表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

82/93

81「嵐の前、それぞれの夜」

 ——フェス本番前日の昼過ぎ。

 

 スタジオからセイラがひとり帰っていった。


「午後から予定があるから」


 それだけ言って、足早に去っていった背中を、私は見送った。


 ここ最近、セイラは午後になると何かと予定があると言っていなくなる。


「……なんか、最近のセイラ変やない?」


 シオンが呟いた。


「うん……私も、そう思う」


 何かを隠している。


 いつもどおり振る舞っているが、違和感があ。

 どこか——違う。笑顔の奥に、何かを感じる。


 でも、今は追及する時間がない。明日が本番だから。


「せっかくケーキも買ってきたのに……」


 ゆいが、テーブルの上の箱を見つめて肩を落とす。


「ゆい、それ食べたかっただけでしょ」


「違うよ! ……半分くらいは本当に決起会のためだもん」


「半分てなんやねん」


 シオンが小さく笑った。


 私たちは、なんとなく顔を見合わせた。


 セイラの体調も含めて不安だらけではあるが、もうすこしで——すべてが、決まる。


 三人で立つ、8万人の前のステージ。


「じゃあ今日は解散しようか……また明日、会場で会おう」


 こういう掛け声は、本当はセイラに言って欲しかった。

 そんなことを思いながら、帰り支度を始める。


 シオンが立ち上がる。


「うん。明日——頑張る」


「……期待してるよ」


 そう言うと、シオンは少し照れくさそうに頷いた。



 私たちは、シオンのスタジオを出て自宅へと戻った。

 

 リビングのソファに座って、ぼけっと天井を見つめる。


 いよいよ明日、日本一のフェスのステージに立つ。

 最近まで、ど素人の陰キャだったのに。


 人生の歯車が、どこでどう狂えば、こんな事態に発展するんだろう。

 いまだにこの現実が信じられない。

 


「ねえ……お姉ちゃん」


「ん?」


「今日も配信するの?本番前だけど」


 私は、少し考えた。


 これまでどんなに忙しくても、配信は欠かさないようにしてきたけど。

 さすがに明日から三日間は、配信を休むことになるだろう。

 

 だからこそ今夜は、ブタどもに会っておきたい気持ちは——確かにあった。


「……そうだね。やろうか」


 

 ◇



 自分の部屋。配信ブース。


 私はいつものように、YUICAとして画面の前に座った。


 配信開始のボタンを押す。


『きたああああ』

『前夜祭配信だブヒ!』

『お嬢様!明日ですね!』

『緊張してる?』

『眠れないから来たブヒ』


 コメントが、次々と流れてくる。


「……うん、いよいよ明日なんだよね」


 私の声は、いつもより静かだった。


『ついにこの日がブヒ』

『長かったような短かったようなブヒ』

『お嬢様、準備万端ですか?』


「うん……まあ、二曲とも、かなり仕上がってるよ。

 ただ緊張はしてる。当たり前だろ、国内最高峰のフェスで8万人の前だぞ」


「しかもVtuberだから、応援してもらえないかも……しれないしな」

 

『素直だブヒ』

『かわいいブヒ』

『お嬢様への批判、俺が引き受けますブヒ』


「引き受けてどうすんだよ。炎上してブタまんになるぞ」


『本望ですブヒ!』

『お嬢様のために蒸されるブヒ!』


「ほんと気持ち悪いな、相変わらず……」


 いつものやり取り。いつもの空気。


 でも——今日は、少しだけ違う気持ちがあった。


「……ねえ、聞いていい?」


 コメント欄が、少し静かになる。


「最初の配信——あの罵倒配信の時から、ずっと見てくれてる人って……いる?」


 一瞬の沈黙。


 そして——コメント欄が爆発した。


『ノ』

『ここにいますブヒ』

『初日からいるぞ!』

『あの伝説の誤配信からだブヒ!』

『「しねブタ」から見てますブヒ!!』

『古参アピールさせてくれブヒ!』

『最初の5人に入ってたブヒ!』

『あの日から人生変わったブヒ』


 次々と「ノ」が連なっていく。


『ノノノノノノノノノノ』

『全員手挙げろブヒ!!!』

『挙げてるブヒ!両手挙げてるブヒ!』

『足も挙げてるブヒ!』

『四つん這いで全部挙げてるブヒ!』


 画面が「ノ」で埋め尽くされていく。


 私は——言葉を失っていた。


「……なんで」


 声が、少し震える。


「前から気になってたんだけどさ……」

 

