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苺酒とかたつむり

作者: 三鷹真一
掲載日:2026/02/17

 告白いたします。告白いたします。あの人は芝居がかって臆病で、惹かれ者でありました。世界の全てを怖がってなお、きらきらと惹かれるものに向かっていってしまうのです。本当に大変な、やさしい人でありました。 

 告白いたします。告白いたします。先に挙げました三つの小説は私の作品ではありません。生前、あの人が書いたらしい作品でございます。あの人はもうこの世にいらっしゃいません。もう、出会うこともございません。あの静かな暖かみのある低い声も、少し煙いお煙草の匂いも、やがては私の在る場所からハッキリと遠くなってしまうのでしょう。声や香りや、気配といった今私が覚えているあの人は、私が時を重ねるほどに不明瞭に立ち消えていってしまうのでしょう。人が人を忘れるとき、いったい何から失っていくのでしょう。私は今から、失われるそれが恐ろしくてなりません。私の記憶から、私の内側から、あの人というあの人が少しずつ無くなっていって、静かに音もなく消え失せていって、最後にいったい何が残るのでしょう。

 あの人は私の青春でした。あの人は私の社会でした。あの人は私の一部でした。私が出会い、暮らし、別れたあの人。あの人の最後の様子を、私は終ぞ訊くことができませんでした。

 あぁ、今隣の部屋で、私の子供が泣いております。旦那がそれをあやしております。私は愛しい旦那と、愛しい我が子と、つましいながらも暮らしております。一つ屋根の下、幸せといっても良いはずなのに、今、私の心を捕らえておりますのは、過去に違えてしまったあの人との思い出と、暗くて重く、私を引き込んで離さない、底なしのおばけ沼でございます。私はみすぼらしく、あわあわと沼に沈んでいくばかりで、苦い泥が私をまんまと溺れさせ、泥を飲み込んでしまった私は、胸が苦しく、えずいても、えずいても、ちっとも吐くことが叶わずに、苦い涙が一筋、ほろり、ほろりと流れていくばかりで、はやくこの苦しみからのがれて楽になってしまいたいのに、それでも、あの人がいなくなった痛みでさえ、私は失ってしまいたくないと、沼から逃げ出すそぶりも見えません。それどころか、この痛みを、この苦しみを、深く深く追って行きさえすれば、どこかでまたあの人に出会えるかもしれない、と詮無いことを考えている、私がいる次第でございます。

 解ってはいるのです。私には愛すべき夫がいて、愛すべき我が子がいて、過去の男なぞ早々に忘れて、痛みや苦しみなんて捨ててしまって、さっさと幸福の中に戻ってしまえばいいと、解ってはいるのです。けれど、私が今浸っている沼には、私が今貪っている泥には、私の人生の寄る辺を、生きていくための足場を、たやすく揺さぶる力があって、世界は、数万数億の生ではなく、二つの大切な生ではなく、一つの、たった一つの厳かな死が十全と支配する所であって、それを間断のない痛みが、容赦のない苦しみが、絶えず私に知らせるのです。

 私は、今生きているのが恐ろしく、たまらなく悔しくてなりません。あの人の訃音を聞いたとき、私の胸に去来したのは、その足であの人の元へと行って、何もかもを残して行って、着の身着のまま、あの人のお墓の前で自分の命を絶つという、なんとも甘美な想像でありました。その映像はあまりに鮮明で、あんまりに蠱惑的で、私はわき上がる情動を抑えきれず、目の前が明滅するほどの興奮に浸りながら、ただただ呆然と立ち尽くしているばかりでした。あの人の生前、並んで街を歩くとき、私はよく彼の葬儀のときを夢想しながら、その横顔を眺めました。あの人の最後の時、最後の瞬間、私はその表情を目に焼き付けることができるのだと、胸が静かに打ち震えたものでした。もちろんこんな想像のことは、決してあの人にはお伝えしなかったのですが、今思えばどこかでこの夢想を囁いて、あの人の飄々としたお顔が、それでいて少しだけうぶなあの表情が、畏れと痛みでおののく様を、見れば良かった。傷つく様を、見れば良かった。あの人を傷つけて、傷つけて、隣にいた私を気づかせればよかった。あの人がいなくなるとき、失われるとき、最後まで寄り添うことが私にはできないのだと、気づけばよかった。私は愚か者でございます。あの人のお終いの想像に酔って、あの人とのお別れの夢想に浸って、本物のあの人との最後に立ち会うことができなかったのですから。

