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風、選択のとき  作者: 片桐
本編
1/22

ACT.一  GOOD LUCK!

 人生は、「選択」で構成されている。


 その事実に気づかなかったばっかりに、はえある大学一年生の夏休み、最悪の滑り出しを味わっている人物がいた。 新羅和音(しらぎわと)、一九歳、女性。初対面の人には大抵「わおん」と呼ばれてしまう、少々変わった名前の持ち主である。

 女四人姉妹の三女として普通に生まれ、見目容貌(かたち)普通、成績普通、普通に温和で、普通に明るく、普通にドジな面を持つ、これでもかと普通に彩られた彼女は、今、


「いやーーーーーっ!!」


 とても普通じゃない場所を、まっさかさまに落下している最中だった。

 バランスを取ろうと突っ張った手が、宙を掻く。でんぐり返る。文字通りの自由落下だ。

 後頭部で結った髪がはためき、風圧で眼鏡が飛びそうになるから、慌てて押さえる。そうして彼女が見たものは、およそ現実と信じられない光景だった。


 空もない。地面もない。さっきまで歩いていた道路も、眺めていた町並みも、およそ一切の物が消えうせ、三六〇度、あるものといえば深緑色に染まった「風」だけという――空間。

 風に色があるというのもおかしな話だが、周りの景色全体が深緑色にきらめき、それが吹き荒れる流れに従って、部分的に濃くなったり、色合いが変わったりしているようなのだから、他に表現しようがない。

 どどう、どどう、と低い音を立てて大気が流れる。渦を巻き、うねりを生じ、ときおり方向を変えながら、無限に無限に風が吹く。

 寒くはない。柔らかい絹に似た、穏やかな感触が肌をくすぐる。身につけた黒星のペンダントや、服のはためき具合からすると、相当な強風が吹きつけているはずなのに、しっかり目を開けていても平気だから不思議だ。

 まるで、緑の海の中にでもいるような、奇妙な景色。

 不安定だった身体が定まったのと、周囲が落ち着いたのとで、和音は茫然自失の態をさらす。腕にかけたカバンを無意識に抱きかかえ、こくん、と生唾を飲み込み、つぶやくことはひとつきりだ。


「…………ここ、どこ?」





 ACT.一  GOOD LUCK!





 ――人間、驚きが飽和すると、かえって心が落ち着くものらしい。


 風のなすがままに流されながら、目の前に広がる異様な世界を、漠然と眺めていた。

 あまり集中して見ていると、悪酔いしそうなのは、視点を定めるべき対象物がないためだ。だから、上下左右の感覚はおろか、自分がどういう体勢でいるのかも判別できず、三半規管がちょっとしたパニックを起こしている。

 どこかぼんやり考えていると、絶妙のタイミングで、ふ、と体を包んでいた風が消えた。

 消えた?


「………ぎゃああああっっ!!」


 問答無用の急転直下だ。和音は両手でカバンを抱きしめたまま、絶叫だけを後に残し、真っ逆さまに落ちていく。地面や床はどこにも見えないのだから、何かに激突してしまうという事態は発生しようがない。しようがない、のだが、理屈では割り切れない本能的な恐怖を消すことは出来なかった。ざわっと二の腕があわ立ち、全身が硬直する。

 いくらも落ちないうちに、何やら柔らかく弾力のあるものにぶつかった。空気の塊、とでもいおうか。あたかも水中で、勢い良く水を噴出す蛇口に手をかざしたような抵抗感が、全身を包む。

 痛くはない。衝撃もあまりなかった。

 ドヨンとそれに乗っかったのち、反動を受けて、ボールみたいにぽーんと跳ね返される。


「わ、わ!?」


 次いで、別の方面からも同じ抵抗を受けた。


「いや~っ!」


 さっきまでの穏やかさはどこへやら。弾力のある空気の塊に衝突し、跳ね飛ばされ、翻弄され、縦横無

尽に宙を舞う。

 ジェットコースターはおろか、絶叫系のマシンは軒並み大を百個つけても足りないくらい苦手な和音である。宣告なしに飛ばされ、吹き上げられ、一気に奈落の底へ落とされたかと思うと、横から強烈な張り手を食らって、また弾かれる……この予測不可能な現状はもはや、悪夢以外のなにものでもない。


