プロローグ。牢屋で生活するには 6
そもそも妹は、いつから夢を並行して見ていたのか、もう覚えていないのだという。
意識した時には既に夢を見ていて、夢の中にも家族がいたので、誰もが自分と同じように二つの人生を持っていると思っていたらしい。
そのため、妹は不思議な事を言う子供だと思われていた。
例えば、「朝は早く起きて、水汲みをしてかまどに火を入れなくちゃいけないのに、井戸がなくなっちゃったの」と寝ぼけ眼で聞いてきて、数秒後、「間違えちゃった。こっちは違うよね。えへへ」と恥ずかしそうに頬を染めたり。
例えば、こっそりと私に「お母さん、パンを作るのがあんなに上手なのに、なんでこっちだと焼いてくれないんだろう?」と不思議そうに首をかしげて尋ねたりした。
最初は、それこそ夢と現実がごっちゃになっているんだろうと気にとめていなかった。すっとぼけた事を言う妹も、その後に照れて頬を染める妹もとても可愛かったし、何よりまだ小学校に入ったばかりの頃だったので、子供特有の空想かもしれないとも思っていた。
けれど、妹は自分で、自分が特別なのだと気づいて、ある日私に聞いてきた。
「お姉ちゃんは、どんな夢をみているの?」
その日は、『ゴジラ対モスラ』を見たせいか、ミニチュアのような小さな町を、恐竜の気ぐるみをきた私がぎゃーすぎゃーす言いながら歩き続ける夢を見ていた。なのでそう答えると、妹はとても困った顔をしながら、
「じゃあ、昨日は?」
昨日の夢は見ていない、と答えた。
「一昨日は?」
覚えていないけれど、多分、『天空の城ラピュタ』の影響で、空に浮かぶ島でロボットとくるくる回って遊んでいたような、楽しい夢だった気がするよ。と答えた。
答えながら、自分の頭大丈夫か? と思ったが、妹からはそんな突っ込みはこない。
ただ難しい顔で何かをじっと考えていたので、私は妹の中で結論が出るのを待った。
数分後、妹は私の目を正面から見据えて、お願いがあるの、と言った。
「私の話を聞いてほしいの。それでね、おかしな事があったら、教えてほしいの」
そんな前置きで、語り始めた。
それは少しだけ長い話。妹の、もうひとつの人生の、8年分の記録の話だった。
妹が生まれたのは、賑やかな町のパン屋さん。
家族構成は父と母と姉と犬。家族の顔はこちらとは違うけれど、雰囲気はとても似ているという。
特に姉は、まるで私がしゃべっているかのように、似た思考を持つ人らしかった。妹と年が離れているので、もう数年前に成人していて、働きに出ているらしい。(妹の話す文化レベルから察するに、成人は15歳あたりだと思う)
妹は家族の中で、水を汲む事と犬の世話をする役割がある。
まだ8歳なのに、パンを焼く練習を始めていて、お父さんに筋が良いって誉められたんだよ、と自慢げに話していた。ただお母さんは、まだまだね、と言ってなかなか竈に触らせてくれず、パン生地をこねる練習をひたすらしているのだという。
夢世界には義務教育はなく、学校に行かずに家族から知識を得ることが一般的で、妹の家もそうしているらしい。もっと身分が高かったり、お金持ちだったりすれば、どこかにある専門の学園に行けるのだとか。
専門の学校に行きたくないの? と聞いたら、「みんなこっちで小学校に行ってるから、いらないんだと思ってたの」と返ってきた。
「それに、お母さんのお父さんも、そのお父さんもパン屋さんをしていたから、私と私のお婿さんがパン屋さんを継ぐって。だから、パン屋さんになるのに、パンを焼くこととお金を計算すること以外はあまり必要ないし、そんな勉強をするくらいなら、もっと沢山遊んで、お友達をたくさん作りなさいってお母さんが言ったの」
確かに、将来なるものが決まっているのなら、そんなに沢山頭に詰め込む必要は無いのかもしれない。
私は、学校に行かなくて良い理由が“友達を作って沢山遊ぶため”と言う、夢世界の母親に好感をもった。
子供を労働力として換算しすぎず、将来のことを考えてあげているのだと分かったから。
私と妹の、現実世界の母親も、リアリストであるからこそ、先を見越した温かいアドバイスをくれる人だ。
話を聞きながら、私は思った。