 あんまり私が永いこと立ち尽くしていましたので、その様子を心配した旦那が私に声をかけてくださいました。そうしてようやく、私は想像から覚め、旦那に知人が亡くなったと伝えることができました。旦那は静かに哀悼の意を表して、私を慰めてくださったのですが、そのことで私は興奮から醒め、ここにきて初めて痛みを知って、ずぶりずぶりと沼に溺れていった次第であります。

 私があの人と初めて会話をしたのは、私が高校を退学して少したった頃のことでございますので、もう十年も前のことです。なんだかもっと昔のことの様に感じていたのですが、十年ですか。いえ、十年一昔と申しますし、十年は立派な過去の話でありましょう。私は家庭の事情で高校を退学し、近所のコンビニでアルバイトをしながら、淡々と毎日を送っておりました。とにかく家族と軋轢があり、毎日のように喧嘩し、半ば居場所を求めてアルバイト先に通っていた節がございます。当時は携帯電話が普及し始まったということも手伝いまして、掲示板や交流サイトの全盛期でありました。私も例に漏れず、いくつかの掲示板を掛け持ちして、様々な方との会話を楽しんでいました。その中でも、私が特に熱中していたのが創作掲示板というものでありまして、文章やイラスト、とにかく自分が創ったものであるなら何でも投稿して構わない、それでいて、感想をすぐもらうことができるといったものでありました。私は悩める少女の嗜みとして、詩を書いておりました。今改めてそれらを見てみると、如何にそれが青臭く、恥ずかしいことをしていたなあと頬が熱を持ってしまうのですが、それはともかくとして、毎日のようにを文章を繰り、掲示板に投稿し、いくつかの賞賛や指導や、十六の娘が喜ぶようなものを与えられて日々を過ごしておりました。

 ある日のこと、いつものように掲示板で自分の詩の評価を眺めておりますと、初めて名前を見た方がコメントを残しておりました。そのコメントは、なんといったらいいのでしょう、純粋に創作物に対して感想を述べているようでいて、必要以上に作者の内側に踏み込まず、それでいて創作意欲を燃やす薪の役割になってくれる、そのようなものでありました。当時の掲示板では、特に小娘が詩などを書きますと、おべっかを使ってきたり、反対に痛烈な批判をしてきたり、とにかく必要以上に書き手側の内面に触れようとしてくる人が大多数でありまして、私はそれをうれしいと思う反面、すこし息苦しいと感じておりましたので、新しい方の程良い距離感のコメントは、それは新鮮に感じました。私はコメントの足跡からその人のプロフィールを探し、感謝を述べました。程なくして相手側からも返答がありました。距離感をわきまえた品の良い言葉使い、絵文字顔文字を使わず古風な文体、何より文章が読みやすく機知に富んでいて、気づけば私はその人と長い時間語り合ってしまいました。相手はどうやら学生の様でしたが、私のつたないお話にも、おそらく嫌な顔をせずつき合ってくださいました。私は、またお話したいんですが、どうですかと掲示板に書き込みました。程なくして、構わないですよ、よろしくお願いしますという返信がきました。それから、ほとんど毎日、その方とお話をしました。話をするようになってより感心したのは、彼は会話することを楽しんでいる様に見えながら、必要以上に距離を縮めるそぶりが見えないことでした。現在もそうであるかは判りませんが、当時の掲示板には相手と近づいて実際に会おうとする人々も多かったのです。特に十六歳の女の子に対しては。でも、少なくとも彼は違いました。掲示板のつながりはあくまでそこだけで完結させているようでした。

 彼はそれほど多くを語りませんでした。会話の主役は私で、彼がそれに対応するといった形がいつもの定型だったのですが、会話の主導権はなぜか彼が握っていて、話題が最後に向かって収束するよう自然に配慮がなされていました。彼と話していると、会話の中にほとんど毎日驚きや気づきを見いだすことが出来ました。彼には座談の才があったのでしょうね。彼との会話に私が夢中になるのに、そう時間はかかりませんでした。

 私は彼と会話していくうちに、自分の生活のこと、家庭環境のこと、親との不和など、自分のパーソナルな話を打ち明けるようになっていきました。小娘が話す不幸話なんて決しておもしろいものでもなかったように思うのですが、彼は我慢強く私の話を聞いてくれました。彼はよくある、ああしたらいい、こうしたらいい、というアドバイスなどをする事もほとんどなく、聞くと決めたら何時間でも私の話を聞いてくださいました。それで、私が話し疲れた頃に、静かに、一つの考え方と前置きして、彼なりの考え方を述べてくれました。私は、こんなに私のことを分かろうとしてくれる人がいたんだ、と胸が熱くなることがしばしばでした。