「あっ――カバン!」


 激しく横に持っていかれたはずみで、手からカバンがぶっ飛んだ。

 カバンはきりきり舞いをしてあらぬ方へ遠ざかり、唐突に―――掻き消える。


「げ!」


 思わず、乙女として相応しくない驚きの声が、口から飛び出した。

 見間違いじゃない。お財布や、折り畳み傘や、ハンカチやティッシュの入っていたカバンが、空気のように音もなく消えたではないか。それなりに重量はあったのに、手品だって、こうも鮮やかにいかないはずだ。

 背中を嫌な汗が流れた。急に現状に対して不安を覚える。考えてみれば、『ここ』が安全であるという保証はどこにもない。のほほんとしていたら、あのカバンのように消えてしまうかもしれない。得体の知れない場所への恐怖に背中を押され、慌てて身をよじり、手足をばたつかせる。

 ……遠くから人の声のようなものが聞こえてきたのは、まさに、その瞬間のことだった。

 つい手を止めて、何事かと周囲を見渡す。気のせいだろうか。何やら、誰かが大声で叫んでいるような。しかも、それが、だんだんと近付いてくるような……?


「…………―――――ァイス・タイミング―――っっ!!」


 後ろか、と振り返ったとたん、体がすごい勢いでひったくられた。


「!?」


 何が起こったかわからない。「誰か」に、腰の辺りをすくい取られたと思うや否や、息が詰まるほどのスピードで、その場から連れ去られる。あまりのことに目を白黒させ、反射で暴れると、


「ハイハイ、いいから落ち着きなさい。女性のか弱い抵抗をかいくぐるのは男の務めだが、今はちょーっと時間がないんでねェ」


 場違いなほど飄々とした男の声がした。

 ギクリとする。恐る恐る下を見てみれば、自分の腰には、革篭手をつけた第三者の腕がしっかりと巻きついているではないか。数回瞬いて、それから、そおっと背後を振り返った。


 真っ先に目に飛び込んだのは、夕焼けより鮮やかなオレンジ色の髪。後ろで一本に束ねた三つ編みが、風に長くたなびいている。

 頭部を適当にターバンで包み、首には黒い星のついたチョーカー。すそは長いが袖のない、奇妙なデザインの上衣を羽織り、無駄についたチャックやチェーンが、じゃらじゃらと音を立てている。

 年のころ……どう見ても、二十歳以上。もしかすると三十代。それなりにしっかりした体躯を持ち、無精ひげを生やし、全体的にウス汚れた雰囲気が漂っている。


 そんな、さびれた繁華街が似合いそうな男が、こちらの腰をひっとらえたまま、レモンイエローの目を細めて、にやっと笑いかけてきたのだ。

 和音は、肺の底から大絶叫していた。


「ーーーーーッッッ!! 離して、下ろしてっ、何するんですか、きゃー、きゃー!!」


 盛大に足元を蹴って、身をよじり、叫びながら振り回した手で相手の体を叩きまくる。

 予想外の反応だったらしく、男は短く叫んで身をすくめた。


「ちょ、やめ、子リスちゃ、ぶっ! ――ま、待ちなさい、だから、手元が狂う―――」


 いい終わらないうちに、がっくんと二人の体が落っこちる。


「ひゃ――!!」

「……ほら、言わんこっちゃない」


 男のつぶやきはため息交じりだった。それと同時に、ぎゅうううん、とエンジンでもふかしているような音が響く。駆動音はどうやら、足元からあがっているようだ。

 くだりエレベーターが目的の階に到着する時のような、抵抗感。停止。続いて、発進。

 腰に回されていたいましめが、わずかに緩んだ。


「アンタ、おそらく漂流者だろ? それも後発世界出身の。……いきなりこんなトコロに来ちゃって、気が動転するのは分かるが、損はないからちょーっと俺の話を聞きたまえ」


 立て板に水のごとくしゃべり、腰から手を離すと改めて腕をつかむ。和音は慌てて体を反転させ、男に向き直った。


「あ……?」


 そうして、気づく。彼が黒い、不思議な乗り物にまたがっていることに。

 一言で例えるなら、「翼のついたバイク」だろうか。ハンドルやサドルは普通のバイクと同じで、タイヤの部分のみ、飛行機のような大きいウイングになっている。和音が立っているのは、その羽根の部分だ。足元から低い駆動音が伝わってくるも、バイクのそれよりずっと静かで、嫌な匂いもしない。

