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86「人智を超えた存在」

 セイラは夢を見ていた。


 子供の頃から、夜はセイラにとって敵ではなかった。


 眠らなくても、

 頭の中は明るく、忙しく、

 次々と世界が浮かんでくる。


 ひとつ思いつくと、

 それに枝が生え、

 葉が広がり、森になる。


 止まらない思考。眠れない夜。

 でもその止め方を、誰も教えてくれなかった。


 机に向かっていると、

 母の足音が聞こえる。


 背筋を伸ばす。

 鉛筆を持つ手に、力を込める。


 「できているの?」


 その一言で、

 胸の奥がきゅっと締まる。


 できていなければ、存在していないのと同じだった。


 だから、セイラはいつも「できていた」。


 眠気はなかった。

 疲れも、分からなかった。


 ただ、

 やればやるほど、

 世界が手の中に収まっていく感覚があった。


 ——でも。


 夜が深くなり、

 家の音がすべて消えると、ふいに、指先が冷える。


 そのとき、決まって、手を重ねれくれる誰かがいた。


 小さな手。

 少しだけ大きくて、あたたかい。


 「大丈夫だよ」


 その声は、母のものではなかった。

 もうあの人の温もりを、顔さえも思い出せない。


 「……おねえちゃん」


 完璧じゃなくても、急がなくても、


 ——ここにいていい。


 その温もりがある間だけ、セイラは、

 世界の回転が遅くなるのを知っていた。




 ◇



 目が覚めた。


 白い天井。


 病室だ。


 窓から差し込む光が、眩しい。


 あれから——どのくらい眠っていたのだろう。もう昼くらいか。


 体が、少し軽い。


 熱も——昨夜よりは、かなりマシな気がする。


 そして——


 手に、温もりを感じた。


 視線を下ろす。


 誰かが——セイラの手を、握っている。


 その先を辿ると——


 椅子に座ったまま、うつむいて眠っているYUICAがいた。


 いつから、ここにいたのだろう。


 昨夜、「やることがある」と言って出ていったはずなのに。


 それなのに——戻ってきてくれた。


 ずっと、手を握っていてくれた。


 セイラは——目頭が熱くなるのを感じた。


 見捨てられてなかった。


 一人じゃなかった。


「……ん」


 YUICAが、目を覚ました。


 寝ぼけた目で、こちらを見る。


「あ……起きた」


「……おう」


 セイラの声が、かすれた。


「何時から、いたんだよ」


「明け方くらいかな」


 YUICAが、目をこすりながら笑った。


「スナック韻で用事済ませて、そのまま来た」


「……バカじゃねえの。家で寝ろよ」


「セイラに言われたくない」


 そう言って——YUICAが、セイラの手を、ぎゅっと握った。


 夢で感じた、あの温もりと同じ。

 いや、それ以上に優しく、頼もしい。


「気持ちがどん底に落ちたから、逆に体が休まったでしょ」


「……」


「人間て、そういうものらしいよ」


 YUICAが、にっこりと微笑んだ。


 どこまでも——優しい笑顔だった。


「……おまえって、ほんとに」


 何か言おうとして——言葉が出てこなかった。


 代わりに、セイラはベッドの横に置いてあったポーチに手を伸ばした。


 中から——ペンニードルの解熱剤を、二本取り出す。


「これ……」


 YUICAの目が、少し曇った。


「残り二本。今日と、明日の分」


 セイラは、天井を見上げながら言った。


「主治医がうるさくてさ。フェス最終日の分までしか処方してくれなかったんだよ」


「……」


「でも、今日は使わない」


 セイラは、YUICAを見た。


「ベッドにいれば、そこまで熱はぶり返してこないから」


「つまり—— 一本、余る」


 セイラは——その一本を、YUICAに差し出した。


「これは、おまえが持っててくれ」


「え……」


 YUICAの顔が、強張った。


 その意味を——理解してしまったから。


「もし明日、アタシが熱で倒れて——これを使わなきゃいけない状況になったら」


 セイラの目が、真っ直ぐにYUICAを見つめた。


「おまえが、決めてくれ」


「……セイラ」


「使えば、アタシは立てるかもしれない。でも——命の保証はない」


「使わなければ、アタシはステージに立てない。でも——死なない」


 残酷な選択。


 それを——YUICAに託そうとしている。


「一緒に背負わせろって——前に言ったよな」


 セイラが、笑った。


「これが、その応えだよ」


 YUICAは——しばらく、黙っていた。


 手の中のペンニードルが、ずしりと重い。


 命を握っている。


 親友の命の『選択』を。


「……わかった」


 YUICAの声は、震えていなかった。


「預かる」


 その目が——覚悟を決めていた。


 共に背負う。


 その言葉の重さを、今、本当に理解した。


「頼んだ」


 セイラは——目を閉じた。


 手の温もりが、まだ残っている。


 今度こそ、二度と、この温もりを、離したくない。

  