 私は、ただ詩を書いたり彼と会話しているだけで満足だったのですが、ある時……、いや、本筋とは関係ないので詳しくは省きますが、その掲示板でごたごたがあって、当事者だった私は煽りを喰らってしまって、その掲示板から追放されてしまうことになってしまいました。私は憤りつつも退会の手続きを踏んでいたのですが、唯一心残りだったのが、彼と会話する時間が失われてしまうということでした。その時にはもうかなり彼との会話が心の支えになっていましたから。それで、退会の日、彼に会ってほしいと話を持ちかけ、彼の住んでいる街を聞き出しました。彼は私の住んでいる所から、電車で四時間以上もかかるところに住んでいました。幸い私はアルバイト生活をしていたということもあって、時間もお金もなんとか融通が利きました。それで、私は彼に会いに行くことにしました。

 会いに行くことにしました、と今では簡単に言えてしまいますが、当時の私にとっては一大決心でありました。四時間という距離はほとんど途方のないもののように思え、何より、今まで話していた彼という人はいったいどんな人なのだろうか、期待より不安の方が大きかったくらいです。掲示板の人と実際に会おうとすることも初めてでしたので、勝手も分からず、家を出発する直前まで出向くのを少し躊躇っておりました。とにかく、彼という存在に幻滅したくない、電車に乗って彼の所に向かっているとき、ずっとそう思っていました。

 私の住んでいる所もそれなりの田舎だったのですが、彼の所はそれよりもさらに田舎でした。何本も電車を乗り継ぎ、やり過ごし、窓の外にあったビル群が住宅地、畑、田圃と変わっていったのを記憶しています。人も次第に少なくなり、なんだかどこかの映画にこんな情景があったなぁ、と、ゆっくりと今の状況に慣れていくことができました。電車の移動というのは、待ち時間があったり、速度が飛行機のように速くなかったりと、わずかにある不便さが、運ばれる体と運ばれる意識のずれを小さくしてくれる気がいたします。

 三時間以上も電車に揺られ、一両編成のディーゼルのワンマン電車に乗って何駅か過ぎると、あの人の住む街でした。時代がかった駅舎の、ちょっと難しい漢字の駅で降りると、一人ぽつんと立っている人がおりました。それがあの人でした。

 実は、ここまで語っておいて申し訳ないのですが、私はこの時のことをあまり詳しく覚えておりません。というのも、あの人と対面したとき、不思議と、あぁ、この人だ、とこみ上げるものがあって、変に泣き出したい気持ちになってしまって、多分緊張の糸が切れてしまったのですね。ですので、彼が優しそうな人で良かった、と安堵したことくらいしか覚えておりません。

 あと、思い出すのが、コロッケのことです。初めて会っていきなり泣き出す私もどうかとは思うのですが、しばらくしてようやく泣きやんだ私に連れて行くところがある、といって、いきなりお化け屋敷みたいなぼろぼろのお店に連れて行く彼もどうかと思います。木造の平屋建てで、道路沿いに肉の入ったショーケースがあったので、ああ、ここは肉屋なんだな、と合点がいくような、古いお店でした。彼は白髪交じりで腰の曲がった店主さんに、コロッケとコーンコロッケ、と注文すると、私に向かって「大丈夫だから」と言いました。何が大丈夫なのかは分かりませんでしたが、彼が大丈夫と言ったんなら大丈夫なんだろうと思い、私たちは店主さんの揚げる小さめなコロッケをじっと眺めていました。やがて二つのコロッケはきれいなきつね色に揚がり、あの人がそれを受け取って私に手渡しました。

 食べてみ、と彼が言うので、私はまず俵型のコーンコロッケの方を取り出して、一口食べてみました。それがもう、今でも思い出すくらい美味しくて。衣はぴっぴっと立っていて、噛むとサクっと軽い音がして、油っこいところが一つもありません。中のコーンクリームは自然な甘さで、時折コーンの触感が口の中で楽しく、私は夢中でペロリと食べきってしまいました。こっちも、と彼が普通のコロッケも薦めてきたので、そちらも食べてみましたが、こちらは反対に塩気がちょうどよく、ジャガイモのほくほくとした感じがたまらなくて、またするっと食べきってしまいました。

 私にはそのコロッケが普段食べていたコンビニのお弁当よりずっと美味しくて、ほわっと胸が温かくなって、また涙が出そうになったのですが、私はそれをぐっとこらえて、「ごちそうさまでした。それと、初めまして」と言いました。彼は少し目を丸くしたあと、優しくうなずいて、「初めまして、はるばるようこそ」と言ってくださいました。