 見たこともない乗り物なので、思わずまじまじと見ていると、ハンドルを握りながら男が口を開いた。


「グライダー・バイク。通称グライク」

「え?」

「俺の同僚が命名した、コイツの名前さ。キョウカンを移動するときにゃ普通、これを使うモンなのよ」

「……キョウカン?」

「漢字で書くと、挟まる間、さ。――挟間。『ここ』のことだ」


 親指を立て、くいくい、と周囲を指し示す。

 身なりといい、身振りといい、口調といい、一円玉より軽くてすこぶる不審なのだが、和音はすっと真顔になった。


「『ここ』のことって、地名なんですか?」


 首は横に振られた。


「いんや。この空間、この世界、この絶えることなく風が吹き荒れる場所――それが、挟間だ」

「……」


 口の中で「きょうかん」という響きを転がす。同音異義語ならいくつか思い浮かぶが、挟まる間と書いて読む「挟間」など、見たことも聞いたこともない。同時に、「ここ」は見たことも聞いたこともない場所なのだから、そんな名前がついていて当然か、とも思う。

 風だけで構成された世界……挟間。

 直感に似たひらめきをもって、その言葉は和音の胸の中に、強く刻み込まれた。

 しかし――名称が分かったところで所詮、これまでに降り積もったギモン・ギワク・ナゾ・フシギが、全て解決するわけではない。


「ここは日本ですか? その前に地球なんですか? 近くの図書館に本を借りに行こうとしただけなのに、交差点を曲がったとたん、地面が消えて落っこちちゃって……私、何がどうなってここへ来たんでしょう? どうして風しか存在しないの? 飛ばされたカバンが消えたのは? あなたはいったい誰ですか? どうやって現れたの? あの――」

「ストップ!」


 びし! と、目の前に指を突きつけられ、思いつくまましゃべっていた口を閉ざす。

 男は油断なく前方を見ながら、突きつけた指だけ、器用に左右に振ってみせた。


「残念ながら、時間はそんなにナイんでね。俺がアンタに答えてやれることは皆無だ。時は金なり、烏兎怱々、昨日は今日の昔であるから、後悔先に立たぬのよ。でしょ?」


 いたって楽しそうにウインクされた。

 「でしょ?」と言われても、返答に困ることこの上ない。押し黙っていると、彼はやにわに急かすように、肘でこちらを突いてきた。


「ほれほれ、何ノンビリしてるんだよ。早く俺のポケットを探りなさいって」

「……は?」

「いいから、早く! じゃねェと、おいらの左手が痺れちゃうだろ?」


 さも迷惑そうに眉をひそめて見られ、和音は頬をひくつかせる。

 何を言っているのか、さっぱり分からない。いや、文章自体の意味は分かるのだが、前後の会話の脈絡がてんでつかめない。


「――何で私があなたのポケットを探らないと、左手が痺れちゃうんですか?」


 男は「当然だろ?」と言わんばかりに、目を見開いてみせる。


「だって、ずっとアンタを左手で捕まえとかなくちゃいけないじゃねェか。分かる? 今俺は、右手一本でグライクを操縦しているのよ。この体勢、結構ツラいんだぜェ」

「だ、だからどうして、私を捕まえとかなくちゃいけないんですか! 離せばいいでしょう? と、いうか、ここから下ろしてください! どこへ連れて行く気なんですか!?」

「下ろせってったって、アンタ、俺が手を離したら、またシリュウに翻弄されるのがオチだろうさ。下手したらホンリュウに飲み込まれて、あの世行きだし……」

「『あの世行き』!?」

「あー、もう! だから説明しているヒマはねェんだよ、イイ娘だから、俺のポケット探って頂戴!」


 切羽詰ったように叫び返され、ウッと口ごもる。

 全然腑に落ちていなかったものの、強い眼差しに押さるまま、しぶしぶ彼のポケットに手を入れた。時間がない時間がないと連呼しているが、まったく、彼はいったい何に焦っているというのだろう。

 ポケットの中には、何か硬いものが二つほど押し込められていた。とりあえず両方引っ張り出すと、片方は腕時計のようなもので、もう片方はやや大きめの万歩計に見える。

 よしよし、と満足げにうなずかれた。


「ソレ、身に着けなさい」


 出し抜けの指示に目を点にする。この腕時計と、万歩計をつけろって?


