは部下の神村兄弟なのだから、和音でなくとも不信感は募ろうというもの。
だが――…………。
ムウの庭先に立って、和音は深呼吸をした。
甘い花の香が鼻腔に抜ける。近衛が手間暇かけて育てたらしい、野菜や花が綺麗に並んでいる庭は、家庭菜園に近しい小ぢんまりさだ。
このちょっとした畑と、山小屋風の建物が、浮き島『ムウ』のすべてである。ほのぼのとしたカントリー風のここを見て、間賊BSの隠れ家だと分かる人は、そうそういないに違いない。
和音の隣には黙が立っていた。こちらの左手首をT・Mごと握り、反対の腕をまっすぐ突き出して、指折りカウントをしている。
3……2……1……
ゼロ、で視界が歪んだ。強制的に発生させた暗流は、二人を飲み込み、別世界へ案内する。
気がつくと、周囲には異国情緒あふれる町並みが広がっていた。建物は土で出来ていて、空に浮かぶふたつの太陽がまぶしく照り付ける。生い茂る草木も、行きかう人の格好も、いかにも「南国」といった雰囲気だ。
露天市なのだろう。ずらり目の前に品物を並べた、茶緑色の肌に触覚らしいものを生やした人(?)が、あちこちでさかんに声を張り上げて、道行く人を捕まえようとしている。
和音と黙の出現に、誰も動じていないところを見ると、ここでは挟間が認知されているようだ。土産をすすめてくる商人を軽くあしらって、黙が妙にいかめしい声を出す。
「――わかったかね?」
吸気を吐き出しざま、和音は首を振った。
「全然……」
「あラ。今のは結構分かりやすかったぜ? スピードが遅かったし、風谷はハッキリしていたし、何より、俺の三つ編み十本集めたよりもふっとい流れだったからナ」
「うーんん??」
解説されたところで、頭を抱えるしかない。まったく、さっぱり、てんで分からなかった。せっかく彼にカウントしてもらったというのに、チラとも本流の気配を感じなかったのだ。ああ、風が吹いているなあ……と思ったぐらいである。
首の運動をしながら、黙は言う。
「ま、本日の旅行はこんなモンで終わらせとこう。さすがに二度もぶっ倒れたくはナイんでね」
そこで再びT・Mを使用し、ムウに戻ってくる。
「はーー……」
肺が空っぽになる思いで、庭へ通ずる階段に座り込むと、BSも隣に腰を下ろす。ことさら落ち込む和音を知ってか知らずか、
「この君、ひょう君にだって『風読み』は出来ねェよ。挟間に来て間もないアンタが、T・Mを使えないのは、当然であって恥じゃナイ」
実にあっけらかんとしたものだ。それは正論なのかもしれないが、今の和音にしてみれば皮肉を言われたも同然で、さらにどよーんとしながらつぶやく。
「…………グライクにも乗れませんでした」
さすがに、これには失笑された。
「ありゃあ恥かもしれんな。やー、グライクにあんな動きが出来るとは、知らなかったワ」
「私もです」
唇を尖らせながら、この間の出来事を思い出した。
せっかく挟間にいるんだから、ということで、和音はヒマを見つけて兵衛にグライクの操縦を教わったのだ。免許は不要だし、種類によれば十歳程度でもあつかえる乗り物だという。いくら運動・機械オンチの自分といえど、きちんと学べば大丈夫だろう――そう、思ったのだが。
結果は惨憺たるものだった。和音と、同乗していた兵衛の悲鳴が周辺に響き、見ていた黙が涙を流して笑い転げ、青ざめた近衛がひとりオロオロしている図、を想像してみて欲しい。
光景的には喜劇だが、乗っている本人達にしてみれば、地獄の三丁目を見たも同然。おまけに練習が終わってみれば、グライクに乗りなれているはずの兵衛が、船酔いならぬグライク酔いを起こして、しばし再起不能に陥ったのである。
和音の運転技術は、推して知るべし。「ある意味才能」と黙に評されても、素直に喜べないどころか、なぐさめにすらなっていない。
――そんな自分が、今、T・Mを操ろうとしている。
