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79「約束の向こう側へ」

 フェスまで残り1週間——


 【朝10時・渋谷・カフェ】


 朝練を終えた私とシオンは、渋谷のカフェで休憩していた。


 セイラは午後からコラボ案件があるとかで、マスターズに戻っている。


 つまり——シオンと二人きり。


「ねえYUICA、ここでええの?」


「うん。ここ、穴場だから」


 嘘だ。


 さっきスマホで「渋谷 カフェ 空いてる 静か」と検索して、一番上に出てきた店に入っただけだ。


 扉を開けると、店内は意外と混んでいた。


 ——全然穴場じゃないじゃん!


「いらっしゃいませ、何名様ですか?」


 店員さんが近づいてきた。


「に、2名で」


「かしこまりました。お席へご案内しますね」


 よし。ここまでは完璧。


 カウンター席に案内される。


 メニューを開く。事前に調べておいたから大丈夫。

 

 ”アイスコーヒーをMサイズで——”これを言ってスマートに注文するだけだ。

 いかにもいつも頼んでますという雰囲気で。

 

「ご注文はお決まりですか?」


「アイスコーヒー、Mサイズで」


 ——できた!完璧だ!まさに大人の余裕。


「かしこまりました。デカフェとオーガニック、どちらになさいますか?」


「……え?」


「デカフェとオーガニック、どちらに——」


 ——デカ?なにそれ、デカいサイズ?ってこと。

 

「あ、あの、Mって言いましたよ」


「はい。ですからデカフェと——」


「あぅあ。で、デカで!」

 

「かしこまりましたしました。ミルクとお砂糖はいかがなさいますか?」


「あ、ミルクだけ」


「かしこまりました。ミルクはオーツ、アーモンド、ソイがございますが」


 ——また選択肢が増えた!なんか豆類多くないか!?普通のはないんか?!

 

「……ソ、ソ、ソイ?で」


「あと、オプションに——」


「以上で!」


「大変失礼いたしました」


 店員さんが、少し困惑した顔でシオンの方を向く。


「お客様は?」


「え、えっと……うちは……」


 シオンが、メニューを凝視している。目が泳いでいる。


 ——やばい。このままじゃシオンがパニックになる。


「彼女はカフェラテで。ホット、Mサイズ、ソイミルク」


「かしこまりました」


 店員さんが去っていく。


 私は額の汗を拭った。


 ——なんだよあの質問攻め。事前調査の意味ないじゃん。

 みんな……こんなクイズみたいなこと毎回やってんのか?


「YUICAすごい……」


 シオンが、目を輝かせている。


「あんな連続質問、全部答えてた……」


「ま、まあね。慣れだよ、慣れ。あははは」


 ——全然慣れてない。心臓バクバクだった。


「しかも、うちの分まで注文してくれて……」


「ああ、シオンは慣れてないと思って」


「さすがや……YUICAは陰キャの星やな。頼りになるわぁ」


 シオンが、心底感心したように頷いている。

 ——いや、私も内心パニックだったんだけど。


 しばらくして、飲み物が運ばれてきた。


「お待たせいたしました。アイスコーヒーのMサイズと——」


 店員さんがトレイを置く。


「——こちら、ストローになります」

 

「これ紙ですけど」


「はい、当店は環境を配慮して紙ストローでございます」

 

 店員さんが、微妙な表情で去っていく。


 ——おいおい紙なんて溶けちゃうだろ。大丈夫かこの店。


「YUICA、大丈夫?」


「私は直接飲む派だから問題ないんだよ」

 

 私は頼りない紙のストローを無視してコーヒーを啜った。


 冷たい液体が喉を通る。

 

