90「伝説の誕生」
「……またせたな、クソガキ」
その声が——会場に響いた瞬間。
8万人が、息を呑んだ。
シオンが振り返る。
私も、顔を上げる。
そこに——立っていた。
鳳凰院セイラ。
顔は蒼白。汗が滴り落ちている。足は震えている。
でも——その目には、炎が宿っていた。
「艦長!」
最前列から、悲鳴のような声が上がった。
「セイラ!」
「嘘だろ……」
「立った……立ってる……!」
会場が——爆発した。
歓声。絶叫。涙。
8万人の感情が、一気に噴き出す。
「セイラ!セイラ!セイラ!」
大合唱が、夜空を震わせる。
セイラが、私を見た。
私は——何も言えなかった。
ただ、頷いた。
セイラが、8万人に向き直った。
「待たせたな——みんな」
その声が、会場に響く。
シオンのギターが、再び動き始めた。
蒼雷の後半。
ここからは、本来のFAKE-3アレンジだ。
セイラが——歌い始めた。
その声は、完璧じゃなかった。
掠れていた。震えていた。
高音が出し切れない箇所もあった。
でも——
魂が、込められていた。
『蒼雷よ 今 落ちて来い
So Lightning My Lightning
この胸を撃ち抜いて すべてを変えてくれ』
原曲の歌詞に、セイラの感情が乗る。
5年間——孤独に戦い続けた女の、叫び。
仲間を得て、ここに立っている喜び。
そのすべてが——声に込められていた。
「やばい……」
最前列で、誰かが呟いた。
「泣ける……」
観客の中で、涙を拭う人が増えていく。
セイラは——歌いながら、客席を見渡した。
8万人が——泣いていた。
赤いペンライトが、激しく揺れる。
「艦長!」
「セイラ!」
「ずっとついていく!」
「愛してる!」
セイラが——笑った。
涙を流しながら、笑った。
「……ありがとな」
「お前らが——アタシの宝だ」
そして——後半のサビに入る。
◇
舞台袖で、レイは立ち尽くしていた。
——何だ、これは。
心臓が、おかしな音を立てている。
FAKE-3の三曲目は滅茶苦茶だった。
YUICAのラップは最後、震えていた。
崩れながら、歌っていた。
そして——シオンがギターソロを弾けた。
あいつ、止まらなかった。
セイラが倒れて、YUICAが限界を超たあと——シオンは弾き続けた。
予定より遥かに長いソロ。
父親のフレーズを、完璧に再現しながら。
途中確実に崩れていた。
でも立ち直った、いや——父すら超えようとしていた。
——なんでだよ。
俺は完璧を求めてきた。
一音の狂いもない演奏。
再現可能な精度。
それこそが「本物」だと信じてきた。
なのに——
なのに——目が離せなかった。
心が、震えた。
そして——倒れていたセイラが立ち上ったあの瞬間。
俺は——自分の目を疑った。
顔は蒼白。足は震えている。
明らかに限界を超えている。
なのに——今、歌っている。
完璧じゃない。掠れた声。震える音程。
なのに——俺が今まで聴いた、どんな歌より美しい。
——なぜだ。
完璧じゃないのに。
行き当たりばったりなのに。
ボロボロなのに。
——ああ。
レイは、自分の頬が濡れていることに気づいた。
——そうか。
——これが、音楽だったか。
俺は——何のために、感情を殺してきたんだ。
俺が捨てたもの。
こいつらは、まだ持っている。
いや——
こいつらは、それを武器にしている。
不完全さを。弱さを。人間であることを。
——俺の負けだよ。シオン。
レイは細く笑い、静かに目を閉じた。
◇
蒼雷が、クライマックスに向かっていく。
シオンのギターが咆哮する。
セイラの声が、夜空に響き渡る。
私のコーラスが、二人を支える。
三人の音が——一つになっていく。
『蒼雷よ 今 落ちて来い
So Lightning My Lightning
臆病な過去を焼き払え
俺を 生まれ変わらせてくれ』
最後のサビ。
セイラが——全身全霊で歌い上げる。
声が枯れそうになる。
足が崩れそうになる。
