ACT.十二 未来への示唆
「んー、まァ、外れナイだろうねえ」
ずび……と、まったく平気な顔で、黙が蕎麦茶をすする。
和音と兵衛はそろって叫んでいた。
「ねえ、じゃないですよ!」
「ねえ、じゃないっすよ!」
「――あラ、ナニ? 俺がぶっ倒れている間に、ずいぶん仲良くなったみたいだな」
わざとらしく瞠目する様に、息巻かずにはおれなかった。
「したくもなりますよ。誰かさんが、いーかげん過ぎますからね!」
十数時間も昏倒していたくせに、まったく後遺症を見せず、のん気に逆さ黒星を描いたケチャップオムライスをほおばる姿を見ては、心配したのが馬鹿らしくなるというものだ。
「いったい、何がどうなっているんすか、所長?」
あきれ半分で兵衛が訊いた。隣に座っている近衛も、ウンウンうなずいて同意を示す。
「なァに、いつだって真相はひとつさ」
彼はひょいと肩をすくめる。
「T・Mに魔法をかけたヤツがいたんだよ。一度腕にはめたら、二度と外れなくなる魔法を、ナ」
「あの、話が見えねーんすけど?」
「ンじゃ、見えるようにしてやるよ。キーワードは、『トリガー』だ」
黙がそう言ったとたん、双子の表情が急変した。近衛はうつむいて、しみじみとため息をつき、兵衛は「またか」と言わんばかりに天井を仰ぐ。それから、
「トリガーってのは、フェルマータの船長な」
と、事情を知らぬ和音に向かって注釈を入れてくれた。
後で聞いた話だが、トリガーと黙は、長年争ってきた因縁の関係にあるらしい。
片や神出鬼没の怪傑、BS。片や間賊最強の船・フェルマータを率いる、トリガー。決してライバルとか好敵手といった、カッコイイ間柄ではない。あえて言うならば腐れ縁だ。対決したことは数知れず、しかも、大体において黙が小狡い手を使って勝ち逃げしてしまうので、向こうは彼を眼の敵にしているそうな。
そうして、時には黙が勝負に負けることもあるわけで……。
「俺は全知全能の神じゃナイ。ツキに見放されちまうことだってあるさ」
悪びれることない彼に代わって、兵衛がセリフを翻訳した。
「要するに、ウチの所長は、トリガー船長との賭けに負けたってこと。――よく生きて帰れましたね。身包みはがれなかったっすか?」
「対価はたったひとつだったな」
「ははあ。つまりはそれが、T・Mだったってことっすね」
二人の会話を聞きながら、和音にもなんとなく実態がつかめてきた。
黙とトリガーが賭けをして、黙が負けてしまう。そのツケとして、T・Mを奪われたのだ。おそらく、T・Mに魔法をかけたのもその船長だろう。T・Mは誰もが欲しがっていたと言うし、外れない魔法がかかっていれば、二度と他者の手に渡ることはないという寸法だ。
「よりによって、T・M賭けるとは……」
双子もさすがに言葉がないようだ。もちろん黙は意に介さない。
「大丈夫だっての。どうせ後々、フェルマータに忍び込んで、盗み返すつもりだったんだから。そうすりゃ俺が損をすることなんてナイだろ?」
……和音はこめかみをもんだ。それでは、ハナから勝負など成立していない。どうやらこの人の中に、誠意とか真心といった言葉は、存在しないらしかった。
BSは意味深な笑みを浮かべて、こちらに視線をよこす。
「で、見事T・Mを盗み返した帰り、空中遊泳を楽しむ子リスちゃんに出会ったってワケよ」
絶句する。初めて会ったとき、彼は一仕事終えた後だったのだ。そういえば当時、どことなく落ち着かない様子だったような。
「ひょっとしなくても、フェルマータに追跡されていたんですね?」
「まったく然り。せっかく盗み返したのに、まーたアイツに奪われちまうなんてまっぴらだったからサ。アンタに会ったのも何かの縁、そういうわけで、T・Mをあずけ、隠れ蓑にさせていただいたのよ」
「む――無茶苦茶な……」
あまりの話に眩暈がする。どうりで、初対面なのにアレコレ世話を焼いてくれたはずだ。つまるところ黙は、自分にT・Mを隠すのが目的だったのだから。
「ここは挟間で、和音は漂流者っすよ? 二度と会えなくなっても不思議じゃないってのに、なんだってそんな危険なこと……」
「問題ない、ない。すぐ近くに管理局船がいたのは分かってたし、黒星ペンダントをしていたお嬢さんなら、確実にとっ捕まるナと予想できたのよ。いったん牢屋に入れられちゃったら、あそこ以上に安全な場所はナイだろ? あと、かえって何にも知らんほうが、俺やT・Mのことを通告される心配はない」
に、と笑う顔を見て、心底思う。
――やっぱり、この男、根っからの悪人だ!
