09「艦長の戦略〜決戦は20日後」
【一方その頃 マスターズ本社・東京都心】
東京都心の超高層ビル、その25階から30階までの全6フロアを占有する『株式会社マスターズ』。
エレベーターホールに足を踏み入れた瞬間、来訪者の目に飛び込むのは壁一面に飾られた所属Vtuberたちのポートレートだ。
その総登録者数は5000万人を超える。まさに日本最大のVtuberプロダクション。
その頂点に君臨するのが、登録者数420万人を誇る鳳凰院セイラ。彼女一人の年間売上は、中堅芸能事務所の全体売上に匹敵する。
最上階の役員会議室では、緊急リモートミーティングが開かれていた。床から天井までの巨大なガラス窓からは東京の街並みが一望でき、大型モニターには複数の参加者の顔が映し出されている。
ここは、日本のバーチャルエンターテイメント業界を支配する、まさに頂点の場所だった。
「艦長……セイラさん、ちょっと今回は慎重に行こうよ」
画面の中のスーツ姿の中年男性、マスターズの営業部長である古谷が心配そうに言う。
「野良Vtuberとのコラボはリスクが高すぎる。炎上したら他のマスメンに飛び火するかもしれない」
会議室の壁面モニターには、昨夜の配信のハイライト映像が流れている。YUICA♡が艦長を罵倒するシーンが繰り返し再生されていた。
「でも話題性は抜群ですよね」
別の画面の若手マネージャーが資料を見ながら発言する。
「SNSでの拡散数、検索ボリューム、どれも今年最高水準です。この旬を逃すのはもったいないかと」
メイン画面に映る鳳凰院セイラは、カジュアルな私服姿で椅子に座っていた。赤い髪をポニーテールにまとめ、普段の威圧的な雰囲気とは違って、リラックスしている。
「ふふっ、心配性だねぇ古谷くんは」
「でも艦長、相手はたかが登録者40万人の新人ですよ?しかも対決内容も決まってないじゃないですか」
古谷部長が心配そうに続ける。
「罵倒系は艦長の得意ジャンルだけど、相手のあれは素に近い。つまりプロレスじゃなく喧嘩だ」
「だからこそ面白いんじゃない」
セイラが画面の向こうで微笑む。
「あ、それとね」
セイラが手をひらりと振る。
「こっちの土俵でやるんだから、せめてもの情けで対決内容は相手に選ばせるつもりよ」
「えええ?」古谷部長が驚く。
「相手に有利な条件を渡すんですか?」
「出たとこ勝負?大丈夫なのかな……」
別の画面からの心配そうな声。
「ふふん。アタシのアドリブ力は知ってるでしょ」
セイラが不敵に笑う。
「台本がない時の方が集中力が増すのよね。正直、負ける気がしないわ」
その時、別の人物が参加画面に現れた。
「艦長ー!緊急事態ですぞ!」
画面に飛び込んできたのは、銀河歌劇艦隊の副艦長、星野ルナだった。青い髪をツインテールにした、元気いっぱいの後輩Vtuberである。
「ルナちゃん、会議中よ」
「そんなことより見てくだされこれ!」
ルナがタブレットを画面に拡大させる。
「YUICA♡の登録者数、もう50万人突破してますです!昨晩だけでプラス10万人ですぞ!」
「え?」
会議室がざわめく。
「しかもファンアートとか二次創作とかもバンバン投稿されてて、完全にバズってますです!艦長が負けるわけないですけど、数字だけ見ると本当にすごいのです!」
「さすがアタシが狙っただけあるわねぇ」
セイラが感心したように言う。
「艦長、これ少しまずくないですか?」
今度は艦隊通信士の其方アマネが顔を出す。緑髪のクールな美女で、艦隊のデータ分析担当だ。
「データ的に見ると、相手の成長速度は異常値を示しています。このペースだと艦長とのコラボ結果次第で100万人に到達する可能性が高いです」
「それに……」
アマネが深刻な表情になる。
「業界メディアが注目し始めています。『Vtuberウィークリー』『デジタルエンタメ最前線』『アニメイティスト』大手が軒並みバトルの取材申請を出してきています」
「ちぃ。誰か裏で動いてるのか?」古谷部長が青くなる。
「これはもう、単なるコラボの範疇を超えてますね。業界全体が注目する『事件』になってきましたね!」
興奮気味の若手マネージャーに対して、古谷部長が急に真剣な表情になる。
「ちょっといいですか!?」
古谷部長が手を上げる。
「せっかくうちからオファーしてる期待の逸材です。いったんコラボを延期して、好条件での加入を促してみませんか?」
「え?」ルナが驚く。
「それだとコラボバトルから逃げたと思われるですぞ!なし!艦長が逃げるなんてありえないのです!」
「逃げるんじゃない。戦略的判断だよ」
古谷部長が資料を画面に表示する。
「YUICA♡をマスターズに加入させれば、独立系期待のホープを潰せるし、こっちは次期エース候補を囲えるんだ!一石二鳥だろ」
「それに、万が一艦長が負けでもしたら……」
会議室に重い沈黙が流れる。
「あはっ!面白くなってきたじゃない」
セイラの目がキラキラと輝く。
「艦長!艦長!☆ていあーん!」
今度は機関士の茜コハクが現れた。ピンクの髪で、いつも元気いっぱいの末っ子キャラだ。
「もし艦長がYUICA♡に勝ったら、見習いとして艦隊に加えない〜?」