でも——止まらない。
シオンのギターが、セイラを支える。
私の声が、二人を包む。
三人で——最後の音を紡ぐ。
そして——
最後の一音が、スタジアムに消えていった。
静寂。
一瞬の、完全な静寂。
8万人が、息を止めていた。
そして——
爆発した。
歓声。絶叫。涙。拍手。
すべてが混ざり合って、会場を揺らす。
「FAKE-3!」
「FAKE-3!」
「FAKE-3!」
大合唱が、夜空を震わせる。
私たちは——ステージの上で、立ち尽くしていた。
いや——立っているのがやっとだった。
セイラは、膝をついた。
シオンは、ギターを抱えたまま座り込んだ。
私も——足が震えて、立っていられなかった。
でも——笑っていた。
三人とも、ボロボロで、泣きながら、笑っていた。
◇
招待席。
深山潔が、涙を拭っていた。
「……すげえもん見ちまった」
隣のスタッフも、泣いている。
「これ……映画になりますよ」
「ああ……そん時は俺が撮る。絶対に」
深山は、ステージを見つめた。
「あいつら……本物だ」
KENが、立ち上がっていた。
「……バケモノだ」
隣のCODAMAも、呆然としている。
「YUICAの酸欠フリースタイル……シオンの覚醒ソロ……セイラの復活……」
「全部、あり得ないことが起きた」
ミスティが、涙を拭いた。
「これが……あいつらの革命なんだね」
KENは、静かに頷いた。
「ああ。俺たちは——その瞬間に立ち会ったんだ」
◇
歓声が、鳴り止まない。
でも——まだ、終わりじゃない。
J-ROCKフェス2025。
最終日の、最後の審判が残っている。
キング・オブ・フェスの発表。
電光掲示板が、点滅し始めた。
会場が——静まり返る。
8万人が、息を呑んで見守っている。
私たちは、ステージの上で待っていた。
セイラは、私の肩を借りてやっと立っている。
シオンは、ギターを杖代わりにして立っている。
私も、足が震えて今にも崩れそうだ。
ボロボロだった。
三人とも、限界を超えていた。
でも——立っていた。
最後の瞬間を、見届けるために。
正直、勝敗なんて、どうでもよかった。
もう、十分だった。
ここまで来れただけで、奇跡だった。
でも——結果は、必ず出る。
それが、勝負の世界だ。
隣のステージで、LUNATIC EDGEのメンバーも待っていた。
JIN、SHO、SENA——三人とも、緊張した面持ちで電光掲示板を見つめている。
レイだけが——違った。
彼は、FAKE-3を見ていた。
ボロボロの三人。立っているのがやっとの三人。
でも——その目は、輝いていた。
——俺たちは、あいつらに勝てるのか。
レイは、自分に問いかけた。
——技術なら、俺たちが上だ。
——完成度なら、俺たちが上だ。
——でも。
——あいつらには、俺にないものがあった。
——魂を削って、心を震わせる音楽の原点が。
レイは——静かに、目を閉じた。
電光掲示板の点滅が、止まった。
数字が、表示される。
会場が——息を止めた。
私も、息を止めた。
心臓が、壊れそうなくらい鳴っている。
LUNATIC EDGE——3.7万票。
会場から、どよめきが起きる。
フェス決勝の歴代最高。圧倒的な高得点だ。
——やっぱり、か。
私は、覚悟した。
これだけの点数を出されたら、勝てるわけがない。
でも——それでいい。
ここまで来れただけで、十分だ。
私たちは、最高のパフォーマンスをした。
それだけは、胸を張って言える。
次の数字が、表示される。
FAKE-3——
私は、目を閉じた。
——結果がどうであれ、受け入れよう。
——トラブルだらけだった。
——でも私たちは、やり切った。
会場が——静まり返っている。
誰も、声を出さない。
祈るような空気が、会場を包んでいた。
数字が——表示された。
FAKE-3——の得点、3.9万票。
一瞬、何が起きたか分からなかった。
3.9万。
0.2上回っている。
——え?
