ACT.十 小遁走曲異端帳(しょうフーガいたんちょう)
むっとした熱気が立ち込めるジャングルの中。水田が広がる、弥生の集落。不思議と息のできる海の中から、しゃべる蝶の飛ぶお花畑へ。
二人はすさまじいスピードで、様々な世界を飛び回っていた。次から次へと現れては消える世界に、ただただ、和音は圧倒されるばかりである。
巨大昆虫の世界では、ゾウほどもあるクワガタに追い回された。ゲームによくありそうなファンタジックな世界では、とあるパーティーが魔法を駆使してモンスターと戦っていた。地底都市で地底人達の祭りに遭遇したあとは、夢のような未来都市で、ロボット警官に不審人物扱いされては、ちょっとした捕り物長が勃発した。
あらゆるものが宝石で出来ている世界。言葉が全て現実となる世界。戦乱に継ぐ戦乱で荒れた世界、何も無い世界、ドラゴン達の世界……。
時間があれば、もっとじっくり各世界を見物したかった。ちらっと見ただけでもう違う世界へ飛ばねばならないのは、非常に惜しく感じられる。おいしそうなフルコース料理が、怒涛のように目の前を通り過ぎてゆく様を、ただ椅子に座って眺めているようなものだ。
だから、最終的にたどり着いた世界が、ひどく現代日本に似ていたのには、少々がっかりしてしまった。どうせ休憩を取るのだったら、もう少しこう、珍しい世界だとよかったのに。
ビルが連立した、どこにでもありそうな繁華街。ひしめきあっている看板に、見たこともない文字が躍っているのだけは、さすが別世界という感じだが、それ以外はまったく日本の東京そっくりで、行き交う車も普通の形をしているし、青々した街路樹も普通である。お昼時らしく、人の姿はまばらだが、彼らだって、スーツを着ていたりジーンズをはいていたり、ごくごく見慣れた格好で……
「!!!」
絶叫しかけた口を、何とか手で覆う。そのままふらふら後退し、ガードレールにしがみついた。大きく深呼吸して、もう一度人々に目を走らせる。
ここが日本と似ている、だなんて。どうして思ったんだろう。
道行く人が、誰も彼も三つ目なのに!
「なァに青い顔してるんだい、お嬢さん? 大丈夫、ここは挟間の存在を認知している世界だ。堂々としていて差し支えナイぜ」
ガードレールへ腰掛けた黙に、ぽんと背中を叩かれる。額の汗をぬぐっているところを見ると、さすがに少々疲れたらしい。
「とりあえず、追っ手はコレでまけただろうから、しばし休憩だな。ほとぼりがさめたら、また挟間へもどりゃイイ」
ふう、と自分の前髪を吹き上げている。
そんな彼を盗み見、和音は胸の中で、しきりに首をひねっていた。
どうもおかしい。あれこれ説明してくれたり、助けてくれたり、親身になって世話をしてくれる、彼の真意は何なのだろうか。洞窟ではお茶を濁されてしまったので、まだその理由を聞いていない。今のところ、ギリギリで極悪人とは思えなかったが、得体の知れない点は素晴らしく気になるではないか。
気になる、といえばもうひとつ。なぜか黙は、世界を移動するときになると、決まって自分の左手首をつかむのだ。それも、彼にもらった読風機ごと。バンドが金属製なので、肌に食い込んでしまい少々痛い。
きっと跡がついてしまっているんだろうなと思いつつ、それを触ってみると、指先が実に妙な現象を感じ取った。
――外れない。
のりでも使ったように、バンドがぴったり、肌に張り付いている。引っ張ろうが振り回そうがビクともしない。驚いて無理やり引き剥がそうとすると、肌そのものまで持っていかれる密着ぶりだ。
助けを求めて、黙を見る。しかし彼の視線は、和音ではない、空中のある一点に釘付けになっていた。
「うっそォ……」
珍しく本気で驚いたような声。それもそのはず、街中に忽然と現れたのは、あのグラーデル率いる挟間管理局・第十三号船に他ならない。
