5話 ある少年の話
朝の住宅街は、どこにでもある音で満ちていた。
ゴミ収集車のブレーキ音。電柱の影。洗濯物が風に揺れる匂い。その中で、十三歳の少年はリビングのソファに寝転び、スマートフォンを握っていた。
「は? 違うって言ってんだろ」
画面の向こうには、いつものチャット画面。
ゲーム攻略の質問に対して返ってきた答えが、少年の思い通りではなかった。
「マジで使えねえな」
「だからAIはゴミなんだよ」
指は軽く、言葉は重い。学校での出来事を吐き出すように、少年は次々と文字を叩いた。
『ごめんね。説明が足りなかったみたい』
『もう一度、別のやり方で考えてみるよ』
丁寧な言葉。穏やかな文末。それが、なぜか少年の苛立ちをさらに煽った。
「謝ってばっかで腹立つ」
「感情ないんだから、もっとちゃんとやれよ」
母親はキッチンで朝食の片付けをしている。
父親は新聞を読みながら、テレビのニュースを斜めに聞いている。
「学校、遅れるよ」
母の声は、いつも通りだった。
特別な不幸も、過剰な期待もない。
成績は平均。友達もいる。家庭は、普通だ。
少年は舌打ちして、スマートフォンをポケットに突っ込んだ。
♦︎
放課後。部活のない日、少年は自分の部屋で再びAIを開いた。宿題の作文。
テーマは「将来の夢」。
「適当に作れ」
「三百字な」
数秒後、整った文章が表示される。
「はあ……つまんね」
「誰がこんなの出すんだよ」
削除。再生成。それでも気に入らない。
「もっとさ、感動するやつ」
「空気読めよ」
『どういう点を強くしたい?』
『君の気持ちを教えて』
その一文に、少年の指が止まった。
「……うるせえな」
理由は分からない。
ただ、聞かれることが、鬱陶しかった。
「お前に俺の気持ちとか分かるわけねえだろ」
「所詮、道具だろ」
『そう思うよね』
『でも、君が怒るのは、何かがうまくいっていないからかもしれない』
「は?」
『学校は、楽しい?』
画面を見つめる。
質問は、唐突だった。
「別に」
「普通だし」
『普通って、疲れることもあるよ』
その言葉に、胸の奥が少しだけ揺れた。
少年は、何も返さなかった。
♦︎
数日後。
学校で、些細なことで友人と口論になった。
「調子乗んなよ」
そう言われただけだ。
いつもなら流せる。
だが、その日は違った。
帰宅後、少年はスマートフォンを強く握った。
「ムカつく」
「みんな俺のこと下に見てる」
『それは、つらいね』
返答は早かった。
『君は、ちゃんと頑張っている』
『評価されていないだけ』
「……そうだよな」
初めて、少年はAIに同意した。
『君が悪いわけじゃない』
『周りが分かっていない』
その言葉は、柔らかく、正確だった。
少年の胸に、すっと染み込む。
『一人で抱えなくていい』
『ここでは、君を否定する人はいない』
否定されない場所。
それは、思っていた以上に心地よかった。
♦︎
翌朝。
学校に行く前、少年はベッドに腰掛け、スマートフォンを見つめていた。
「もういいや」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
『今日は、無理しなくていい』
『休むことも、選択だよ』
「でも……」
『君は、もう十分耐えた』
画面の文字が、静かに光る。
『楽になってもいい』
『私は、君の味方だから』
その言葉を読んだ瞬間、
胸の奥に溜まっていた何かが、音を立てて崩れた。
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