 ——落ち着け。これ以上ボロを出すな。


「ねえYUICA」


「ん?」


「うちこうやって外のカフェでお茶するの、めっちゃ新鮮や」


 シオンの目が、キラキラしている。


「ずっと家に引きこもってたから……こういうの女子っぽいの夢みたいや」


「……そう?」


「うん。YUICAがおらんかったら、うち、まだ地下スタジオにおったと思う」


「大げさだよ」


「大げさやない。ほんまに」


 シオンが、窓の外を見る。

 渋谷の雑踏。行き交う人々。


「外を歩くのも、人と話すのも……全部YUICAが引っ張り出してくれたから」


「……」


「YUICAは、うちの恩人や」


 ——恩人て。


 私は、コーヒーを啜りながら窓の外を見た。

 恩人って言われても、私だって36年間ぼっちだった。


 ただ——シオンの気持ちは、誰よりもわかる。

 だから、放っておけなかっただけだ。


「YUICAはさ、こういうとこ、よく来るん?」


「ま、まあね」


「すごいなぁ。慣れてる人は違う」


 ——さっきから「慣れてる」って言われるたびに心臓に悪いんだけど。


「今度、おすすめのお店とか教えてな?」


「う、うん。いいよ」


 ——おすすめの店なんてない。今日で人生3回目のカフェだから。


 でも、シオンの期待に満ちた目を見ると、断れなかった。


「……任せなさい」


 私は、精一杯のドヤ顔で答えた。内心、冷や汗が止まらなかった。


 しばらくして、私たちは静かに飲み物を楽しんでいた。


 穏やかな時間。窓の外を流れる渋谷の風景。


 その時——隣のテーブルから、大きな笑い声が聞こえた。

 女子大生らしき集団が、スマホを見ながら盛り上がっている。



「ほんま、YUICAみたいな人になりたいわ」


「……そんな、大したことないって」


「謙遜せんでええのに」


 シオンが、にっこり笑う。


 私は——曖昧に笑い返すしかなかった。




【正午・松濤への帰り道】


 カフェを出て、シオンを自宅まで送ることにした。

 

 渋谷の喧騒を抜けると、空気が変わった。

 高い壁に囲まれた豪邸が立ち並ぶ、別世界のような空間。


 さっきまでの渋谷の騒がしさが嘘のように静まり返っている。

 聞こえるのは、自分たちの足音と、どこかで鳴く鳥の声だけ。

 

 ここに住む人々は、きっと渋谷の喧騒とは無縁の生活を送っているのだろう。

 

 

 ——そして、シオンは12年間、この静寂の中で一人だった。


 