「……何のために?」


 問わずにはいられなくて言うと、空を仰ぎざま、あきれ返ったようなため息をつかれた。


「アンタもしつこいねー。答えているヒマはナイって、今言ったばかりだろ。ちゃんと聞いてた? 選び損じた選択肢ばかりしつこく選んでも、事態は好転しないんだぜ。いわゆる、未練たらたら、ってヤツで」

「よっ――余計なお世話ですよ!」


 むかっとして言い返してしまった。この男ときたら、言動の端々に「不真面目~」がにじみでていて、どうしようもない。話の内容は意味不明だし、唐突だし、やたら軽いし、おまけにこの減らず口は何なのか。こちとら見ず知らずの場所に来てしまい、分からないことだらけなのだから、もう少し思いやってくれても良さそうなものなのに。

 喧嘩を売られたような気がして、むすっと眉を吊り上げたまま、乱暴に腕時計を装着する。銀のベルトで出来たそれは、あつらえたように手首にフィットした。万歩計も、クリップでベルトに挟みこむ。

 ――いわゆる、毒くらわば皿まで、の心境だ。


「お。何だ、完璧に物分りが悪いってワケじゃなさそうだナ。賢い選択をしたモンだ」


 男は緊張感なくヘラヘラ笑っている。それを、半眼のまま睨みつけた。


「で?」

「……『で?』?」

「あなたは何者なんですか。私に色々指示して……助けてくれようとしているんですか?」


 はぐらかされるのを覚悟で聞いてみる。どうにも彼のペースなのだが、それだけはハッキリきいておかないと不安だった。

 彼は暫時目を丸くし、動きを止めた。

 それから微かに失笑して、もう一度背後を振り返った後、ひょいと肩をすくめる。


「イイ勘してるわ、お前さん。それじゃ――約束してやろう。俺は絶対アンタを助けてやる、誓ってイエスだ」

「……ホントですか?」


 疑うわけではないが、念を押したくなる。彼以外すがれる人はいないのだから、まさしくワラをもつかむ思いだった。

 和音の心境を知ってか知らずか、男は大仰に胸を叩いてみせる。


「ホント、ホント。アンタの選んだ選択肢、無駄にはさせないぜ。―――と、いうワケで」


 ずい、と急に顔を近づけてきた。

 面食らう和音の前でニヤリと笑う。笑う。――そして。


「GOOD LUCK!」


 ドンと胸に衝撃を受け、それが彼に突き飛ばされたせいだと分かったのは、しばらくしてからのことだった。

 風にとらえられ、足が浮く。全身が浮く。自失したのもつかの間、和音の体は猛スピードでグライクから引き離された。信じられなくて揺れる瞳に、ばいば~い、と手を振る男の姿が映る。ヘラヘラと笑っている、その表情。

 和音はかっと目を見開いた。


「あ――あなた……!!」


 騙された。

 悟ったが、もう後の祭りだった。


 恐怖の空中ジェットコースター再び、である。しかも今度は前のより強烈だ。シェーカーに放り込まれ、乱暴に揺すられているみたいに体が激しく翻弄される。まるで嵐の渦中だ。どこが上で、何がどうなっているのか、確かめることすらおぼつかない。

 目の前で極彩の渦が逆巻いた。気分が悪くなるのも通り越してしまったようで、ふーっと意識が薄れていく。三日月のような形をした、何か大きいものが視界に入った気もしたが、確かめる間もなく視野がかげり、その消えゆく世界の中で和音は思う。


 ―――こんなことになるなら、外出せず、家でのんびり休日を過ごせばよかった。と。

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