これは、単なる“夢”じゃない。脳が、情報の取捨選択をするために見せるような現象では決してない。
なぜなら、夢の世界では、幼い妹が知るはずのない事柄が沢山ある。
それこそ、中世ヨーロッパで幼少時代をすごす、その日常を垣間見たようなリアルさなのだ。
妹には、人生がふたつある。私はそのことを、真剣に話す妹の顔を見つめながら、心に刻み込んだ。
そして、この特殊な環境を持ってしまった妹を、必ず守り、助けようと決めたのだ。
聞き終えて、まず私がしたことは、常識を改めて説明しなおす事だった。
ノートを持ってきて、妹の中で現実世界と夢世界とで、知識を分けて書いてもらう。
それを見ながら、「身分制度はこっちには無いよ。お金を持っているとか、古くから続いている家だとかはあるけど、血に偉いも偉くないもないんだよ」とか、「夢の方に書いてある、“折り紙に願いを書くと叶う”は、こちらの七夕祭りのことだと思うよ」とか。
そうして、各世界で、合っていない言動をしないように2人で話し合った。
それからは、妹は毎日、夢の話を私に報告してくれるようになった。
たいていは、他愛のない穏やかな日常の話。ときどき近所の子供と喧嘩したり、いたずらをしたり。パン屋の修行もちゃくちゃくと進み、9歳になるころには(2つの世界のどちらも、誕生日は同じだった)母親から竈の使用許可が出たという。大躍進に、2人で少し高めのジュースで乾杯をした。
ただ、10歳になる前に悲しい出来事があり、妹は天涯孤独の身になってしまった。元々、現実世界に比べたら数段危険な世界だ。治療方法の無い病も沢山あるだろう。ただ、妹の家族が亡くなったのは、天災のようなどうしようもない事故のせいだったという。
その時の妹は、とにかく泣いていた。
夢の世界では何も食べていないのだろうと予想できるような憔悴ぶりで、こちらの家族から一切離れず、私も含めた4人で同じ部屋で眠りたいとお願いしてきた。事情を知らないながらも唯ならない妹の様子に、父も母も納得して家族で川の字になって眠った。
この時ほど、夢の世界に私も行って、妹を安心させてあげたいと思ったことはない。
やがて、妹の様子が落ち着くと、何があったのか教えてもらった。
家族が居なくなった後、近所の人に共同で面倒を見てもらいながら、一人ぼっちで家にいたらしい。
そこに、父親の友人だという身なりの良い男性が訪ねてきた。父親に会いたいという男性に、もういないと伝えると、男性は驚いた。そして、それから毎日妹を尋ねてきてくれて、近所に挨拶をし、妹になんとか食事をさせようと奮闘し、生活小物や服などを持ってきてくれた。
やがて、妹がきちんと食事を食べるようになったら、私の娘にならないか、と言ってくれたのだという。
「お姉ちゃん、どうしたら良いと思う?」
「私には悪い人には見えないから、大丈夫だと思う。くるみちゃんは人を見る目があるから、そのおじさんのことが好きだったら、くるみちゃんの思うように。私たちはくるみちゃんに幸せになってもらいたいんだよ」
そして、妹は男性の娘になった。
今度の家族構成は、父と母、メイドのお姉さんが数人と、執事のおじいさんとおじさんとお兄さん、シェフと、庭師と、馬番の兄弟と、犬が5匹と猫が3匹。まだ会ってないけれど、他にもいると思う。とのこと。
妹は貴族でお金持ちの家のお嬢様になったのだった。
現実世界での所作がどんどん綺麗に上品になって行ったから、夢世界でもうまくやっているのだと思う。
何より、毎日楽しそうに、その日の出来事を私に話してくれる。
今はとても幸せだ、と綺麗な笑顔でほほ笑んで、私に教えてくれたのだ。
ちなみに。
今でも時々、うっかり夢と現実をごっちゃにすることがある。
例えば、「お母さん大変! 舞踏会に着ていく服がなくなっちゃったの!」と休日の朝の食卓に駆け込んできてから、白米・焼き魚・お漬物・味噌汁の朝食を見てはたと動きをとめて。「ううん、なんでもないのごめんなさい。寝ぼけちゃって」と誤魔化す(その誤魔化し方もどうかと思うけど、それ以外にないよね・・・)のだ。
そんな姿も可愛いと、相変わらず家族には好評である。