いきなり出現した船に、街の人たちは騒然となったが、むろん、もっと仰天したのは和音たちである。いち早く反応した黙に腕をひったくられ、手近な路地へと、風のように逃げ込んだ。
「『どうしてここが分かったんでしょう、黙さん!?』」
「気持ち悪いですから、私の口真似はやめてくださいッ!」
「仕方ないでしょー。不思議なモンは不思議なんだから」
「あなたって人は、もう少しまともに驚けないんですか!?」
漫才のような掛け合いをしつつ、薄暗い道を疾走する。ゴミやダンボールを蹴散らし、三つ目の猫を追い出し、出会う人々を突き飛ばしてまで、二人は走りに走った。
「すいません、ごめんなさい、ごめんなさい!」
誰かにぶつかるたび、いちいち謝らずにはいられないのが和音の性格だが、ふっと空を見上げて、そんな余裕は消し飛んだ。
まるで惑わされることなく、追跡してくる挟間船のシルエット。仕組みは分からないが、挟間風がなくとも空に浮けるらしい。日光をさえぎり、覆いかぶさるように、ビルとビルの間から姿をのぞかせている。
ダラララララッと軽快な音がして、足のすぐ横の砂利が跳ねた。
短く叫んで身をすくめ、半泣きで抗議する。
「こ、こんな街中で撃つなんて、正気!?」
「麻酔弾だから、ハデにやれるのさ。――来い!」
先を行く黙が叫びざま、手近な店のドアを蹴破った。器物損壊! と心中引きつりながら後に続くと、そこは陰気臭いバーで、昼間から酒を飲みに来ていた客や、ウェイターが、何事かとこちらを見る。三つ目の人にいっせいに視線をよこされるのは、正直、あまり気分のいいものではない。
ダダダダ、と再び着弾があった。店の入り口を狙ったらしく、チュイーン、チュイーン、と跳弾が内装を傷つける。
「…………!!」
客やウェイターが、口々に悲鳴を上げた。瞬時に店内は混乱状態となり、我先にと裏口から逃げ出していく。完璧に自分達は危険人物扱いだ。元の世界の知り合いには見られたくない姿である。
「――って、何してるんですか黙さん!」
いつの間にか、BSの手に酒のボトルがある。誰もいなくなったカウンターから、これ幸いと勝手に引っ張り出して、味見しているのだ。
「や、この世界の奴らは、どんな酒を飲むのかナと思ってね。ん、なかなかイケる」
またあおろうとするので、瓶をひったくってやった。すぐそばを狙撃されているというのに、まったくもって、何という神経の持ち主だろう。
「追っ手が迫ってるんですよ、どーするんです!?」
「人に訊いてばかりいないで、たまには自分で考えたら?」
ズバッと切り返された。痛いところをつかれ、むぐ、と口ごもる。
実のところ――彼の言い分はもっともだ。黙を怒ってばかりいるのは、自分ひとりでは何も出来ないからで。その苛立ちとあせりを他者にぶつける、これは、八つ当たり以外の何物でもない。
三秒ほど黙した和音は、四秒目でドアを振り返り、持っていた酒をぶちまけた。
ニヤリ、と満足そうに笑われる。
「黒と赤のラベルを貼ったヤツが、一番アルコール度数が高いぜ」
そう言って、次々と棚から瓶を抜き出し、ドア付近に投げつけ始める。手伝いながら、味見はこのためだったのかと、こっそり舌を巻いた。
「BS! もう逃げられんぞ!」
ドアの外に局員がわらわらと現れる。余裕たっぷりの黙は、あらかじめくすねておいた店のマッチを、靴の裏ですって火をつけた。ニッコリ笑いながら、お別れの一言を述べる。
「しーゆー」
ぴん、と指をはじけば、マッチが赤い放物線を描く。まさに踏み込もうとした局員達は、それを見てたたらを踏んだ。音がするほどの勢いで顔を引きつらせ、慌てて方向転換する。
炎が爆発した。目を覚ますような勢いで火炎が広がり、店の内部を蹂躙する。熱風に押し出されるように、裏口から転げる逃亡者。内装が燃える音、局員達の悲鳴、それらにまったく構わず、BSはドアを閉めてしまった。俺の知ったこっちゃナイよ、という表情だ。
再び、入り組んだ路地裏を走りながら、和音はある提案をしてみた。