「え?」
「だって面白そうじゃん♪罵倒系艦隊員とか超新しいよ〜☆」
「それよきですね!」ルナが手を叩く。
「『見習い航海士YUICA♡』とか!あのお嬢様タイプが負けて艦長の部下になっちゃうとか⭐︎ラノベみたいで面白いじゃんね!」
「そんな条件出して、もしこちらが負けたらどうするんです?」アマネが冷静に聞く。
「負けないもん〜!」コハクが胸を張る。
「艦長が負けるわけないでござる!」ルナが続く。
「みんな、もう少し真剣に考えてくれよ……」古谷部長が頭を抱える。
「古谷くん」
セイラがゆっくりと口を開いた。
「バトルの先送りは……お断りよ」
「ちょっと、艦長?」
「アタシは、あの子と戦いたいんだよ」
セイラの目が真剣になる。
「計算や戦略じゃない。純粋に、勝負がしたいの」
セイラが立ち上がり、窓の外を見つめる。その横顔は、どこか寂しそうだった。
「アタシがVtuberになった理由、覚えてる?」
「それは……」
「もっともっと、人生を楽しみたいからよ」
セイラが振り返る。
「YUICA♡を見てて思ったの。あの子、純粋に楽しんでる」
「計算なんてしてない。ただ、心のままに配信してる」
セイラの表情が少し曇る。
「アタシ、いつからこんなに『みんなを引っ張らなきゃ』『完璧でいなきゃ』って思うようになったんだろうね」
会議室に沈黙が流れる。
そして、セイラがゆっくりと口を開いた。
「決めた。視聴者が集まる次の大型連休!5月3日午後8時。同時配信で対決するよ!」
「3週間後ですか?」古谷部長が確認する。
「ええ。お互いに準備期間があった方が面白いでしょ?」
「で、対決内容は相手に任せる?」
「YUICA♡は必ず『人生相談』で挑んでくる」
「え?」
「それがYUICA♡の得意分野でしょ?もしアタシが彼女だったらそうするからね」
セイラが机の引き出しから薄いメモ帳を取り出した。
「これから3週間かけて、あの子を完全分析する」
「艦長……」
「相手を知らずに戦うほど、愚かなことはないからね」
「でも3週間もあると、相手も成長しますよ?」アマネが指摘する。
「だからこそ面白い」
セイラが不敵に笑う。
「お互いに全力で準備して、最高の状態で戦いましょう」
「それに……実は、人生相談なら私にもアドバンテージがある」
「どういうことですか?」アマネが興味深そうに聞く。
「Vtuberになる前、私はブラック企業で働いてた」
セイラの声が少し低くなる。
「毎日のように同僚や後輩の相談に乗ってたのよ。人間関係、仕事の悩み、将来への不安……」
「艦長……」
「YUICA♡は確かに自然体で魅力的。でも人生経験では、アタシの方が上」
セイラが自信を見せる。
「あの子は、アタシのVtuber時代しか知らない。でもアタシの実年齢は31歳。彼女が知らない『過去の蓄積』があるのよ」
「3週間あれば、会社員時代に培った『人の心を読む技術』も思い出せるでしょう」
「さすが艦長……」
「でも」
セイラが何かを思い出すかのように、遠くを見る。
「あの子を見てて思うの。本当に自然体で羨ましい」
「……3週間後が、楽しみになってきたわ」
その時、ルナが元気よく手を上げた。
「艦長ー!私たちも応援配信していいですか?」
「もちろん。みんなで盛り上げましょう」
「やったー!絶対に艦長を応援しますです!」
会議室が一気に盛り上がる。
セイラはそんなメンバーたちを見ながら、小さくつぶやいた。
「YUICA……3週間しっかり足掻きなさい。そしてアタシを楽しませてよ」
【美咲たちの元へ】
ピロン♪
スマートフォンの通知音が響く。
「あ、艦長からメッセージが来た!」
ゆいが画面を確認する。
『5月3日午後8時。場所は銀河歌劇艦隊チャンネル。バトル内容はそっちに任せる。3週間、しっかり準備してこい。逃げんなよ、地雷姫』
私とゆいは顔を見合わせた。
「3週間……」
「お姉ちゃん、これはチャンスだよ」
ゆいの目がキラキラと輝く。
「3週間あれば、お姉ちゃんをもっと強くできる」
「強くって……」
「得意な人生相談の技術を磨いて、実力をアップさせる時間があるってことだよ」
私は迷っていた。
——ここまで来て、本当に私でいいんだろうか。
——相手は日本一のVtuber。私はただの素人。
でも、これまでの配信を思い出す。
ブタどもを馬鹿にされた時の怒り。あれは嘘じゃなかった。
——私には、守りたいものがある。
私は画面に向かって返信を打った。
『承知しました。では『人生相談』で勝負しましょう』
『3週間も私を成長させる時間を与えたこと、後悔させてあげますよ』
そう。これは私の選択だ。
誰かに押し切られたわけじゃない。
私自身が、この戦いを受けて立つことを決めたんだ。
「ゆい」
「何?」
「3週間、バイト休むよ!……私を鍛えるプランを考えて!」
ゆいがにっこりと笑った。
「任せて、お姉ちゃん」
——ブタどもと一緒に築いてきたもの。
——それを、誰にも壊させない。
日本一のVtuberとの決戦まで、あと20日。
(つづく)
——次回「特訓開始!美咲を鍛える20日間の物語」