 そう、心に誓っていた。



 ◇



 少し前——新宿、スナック韻。


 明け方の店内は、静まり返っていた。


 カウンターに、三人の男女が座っている。


 KEN 4 RAW。Misty。MC-CODAMA。


 CODAMAが——項垂れて、床を見つめていた。


「……」


「残念だったね」


 ミスティが、淡々と言った。


「うるせえ……」


 CODAMAが、頭を抱える。


「なあ、なんでYUICAってあんな強いの?バケモンだろ、あれ」


「技術なら俺の方が上だったはずなのに……なんで俺、何も言えなくなっちゃったの?」


「三対一だぞ?普通、勝てるだろ……」


 ミスティが、肩をすくめた。


「普通じゃないからでしょ」


「それはわかってんだよ!」


 CODAMAが、カウンターに突っ伏した。


「あーあ、俺の人生設計が……」


「最初から存在してないでしょ、そんなもの」


「ひでえ……」


 項垂れるCODAMAにミスティがスッと何かを差し出した。


「はい、これ」


 IDのような文字が書かれた小さなメモ用紙。


「……なにこれ」


「 YUICAのLINEのID……あんたに渡してって」


 涙ぐむCODAMA。


「なんだよ……ツンデレだなあいつ」


 顔を赤らめながら、メモ用紙を見つめて震えている。


 ミスティはあえて言わなかった。

 自分とKENが、ずっと前から YUICAとLINEでつながってることを。


「よかったね」


「うん」


 それは優しさではなく、その方が面白いからだった。死神の名前は伊達じゃない。


「それにしても、 YUICAってどこまで強くなるんすかね……」


 再び項垂れるCODMAMA。

 KENが、グラスを傾けながら口を開いた。


「……あいつは多分、自分がどれほどの存在になりつつあるか、まったく分かってないんだよ」


 CODAMAが、顔を上げた。


「どういう意味すか?」


「前に配信で言ってただろ。『私は弱い』『震えてる自分を認めてる』って」


 KENの目が、遠くを見ている。


「あいつは本気で、自分のことを『弱い人間』だと思ってる」


「だからこそ——限界がないんだ」


「……」


「自分を強いと思ってる人間は、その自己肯定が天井になる」


「でもあいつは『弱いから、もっと強くならなきゃ』って——永遠に足掻いて、上を目指し続ける」


 KENが、壁に飾られた婆の写真を見た。


「婆が見抜いた『本物』の正体は——これだったんだろうな」


 ミスティが、小さく呟いた。


「でも……シオンってギターの子、どっか行っちゃったんでしょ」


「ああ」


「どうなるんだろうね」


 KENが、グラスを置いた。


「問題ないだろうな」


「なんでそう言い切れるんすか?」


「一度あいつに触れて、救われたら——離れたくても、離れられない」


 KENが、笑った。


「有無を言わさない吸引力があるんだよ、あいつには」


「……YUICAって本当に人間なのかな」


 ミスティが、珍しく感情を込めて言った。


「まあ——」


 KENが、立ち上がった。


「人智を超えた存在……かもな」


「いつの時代も——」


 階段のドアから漏れ出る光が見える。


 東京の街が、夜明けの光に照らされている。


「ああいうやつが、起こすんだろうな……」


「——革命ってやつを」



 ◇



 三日目——決戦の朝。


 新国立競技場の前。


 初日と同じ場所。


 私とセイラは、並んで立っていた。


 朝の空気が、冷たい。


 セイラの顔色は——まだ完全ではないけど、昨日よりだいぶマシに見える。


「……来ると思う?」


 私が聞くと、セイラは空を見上げた。


「来るよ」


 その声には、確信があった。


「アタシは——信じてる」


 五分が過ぎた。


 十分が過ぎた。


 集合時間を——少しだけ、過ぎた頃。


 足音が聞こえた。


 振り返ると——


 シオンが、立っていた。


 いつもの白いパーカー。フードを深く被って、顔が見えない。


 無言で、こちらに歩いてくる。


「……」


 セイラが、シオンを見つめた。


 シオンは——何も言わない。


 ただ、立っている。


 長い沈黙。


 そして——セイラが、口を開いた。


「信じてたよ」


 その一言だけ。


 シオンが——小さく、頷いた。


 それだけで——十分だった。


 すると、シオンが何かを差し出した。


 小さな袋。


 お守りだ。


「……これ」


 シオンの声が、かすれていた。


「五條天神社の……御守り」


「朝から——行ってきた」


「……」


「何したらええかわからんくて……でも、何かせなあかん思って」


 シオンの声が、震えていた。


「東京で一番 ——健康に強い神様やって聞いたから」


 セイラが——そのお守りを、受け取った。


「……シオン」


「絶対、倒れんといてな」


 セイラは——少しだけ、笑った。


「まあ……倒れないとは、約束できねえな」


「なっ——」


 シオンの目が、見開かれた。


「でもさ」


 セイラが、お守りを胸に押し当てた。


 そして——シオンを、真っ直ぐに見つめた。


「倒れても、立ち上がれば——勝者ウィナーだろ」


 シオンが——息を呑んだ。


 それは——Revoltの歌詞。


 三人で作った、革命の歌。


「……せやな」


 シオンの目から——涙が、一筋こぼれた。


「倒れても、立ち上がれば——勝者ウィナーや」


 私は——二人を見ていた。


 言葉は少ない。


 でも——それでいい。


 私たちは、言葉以外でも繋がっている。


 音楽で。


 魂で。


 ——運命で。


「さて——」


 私は、二人に向き直った。


「行こうか」


 セイラが、頷いた。


 シオンが、頷いた。


 新国立競技場の巨大な影が、朝日に照らされている。


 今日——全てが決まる。


 LUNATIC EDGEとの、最終決戦。


 私たちは——三人揃って、歩き出した。



(つづく)



 次回——「最終決戦・開幕」


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