「今のうちに、違う世界に逃げれません?」
「――ちょいと無理、だな。本日はせいぜい、あと一回しか……T・Mは使えねェよ」
「一日の使用回数に、限度があるんですか」
「この世に無限のものはナイ。限りあるからこそ、一瞬一瞬が輝くんだぜ?」
「つまり、自力で管理局を振り切るしかない、と」
今の状況を確認して、ため息をつく。
「捕まっちゃったらどうしよう……」
「嘆くのは、アラユル手を尽くした後にしときな。――まずは、攪乱作戦といってみよう!」
楽しそうに宣言したところで、道が途切れた。大通りに出たのだ。大衆を前にひるむ和音とは反対に、いっそう生き生きしてきた黙は、静止する間もなく手近な店へ突っ込んだ。
ずらりと並んだ野菜に、陳列された商品、独特のざわめき。店は、現代でいうところの大型スーパーそっくりだった。客の入りは上々で、店としては大変喜ばしい状況だろうが、和音たちにとってはやっかい至極。難解な障害物競走のコースに立たされた気分だ。
こんなところを通り抜けようというのか。二の足を踏むが、問答無用で黙に手を取られる。そのまま、彼はすごいスピードで走り始めた。
たとえるなら、蛇かネズミのようだ。全力疾走をしているというのに、誰一人としてぶつからず、非常に滑らかに買い物客をかわして、どんどん奥へと入り込む。
正確に言うと、和音は引っ張られているだけだから、黙がすごいのだろう。何だ何だと思っているお客をかいくぐり、野菜コーナーからお菓子コーナーへ。はたと気づくころには、もう、店を通過し終わっている。
一時も休まず、次なる店へ駆け込んだ。今度はファミリーレストランのようである。やっぱり強気な黙に引っ張られ、混乱する店員と、唖然としているたくさんのお客達に見守られながら、一目散に裏口を目指す。
注目をあび、恥ずかしいやら何やらで和音はうつむいたが、それでも、BSの手が客の皿から何かを掠め取ったのは、見逃さなかった。
「今何しました黙さん!?」
「ン? ちょいとエビフライを盗んだのよ」
「堂々と答えないで下さい! 泥棒ですよ、それッ!」
「……アンタ俺が間賊だってこと忘れてるだろ。あ、それとも、子リスちゃんも食べたい?」
もごもごと、口にくわえた齧りかけのフライを突き出されるから、無言のパンチを腹にお見舞いする。実際、すでに息がきれて苦しく、返事をするのも億劫だったのだ。平然としている黙とは、やはり基礎体力に歴然とした差がある。
その彼が店を出たとたん、急停止したので、勢いあまって背中に激突した。文句を言う間もなく体を反転され、もと来た道を戻り始める。
「と、止まるなら、一言いって下さいっ」
「やあ、ゴメン、ゴメン。けど、アイツらがいたもんで」
つぶしてしまった鼻を押さえる和音の目に、レストランの裏口で待ち構えていた、局員達の姿がうつる。と、いうことは、当然入り口も塞がれているわけだ。文字通りの挟み撃ちで、攪乱したつもりが、まんまと策略にはまってしまったらしい。
軽く舌打ちした黙が向かった先は、厨房だ。局員達もすぐ後を追いかけてくる。硬直するウェイトレスを押しのけ、美味しそうな香りの満ちる室内を、切り裂くように駆けた。
途中、彼は振り向きざま、ガントレットの剣を奔らせた。矢のように飛んだ刃は、正確に、置いてあった大なべを弾き飛ばす。
傾いたなべから、ざあっ、と中身があふれ出た。それはちょうど、局員達の進行方向だったため、止まるに止まれぬ先頭の者が、慣性の法則により、足を踏み入れてしまう。
鍋の中身はとろみをつけた中華スープのようなものだった。当然局員は足を滑らせ、まるでコントか何かのように、勢いよくひっくり返る。後から来るものがそれにぶつかった。再び転倒。にわか玉突き事故発生で、追っ手が全員ダンゴになる。
その隙に、外へ逃げ出すことが出来た。
「っかしいなあ……この遭遇率の高さは、タダ事じゃねェぞ。なるべく風跡を残さないようにしてるのに、なんだって、あんな……」
