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80「対峙、止まっていた時間」

 【赤坂・RYU MUSIC STUDIO・エントランス】


 扉を開けると、空気が変わった。


 廊下の奥から、振動が伝わってくる。


 音というより、圧力。床を通して、全身に響いてくる。


「いらっしゃいませ」


 受付のスタッフが、私たちを見た。


 そして——シオンの顔を認識した瞬間、表情が変わった。


「風間様ですね。四宮様からうかがっております」


「……はい」


「どうぞ、奥へ」


 スタッフが、廊下の先を示す。


 私とシオンは、顔を見合わせた。


 そして——歩き出した。


 廊下を進むにつれて、振動が大きくなる。


 ドラムの重低音。ベースのうねり。ギターの鋭い切り込み。


 そして——


 歌声。


 圧倒的な、歌声。


「……すごい」


 思わず、声が漏れた。

 シオンの手が、私の腕を掴んでいる。


 震えている。


 スタジオのドアの前で、私たちは立ち止まった。

 分厚い防音扉の向こうから、音が溢れてくる。


 ——これが、LUNATIC EDGE。


 私は、ドアノブに手をかけた。


 そして——扉を開けた瞬間、音の壁が、私たちを襲った。


 空気と音が、まるで圧力でもあるかのように、押し寄せてくる。

 

 ——なんだ、これ。


 ステージには、四人の姿があった。


 ドラムを叩いているのは、筋骨隆々の大柄な男。


 真野翔平——SHO。


 元ラッパーでストリート出身。リズムの「抜き」と「跳ね」が持ち味。


 満面の笑みを浮かべながら、狂ったようにスティックを振り下ろしている。


 汗が飛び散る。シンバルが唸る。


 ——陽の狂気。その通りだ。


 ベースを弾いているのは、小柄な女性。


 SENA。唯一の女性メンバー。


 無表情のまま、指が弦の上を滑る。


 しかし——その音は、バンド全体を支配している。


 デジタルと生音を繋ぐ「橋渡し」。沈黙の指先。


 ——あの細い体から、この音が出るのか。


 ギターを弾いているのは、長身の男。


 神崎迅——JIN。


 通称「ミスターパーフェクト」。


 冷静沈着に、完璧な音を刻んでいる。


 一切の無駄がない。まるで——理論の結晶。


 そして——センターに立つ男。


 レイ。


 マイクを握りしめ、叫んでいる。

 その声は——変幻自在だった。


 低く唸るような咆哮から、透き通るようなファルセットへ。

 ラップのようなリズミカルなフレーズから、魂を絞り出すようなシャウトへ。


 ——これが、世界レベル。


 感情とか、好き嫌いとか、そういうのは関係なく。


 純粋に——すごい。


 

 私は、素直にそう感じた。


 

 シオンが、じっとレイを見つめている。


 その体が、小刻みに震えている。


 私は——そっと、シオンの肩に手を置いた。


「大丈夫」


 小さく、囁く。シオンが、かすかに頷いた。




 


 演奏が——終わった。


 

