82「J-ROCKフェス開幕」
運命の朝が来た。
まだ夏の余韻が残る9月。東京は朝から快晴だった。
私たちは午前11時に新国立競技場に到着した。
「……でっか」
シオンが、呆然と呟いた。
無理もない。目の前にそびえ立つ新国立競技場は、圧倒的な存在感を放っていた。
オリンピックのメイン会場として建設された、日本最大級のスタジアム。
音楽モードの最大キャパ88000人。
今日から3日間、ここがJ-ROCKフェス2025の舞台になる。
「8万人……か」
私も、思わず息を呑んだ。
8万人。あの東京ドームの倍近い観客席。
数字では知っていた。でも、実際にこの巨大な建造物を目の前にすると、その規模が体に迫ってくる。
「ビビってんのか?」
セイラが、いつもの不敵な笑みを浮かべている——
「当たり前……」
私が応えようしたその瞬間——セイラの足元がふらついた。
「セイラ!?」
私は、咄嗟にセイラの腕を掴んだ。
「……っと。悪い、段差に躓いた」
セイラが笑って誤魔化す。
でも——段差なんて、どこにもなかった。
「ねえ、まだ熱があるの?」
私は、セイラの顔を覗き込んだ。
「解熱剤、使ってないの?」
「朝から使うと本番まで持たねえだろ。温存してんだよ」
セイラは、私の手を振りほどいた。
「心配すんな。大丈夫だから」
「でも——」
「やっぱりセイラ、普段から熱あるんやろ」
シオンが、鋭い目でセイラを見つめていた。
「練習中も、時々様子がおかしかった」
「……」
「YUICAは知ってたん?」
「……うん」
「うち、心配やねん」
シオンの声が、低くなる。
「ほんまに大丈夫なん?もし無理して倒れたら——許さんからな」
その言葉には、ただの心配以上の重みがあった。
——シオンは知っている。
——無理をして倒れることの恐ろしさを。
——目の前で、父親を失った少女だから。
セイラは、しばらく黙っていた。
そして——小さく息をついた。
「……単に疲労だよ。寝て休めば、しばらくは大丈夫なんだ」
「解熱剤に頼るのも体に悪いから、なるべく控えてるだけだよ」
「な?ちゃんと体調のこと、考えてるだろ?」
セイラは、私たちを安心させるように笑った。
でも——その笑顔の奥に、何かを隠している気がした。
「……わかった。でも、本当に無理はしないでね」
私は、それ以上追及しなかった。
今日は本番だ。セイラはもちろん、シオンにも余計なことを考えさせたくない。
「行くぞ。関係者入口はあっちだ」
セイラが先頭に立って歩き出す。
その足取りは——さっきよりはしっかりしていた。
私とシオンは、顔を見合わせた。
お互い、同じことを考えていたと思う。
——本当に、大丈夫なのか。
でも、今は信じるしかない。
私たちは、セイラの背中を追った。
◇
関係者入口でIDを見せると、スタッフに案内されて舞台裏へと通された。
通路を歩きながら、すれ違う人々の視線を感じる。
スタッフ、他のバンドのメンバー、関係者たち。
その視線には、好奇と——わずかな侮りが混じっていた。
「あれがまさか、例のVtuberバンド?」
「アバターと見た目も似てるんだな……」
「シオン、背低くない?」
「YUICAって黒髪なんだ」
「けっこうビジュもイケてるのに、なんでわざわざアバター使うんだ?」
ひそひそと交わされる声が、耳に入ってくる。
シオンが、私の袖を掴んだ。
「YUICA……」
「気にすんな」
セイラが、振り返らずに言った。
「雑音は雑音だ。ステージで黙らせりゃいい」
「……うん」
シオンが小さく頷く。
その時——前方から、別のグループが歩いてきた。
派手な衣装。堂々とした足取り。
——人気一位のHANGOUTだ。
1日目のトリを務める、グローバルミュージックの看板バンド。
彼らは私たちとすれ違いざま、一瞬だけ視線を向けた。
そして——ボーカルの口元が、わずかに歪んだ。
ほくそ笑み。
彼らが通り過ぎた後、小さな声が聞こえた。
「ラッキーだな。Vtuberが海外組の直後かよ」
「しかもあのCRIMSON GATEだろ?全部持っていかれて、立ち直れないまま終わるだろうな」
「いい引き立て役になってくれそうだ」
笑い声が、遠ざかっていく。
私は、拳を握りしめた。
J-ROCK FESTIVAL 2025。
一日目は、前座を務める6位以下のエントリーバンドが何組か演奏した後に、私たちを含めた投票対象のバンド5組と、海外から招待された大物ゲストバンドが1組が参加する。
FAKE-3は、事前投票で2位だったから、自動的に演奏順は最後から2番目になる。
一見すれば、トリの直前という美味しいポジション。
——でも、問題がある。