 「せっかく遠くから来てもらったんだし、とっておきの場所でもてなしたかったんだよ。いきなり君は泣いていたし、おいしいもの食べて元気になってほしかったんだ」と後にあの人は言っておりました。年頃の男女の出会いとして色気も何もあったものではありませんでしたが、あの人とのそういう素朴なところが、私を安心させたのかもしれません。

 彼は私より一つ年上で、県立の高校に通っていました。熊のような外見で、後に聞いた身長の割に大きく見えました。でも、不思議と威圧感の様なものはなく、私たちは普段掲示板で話していたように、親密に会話をしました。その日、あの人は私をいろいろな所に連れて行ってくださいました。と言っても、あの人も田舎の高校生でしたので、たいしてお金や移動手段もありません。その日私たちが巡ったのは、あの人の住んでいる街の図書館や、その近くにある公園や、市民向けに整備された森でございました。特にその森は絶滅危惧種の昆虫が生息している貴重な場所で、鬱蒼とした木々の中にある小さな遊歩道を、私たちは時間をかけて歩きました。九月の、残暑の残る季節にあって、森の中は少し涼しく、時折木々の隙間から太陽の光が射し込み、そのたびに緑の香りを嗅ぎました。蝉たちが、まだ幾ばくか鳴いていて、今はまだ夏なんだろうか、もう秋なんだろうかと、私たちはそんな益体のないことを話しました。この時期は気持ちがいいんだけど、と彼は言いました。冬は寒々しくて緑もなくなっちゃうし、真夏はけっこう人が多いんだよなあ。へぇ、そうなんですか、私は森にきたの初めてだけど、この時期けっこういいんですね、気持ちいいです。まあね、この時期も結構いろんな植物とか動物とか見られるし、あ、でも一番すごいのは梅雨明けかな。梅雨明け?そう、雨の滴が草とか花をきれいに見せるし、そのころが一番動物とか昆虫が出てくる頃なんだよね。蝶とかかたつむりとか。まあ、ゲジゲジとかハチとか蛇とかも活性化するけどさ。……私、虫とか蛇とか苦手なので、ちょっとその時期は近づけないかも。そっか、そりゃ仕方ないな、わりと圧巻なんだけど……。

 私が帰りの電車に乗るまで、あの人とそんな風に話をしました。駅で連絡先を交換し、電車に乗り込んで、手を振って別れて、もふっとした座席に腰を落とすと、思ったよりもお尻が沈み込んでしまって、そのとき私は初めて、自分が一日歩き回って疲れていたのを知りました。足先から全身に至る心地よい疲労感と、不規則な電車の揺れにあわせて、私の意識はだんだん微睡んでいきました。私とあの人は、そうやって出会ったのです。

 家に帰った私を待っていたのは、いつもの鬱屈とした毎日でした。親とギスギスと会話し、機械的にバイト先に行って、死んだように眠る。そんな毎日でした。私は何度もあの人と会った日のことを反芻し、あの人と連絡を取りました。あの人と連絡を取るのが怖かったのもこの時期のことです。当時私は毎日何時間も彼と連絡を取っていて、あまりの連絡の頻繁さに彼が飽きてしまわないか、そもそも面倒に思っていやしないかと、思っておりました。それでも、連絡を取らないと、私の内側が張り裂けそうになってしまって、どうしても止めることができませんでした。きっと私は寂しかったのだろうと思います。苦しかったのだろうとおもいます。先にもお話したように、私は学校に通っておらず、友達もなく、家族とも仲が悪く、人との交流に餓えていたのです。あの人は私と話をするとき、初めて会ったとき、私を大切に扱ってくれました。その心遣いが、嬉しかったのです。私はあの人を、好きになっておりました。それは灯台の灯火のように揺るぎない輝きのものでした。

 それでも、私はその気持ちを伝えることはありませんでした。私たちの間には普段電話やメールでしか話せない物理的な距離があって、私が彼にとって重くて迷惑なのではないかしらと思ってしまう心理的な距離があって、仮にこの想いを伝えて、あの人に袖にされてしまって、距離をおかれてしまうのが、私は何より恐ろしかったのです。