 最後の音が、スタジオに残響を残して消えていく。


 静寂。


 レイが、額の汗を拭った。

 そして——こちらを見た。


 一瞬、その目が揺れた。しかし、すぐに表情を消す。


 レイが、ゆっくりとこちらに歩いてくる。


 タオルを首にかけ、水のボトルを片手に。


 私は——一歩後ろに下がった。


 ここからは、シオンとレイの時間だからだ。


「まさか……」


 レイの声が、響いた。


「来るとは思わなかったよ——シオン」



 シオンが、一歩前に出た。


 足は、まだ震えている。


 でも——その目は、真っ直ぐレイを見ていた。


「……久しぶりやね、レイ」


「ああ。直接話すのは、松濤の公園以来だね」


 レイの声は、穏やかだった。

 意外なほど——穏やかだった。


「練習、見てたの?」


「うん……すごかった」


「そう。ありがとう」


 レイが、薄く笑う。


「君たちのMVも見たよ。『Destiny』。悪くなかった」


「……ありがとう」


 シオンの声が、少し緊張を解く。


 私は、二人の様子を見守っていた。


 ——意外と、普通に話してる。


 もしかして、大丈夫なのかもしれない。

 そう思った——その時だった。


「でも」


 レイの声のトーンが、わずかに変わった。


「やっぱり、ギターソロは弾けてなかったね」


「……」


「セイラのコーラスに助けられてた。昔の君なら、あんな逃げ方はしなかったのに」


 シオンの肩が、かすかに強張った。


「それは——」


「別に責めてるわけじゃないよ」


 レイが、水を一口飲む。


「事実を言ってるだけだ」


 その声には——棘があった。


 さっきまでの穏やかさが、少しずつ剥がれていく。


「レイ、うちは——」


「なんで来たの?」


 レイが、シオンを遮った。


「フェスの前に、偵察? それとも——同情でも買いに来た?」


「違う」


 シオンの声が、強くなった。


「うちは、ちゃんと話したくて——」


「話す? 今さら?」


 レイが、冷たく笑った。


「12年間逃げ続けて、今さら『話したい』?」


「……っ」


「都合がいいよね、君は」


 レイの目が、冷たく光る。


「俺がどれだけ待ったか、知ってる?」


「……知ってる」


「嘘だ」


 レイの声が、低くなった。


「知ってたら、あんな——Vtuberなんかと組まないだろ」


 シオンが、唇を噛んだ。


 私は——拳を握りしめていた。


 ——こいつ。


「レイ、うちは——」


「もういいよ」


 レイが、手を振った。


「聞きたくない。君の言い訳は」


「言い訳やない!」


 シオンの声が、響いた。


「うちは——ずっと、約束を忘れたことなんてない!」


 スタジオが、静まり返った。


 SHOとSENA、JINが、手を止めて二人を見ている。


「でも——」


 シオンの声が、震える。


「どんどん先に進むレイを見てたら——怖くなった」


「うちは、あの日から止まったままで——」


「レイはどんどん上手くなって、どんどん遠くに行って——」


「追いつけへんって、思った」


 シオンの目に、涙が滲む。


「だから——逃げた。自分が情けなくて、逃げた」


「……」


 沈黙。


 レイは——何も言わなかった。

 その顔に、一瞬だけ——何かが揺れた。


 しかし——


「……そうか」


 レイの声は、冷たかった。


「相変わらずだね、君は」


「そうやって、また俺を惑わすんだ」


「え……?」


「俺を混乱させて、同情を引いて、迷わせようとしてる」


「そんなんやない——!」


「君がやりそうなことだよ」


 レイの声に、毒が滲む。


「昔からそうだった。言葉が軽いんだよ。弱音を吐けば誰かが助けてくれると思ってるだろ」


「レイ——」


「おい、レイ」


 SHOが、ドラムセットから立ち上がった。


「ちょっと言い過ぎだぞ」


「うるさい」


 レイが、振り返らずに言った。


「おまえには関係ないだろ」


「関係あるよ」


 SENAが、ベースを置いた。


「あんたらしくないよ。どうしちゃったのよ」


「……」


 レイは——答えなかった。


 そして、再びシオンを見た。


「もう帰れよ」


「……」


「用は済んだだろ。偵察は終わりだ」


「偵察なんかやない……」


 シオンの声が、かすれる。


「うちは——あんたと、ちゃんと向き合いたかっただけや」


「向き合う?今さら?」


 レイが、冷たく笑った。


「……っ」


「無理だよ。俺と君は——もう、違う道を歩いてるんだから」


 シオンが、唇を噛んだ。


 その時——レイの目が、冷たく光った。


「そういえば——」


 レイが、一歩近づいた。


「あの配信で言ってたよな」


「……」


「『あんたは何を継いだんだ』って。『魂はあるのか』って」


 シオンの体が、わずかに強張った。


「いい質問だと思ったよ。だから——俺も考えた」


 レイの声が、低くなる。


「俺は、何を継いだのか」


「……」


「今、答えてやるよ」


 レイが——シオンを、真っ直ぐ見た。


「感情とか、気持ちとか——そんなもの燃やしても、死んだら無意味だってこと」


「——その教訓を、俺は継いだ」


 シオンの目が、見開かれた。


「風間和志は——魂を燃やして、感情を爆発させて、最高のソロを弾いて——」


 レイの声が、吐き捨てるように響いた。


「——それで死んだんだよ……馬鹿みたいじゃん?」


「くだらないよ。本当に」


 シオンの体が——震えていた。怒りで。悲しみで。


 そして——


「レイ……あんたなぁ……」


 シオンの拳が、握りしめられた。


「いいかげんに——!」


 ——だめだ。


「シオン!」


 私は、叫ぶと、一歩前に歩み出た。


 シオンの前に割り込みレイと、向き合う。


「……あんた誰だよ」


 レイが、私を見た。


 その直後、私は——思いっきり、右手を振り抜いた。


 