「なんでお前ら……こんな、何もない、ただの素人で、口が悪いだけの私なんかを……」


「どこがいいんだよ……」


 コメント欄が、また爆発する。


『全部だブヒ』

『口が悪いところが最高ブヒ』

『何もなくないブヒ!』

『お嬢様は俺らの希望ブヒ』

『自分で気づいてないのがまたいいブヒ』

『その自虐やめろブヒ!俺らが泣くブヒ!』

『お嬢様に救われた人間がここにいるブヒ』

『俺も』

『俺も』

『俺もブヒ』


 画面が、滲んで見える。


『お嬢様……泣いてる?』

『泣かないでブヒ!俺らが泣くブヒ!』

『もう泣いてるブヒ』


「……泣いてねえよ」


 嘘だ。涙が、止まらない。


「お前ら、ほんと……変態だよな」


 声が、かすれている。


「でも——」


「……ありがとう」


『うわああああああ』

『お嬢様がデレたブヒ!!!』

『記念日だブヒ!今日は記念日だブヒ!』

『スクショしたブヒ!永久保存だブヒ!』

『明日絶対勝ってくれブヒ!』

『俺らの分まで暴れてこいブヒ!』


「……うん」


 彼らは全員、三日目、決勝のチケットしかもっていない。

 だから、明日勝たないと彼らとステージで会うことはできない。

 

 私は、静かに頷いた。


「明日——お前らの期待、背負って行くから」

「絶対に決勝まで行くから!」


 

「三日目に会おう!」


 

『三日目に!!!』

『待ってるブヒ!』

『三日目にブヒ!』

『FAKE-3!FAKE-3!』


『三日目の会場をピンク色に染めるブヒ!』

 

「……バカだな、それには人数足りないよ」


『たとえバカと言われても、そんな未来を信じてるブヒ』

 

 ——その「バカ」が、ずっと私を支えてくれたんだよな。


「わかったよ……一緒に見ようぜ。YUICAの色に染まる世界を」


『絶対に見れるブヒ!』

『ピンク色をみたら思い出して欲しいブヒ!』

『そこに私たちがいるブヒ!』

『いつもお嬢様と一緒ブヒ!!!』


「……キモいけど、頼もしいよ」


「じゃあな、ブタども」

 