「それにしたって、十三号船のグラーデル船長相手に、よーやりますわ」
「最高だろ? ついでに情報収集も出来たし、まさに一石二鳥だったのよ。そうして隙を見て彼女とコンタクトを取り、T・Mだけいただいて帰ろうと思ってたんだが――どっこい」
くつくつと笑う。感覚的に自分のことを話す気だと察し、和音はむっとした。
「やってくれた、の一言に尽きるな。あそこで脱獄するとは、さすがのBSも予想だにしなかったよ、お嬢さん」
おどけた敬礼をされた。さらに、双子まで目を丸くしてこちらを見る。
「脱獄ぅ!? ひゃ~、そりゃスゲえ。グラーデルの面目丸つぶれだな!」
感嘆した兵衛のセリフに、和音はグラーデルの顔を思い浮かべる。
フェルマータに攻撃され、BSにからかわれ、自分にまで逃げられるとは、まさしく踏んだり蹴ったりというやつだ。逃げておいてなんだが、ちょっと、もとい、かなり気の毒である。今頃普段よりさらに激しく「悲しい」を連発しているのかもしれない。
「本当はT・Mを返してもらったら、サッサとお別れするつもりだったのよ。なのに、スろうとしても無理、アンタの手首から外れナイときたモンだ。しょーがないから、こうやってアジトまでお持ち帰りしたってワケ。OK?」
「……どうせそんなことだろうと思いましたよ」
次々と謎が解け、納得すると同時に、ひどい疲れを感じてしまう。
結局自分は、黒星のペンダントと、黙によこされた外れぬT・Mに、振り回されたに過ぎないのだ。暗流に飲み込まれたこと、黙に会ったこと、その全てが偶然の出来事である。
たまたまづくしで、ここまで来てしまった。そう考えると、なにやら虚しい気持ちがする。
「偶然は、選ぶ道により導き出される決定された未来」
突然、黙が意味不明なことを口にした。
びっくりするこちらの心を、見透かしたような表情で、ずず……と茶をすすっている。
「人生は選ぶことにより作り上げられる。偶然とはいえ、そこにいたるまでの人生を選び取っていなければ、それは起こり得ない」
こそっ、と兵衛が耳打ちしてきた。
「――こういう謎の言動、所長にしたら毎度のことだから。適当に聞き流していいよ」
ささやくや否や、
「あ、手が滑った」
と、黙の手から何かが飛んだ。白い湯気を上げる、あっつあつの湯飲み茶碗――。
「ぎゃー!!」
必死の形相で、兵衛はそれをキャッチした。かわさずに、しかも一滴もこぼさず受け止めるとはすごい。ただ、相当熱かったようで、「あちゃ、あちゃ!」と大騒ぎしている。
「何するんすか、所長っ!」
茶碗をテーブルに置いての抗議に、棒読みの返事がよこされる。
「いやあ、スマンすまん。手が滑ってしまったのだよ、大丈夫だったかね?」
「思いっきり投げてたじゃないっすか……」
げんなりする兵衛の言葉は、犯人には届いてないらしい。あさっての方向を向いて、口笛でも吹きかねない様子に、和音はあきれ返ってしまった。
いい大人のくせをして、子どもっぽいことこの上ない。さっき小難しいことを言っていた人と同一人物とは、信じられないくらいだ。
席を立った近衛が、袋に入った氷を持って戻ってくる。双子が火傷の手当てをしているあいだ、さて、と黙は椅子に深くもたれかかった。
「そろそろ取引といこうか、和音君」
面食らう和音に、彼は順を追って話し始めた。
「アンタの左手首にくっついてるモンのことさ。ハッキリ言って、俺はそいつの外し方を知らねェ。出来る限りの努力はするが、一生外れナイ可能性だって出てくる。そうなると、アンタは困るだろうし、何よりコッチが大打撃だ。――ま、間賊の俺が選ぶ道は限られるンだけどな。嫌がろうが何だろうが、力ずくでもアンタを仲間にし、一生俺の傍で働いてもらうのみよ」
レモンイエローの瞳が光り、和音は思わず身を硬くした。
それを見て、氷を手のひらに当てた兵衛が、やれやれと首を振る。
「駄目っすよ、脅かしちゃあ。大体、所長にそんなこと出来るわけねーんすから。この場合」
この場合――ということは、他の場合ならやってのけるということだろう。重ね重ね、彼らはれっきとした賊なのだ。