私たちの直前に演奏するのは、海外からのゲストバンド。
世界ツアーを回り、数十万人規模のフェスを沸かせてきた本物のモンスター、CRIMSON GATEだ。
漫才の世界では、大爆笑を取った直後の出番は地獄だと聞いたことがある。
前の組がウケすぎると、客の熱量が一度そこで完結してしまう。
どれだけ面白くても、「さっきの方が良かった」という空気に呑まれる。
バンドも、同じだ。
海外組は投票には関係ない。順位を争う相手じゃない。
でも、客層がバラバラなフェスは生き物だ。
会場の空気をどう作るか。流れをどう掴むか。
それ次第で、勝負が決まったりする。
世界レベルの熱狂の直後に、私たちが出る。
——だからこその引き立て役。彼らはそれを言っていたんだ。
「聞こえてたか?」
セイラが、静かに言った。
「うん」
「どう思う?」
「……見返してやる」
私の声に、怒りが滲んだ。
「そう。それでいい」
セイラが、ニヤリと笑った。
「悔しさは、最高の燃料だからな」
◇
控室に入ると、私たちは準備を始めた。
通常、私たちの衣装合わせはシンプルだ。ただ今回だけは演出の関係で、アバターと同じ衣装に着替える必要があった。
シオンは15cm底上げのブーツを履き、前ほどではないけど胸パットも装着している。セイラも10cmブーツを履いている。
私はアバターとまったく同じ体型なので、いつも通りのスニーカーだ。
ただ、人前でこのピンクのクロップドジャケットを着るのはちょっとだけ抵抗を感じた。
「そういえばセイラ、本番前に言ってたやつ……」
私が言いかけると、セイラはポーチから何かを取り出した。
私は、息を呑んだ。
それは——ペンニードル型の注射器だった。
「それ……」
「解熱剤だよ。今から打っておく」
セイラは、慣れた手つきで自分の腕に注射した。
「これで4時間は持つ。アタシらの出番は午後4時だから、ちょうどいい」
「ちょっと待って」
私は、セイラの腕を掴んだ。
「それ、前に飲んでたやつと全然違うじゃん」
「……」
「注射タイプって……普通じゃないでしょ」
セイラは、一瞬だけ目を逸らした。
「効きが早いだけだよ。飲み薬より即効性がある」
「でも——」
「YUICA」
セイラが、私を真っ直ぐ見つめた。
「今日だけは、信じてくれ」
「このステージに立つために、アタシはずっと準備してきたんだ」
「薬のことも、体調のことも、全部計算してる」
「だから——大丈夫だ」
その目には、揺るぎない覚悟があった。
私は——それ以上、何も言えなかった。
「……わかった。信じる」
「ありがとな」
セイラは、使い終わったペンニードルをゴミ箱に捨てた。
その横顔は、いつも通り——いや、いつも以上に気合いが入っているように見えた。
「さて——」
セイラが立ち上がる。
「他の連中のステージ、見に行くか」
「見に行くって……袖から?」
「当然だろ。敵の実力、この目で確かめておきたい」
シオンも頷いた。
「うちも見たい。どんなレベルなんか」
「よし、じゃあ行こう」
私たちは控室を出て、ステージ袖へと向かった。
その時私は、セイラが捨てたペンニードルの解熱剤をゴミ箱から拾い、そっと自分のポケットにいれた。
◇
午後1時。
J-ROCKフェス2025、1日目が開幕した。
巨大なステージに照明が灯り、8万人の観客が歓声を上げる。
「すごい……」
私は、袖から会場を見渡した。
スタンド席がすり鉢状に広がり、アリーナには立ち見の観客がびっしりと詰まっている。
色とりどりのペンライト。揺れるタオル。熱気が渦巻いている。
「これが、J-ROCKフェスか……」
シオンも、息を呑んでいた。
「お父さんも……ここに立ったことあるやんな……」
「ああ、まだ国立競技場だった頃だけどな。Zxy'sは3回出場してるはず」
セイラが答えた。
「たしか全部トリ。さすが伝説だよな」
シオンの表情が、一瞬だけ曇った。
——父親の影。
——この場所で、彼女は何を感じているのだろう。
でも、シオンはすぐに顔を上げた。
「でも……今日は、うちらの番や」
その目には、覚悟が宿っていた。
◇
前座の数組の演奏が終わった。
観客が十分に温まってきた中で、投票対象1組目、HEAVY SMILEのステージが始まった。
オープニングアクトにふさわしいMC、そこから流れるようにつながるエネルギッシュなパフォーマンス。
観客のボルテージを上げ、会場の空気を作っていく。
「堅実だな。基本に忠実だし、客の乗せ方が上手い」
セイラが、腕を組みながら評する。
「派手さはないけど、すべてが安定してる。これがプロの仕事だな」
続いて2組目、YOKONORI。