双子に引きとめられるまでもない。どれだけ無謀な挑戦かは、自分が一番分かっている。
現段階で、T・Mを意のままに使いこなせているのは、BSこと黙佐内ただ一人だという。兵衛の話が本当なら、過去、T・Mを使って挟間風を操ることに成功した人も、彼を置いて他にいないらしい。
いったいどれほど壮大な魔法を使ったら、そんなスゴイ代物を、こんな鈍い人間があつかえるようになるというのだろう。はっきりいって、身ひとつで太平洋を泳ぎきろうと目論むより、荒唐無稽な願望だ。
そして――だからこそ、和音は諦め切れなかった。
冒険物語の定石だろう。異世界へ連れて行かれた主人公は、そこで、思いもよらない才能を発揮する。天性の戦闘センスだとか、不思議な潜在能力だとか。実は異世界の生まれ、や、伝説の英雄の血を引いていた、などというのもありだ。
別に、和音はファンタジックな夢見る乙女ではないので、本気でそういうことを思っているわけではない。ただ――せっかく、今まで知らなかった未知の世界に迷い込んだのだ。そこで何か新しい自分の一面を見つけたいと思うのは、ごく自然なことではないのか。特に、これまで何の取り得もなかった、自分のような人間にとっては。
夢は、ただの夢。
期待は、ただの期待。
どちらもそれ以上のものになり得ないから、きっと、今でも多くの人が追い求めて、ために苦しんでいるのだろう。
「どこまでいっても、『私』は『私』かぁ……」
ポツリ漏らした独り言は、我ながら無常感にあふれていた。
うん? と、黙がこちらをななめに見やる。
「ちょっとガッカリしただけです。たとえ世界が変わったとしても、それで自分が生まれ変われるわけじゃないんだな――って」
「万物様々、多種多様。ヒトはヒトとていつ何時も、同一個体は存在しない。変われるか変われないかは、そりゃ、そのヒトによるだろうさ」
「……だったら、きっと私は『変われない』ヒトの方です」
膝小僧を抱え、その上に軽くあごを乗せる。ムウにいる限り、周囲で吹き荒れる挟間風は、穏やかさを留めるようだった。前髪を撫でるそれは優しく、ふわふわした感触が心地いい。
珍しいことに、黙は余計な口を挟まなかった。薄く目を閉じ、腕を背後の階段に乗せ、ふうん、とも、ほう、とも取れぬあいづちを打つ。
ずっと胸にわだかまっていた何かが、静かに言葉として出てくるのを感じた。
「誰も――私の世界では誰も知らない場所にやってきて。最初はちらっと思ったんです。『変われるかも知れない』って。ここでなら、自分も知らない自分の一面を、見つけることが出来るかもしれないって」
何もかもが「普通」だった自分に訪れた、「普通じゃない」事態。
少しはさえない自分から脱却して、生まれ変われるかと思ったのに。
「……現実って厳しいですよね。物語みたいに、上手くいくわけじゃない」
ドジで、運動オンチなのは相変わらず。恐ろしいことがあれば怖くて仕方ないし、ちょっとしたことですぐパニックに陥ってしまう。勘が働くわけでもなし、特別な力を持っているわけでもなし、チャレンジしようと決意したところで、T・Mを使いこなせるわけでもない。
何も出来ない、自分がいる。
勇気と知恵を持って、いかなる困難にもめげることなく立ち向かう、冒険小説の主人公達。彼らはもともと、それなりの力を有している人たちだから、自分自身の手で未来を切り開くことが出来ている。
けれど。もともとそれなりの力を持っていない人間だって、いるのだ。
どんなに頑張っても、努力だけでは補えない部分が、あるのだ。
そういう人種が怒涛の運命に巻き込まれてしまうことだって――何が起こるか分からない世の中――あるのである。
「どうして私みたいな人間が、こんなところに来ちゃったのかな……」
よりによって、ここまで冒険に向いていない人間に、こんな運命を与えることはないだろう。運命の女神様は、とことん、和音に優しくないらしい。