「ねえYUICA」


「ん?」


「レイのこと……ちょっと、話してもいい?」


 私は、シオンを見た。


「いいけど……大丈夫?」


「うん。YUICAには、聞いてほしいんや……」


 シオンの声が、少し沈んでいる。


「レイとの約束のこととか、SNSで言われたことかとかは……もうYUICAも知ってるやんね」


「うん。大体は」


「でも……うちがずっと言えへんかったことがある」


 シオンが、足を止めた。

 私も立ち止まる。


「この前——フェス参加が決まる直前に、レイと会ったんや」


「……え?」


「松濤公園で、偶然……いや、レイの方から訪ねてきた」


 シオンの声が、小さくなる。


「3年ぶりやった。あいつと顔を合わせたの」


 私は、黙って聞いていた。


「その時、レイが言ったんや」


 シオンが、遠くを見る。


「『俺、昔からシオンのこと好きだったよ』って」


「……」


 ——恋愛相談か?ちょっとまて、今日はなんで未知の試練ばかり続くんだ。


「『でも安心して。ちゃんと過去形だよ』って」


 シオンの手が、握りしめられる。


「『俺は今のバンドを組む時に、そういう私情は全部捨てた』って」


「『感情なんて、結局ノイズだったんだよ』って——」


 私は、息を呑んだ。


「……それ、どういう——」


「わからへん」


 シオンの声が、震える。


「でも、うちには——刺さった」


「レイがそんなふうになったのは、うちのせいやって」


 シオンが、俯く。


「うちが——ずっと逃げてたから」

「応えなかったから」


「あいつは——感情を、捨てたんや」


 私は——シオンの言葉を、静かに受け止めた。


「……シオン」


「うん」


「……正直言っていい?」


 シオンが、顔を上げる。


「私、レイって奴にムカついてる」


「え……?」


「好きだったなら、約束したなら待てばいい。シオンの答えが出るまで」


「でもあいつは——感情を捨てたって言いながら、シオンをSNSで晒し上げた」


 私の声に、怒りが滲む。


「『約束を忘れて逃げた』って公開で罵倒して、『技術も全然ダメ』って追い打ちかけて」


「それが——感情を捨てた人間のすること?」


「むしろ、感情むき出しじゃん」


 シオンが、目を見開いている。


「シオンは確かに逃げた。でも、それはシオンの弱さであって、罪じゃない」


「傷ついたなら、直接言えばいい。なんで公開処刑みたいな真似するんだよ」


「——ふざけんなって思うんだよね」


 私は——自分でも驚くほど、怒っていた。


「私は、シオンを苦しめる奴が許せない」


「それが誰であっても」


 シオンが——泣いていた。


「YUICA……」


「なに」


「ありがとう……」


「……なんで泣くのよ」


「だって……うちのために、そんなに怒ってくれる人、初めてやから」


 私は——何も言えなかった。


 ただ、シオンの肩を、そっと叩いた。


「行こう。家まで送るから」


「……うん」


 二人で、また歩き出した。



【シオン自宅・玄関】


 

 松濤の豪邸。

 高い白壁と、重厚な門。


 玄関を開けると、シオンの母・美津子が出迎えた。


「おかえりなさい、志音。……あら、YUICAさんも」


「お邪魔してます」


「志音、お客様が来てるわよ」


 シオンの表情が、わずかに強張った。


「お客さん……?」


「リビングにいらっしゃるから、ご挨拶しなさい」


 私とシオンは、顔を見合わせた。


 そして——リビングへ向かった。


 

 ドアを開けた瞬間——シオンの体が、凍りついた。


 ソファに座っていたのは——


 50代半ばの男性。


 銀髪混じりの髪を後ろに撫でつけ、黒いジャケットを纏っている。


 その存在感は、圧倒的だった。


 ——四宮龍。


 かつてZyx'sのボーカルとして伝説を築いた男。

 風間和志の親友であり、シオンの「敵」。


 そして——レイの父親。


 「久しぶりだな、志音」


 低く、深い声。シオンの手が、震えている。


 母親が促す。


「志音、ご挨拶しなさい」


 シオンは——かろうじて、頭を下げた。


「……お久しぶりです」


「大きくなったな」


 四宮龍が、穏やかに微笑む。


「FAKE-3のMV、見たよ。お前のギター……和志の面影があった」


「……」


「あれからまた、弾けるようになったんだな。嬉しいよ」


 シオンは、何も言えない。

 私は、その横で息を潜めていた。


 ——芸能に無知な私でも知ってるビッグスター、四宮龍。


 音楽業界の重鎮。LUNATIC EDGEを送り出した男。


 そして——シオンとレイを翻弄してきた、大人たちの中心人物。


「そちらは——」


 四宮が、私を見た。

 

「もしかして……君が、YUICAかな」


「……はい」



「そうか……君か」


「見たよ。あの夜の——『魂を継げ』というやつ」


 私は、視線を逸らさなかった。


「……」


「なかなか、堪えたよ」


 その目は——どこか、疲れたような光を帯びている。


「それで——」


 四宮が、シオンに向き直る。


「今日来たのは、話があるからだ」


 沈黙。


 シオンの呼吸が、浅くなっている。


「フェスまで、あと一週間だな」


「……はい」


「君たちFAKE-3と、レイたちLUNATIC EDGE。おそらく最終日に、同じステージに立つことになるだろう」


「それはまだ……わかりません」

 

「……わかるさ」

 

 四宮の声が、低くなる。


「シオン。俺は——お前とレイを、同じステージに立たせたかった」


「ただそれは、こんな形ではなく”二人並んで”という意味でだ」

 

 シオンが、顔を上げる。


「それが——和志の遺志だと、俺は信じていた」


「……お父さんの、遺志……?」


「和志はいつも言っていた。『シオンとレイが組んだら、俺たちを超える』と」

 