 私が人に隠れて煙草を吸い始めたのは、ちょうどこのころだったかと思います。当時は今よりも年齢確認が厳しくなく、ちょっと気をつけてさえいれば、未成年でも煙草を買うことができました。アルバイトから帰る道すがら、女性向けの細い煙草に火をつけて、こほこほと軽い咳をしながら、できるだけ肺いっぱいに煙を吸い込んで、メンソールの涼やかさをもてあそびながら、ゆっくりゆっくりそれを吐き出し、それを何度も何度も繰り返しながらあの人と会話をするのが、唯一私の気持ちがひとところに落ち着く行為でした。煙を吸って、吐き出すこと、それでようやく私は自分が生きて呼吸をしていることを確認できる有様でした。私は、今ではもう煙草は嗜みませんが、あの当時は喫煙によって、自分が生きているかどうかの判定ができたんだと思っております。

 そんな生活が、一ヶ月ほど続いた頃でしょうか、あのひとが、あなたさえよければ○○日にまた会いませんか?と連絡をくださいました。あの人からそういうお誘いが出てくることにも驚いたのですが、あの人がまた私と会いたいと思ってくれていることが私にとってとてもうれしく、あわてて、行きます超行きます絶対行きます、と返信をして、彼に、そんなに焦らなくても、と苦笑されました。なんと言われても、なんと笑われても、私はそれどころではなく、あの人にまた会えるのだという喜びで胸がいっぱいでした。当日どんな会話をしようかしら、少しでもあの人に好かれたい、どんな服装で行けば、煙草の匂いが分かったら嫌われてしまうかしら、あの人はいったい何を考えているんだろう。詮無いことを毎日ずるずると思い悩み、アルバイトでは失敗ばかりすることになりました。

 あの人と二回目に会ったのは、お誘いの連絡から二週間後の少し肌寒い日曜日のことでございます。結局私は黒の長袖のシャツに薄手のジャケットとジーンズ、スニーカーという格好で彼の元に赴くことにいたしました。今の私が、女性らしい格好をしても、かえって面倒な女臭さを振りまいてしまうだけだと思いましたので、自分の持っているワードロープのなかでなるべく男性的な格好を選んだのを覚えております。あの人がまた以前のように森に連れて行ってくださるかもしれないので、動きやすい格好を選んだという理由もございますが、そちらの方はほんの些細なポイントでありまして、結局私は、あの人に女として見られるのが恥ずかしかったのだと思います。

 私が自分に自信を持てていたら、と着替えながら何度悔やんだかしれません。私が女として自分に自信を持っていたら、もっとあの人の気を引けるような格好をして、あの人が目を見張るようなお化粧をして、唇に紅の一つでもひいて、彼の気持ちを得るために手を尽くしていたでしょう。ですが、今の私にはその度胸はなく、格好は男性のよう、お化粧も最低限、せいぜい格好が悪くならないように姿勢に気をつけるだけで、美しい紅もなく、煙草の匂いを唇に薄くつけるばかり。鏡の前の自分は何一つ目を引くところがございません。私は、なんだか泣き出したいような気持ちになって、それでも自分が自分であることを忘れないために、紅の代わりに煙草をポケットに忍ばせて、支度を整えたのでございます。

 私の地元の駅で切符を買って、電車に乗り込むとき、その一歩がなんだかひどく重くて、なぜかしらと自問自答をして、その理由がわからないふりをしながら、その一歩を踏み出したことを覚えております。季節は十一月の半ばを過ぎて、日の光りもももう短く、ジャケットの首筋をなぞる風に、キンとした寒さを感じるような日でありました。その冬の始まりの一日を、私は冷たい気持ちを抱えて、彼の元に向かったのです。

 彼の待つすこし難しい漢字の駅をおりると、改札の所に、学生服の一団がおりました。そろいのダッフルコートを纏って、男の子も女の子も、鋭い初冬の寒さに震えながら、それでも皆ほころんだ顔で頬を赤く上気させて会話に興じておりました。私は冷たい気持ちのまま、群れをそっとかき分けて進みました。私は、彼がこの一団の中にいないことを小さく願いました。私と同じく冷たい緊張を抱えたまま、待っていて欲しいと願いました。

 改札をでて、待合所にでると、さっきと同じような一団が何組かありました。一様に楽しそうで、暖かそうでした。それに混じって、待合所の隅の自販機のそばに立っている人がおりました。彼でした。周りと同じダッフルコート、それでも纏っている雰囲気は一人、緊張感を伴ってすこし寒々しく見えて、彼も私と同じ気持ちなのかもしれないと思って、私は彼の元に足を早めました。

昔に吐き出すようにして書いた文章でございますので、残念ながら未完で書き溜めもございません。ご容赦くださいますようお願い申し上げます。

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