沈み込んだ感情を抱いていると、
「アンタ、選択肢を見た事がねェだろ」
突然、黙がピシリとした口調でそんなことを言い出した。強い語気は、とがめるようでもあったが、同時に檄を飛ばすようでもあった。
相手の意図を把握しそこね、和音は首をめぐらせる。
「選択肢……?」
「この世はすべて選択肢で出来ている。いかなる事物、いかなる事象にも選択肢は存在する」
「……すいません、意味が分かりません」
「顔を上げてみろ。――アンタの目の前には、何がある?」
促されたので、上げてみる。見えるのは、そよ風に揺れる菜園と、その向こうを流れる緑色の風だけだ。
「………風?」
とりあえず口にしてみると、黙はゆっくりうなずいた。
「挟間っちゅうトコロは、この世でもっとも『選択肢』の重要性に気付かせてくれる場所でな。どの風を『選ぶ』のかが、とてつもなく大切な意味を秘めている」
今言われたことは、何となく分かる気がした。うっかり変な風を選ぼうものなら、変な世界へと行ってしまう。文字通り安易な「選択」が、後々大変な結果を引き起こすのだ。場合によっては命に関わることもあるだろう。
この場所は、「選択肢」で出来ているといっても、過言ではない。
「人生だって同じよ。どんな選択肢を選ぶのかが、もっとも重要となってくる。生活……性格……未来……すべては、選択肢が決定する。ナニを選んだかで、そのヒトが決まる。――言ってること、お分かりかな?」
「え――ええと……その、『選択肢』ってのがよく分からないんですけれど……」
「ナニ、難しいことじゃない。アンタだってすでに、数え切れないほど選んでるじゃねェか」
ニヤ、と笑って、顔を指差された。
「例えば、どうして今、アンタはここにいる?」
「……へ?」
「なァ、どうしてだ?」
「ど――どうして、と言われても」
「答えはひとつ。俺との取引に応じたからだ。T・Mが外れるまでここにいてくれ、という申し出に、イエスと答えたろ? アンタは『ここに滞在する』という選択肢を選んだのよ。だから今、俺の目の前にいる。違うか?」
「……違いません」
何に対してか、黙はウンウンと首を縦に振る。
「断るコトだって出来たんだぜ。外れるまでといわず、とにかく今すぐ返してくれ、と訴えるコトも出来ただろう。そもそも俺の言葉自体を信じず、隙をみてサッサとここから逃げ出すことだって可能だった。あるいは管理局に通報するとか、俺の寝首を掻くとか、ナ。どれもこれもアンタの目の前に存在し、そして、消えていった選択肢だ」
「…………」
おもむろにBSは、ポケットから出したコインをもてあそび始める。くるくる、くるくる。弾きあげてはつかみ、また弾く。金で出来たそれは、挟間風を受けて小さくきらめいた。
「選んだ選択肢は次の選択肢を呼び、そうして世界は構成されていく。俺との取引に応じた時点で、今後のお前さんの運命は、ある程度決まっちまったことになる。
早い話がヒトの人生とは、選び取った選択肢が連なったモノ、そのヒトがいかなる選択をしてきたかのあらわれだ。その事実に―――アンタはまるで気付いちゃいねェ」
ここで、彼はぐっと身を乗り出し、顔を近づけた。
「選んだ自覚のない選択肢ばかりで出来上がった人生に、自信なんて持てると思うか?」
「!」
鋭く息を呑めば、男は会心の笑みを見せる。
「選択肢を見た事がない、イコール、己の人生の足跡が見えない。後ろ振り返っても、歩んできた道、選び取ってきた選択肢が見えナイんじゃー、自分がどう生きてきたかすらハッキリ自覚出来ねェだろ。そりゃ、『自分』という存在が見えないのと一緒だぜ?」
きら。きら。きら。弾きあげるコインがまわる。
光を目にしながら、和音は口を閉ざして言われたことを反芻した。
――自分が、どんな選択をしたか?
