81「嵐の前、それぞれの夜」
——フェス本番前日の昼過ぎ。
スタジオからセイラがひとり帰っていった。
「午後から予定があるから」
それだけ言って、足早に去っていった背中を、私は見送った。
ここ最近、セイラは午後になると何かと予定があると言っていなくなる。
「……なんか、最近のセイラ変やない?」
シオンが呟いた。
「うん……私も、そう思う」
何かを隠している。
いつもどおり振る舞っているが、違和感があ。
どこか——違う。笑顔の奥に、何かを感じる。
でも、今は追及する時間がない。明日が本番だから。
「せっかくケーキも買ってきたのに……」
ゆいが、テーブルの上の箱を見つめて肩を落とす。
「ゆい、それ食べたかっただけでしょ」
「違うよ! ……半分くらいは本当に決起会のためだもん」
「半分てなんやねん」
シオンが小さく笑った。
私たちは、なんとなく顔を見合わせた。
セイラの体調も含めて不安だらけではあるが、もうすこしで——すべてが、決まる。
三人で立つ、8万人の前のステージ。
「じゃあ今日は解散しようか……また明日、会場で会おう」
こういう掛け声は、本当はセイラに言って欲しかった。
そんなことを思いながら、帰り支度を始める。
シオンが立ち上がる。
「うん。明日——頑張る」
「……期待してるよ」
そう言うと、シオンは少し照れくさそうに頷いた。
私たちは、シオンのスタジオを出て自宅へと戻った。
リビングのソファに座って、ぼけっと天井を見つめる。
いよいよ明日、日本一のフェスのステージに立つ。
最近まで、ど素人の陰キャだったのに。
人生の歯車が、どこでどう狂えば、こんな事態に発展するんだろう。
いまだにこの現実が信じられない。
「ねえ……お姉ちゃん」
「ん?」
「今日も配信するの?本番前だけど」
私は、少し考えた。
これまでどんなに忙しくても、配信は欠かさないようにしてきたけど。
さすがに明日から三日間は、配信を休むことになるだろう。
だからこそ今夜は、ブタどもに会っておきたい気持ちは——確かにあった。
「……そうだね。やろうか」
◇
自分の部屋。配信ブース。
私はいつものように、YUICAとして画面の前に座った。
配信開始のボタンを押す。
『きたああああ』
『前夜祭配信だブヒ!』
『お嬢様!明日ですね!』
『緊張してる?』
『眠れないから来たブヒ』
コメントが、次々と流れてくる。
「……うん、いよいよ明日なんだよね」
私の声は、いつもより静かだった。
『ついにこの日がブヒ』
『長かったような短かったようなブヒ』
『お嬢様、準備万端ですか?』
「うん……まあ、二曲とも、かなり仕上がってるよ。
ただ緊張はしてる。当たり前だろ、国内最高峰のフェスで8万人の前だぞ」
「しかもVtuberだから、応援してもらえないかも……しれないしな」
『素直だブヒ』
『かわいいブヒ』
『お嬢様への批判、俺が引き受けますブヒ』
「引き受けてどうすんだよ。炎上してブタまんになるぞ」
『本望ですブヒ!』
『お嬢様のために蒸されるブヒ!』
「ほんと気持ち悪いな、相変わらず……」
いつものやり取り。いつもの空気。
でも——今日は、少しだけ違う気持ちがあった。
「……ねえ、聞いていい?」
コメント欄が、少し静かになる。
「最初の配信——あの罵倒配信の時から、ずっと見てくれてる人って……いる?」
一瞬の沈黙。
そして——コメント欄が爆発した。
『ノ』
『ここにいますブヒ』
『初日からいるぞ!』
『あの伝説の誤配信からだブヒ!』
『「しねブタ」から見てますブヒ!!』
『古参アピールさせてくれブヒ!』
『最初の5人に入ってたブヒ!』
『あの日から人生変わったブヒ』
次々と「ノ」が連なっていく。
『ノノノノノノノノノノ』
『全員手挙げろブヒ!!!』