ノリの良いパーティーロックで、観客を盛り上げる。
アニメの主題歌になってるだけあって、一部のファンのペンライトが激しく動いている。
要所でのコール&レスポンスで会場が一体になる。
「エンタメの魅せ方が上手い。さすがライブ慣れしてるよな」
3組目、KING JOKER。
重厚なサウンドと、技術力の高い演奏。
観客の期待値が、さらに上がっていく。
「実力派だな。グローバルミュージックの看板背負ってるだけある」
セイラの分析は的確だった。
「でも——」
セイラの目が、鋭くなった。
「問題は次だ」
「CRIMSON GATE……」
私は、その名前を呟いた。
「アメリカのスタジアムロックの王者。エンターテインメントの化身」
彼らが一日目に参加することは、前売りの段階から公開されていた。。
つまり、前売りを買った4万人は、彼らの演奏を聴きにきているといってもいい。
しかも特別に5曲、40分以上も演奏する。
セイラが、腕を組んだ。
「CRIMSON GATEが、どんなステージを見せるか——それが一番の問題だ」
「盛り上がるんだろうね」
「当然だよ。もはや生きた伝説だから」
セイラの声が、低くなった。
「つまりアタシらは、彼らが作り出した熱狂の直後に出る」
「世界レベルのエンターテインメントを見せつけられた後に、Vtuberがステージに立つわけだ」
「観客の期待値は最高潮。比較されるのは必至だな」
「……最悪の順番ってことやな」
シオンが、不安そうに聞いた。
「そうだな。さっきHANGOUTの連中が笑ってけど……誇張なく最悪だ」
セイラが、苦笑した。
「みんなCRIMSON GATEに観客を全部持っていかれて、アタシらが潰れる——そう思ってる」
「そして潰れたアタシらの後に、人気一位のHANGOUTがトリとして悠々とステージに立つ」
「彼らとっては、最高のシナリオだな」
私は、拳を握りしめた。
「……なんで二位なのに不利なんだよ」
「まあ、待て」
セイラが、私の肩を叩いた。
「悪い順番ってのは——裏を返せば、チャンスでもある」
「チャンス?」
「世界レベルの熱狂を、そのまま自分たちの勢いに取り込むことができたら——」
セイラの目が、燃えた。
「アタシらのインパクトは、何倍にもなる」
「……」
「そのためにもCRIMSON GATEが作る熱狂をしっかりと目に焼き付けよう」
◇
その後、私たちは、ステージの真裏にあるFAKE-3の特別ブースに移動する。
ここからはMCバトルの時と同様に、ステージが目の前に見える。
私たちのアバターは、目の前のステルススクリーンと呼ばれるLEDに映し出される仕組みだ。
つまり私たちは視覚的に、ステージ上で演奏しているのとほぼ同じ状況を体感できる。
さらに背後のバックライトが点灯することで、演奏する本人のシルエットが浮かび上がる仕組みらしい。
これは顔出ししないアーチスト、Adoのライブ演出、シオンがやってたShadow Guitarの映像からヒントを得たという、フェス側からの提案だった。
私たちは、アバターと変わらない体型を普段から維持調整している。
今回は衣装も合わせているし、シルエットが見える分には問題ないという判断でそれを許容していた。
「例のシルエット演出が、今回の鍵になるかもしれないな」
セイラは、ステージを見据えた。
「さあ、特等席から見せてもらおうじゃねえか」
「世界レベルのエンターテインメントってやつを」
◇
午後3:00
4組目、CRIMSON GATEのステージが始まった。
——その瞬間、空気が変わった。
ステージに火柱が上がる。
巨大なLEDスクリーンに映像が流れる。
レーザーが会場を切り裂く。
「うわっ……!」
シオンが、思わず声を上げた。
私も、圧倒されていた。
これまでの3組とは、次元が違う。
音の厚み。演出の規模。存在感。
すべてが、桁違いだった。
ボーカルのジェイク・モリソンがマイクを握り、叫ぶ。
「TOKYO! ARE YOU READY TO ROCK!?」
8万人が、咆哮で応える。
「HELL YEAH!!!」
地鳴り、会場が揺れた。
比喩ではなく、本当に地面が振動しているのがわかる。
「これが……世界か」
私は、呆然と呟いた。
彼らの演奏は、完璧だった。
でも、それだけじゃない。
観客を楽しませることに、全身全霊を注いでいる。
MCで煽り、コール&レスポンスで一体感を作り、演出で視覚を圧倒する。
「観客全員が主役」——そんな言葉が、ふと頭に浮かんだ。
彼らは、自分たちのためではなく、観客のために演奏している。
それが、伝わってくる。
「……すごい」