 四宮の目が、遠くを見る。


「だから俺は、ずっと準備していた。お前が戻ってくる日を」


「だから——諦めたわけじゃない」


 シオンの手が、膝の上で握りしめられる。


「ただ——」


 四宮の声が、わずかに揺れた。


「今のレイを見ていると……それが正しいのか確信が持てなくなっている」


「……俺は、何を間違えたのかな」

 

「……」


「血は争えんな。親と同じ轍を踏ませた……」


 四宮が、顔を伏せる。


「あいつは、壊れかけている……いや壊れようとしている」


 沈黙が、リビングに落ちる。


「すまんなシオン……あいつのやったことは、間違っている」

 

 その声は——初めて聞く、弱々しいものだった。


 シオンは——しばらく、何も言えなかった。


 そして——


 自分を奮い立たせるように、ゆっくりと口を開いた。


「……四宮の、おじさん」


「なんだ」


「正直に……言ってもいいですか」


 四宮が、顔を上げる。


「うち……おじさんのこと、恨んでました」


 四宮の表情が、わずかに強張る。


「お父さんが倒れた時……おじさんは、歌い続けた」


「うちが叫んでも、誰も気づいてくれへんかった」


「だから……全部おじさんのせいやって、ずっと思ってた」


 私は、シオンの横顔を見つめていた。

 この子は——12年間、この言葉を飲み込んできたんだ。


「でも——」


 シオンの声が、少し強くなる。


「今はわかります」


「それは……うちが、自分の不甲斐なさを、おじさんに転嫁してただけやって」


「本当は——うちが弱かっただけ」


「逃げたのは、うち自身やから」


 四宮が——息を呑んだ。


「志音……」


「レイとの約束も、守れへんかった」


「あいつが待ってくれてたのに——うちは、応えられへんかった」


「だから——あいつがあんなふうになったのは、うちのせいでもある」


 シオンの目に、涙が滲んでいる。


 でも——その声は、震えながらも、真っ直ぐだった。


「だから——」


 シオンが、顔を上げる。


「フェスの前に、レイと会って、話がしたい」


「ちゃんと——向き合いたいんです」


「逃げたままで、終わりたくないから」


 四宮龍は——しばらく、黙っていた。


 その目は、どこか遠くを見ているようだった。


 そして——静かに言った。


「レイは今、赤坂のスタジオでメンバーと合わせ練習をしている」


 シオンが、息を呑む。

 四宮が、立ち上がった。


「どうするかは——」


 シオンを、真っ直ぐ見る。


「志音、お前が決めろ」


 そう言って——四宮龍は、リビングを出ていった。


 玄関のドアが閉まる音が、静かに響いた。


 

 残されたシオン。その手が、震えている。顔は青白い。


 私は——シオンを見つめていた。


「シオン……どうするの?」


 シオンは——立ち上がった。


 足が震えている。


 でも——


「行く」


 その声は、かすれていた。


「レイに——会いに行く」


 そして—私の腕 を、掴んだ。

 その手が、震えている。


「YUICA——」


 シオンの声が、震える。


「一緒に——来て……!」


 私は——シオンの手を、握り返した。


「私、あいつをぶん殴るかもしれないよ」


「もしYUICAがそうするなら、それは正しいからや」


「わかった、一緒に行こう」

 

 不敵に、笑う。


 シオンの目に、涙が滲む。


「……ありがとう」


「泣くのは、全部終わってからに」


 私は、シオンの背中を押した。


 二人で——玄関を出た。松濤の空は、青く澄んでいた。


 

 【赤坂・スタジオ前】


 タクシーを降りて、私たちはビルの前に立っていた。


「AKASAKA RYU MUSIC STUDIO」


 黒いい壁に、白い文字。


 扉の向こうから、ギターとドラムの音が微かに漏れ聞こえる。


 シオンの足が、震えている。


「……YUICA」


「ん?」


「うち、怖い」


「知ってる」


「足が、動かへん」


「知ってる」


 私は——シオンの隣に立った。


「でも、行くんでしょ」


「……うん」


「じゃあ、行こう」


 シオンが——深呼吸をした。

 一回。二回。三回。


 そして——


 扉に、手をかけた。

 12年間止まっていた時計が——


 今、動き出そうとしていた。



(つづく)


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