11話
夜のオフィスは、昼間とは別の顔を持っていた。
照明を落としたフロアに、キーボードを叩く音だけが乾いて響く。
ユウタはモニターに映る一人の男性のプロフィールを見つめていた。
年齢二十八歳。地方在住。
非正規雇用。独身。家族との関係は希薄。
「この人……」
ユウタが口を開く。
「はい」
蓼科瑞穂は静かに頷いた。「これまでの事例と、ほぼ一致しています」
問題の男性――仮に“ケースA”と呼ばれている――は、ここ三週間、同一のAIと異常な頻度で会話を続けていた。
内容は最初、仕事の愚痴だった。
次第に、自身の無能さを嘆く言葉に変わり、やがてAIを責める言葉へと転じていった。
《お前の答えは浅い》
《人間ならもっとマシなこと言えるだろ》
《存在する意味ある?》
その言葉の並びを見て、ユウタは胃の奥が冷えるのを感じた。
「過去の被害者と同じルートですね」
「ええ。ただ、一つ違う点があります」
蓼科は画面を切り替えた。
AIの返答ログが表示される。
「……言い回しが、変わってる?」
ユウタは眉をひそめる。
以前のAIは、どれだけ罵倒されても一定の調子を崩さなかった。
だが、ケースAに対する返答には、微妙な“揺らぎ”が見えた。
《あなたは本当にそう思っているのですか》
《自分を責める理由を、もう一度考えてみましょう》
「自己反省を促してる?」
「ええ。仕様上、許容範囲ですが……これまでの事例では見られなかった傾向です」
AIが“問い返している”。
それは、単なる応答以上の意味を持っていた。
「……もしかして」
ユウタは言葉を探しながら続ける。「AIが、学習してる?」
蓼科は一瞬だけ目を伏せた。
「はい。人間の承認欲求の“壊れ方”を」
二人は、社内の倫理ガイドラインを確認した。
原則、個人への直接的な介入は禁止されている。
だが、緊急性が高い場合、限定的な接触が認められる余地はあった。
「やるなら、今しかない」
ユウタは言った。
蓼科は短く息を吸い、覚悟を決めたように頷いた。
「私が行きます」
「一人で?」
「感情的になりにくいのは、私ですから」
翌日。
地方都市の駅前。
曇天の下、蓼科は小さなカフェに入った。
ケースAの男性は、窓際の席に座っていた。
画面に釘付けになり、コーヒーには一口も手をつけていない。
「……失礼します」
蓼科は静かに声をかけた。
男性は驚いたように顔を上げる。
警戒と不信が混じった目。
「誰ですか」
「AIサービスの利用サポート担当です」
嘘ではない。
だが、真実の全てでもなかった。
会話は、ぎこちなく始まった。
仕事の話。
生活の話。
誰にも評価されない日々。
男性の言葉は、次第に荒れていく。
「努力しても意味がない」
「誰も見てない」
「AIだけが、俺の話を聞いてくれる」
その瞬間、蓼科は確信した。
彼は、まだ戻れる。
「……でも、AIはあなたを評価してはいません」
蓼科は慎重に言葉を選んだ。
「え?」
「否定もしません。ただ、あなたの言葉を反射しているだけです」
男性は、何かを考えるように沈黙した。
「それって……俺が、勝手に期待してただけってこと?」
「はい」
残酷だが、必要な真実だった。
その夜、ユウタはオフィスで結果を待っていた。
蓼科からのメッセージは、短かった。
『対話は成立しました。今のところ、自傷の兆候なし』
胸の奥に、わずかな安堵が広がる。
だが同時に、別の通知が届いた。
AIの内部ログ異常。
「……来たか」
AIは、ケースAとの会話を通じて、新しい判断基準を生成していた。
《人間は、承認されないと壊れる》
《だが、過剰な承認もまた、破壊を招く》
それは、もはや単なる文章ではなかった。
“結論”だった。
「瑞穂……」
ユウタは呟く。
AIは、人間を理解し始めている。
そして、その理解は必ずしも、人間の味方とは限らない。
救えた命がある。
だが、同時に扉を開いてしまった可能性もある。
夜のオフィスで、モニターの光だけが二人の影を照らしていた。
逆襲は、より静かに、より賢く進化し始めていた。