 配信終了のボタンを押した。


 画面が暗くなる。


 私は——しばらく、そのまま動けなかった。



 ◇



「お姉ちゃん、配信おつかれ」


 ゆいが、部屋に入ってきた。


「……うん」


 私は、まだ少し目が潤んでいる。


「なんか……ブタども、あの日からずっと見てくれてたんだね」


「当たり前でしょ。お姉ちゃんの魅力に気づいた人は、離れないよ」


 私は、首を振った。


「魅力なんて……私、独女で、陰キャで、何も持ってないよ」


「また始まった。お姉ちゃんの自虐」


 ゆいがベッドに座り、私の隣に並ぶ。


「ねえ、お姉ちゃん」


「ん?」


「お姉ちゃんさ、たしかに陰キャだけど——コミュ障じゃないんだよ」


 私は、きょとんとした。


「……どういう意味?」


「だってさ。お姉ちゃん、ほぼ初対面の人をどんどん言葉で魅了してきたじゃん」


 ゆいが、指を折り始める。


「ブタども。セイラさん。山之内さん。CODAMA。MC-婆さん。ミイスティ。シオン。そして叢雲瑠衣、深山監督——」


「みんな、最初は『なんだこいつは』って思ったはずなのに」


「気づいたら、お姉ちゃんの才能に惚れ込んでる」


「それって、すごいことだよ」


 私は、視線を逸らした。


「……たまたまだよ。運が良かっただけだよ」


「実際に私は、彼らと違って素人で、凡人で、なんの取り柄もないんだから」


「セイラやシオンみたいな技術もないし、叢雲や深山さんみたいな才能もない」


「すぐ切れる、ただ口が悪いだけの——」


「お姉ちゃん」


 ゆいが、私の言葉を遮った。


「その人たち——お姉ちゃんが『天才』だと思ってる人たち」


「世間からもそう言われてる人たち」


「その人たちが、YUICAに驚いてるの。知ってる?」


 私は、顔を上げた。


「……え?」


「『とんでもないやつだ』って、みんな思ってる」


「そんなこと……言われたことないよ」


 ゆいが、小さく笑った。


「そりゃそうだよ。彼らは、それを言葉にするほど野暮じゃないから」


 沈黙。


「でも——あたしは野暮だから、言う」


 ゆいが、私の目を真っ直ぐ見つめた。


「お姉ちゃんは——」


「自分の魅力を、世界で一番理解してない人」


 私の目が、揺れる。


「そして、あたしは——」


「そんなお姉ちゃんの凄さを、世界で一番知ってる」


「誰よりも」


 ゆいの声が、少し震えた。


「こんな自己肯定感の低い、めんどくさい性格ごと——」


「ぜんぶ好きだよ」


「愛してるよ、お姉ちゃん」


 沈黙。


 私の目から、また涙がこぼれた。


 今日は——泣いてばかりだ。


「……ゆい」


「なに」


「お前、いつからそんな……大人になったんだよ」


「お姉ちゃんが気づいてなかっただけだよ」


 二人で、小さく笑った。


 そして——私はゆいを抱きしめた。


「……ありがとう」


「私を見つけてくれて」


「私の妹でいてくれて」


 ゆいも、私を抱きしめ返す。


「明日——婆の分も、見届けるから」


「最前列で」


 窓の外には、東京の夜景が広がっている。


 明日の嵐を前に、静かな夜が更けていく。



 ◇



 同じ頃——松濤。


 シオンは、自宅の地下スタジオにいた。


 深夜。誰もいない空間。


 壁に並ぶギターたち。その中で、一本だけ特別な場所に飾られている青いレスポールカスタム。


 父の——風間和志の形見。


 シオンは、自分のギターを手に取った。白と青のレスポールカスタム。


「……もう逃げない」


 誰に言うでもなく、呟く。


 明日の本番前に——確かめたいことがあった。


 セイラのコーラスなしで、一人でどこまで弾けるか。


 あの曲を。


 『蒼雷』のギターソロを。


 シオンは、深く息を吸った。


 そして——弦を弾いた。


 音が、スタジオに響く。


 最初のフレーズ。父が遺した旋律。


 指が動く。以前より滑らかに。以前より深く。


 中盤のアルペジオ。複雑なコード進行を、正確にトレースしていく。


 ——弾ける。


 前より、ずっと長く弾ける。


 そして曲のクライマックスが近づく。


 父が最後に弾いた、長尺ソロ。その核心部分。


 シオンの指が、加速する。


 タッピング。スウィープ。速弾き。


 父の技術を、父の魂を、再現しようとする。


 ——もう少し先へ。

 ——お父さんが届かなかった先へ。


 その時。

 あの日演奏する父の姿が、脳裏をよぎった。


 汗だくで、苦しそうな顔で、それでもギターを弾き続ける父。


 演奏を終えて膝をつく父。倒れる父。


「——っ!」


 指が止まった。足が震え始める。


 膝から、力が抜けていく。


 シオンは——床に崩れ落ちた。


「はぁ……はぁ……」


 荒い呼吸。冷や汗が、額を伝う。


「……また、ダメだった」


 ギターを抱きしめたまま、床に座り込む。


「でも——」


 シオンは、自分の手を見た。


「前より、成長してる」


 それは、小さな進歩だった。


 セイラと、YUICAと出会う前の自分なら、最初の数秒しか弾けなかった。


 今は、1分くらいまでは耐えられる。

 通常のDestinyのソロなら、もしかしたら。


「……これもセイラ、おかげやな」


 あの人がコーラスで支えてくれるから。

 あの人が隣にいてくれるから。

 私は、少しずつ前に進めている。


 ——でも。


 シオンの胸に、言葉にできない感情が渦巻いた。


「なんでやろ……」


 出会う前からセイラのことを考えると、胸がざわつく。


 この感情は嫉妬?