『挙げてるブヒ!両手挙げてるブヒ!』
『足も挙げてるブヒ!』
『四つん這いで全部挙げてるブヒ!』
画面が「ノ」で埋め尽くされていく。
私は——言葉を失っていた。
「……なんで」
声が、少し震える。
「前から気になってたんだけどさ……」
「なんでお前ら……こんな、何もない、ただの素人で、口が悪いだけの私なんかを……」
「どこがいいんだよ……」
コメント欄が、また爆発する。
『全部だブヒ』
『口が悪いところが最高ブヒ』
『何もなくないブヒ!』
『お嬢様は俺らの希望ブヒ』
『自分で気づいてないのがまたいいブヒ』
『その自虐やめろブヒ!俺らが泣くブヒ!』
『お嬢様に救われた人間がここにいるブヒ』
『俺も』
『俺も』
『俺もブヒ』
画面が、滲んで見える。
『お嬢様……泣いてる?』
『泣かないでブヒ!俺らが泣くブヒ!』
『もう泣いてるブヒ』
「……泣いてねえよ」
嘘だ。涙が、止まらない。
「お前ら、ほんと……変態だよな」
声が、かすれている。
「でも——」
「……ありがとう」
『うわああああああ』
『お嬢様がデレたブヒ!!!』
『記念日だブヒ!今日は記念日だブヒ!』
『スクショしたブヒ!永久保存だブヒ!』
『明日絶対勝ってくれブヒ!』
『俺らの分まで暴れてこいブヒ!』
「……うん」
彼らは全員、三日目、決勝のチケットしかもっていない。
だから、明日勝たないと彼らとステージで会うことはできない。
私は、静かに頷いた。
「明日——お前らの期待、背負って行くから」
「絶対に決勝まで行くから!」
「三日目に会おう!」
『三日目に!!!』
『待ってるブヒ!』
『三日目にブヒ!』
『FAKE-3!FAKE-3!』
『三日目の会場をピンク色に染めるブヒ!』
「……バカだな、それには人数足りないよ」
『たとえバカと言われても、そんな未来を信じてるブヒ』
——その「バカ」が、ずっと私を支えてくれたんだよな。
「わかったよ……一緒に見ようぜ。YUICAの色に染まる世界を」
『絶対に見れるブヒ!』
『ピンク色をみたら思い出して欲しいブヒ!』
『そこに私たちがいるブヒ!』
『いつもお嬢様と一緒ブヒ!!!』
「……キモいけど、頼もしいよ」
「じゃあな、ブタども」
配信終了のボタンを押した。
画面が暗くなる。
私は——しばらく、そのまま動けなかった。
◇
「お姉ちゃん、配信おつかれ」
ゆいが、部屋に入ってきた。
「……うん」
私は、まだ少し目が潤んでいる。
「なんか……ブタども、あの日からずっと見てくれてたんだね」
「当たり前でしょ。お姉ちゃんの魅力に気づいた人は、離れないよ」
私は、首を振った。
「魅力なんて……私、独女で、陰キャで、何も持ってないよ」
「また始まった。お姉ちゃんの自虐」
ゆいがベッドに座り、私の隣に並ぶ。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん?」
「お姉ちゃんさ、たしかに陰キャだけど——コミュ障じゃないんだよ」
私は、きょとんとした。
「……どういう意味?」
「だってさ。お姉ちゃん、ほぼ初対面の人をどんどん言葉で魅了してきたじゃん」
ゆいが、指を折り始める。
「ブタども。セイラさん。山之内さん。CODAMA。MC-婆さん。ミイスティ。シオン。そして叢雲瑠衣、深山監督——」
「みんな、最初は『なんだこいつは』って思ったはずなのに」
「気づいたら、お姉ちゃんの才能に惚れ込んでる」
「それって、すごいことだよ」
私は、視線を逸らした。
「……たまたまだよ。運が良かっただけだよ」
「実際に私は、彼らと違って素人で、凡人で、なんの取り柄もないんだから」
「セイラやシオンみたいな技術もないし、叢雲や深山さんみたいな才能もない」
「すぐ切れる、ただ口が悪いだけの——」