シオンが、震える声で言った。
「これの後に、うちらが出るん……?」
「ああ」
セイラが答えた。
でも——その声に、怯えはなかった。
「最高じゃねえか」
「え……?」
私とシオンが、同時にセイラを見た。
セイラは、笑っていた。
心から楽しそうに。
「彼ら、本気で客を楽しませようとしてる」
「プライドとか、見栄とか、そんなもん全部捨てて——ただ、目の前の8万人を幸せにしようとしてる」
セイラの目が、燃えていた。
「マジもんのエンターテインメント。凄いよ。これこそステージに立つ意味だろ」
「つまり彼らは——敵じゃない。同志なんだよ」
私は、セイラの言葉を噛み締めた。
——そうか。
——敵じゃない。同志。
——同じ志を持つ者たち。
「だから——」
セイラが、拳を握った。
「アタシらも負けてらんねえ」
「彼らがが作った熱狂を継いで、さらに高みに持っていくんだよ!」
「それが、次に出る者のおもてなしってもんだろ」
私は、頷いた。
「……うん。そうだね」
シオンも、小さく頷いた。
「負けへん……うちらも、負けへん」
◇
CRIMSON GATEのステージが、クライマックスを迎えていた。
火柱が天を焦がし、レーザーが会場を切り裂く。
8万人の歓声が、雷鳴のように轟く。
そして——最後の音が鳴り響いた。
静寂。
一瞬の間。
そして——爆発的な歓声。
「THANK YOU TOKYO!!!」
ボーカルが叫び、メンバーがステージ前方に並ぶ。
観客に向かって、深々と頭を下げた。
歓声は、いつまでも鳴り止まなかった。
ステージ転換の間、CRIMSON GATEのボーカル、ジェイク・モリソンがマイクを握ったままMCを続ける。
「What a day! You guys are fucking amazing!」
(最高の日だ!お前ら最高だぜ!)
歓声が応える。8万人の熱狂が、まだ冷めていない。
「Alright, let me introduce the next act——」
(さて、次のアクトを紹介しよう——)
ジェイクが、ニヤリと笑った。
「A Vtuber band from Japan. 」
(日本のVtuberバンドだってさ。)
会場が、少しざわめいた。
「ジェイクがVtuberって言った」
「煽るつもりかな……」
「やっぱウザイっておもってる?」
観客の反応は、半信半疑だった。
でも——ジェイクは、違った。
「Hey, I'm excited about this」
(俺は楽しみだぜ)
その言葉に、会場が静まる。
「Vtubers on a rock stage? That's cool as hell」
(Vtuberがロックのステージに立つ? 面白いじゃねえか)
「Only in Tokyo, right?」
(さすがTOKYOだ)
「Listen up! Rock has no rules!」
(いいか、ロックに決まりなんてねえんだ!)
「Whoever gets you crazy——that's the real deal!」
(盛り上げた奴が正義だ!)
ジェイクが、ステージの後ろを見た。
まるで、そこに立つ私たちの存在を感じ取っているかのように。
「Show us what you got, FAKE-3」
(見せてくれよ、FAKE-3)
「——I'm counting on you」
(——期待してるぜ)
そう言って、ジェイクはステージを去った。
——世界のジェイクがバトンを渡してきた、これは最高のブリッジだ。
歓声の中、照明が落ちる。
ステージ転換が始まった。
心臓が、早鐘を打っている。
手が、わずかに震えている。
「……緊張する」
私は、正直に言った。
「うちも」
シオンが、ギターを握りしめている。
「当然だ」
セイラが、静かに言った。
「8万人の前だぞ。緊張しない方がおかしい」
「でも——」
セイラが、私たちを見た。
「アタシらは、一人じゃない」
「三人で立つんだ。このステージに」
その言葉が、胸に染みた。
「……うん」
私は、深呼吸した。
「行こう」
シオンも頷いた。
「……行こか」
ステージの照明が、ゆっくりと灯り始める。
巨大なスクリーンに、私たちの名前とMVが映し出される。
8万人の視線が、集まる。
セイラが、一歩を踏み出した。
「——行くぞ!FAKE-3!」
私とシオンも、続いた。
◇
8万人の視線が、巨大スクリーンに集まる。
そのMVに流れる——三人のアバター。
鳳凰院セイラ。
YUICA。
シオン。
偽物たちの、本気の戦いが始まる。
(つづく)
次回——「偽物たちの咆哮」