 バチンッ


 

 乾いた大きな音が、スタジオに響いた。


 レイの体が、のけぞった。


 

 一瞬、時間が止まったような静寂。


 SHOが、目を見開いている。

 SENAが、息を呑んでいる。

 JINだけが——無表情のまま、こちらを見ていた。


「……痛っ」


 レイが、頬を押さえた。


 赤く腫れている。


「……なんで」


 シオンの声が、震えている。


 私は——振り返らずに言った。


「二人の決着は——音楽でつけなきゃダメだから」


「……」


「ここでレイを殴ったって、何も解決しない」


 

 私に向き直るレイ。

 

「あんたは殴っていいのかよ……」

 

 私は、レイを睨みつけた。


「あんたさ——わざとシオンに殴らせようとしてただろ」


「……何を」



「ここにきてまだ被害者面するつもりかよ。情けない」


「……」


 レイが、黙った。



「ごめんなさいも言えないガキが——」


「カッコ悪いよ、あんた」


 私の声に、怒りが滲む。


「感情を捨てた? 馬鹿言ってんじゃないよ」


「あんたの言葉は——感情むき出しじゃん」


「傷ついて、悲しくて、寂しくて——それを認められないから、攻撃してるだけだろ」


「……っ」


 レイの目が、揺れた。


「だまれよ……」


「黙らない」


 私は、一歩近づいた。


「あんたがシオンにしたこと——私は絶対に許さない」


「でもな——」


 私は、レイを真っ直ぐ見た。


 