「お姉ちゃん」
ゆいが、私の言葉を遮った。
「その人たち——お姉ちゃんが『天才』だと思ってる人たち」
「世間からもそう言われてる人たち」
「その人たちが、YUICAに驚いてるの。知ってる?」
私は、顔を上げた。
「……え?」
「『とんでもないやつだ』って、みんな思ってる」
「そんなこと……言われたことないよ」
ゆいが、小さく笑った。
「そりゃそうだよ。彼らは、それを言葉にするほど野暮じゃないから」
沈黙。
「でも——あたしは野暮だから、言う」
ゆいが、私の目を真っ直ぐ見つめた。
「お姉ちゃんは——」
「自分の魅力を、世界で一番理解してない人」
私の目が、揺れる。
「そして、あたしは——」
「そんなお姉ちゃんの凄さを、世界で一番知ってる」
「誰よりも」
ゆいの声が、少し震えた。
「こんな自己肯定感の低い、めんどくさい性格ごと——」
「ぜんぶ好きだよ」
「愛してるよ、お姉ちゃん」
沈黙。
私の目から、また涙がこぼれた。
今日は——泣いてばかりだ。
「……ゆい」
「なに」
「お前、いつからそんな……大人になったんだよ」
「お姉ちゃんが気づいてなかっただけだよ」
二人で、小さく笑った。
そして——私はゆいを抱きしめた。
「……ありがとう」
「私を見つけてくれて」
「私の妹でいてくれて」
ゆいも、私を抱きしめ返す。
「明日——婆の分も、見届けるから」
「最前列で」
窓の外には、東京の夜景が広がっている。
明日の嵐を前に、静かな夜が更けていく。
◇
同じ頃——松濤。
シオンは、自宅の地下スタジオにいた。
深夜。誰もいない空間。
壁に並ぶギターたち。その中で、一本だけ特別な場所に飾られている青いレスポールカスタム。
父の——風間和志の形見。
シオンは、自分のギターを手に取った。白と青のレスポールカスタム。
「……もう逃げない」
誰に言うでもなく、呟く。
明日の本番前に——確かめたいことがあった。
セイラのコーラスなしで、一人でどこまで弾けるか。
あの曲を。
『蒼雷』のギターソロを。
シオンは、深く息を吸った。
そして——弦を弾いた。
音が、スタジオに響く。
最初のフレーズ。父が遺した旋律。
指が動く。以前より滑らかに。以前より深く。
中盤のアルペジオ。複雑なコード進行を、正確にトレースしていく。
——弾ける。
前より、ずっと長く弾ける。
そして曲のクライマックスが近づく。
父が最後に弾いた、長尺ソロ。その核心部分。
シオンの指が、加速する。
タッピング。スウィープ。速弾き。
父の技術を、父の魂を、再現しようとする。
——もう少し先へ。
——お父さんが届かなかった先へ。
その時。
あの日演奏する父の姿が、脳裏をよぎった。
汗だくで、苦しそうな顔で、それでもギターを弾き続ける父。
演奏を終えて膝をつく父。倒れる父。
「——っ!」
指が止まった。足が震え始める。
膝から、力が抜けていく。
シオンは——床に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸。冷や汗が、額を伝う。
「……また、ダメだった」
ギターを抱きしめたまま、床に座り込む。
「でも——」
シオンは、自分の手を見た。
「前より、成長してる」
それは、小さな進歩だった。
セイラと、YUICAと出会う前の自分なら、最初の数秒しか弾けなかった。
今は、1分くらいまでは耐えられる。
通常のDestinyのソロなら、もしかしたら。
「……これもセイラ、おかげやな」
あの人がコーラスで支えてくれるから。
あの人が隣にいてくれるから。
私は、少しずつ前に進めている。
——でも。
シオンの胸に、言葉にできない感情が渦巻いた。
「なんでやろ……」
出会う前からセイラのことを考えると、胸がざわつく。
この感情は嫉妬?