自覚なんて、したことない。殊更に意識した経験などなかった。ただ何となく、その場の判断で選び取っていたように思う。黙との取引だって、そりゃあちょっとは真面目に考えたものの、別の選択肢を想定する、なんてことはしなかった。
選んだ自覚のない選択肢。見えない人生の足跡。結果、どのように生きてきたか分からない……「新羅和音」という人間。
そうか、と胸にストンと落ちるものがあった。
挟間に来てからずっと感じていた、何も出来ない自分に対する不甲斐なさ。
――運命が嫌だったわけではない。鈍い自分が嫌だったわけではない。
本当に嫌だったのは、落ち込んでばかりいて、ありのままの自分を認めることが出来ない、自分の人としてのうつわの狭さだったのだ。「私」に自信が持てない私、それが何より嫌でたまらなかったのだ。
この自信のなさが、自分がどんな人生を選び取ってきたか、まったく意識せずに過ごし自己を見失っているせいなのだとしたら――彼のいう「選択肢」を、ちょっとでも考えるようにすれば、少しは改善されるのだろうか。
無言で横を見ると、一瞬だけ、黙はびっくりするほど優しい眼差しになった。
「変われるヤツがいるように、変われないヤツもいるだろう。だが、選択肢を選べねェヤツはいない。――それを忘れんことだな」
そしてまた、チィン、と高く弾き上げ、空中でコインをキャッチする。
和音の目は何となく、浮かび上がっては落ちる金属片の動きを追った。それから、両手で膝を抱えなおし、半分ぐらい顔をうずめると、そろりと率直な感想を口にする。
「もしかして、黙さんっていい人ですか?」
今の話は、明らかに和音へのアドバイスだ。ぶしつけ承知でも聞かずにいられなかったのだが、当人はのらりと肩をすくめる。
「俺をイイ人と思うか、思わナイか、それもアンタの選択肢だな。さて、どちらを選ぶンだい?」
真面目な雰囲気が一転、にやにやした笑みに、半瞬口を閉ざす。
とびきりの妙案を思いついた。逆に、にやっと笑い返してやる。
「『いつだって道はひとつと限らナイ』んでしょう? ――時と場合による、という選択もありですよね」
「……あラま。こいつはお見事」
あんまり大げさに目を見張るものだから、つい、ぷっと吹き出してしまった。向こうも向こうでくつくつと肩を揺らし、不意に、いじくりまわしていたコインを目の前に掲げる。
イタズラを思いついたような、子供然とした表情だ。
「だがな。人は時として無数に存在する道をみずから閉ざし、二者択一のスリルを楽しむこともある」
コインには、片側に星のマーク、もう片側には文字のようなものが描かれていた。差し出されたので受け取ってみると、ずっしり重い。ひょっとしなくとも、純金の金貨なのだろう。
「二者択一ってことは、あれですよね。表が出るか、裏が出るか……」
「イエス。――表の星が出たら、俺の勝ち。裏の文字が出たら、アンタの勝ちってことで、ヒト勝負してみようか」
「……別に構いませんけれど、何の勝負ですか?」
「そうだねェ」
BSは目を細める。首をひねって、そうしてポンと膝を叩いた。
「負けたほうがトイレ掃除」
和音が小屋に入ると、ばったり兵衛と出くわした。
「お、和音! いいニュースだ。ついさっき、お前の出身世界が割り出されたぜ」
「え、本当ですか!?」
「マジだって。これから、今現在挟間のどこを、その世界へと通ずる本流が流れているのか調べに行く。よかったな、もうすぐ帰れるぞ?」
「はい!! ――ありがとうございます、ひょうさん!」
「なーんのなんの。礼なら近衛に言ってやれよ。頭脳労働はあいつにまかせっきりで、俺は何もしてねーからさ」
こだわることなく明るく笑って、ふと、部屋の中を見回す。
「そういや、所長どこ?」
和音は横を指差した。
「あっちでトイレ掃除してます」