「決着をつけるのはフェスだろ!言葉に逃げるな!」



 その時——SHOが、私の前に立った。


 筋骨隆々の体が、私を見下ろしている。


「あんた……YUICAだろ」


「……そうだよ」


「声と態度でわかったよ」


 SHOが、ニヤリと笑った。


「あんたの配信、見てたぜ。MCバトルもな」


「それで?」


「俺はドラマーだけど——ラッパーでもあるんだよ」


 SHOが、一歩近づいた。


「うちのボーカル殴られて、黙ってるわけにもいかないよな」


「ラッパー同士、いまからここで、フリースタイルの勝負しねえか?」


 勝負するだと。

 私は——不敵に笑った。


「いいよ……あんたもぶっ飛ばしてやるよ」


 SHOの目が、光った。


 私も——一歩も引かなかった。


 空気が、張り詰める。


「——もう、やめなよ!」


 SENAの声が、二人の間に割り込んだ。


「あんたら、なにやってんの」


「……」


「フェス前にこれ以上こじれたら——全員損するでしょ」


 SENAが、レイを睨んだ。


「今のは——完全にレイが悪い」


 そして——私を見た。


「YUICA。シオンを連れて、今日は帰って」


「……」


「あとは——こっちで話しとくから」


 SENAの声には、有無を言わせない響きがあった。


 私は——シオンを見た。


 シオンは、まだ震えている。


 でも——その目は、私を見ていた。


「……わかった」


 私は、シオンの手を取った。


 そして——スタジオの出口に向かった。


 振り返る。


 レイが、頬を押さえたまま、こちらを見ている。


 SHOが、腕を組んでいる。


 SENAが、ため息をついている。


 JINだけが——相変わらず無表情で、私を見ていた。


「じゃあ——続きはフェスで」


 私は、吐き捨てるように言った。


「おまえら、ボコボコにしてやるからな」


 そう言って——私たちは、スタジオを後にした。



【帰り道・タクシーの中】


 窓の外を、東京の街並みが流れていく。


 シオンは——ずっと黙っていた。


「……シオン」


「……うん」


「大丈夫?」


「……わからへん」


 シオンの声が、かすれている。


「でも——」


 シオンが、私を見た。


 その目には、涙が浮かんでいた。


「ありがとう、YUICA」


「……何が」


「あの時——YUICAが殴らなかったら」


 シオンが、自分の拳を見つめた。


「うち——レイを、殴ってた」


「……」


「そしたら——全部、終わってた」


 シオンの声が、震える。


「音楽で決着つけるって——そういうことやんな」


「……うん」


 私は、窓の外を見た。


「あいつさ——わざと殴られようとしてたんだよ」


「……そうなん?」


「どういうつもりかは知らないけど——たぶん、謝りたかったんじゃない?」


「謝る……?」


「でも、素直に謝れないから——殴られることで許されようとしてたのかもね」


「……」


「ったく、どうしようもないガキだね。本当に」


 私は、ため息をついた。


「でも——」


 シオンが、窓の外を見た。


「レイの目——昔と、変わってた」


「……」


「あの冷たい目——昔は、ああじゃなかったんや」


 シオンの声が、小さくなる。


「うちが——変えてしまったんかな」


「違う」


 私は、はっきり言った。


「あいつが、勝手に変わったんだよ」


「……」


「シオンのせいじゃない。あいつ自身の選択だ」


 シオンが——私を見た。


「YUICA……」


「だから——フェスで決着つけよう」


 私は、シオンの肩を叩いた。


「あいつは音楽で殴らないと目が覚めない。それができるのはシオン……あんただけだよ」


「……うん」


 シオンが、小さく頷いた。


 その目に——少しだけ、光が戻った。


【赤坂・RYU MUSIC STUDIO】


 YUICAたちが去った後——


 スタジオには、重い沈黙が落ちていた。


 レイは、ソファに座っていた。


 頬を押さえたまま、床を見つめている。


「……」


 SENAが、レイの前に立った。


「ねえ、レイ」


「……」


「あんた——YUICAたちに嫉妬してんでしょ」


 レイが、顔を上げた。


「……なんでだよ、あんな偽物」


 SENAの声が、鋭くなった。


「男がさ、ごめんなさいも言えないのってさ」


「……」


「超だっさい」


 レイは——何も言わなかった。


 ただ、頬を押さえたまま、黙っていた。


「……うるせえよ」


 小さく、呟いた。


 SHOが——スタジオの真ん中で、立ち尽くしていた。


「ショウ?」


 SENAが、声をかける。


「どうしたの?」


「……」


 SHOは——答えなかった。


 その体が、かすかに震えていた。


 筋骨隆々の大柄な体に不釣り合いに——足が、小刻みに震えている。


「YUICA……」


 SHOが、呟いた。


「あいつ……やべえわ」


「……は?」


 SENAが、眉をひそめる。


「MCと見合って——ブルったのは、生まれて初めてだ」


 SHOの声が、震えている。


「あれは——」


 唾を飲み込む音が、静かなスタジオに響いた。


「——バケモンだ」


 沈黙。


 SENAが、呆れたように息をついた。


 そして——JINを見た。


 JINは——相変わらず無表情で、ギターを片付けていた。


「ちょっと、JIN」


「……」


「あんた、大人なんだから——ああいう時、なんとかしなさいよ」


「……」


「ほんとギターしか脳がないコミュ障だよね!」


 JINが——手を止めた。


 そして——珍しく、口を開いた。


「YUICA……」


「……え?」


 SENAが、目を丸くする。

 SHOも、レイも——JINを見た。


 JINは——窓の外を見ていた。


 YUICAたちが去っていった方向を。

 そして——静かに、呟いた。


「……いいな」


 沈黙。


 誰も——その言葉の意味を、理解できなかった。


 JINは——それ以上、何も言わなかった。


 ただ——かすかに、口元が緩んでいた。




 (つづく)


 次回——80「決戦前夜、それぞれの夜」







----------あとがき--------------



ここまでくると、作家にできることは舞台を用意するだけです。


YUICAも、シオンも、セイラも——もう作家がどうこうできる存在ではなくなっています。


読者はこういう展開を期待しているかもしれない。

作家としてはこうあって欲しいと思うかもしれない。


でも、彼女たちはもう曲がらないし、自分の行動原理でしか動きません。


ボクがいくら願っても、セイラは止まらないし、シオンは逃げないし、YUICAは仲間を見捨てない。


そういう人間に、なってしまった。


だからこそ78話では、壁を越えて遠くへ進み続けるYUICAを、いちど読者のもとへ里帰りさせました。


渋谷のカフェのシーンです。


やったのは苦手な場所に、苦手な二人を放り込んだだけ。

あとは勝手に困惑して、勝手に見栄を張って、勝手に笑い合っていました。

ボクはただ、それを書き留めていただけです。


正直に言えば、いよいよラストが近いんだなという寂しさがあります。


でも同時に、彼女たちが成長し、人格を持ち、物語の中で確かに生きているのが嬉しい。


その二つが混ざった、変な心境です。

これも作家冥利というものかもしれません。


最後まで、彼女たちと一緒に歩いてもらえたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 レイ、今話を読んでてなんか既視感を覚えるなぁ…と感じてましたが。そうか、名前はレイですが中身はカミー○・ビダンに近いんですね。カミー○も学校ではわりとクールでしたが中身は苛烈で繊…
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