違う。尊敬してる。感謝もしてる。
でも相変わらず、セイラに苛立ちを感じる。
——やっぱり似てるからや。
——お父さんに。
シオンは、壁に掛けられた父のギターを見た。
あの日の父。
胸を押さえながら、それでもステージに立とうとした父。
「大丈夫だ」と笑って、心配する娘の声を聞かなかった父。
——まさか、セイラは違うやんな。
——同じことせんよな。
——そんなことしたら。
——うちは、あんたを絶対に許さんからな。
首を振って、その考えを打ち消す。
でも——胸のざわつきは、消えなかった。
シオンはギターを抱きしめたまま、床に座り込んでいた。
明日——すべてが、決まる。
でも、その前に。
言葉にできない何かが、心の奥で警鐘を鳴らしていた。
◇
同じ頃——港区のタワーマンション最上階。
セイラの自宅。
広いリビングには、誰もいない。
寝室のベッドの上で、セイラは熱にうなされていた。
「……っ」
額に、汗が滲んでいる。
午前中に打ったペンニードルの解熱剤。その効果が、もう切れていた。
体が、燃えるように熱い。
セイラは天井を見つめながら、計算していた。
——明日の出番は、午後4時。
——会場入りは午後12時。
——ペンニードルは、1日1回が限界。
——効果時間は……今の状態だと、4時間がいいところ。
つまり——ギリギリまで使用を控えれば、ステージの時間は持つ。
「……大丈夫。計算通りにやれば、問題ない」
自分に言い聞かせるように、呟く。
でも——効く時間が、どんどん短くなっている。
最初は8時間持った薬が、今は4時間。
体が、薬に慣れてきている。
『——おそらくショック状態に陥り、気を失います』
医者の声が、脳裏をよぎる。
『最悪の場合——命の保障はできません』
「……わかってる」
セイラは、ベッドから這い出た。
——ステージで倒れるなんてこと、シオンにとっては最悪だ。
「そこまでバカじゃないから」
ふらつく足で、リビングへ向かう。
水槽の前に、座り込んだ。
メダカの星羅が、ゆらゆらと泳いでいる。
「ねえ、星羅」
声が、かすれている。
「明日さ……アタシ、ちゃんとやれるかな」
メダカは答えない。ただ、静かに泳いでいる。
「……なんかバカだよな、アタシ」
セイラは、額を水槽のガラスに押し当てた。
冷たくて、気持ちいい。
「でも——止まれないんだよ」
YUICAの顔が浮かぶ。
シオンの顔が浮かぶ。
二人と出会ってから、どれだけの時間が経っただろう。
まだ数ヶ月。でも——もう何年も一緒にいたような気がする。
「親友……か」
あの夜、YUICAが言った言葉。
『私たちは親友でしょ?』
親友。
ずっと欲しかった。対等に、裸で語り合える存在。
諦めていたのに、本当に現れるとは思わなかった。
「あいつと一緒に、見たい景色があるんだ」
セイラは、小さく笑った。
「頼むから、持ってくれ——この体」
熱に浮かされながら、セイラは笑った。
水槽の光だけが、暗い部屋を照らしている。
セイラは、そのまま水槽の前で眠りに落ちた。
熱に蝕まれた体を、冷たいガラスに預けながら。
——誰も知らない。
明日、彼女がどれほどの覚悟で、あのステージに立つのかを。
◇
三つの夜が、静かに更けていく。
美咲は——隣で眠ってしまったゆいの寝息を聞きながら、静かに目を閉じた。
シオンは——ギターを抱いたまま、スタジオの床で眠りについた。
セイラは——水槽の前で、熱に浮かされながら眠っていた。
東京の空が、少しずつ白み始める。
そして——
運命の朝が、近づいていた。
(つづく)
次回——「J-ROCKフェス2025、開幕」
----------あとがき-----------
いつも『フェイクスター』をお読みいただき、ありがとうございます。
いよいよJ-ROCK FESTIVAL 2025が始まります。
そして物語はついにクライマックスへと向かいます。
36歳で人生を諦めかけていた美咲。
完璧という檻に閉じ込められていたセイラ。
天才という呪いを背負い続けたシオン。
その結末となるロックフェスの躍動感を途切れさせたくない。
ここまで読んでくださった皆さんには、彼女たちが辿り着く景色を、一緒に見届けてほしい。
だから、最終章はここから可能な限り毎日更新でいきます。
どうか最後まで、FAKE-3と走り抜けてください。