何度も首を傾げる黙の横で、和音は息も絶え絶えだ。
「ま、まるで、どこかで、見張られているみたい……です、ね……」
何の気なしに言ったセリフに、一時停止でも押したように、ピタ、と男の動きが止まる。呼吸さえも留めた、完全なフリーズ。
次いで、しっかと両肩をつかまれた。
「そうかそうかそうか――そういうコトか!! いいか、お嬢さん、苦情なら後で受け付ける。今はとりあえず、俺を信じて、着ているものを全部脱いでくれ!」
出し抜けのセクハラ発言に、目を剥く。
「嫌ですよッ!! な――何をいきなり……!!」
ありえないものを見るように黙を睨んだが、本人はもどかしそうに地団太を踏むばかり。
「そうじゃねェってば、発信機だ! おそらく牢屋入りしたとき、アンタ、グラーデルのヤツに仕込まれたんだ。そうとしか思えん!」
「あ…ッ……」
そうか。それなら、この手回しのよさがわかる。彼はさらに続けた。
「どこに仕込まれたか分かるか?」
「え、えっと――さあ……」
「ならいっそ、全部脱いじまえ。ソレが一番手っ取り早いだろ?」
「出来ますか、そんなことーー!!」
叫んだところで、周囲が騒がしくなった。立ち話は危険なので、手近な路地に入り込む。
そうして追っ手に見つからないよう、逃走を再開しながら、和音の頭はフル回転した。
管理局に捕まったとき、自分は気絶していたのだから、発信機を仕込むチャンスなんていくらでもあったはずだ。上着につけた? それともズボン? サンダル? 壊れたり、見つかったりしてはマズい。その危険がないような場所とは、いったいどこなのだろう。
ふっ、とグラーデルの顔が浮かんだ。その瞬間、脳内の回線がパチンとつながる。
そうだ。よく考えてみれば彼は、なぜあの時、入獄された自分に会いに来たのだろう。
BSの仲間だから? ――違う。
名前を聞くのが目的? ――違う。
あれを返しに来たのだ。BSの仲間なら、肌身離さず持つ、あれに発信機を仕込んで。
「黙さん、これ! この、ペンダント!!」
ポケットから取り出し、彼に突きつけた。黒い、逆さではなく普通の星がついた、すべての元凶であるペンダント。
それをひったくって、黙は勢いよく方向転換する。路地から飛び出すと、ざわめく通行人の合間を縫ってダッシュした。あれよあれよと引っ張りまわされ、再び路地裏に戻ったとき、もう、彼の手からペンダントは消えている。
魔法でも使ったとしか思えない手際だ。本人は事もなげに、
「ナニ、スリの逆をやったまでさ」
と説明してくれる。つまり――道行人の誰かに、押し付けてきたということだ。
そのまましばし走り、何度か小道を曲がったところで、やっと彼は歩調を緩めてくれた。
これ以上走れないと思っていた和音は安堵して、大きく息をはく。額から汗が流れ落ち、気管と肺が燃えるように熱い。これぐらいでバテてしまうとは、やっぱり、日ごろの運動不足がたたっている。
様子を見るため、二人は少しの時間、歩き続けた。
だが――もう局員が先回り、なんて事態は起こらない。
ビンゴ。予想通り、発信機はあれについていたらしい。
ようやく訪れた平穏に、張り詰めっぱなしだった緊張の糸が切れた。これほど心臓を酷使した日もないだろう。胸をなでおろせば、忘れかけていた足元の感覚が戻る思いだ。
ペンダントを押し付けられた人のことを考えると、手放しで喜ぶのも気が引けたが、せめて誤解が早く解けますようにと、心の中で合掌しておくことにする。
念入りに周囲を確かめ、黙がヤレヤレと頭をかいた。
「今度こそ、ホントにまいたようだな。じゃー……そろそろ出発しましょうか」
こちらの左手首を握ってくるので、本日最後の世界移動をするのだとわかった。
「どこへ行くんです?」
目的地を訪ねると、
「行くんじゃナイ。戻るんだ」
と、口の端を上げられた。
「――挟間に。そこにある、俺のアジトへ、ね」