黙が、急にしみじみした声を出して、天井を見上げた。
「ひょう君の言うとーり。こう見えても、自分の取った行動だけは、放任しない主義なんでね。色々あったが、アンタの手からT・Mが外れなくなっちまったのは、俺の失態だ。負い目があっちゃさすがに強硬手段は取れねェモンなあ」
「それが当たり前――ってツッコミは、無意味なんでしょうね。きっと」
「なにせ、間賊だ。……でも、主義は曲げん。だからそのへんを考慮して、取引しようってんだ。OK?」
「……OK」
和音はしっかりと同意した。見た目と前科と性格はともかく、今現在彼が述べたことは、ちゃんと筋が通っている。信頼に足る言葉と思えた。
「まずは今後について。早急にすべきなのは、T・M外しの方法を探ることだ。BSの総力を挙げてサーチするンで、その間、アンタにはムウに滞在してもらうぜ」
「お願いします」
賊のアジトに寝泊りする、と考えると、やや身の危険を感じるが、相手が彼らなら問題ないだろう。双子はとてもいい人たちのようだし、こんな不真面目男になら負けない自信がある。
「ひとつ手を打てば、次なる選択肢が出現するのが、世界のコトワリってヤツだ。未来はふたつ。T・Mが外れた場合と、外れなかった場合にしぼられる」
指を一本ずつ立てる。
「まずはT・Mが外れた場合。……こりゃ単純だな。俺の手元にソレが戻って万々歳。アンタの望みは――」
「元の世界に戻ること」
「――だと思った。本来ならタダ働きなんてしねェんだが、ま、今回だけは無料サービスにてご奉仕させていただきますヨ」
「ありがとうございます。……次が、問題ですよね。もし私の手から、これが外れなかった場合は……」
手首に視線を落とす。ぴたっとくっついたそれは、外れるそぶりひとつ見せなかった。こんな小さなものが自分の運命を大きく変えるなんて、本当に、夢みたいな現実の話である。
「万が一、どんな方法を試しても無駄だった場合、黙さんたちはどうするんです?」
ためしに尋ねると、彼らは顔を見合わせた。言葉はなく、ただ、「仕方ない」といった空気とともに肩を――これは黙の癖なのだろう――すくめる。
「……諦めるだろうナ」
予想もしなかった言葉に、息を呑んだ。
「諦めちゃうんですか?」
「だって、しゃーないモン。アンタは自分の世界に帰っちまうだろ?」
「それは――まあ――」
「俺らは間賊だ。挟間に骨をうずめるのがサダメってもの。お嬢さんを追っかけて、別の世界に行くわけにもいかねェのよ。ま、バカやったのは俺だし、これも自業自得さね」
あっさり過ぎる淡白な言い方が、かえってこの場にそぐわない。
挟間にそう詳しくない和音でも、T・Mという存在のすごさはヒシヒシと感じている。世界でたった一つだけしかないものを手放すなんて、とてつもなく口惜しいことだろうに、それでも主義を曲げることはないというのか。
ぽとり、と、胸に思考の雫が落ちる。
……仮にT・Mが外れなかった場合、自分がこの挟間にずっと留まるというのは……?
冷静な部分で、非現実的な望みだとは思う。家族、友人、平和な生活、それを捨ててまでここで生きるメリットなど、どこにもない。挟間の危険さは身に染みて分かったし、ドンくささに定評のある者が生きてゆけるほど甘くないだろう。お笑い種もいいところだ。
新羅和音にとって最良の選択肢は、T・Mが外れようが外れまいが構わずに、元の世界に「帰る」ことなのだ。
……分かっているはずなのに、どうしてか一抹のもどかしさを覚える。帰ってしまっていいのか、と、自身を引きとめる声が聞こえる。こんな不思議な世界を知っておきながら、何をするでもなく常識の世界に帰っていいのかと、もうひとりの自分が訴えている気がするのだ。
黙りこんだ和音を見て、黙は飛び跳ねた自分の前髪を弾き、ごく軽い口調で言った。
「悪考、悪因悪果を呼ぶ。行動せにゃ選択肢は出てこない。――そういうワケだ、グダグダ考えるのは、結果が出てからにしようじゃねェか」