 

 違う。尊敬してる。感謝もしてる。


 でも相変わらず、セイラに苛立ちを感じる。


 ——やっぱり似てるからや。

 

 ——お父さんに。

 

 シオンは、壁に掛けられた父のギターを見た。


 あの日の父。


 胸を押さえながら、それでもステージに立とうとした父。


「大丈夫だ」と笑って、心配する娘の声を聞かなかった父。


 

 ——まさか、セイラは違うやんな。

 ——同じことせんよな。

 ——そんなことしたら。

 

 

 ——うちは、あんたを絶対に許さんからな。

 


 首を振って、その考えを打ち消す。


 でも——胸のざわつきは、消えなかった。


 シオンはギターを抱きしめたまま、床に座り込んでいた。


 明日——すべてが、決まる。


 でも、その前に。


 言葉にできない何かが、心の奥で警鐘を鳴らしていた。



 

 ◇



 同じ頃——港区のタワーマンション最上階。


 セイラの自宅。


 広いリビングには、誰もいない。


 寝室のベッドの上で、セイラは熱にうなされていた。


「……っ」


 額に、汗が滲んでいる。


 午前中に打ったペンニードルの解熱剤。その効果が、もう切れていた。


 体が、燃えるように熱い。


 セイラは天井を見つめながら、計算していた。


 ——明日の出番は、午後4時。


 ——会場入りは午後12時。


 ——ペンニードルは、1日1回が限界。


 ——効果時間は……今の状態だと、4時間がいいところ。


 つまり——ギリギリまで使用を控えれば、ステージの時間は持つ。


「……大丈夫。計算通りにやれば、問題ない」


 自分に言い聞かせるように、呟く。


 でも——効く時間が、どんどん短くなっている。


 最初は8時間持った薬が、今は4時間。


 体が、薬に慣れてきている。


『——おそらくショック状態に陥り、気を失います』


 医者の声が、脳裏をよぎる。


『最悪の場合——命の保障はできません』


「……わかってる」


 セイラは、ベッドから這い出た。


 ——ステージで倒れるなんてこと、シオンにとっては最悪だ。

 

「そこまでバカじゃないから」

 

 ふらつく足で、リビングへ向かう。


 水槽の前に、座り込んだ。


 メダカの星羅が、ゆらゆらと泳いでいる。


「ねえ、星羅」


 声が、かすれている。


「明日さ……アタシ、ちゃんとやれるかな」


 メダカは答えない。ただ、静かに泳いでいる。


「……なんかバカだよな、アタシ」


 セイラは、額を水槽のガラスに押し当てた。


 冷たくて、気持ちいい。


「でも——止まれないんだよ」


 YUICAの顔が浮かぶ。


 シオンの顔が浮かぶ。


 二人と出会ってから、どれだけの時間が経っただろう。


 まだ数ヶ月。でも——もう何年も一緒にいたような気がする。


「親友……か」


 あの夜、YUICAが言った言葉。


『私たちは親友でしょ?』


 親友。


 ずっと欲しかった。対等に、裸で語り合える存在。

 

 諦めていたのに、本当に現れるとは思わなかった。


「あいつと一緒に、見たい景色があるんだ」


 

 セイラは、小さく笑った。


 

「頼むから、持ってくれ——この体」


 

 熱に浮かされながら、セイラは笑った。


 水槽の光だけが、暗い部屋を照らしている。

 セイラは、そのまま水槽の前で眠りに落ちた。


 熱に蝕まれた体を、冷たいガラスに預けながら。



 ——誰も知らない。

 


 明日、彼女がどれほどの覚悟で、あのステージに立つのかを。



 ◇



 三つの夜が、静かに更けていく。


 美咲は——隣で眠ってしまったゆいの寝息を聞きながら、静かに目を閉じた。


 シオンは——ギターを抱いたまま、スタジオの床で眠りについた。


 セイラは——水槽の前で、熱に浮かされながら眠っていた。


 東京の空が、少しずつ白み始める。


 そして——


 運命の朝が、近づいていた。



(つづく)



 次回——「J-ROCKフェス2025、開幕」







----------あとがき-----------


いつも『フェイクスター』をお読みいただき、ありがとうございます。


いよいよJ-ROCK FESTIVAL 2025が始まります。

そして物語はついにクライマックスへと向かいます。


36歳で人生を諦めかけていた美咲。

完璧という檻に閉じ込められていたセイラ。

天才という呪いを背負い続けたシオン。


その結末となるロックフェスの躍動感を途切れさせたくない。

ここまで読んでくださった皆さんには、彼女たちが辿り着く景色を、一緒に見届けてほしい。


だから、最終章はここから可能な限り毎日更新でいきます。


どうか最後まで、FAKE-3と走り抜けてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