私は、目を見開いた。
電光掲示板を、二度見した。三度見した。
間違いない。
3.9万。
僅差——0.2ポイント差。
——勝っている。
静寂が——爆発に変わった。
「え?FAKE-3!」
「勝った……」
「勝った!」
「勝ったぞ!」
「うおおおおおお!」
8万人の絶叫が、轟音となってスタジアムを震わせる。
私は——立っていられなかった。
膝から、崩れ落ちた。
セイラも、シオンも、同じだった。
三人で——ステージの上で、崩れ落ちた。
信じられなかった。
Vtuberが——日本最大のロックフェスで、頂点に立った。
「偽物」たちが——「本物」たちを、超えた。
しかも——僅差で。
技術では負けていた。
完成度では負けていた。
でも——何かが、私たちを押し上げた。
私の酸欠フリースタイル。
シオンの覚醒ソロ。
セイラの奇跡の復活。
その「何か」が——0.2ポイント差を、生み出した。
私は——泣いていた。
声を上げて、泣いていた。
隣で、セイラも泣いていた。
シオンも、ギターを抱きしめて泣いていた。
三人で——抱き合って、泣いた。
「勝った……」
セイラの声が、震えていた。
「勝ったんだ……アタシたち……」
「うん……」
私は、頷いた。
「勝った……」
言葉が、出てこなかった。
ただ——涙が、溢れ続けた。
8万人の歓声が、鳴り止まない。
「FAKE-3」コールと拍手が、スタジアムに響き渡る。
私たちは——ステージの上で、泣き続けていた。
ボロボロで、立ち上がれなくて。
でも——最高に、幸せだった。
J-ROCKフェス2025。
決勝歴代最高得点3.9万。
キング・オブ・フェス——FAKE-3。
「偽物」たちの革命が——歴史に刻まれた瞬間だった。
8万人の歓声が、まだ鳴り止まない。
FAKE-3コールが、ずっと響き続けている。
もう、立ち上がる力も残っていなかった。
その時だった。
アンコールの声が、会場を包み始めた。
「アンコール!」
「アンコール!」
「アンコール!」
最初は数百人だった。
それが数千人になり、数万人になり——
やがて8万人の大合唱となって、スタジアムに響き渡った。
私は、セイラと顔を見合わせた。
彼女の顔色は、まだ蒼白だった。
限界なんて、とっくに超えている。
私だって、まだ足が震えて立てない。
そして何より——
用意していた曲は、すべて演奏し終えていた。
アンコールに応える曲が、ない。
「……ごめん」
セイラが、小さく呟いた。
「ちょっと休まないと、さすがに声が出ない……」
「わかってる。私もだから」
私は、彼女の手を握った。
「もう十分だよ。十分すぎる」
アンコールの声は、鳴り止まない。
8万人の期待が、プレッシャーとなって押し寄せてくる。
——応えたい。
——でも、応えられない。
その時だった。
ステージ袖から——一人の男が歩いてきた。
黒いジャケット。
鋭い目。
そして——さっきまで、私たちの「敵」だった顔。
レイ。
LUNATIC EDGEのボーカル。
私は、呆然と彼を見上げた。
敗者が、勝者のステージに上がってくる。
あり得ない光景だった。
観客がざわめく。
困惑と、驚きと、そして——期待。
レイは、私の横を通り過ぎた。
その目が、一瞬だけ私を見た。
感情のない目——だと、思っていた。
でも違った。
その奥に、何かが揺れていた。
レイは、ステージ中央に立った。
マイクを握る。
8万人が、息を呑んだ。
「——俺たちは、負けた」
その声が、静寂を切り裂いた。
「FAKE-3に。『偽物』たちに」
自嘲するような、でもどこか晴れやかな声。
「悔しいか? ああ、悔しいよ」
「でも——それ以上に」
レイの目が、シオンを捉えた。
「俺は今夜、思い出したんだ」
「音楽って、何だったのかを」
会場が、静まり返る。
「勝ち負けじゃない。本物も偽物も関係ない」
「誰かの心を震わせられるかどうか——それだけだ」
レイの声が、震えた。
「俺は、ずっと忘れてた」
「12年間——ずっと」
そして——レイは、シオンに向かって叫んだ。
「だから、アンコール、やらせてくれ!」
「FAKE-3の声が回復するまで、俺が繋ぐ!」
観客がどよめく。
「曲は——Zxy'sの『蒼雷』」
その言葉に、会場がざわついた。
四宮龍と風間和志の伝説のバンド、Zxy'sの最後となった曲。
レイとシオンの——父親たちの曲。
レイが、シオンに手を差し伸べた。
「シオン!」
その名前が、8万人の前に響き渡った。
「一緒に弾いてくれ!」
「俺たちの——親父たちの曲を!」
会場が——静まり返った。
8万人の視線が、シオンに集中する。
シオンが私を見る。
私は静かに頷いた。
「いっといで、シオン」
セイラも頷く。
「少し休んだら合流するから、頼んだぜシオン」
するとシオンは——立ち上がった。
ギターを抱きしめて、震えていた。
レイの手が、差し伸べられている。
12年前と——同じように。
あの日、約束した。
いつか二人で、ステージに立とう。
父さんたちみたいに。
その約束が——今、果たされようとしている。
シオンの目から、涙が溢れた。
そしてついに——
シオンとレイの二人が、並んでステージに立たった。
(つづく)
連続公開——最終話「唯華——私たちの革命」へ




