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73「壊れたカリスマ」

【松濤・シオン自宅 地下スタジオ】


 白い壁に並ぶギターたち。

 空調の静かな音だけが響く、地下スタジオ。


 私たち三人は、床に座り込んでスマホを囲んでいた。


「二曲合計……2億超えたね」


 私が呟くと、シオンが目を丸くした。


「すごいなぁ……数字がバグってるみたいや」


「まだ3億には届いてねえ。浮かれるのは早い」


 セイラが腕を組んで言う。さすがは完璧仮面……相変わらずの厳しさだ。


「……厳しいねぇ、セイラは」


「当然だろYUICA。目標は3億なんだ。こういう時に油断したら、大抵のドラマで負けフラグが立つだろうが」


「負けフラグって……」


 私が呆れてると、シオンがスマホをスクロールしながら、ふと呟いた。


「でも深山監督ってすごいんやな……ただの狂人やなかったわ……」


「おまえのワイヤーアクションのやつ、マジで使ってたな」


 セイラがニヤリと笑う。


「あの顔。状況知ってるだけに面白過ぎるんだが」


「うっさいな……何回こすんねん」


 シオンが頬を膨らませる。


「ていうか今見ても足が震えるわ。完全にトラウマや」


「いい思い出だろクソガキ」


「どこがやねん!ババア!」


 私は二人のやり取りを見ながら、ふと気づいた。


「ていうか、セイラなんで厚着してるの?」


 セイラは長袖のパーカーを羽織っている。七月中旬だというのに。


「このスタジオ寒いんだよ!真夏なのにな!」


「その方が機材や楽器にええねん」


 シオンが壁に並ぶギターを見上げながら言った。


「お父さんがいつも……」


 言葉が、途中で止まった。


 沈黙が、スタジオに落ちる。


 セイラが、少しだけ声のトーンを落とした。


「……ここって、親父さんが使ってたんだろ?」


「……うん」


 シオンの声が、小さくなる。


 その目が、どこか遠くを見ている。壁に掛けられた青いギター——父の形見のひとつを、じっと見つめている。


「シオン?」


 私が声をかけると、シオンは我に返ったように瞬きをした。


「……ごめん。ちょっと、変なこと思い出してた」


「何をだ?」


 セイラが、静かに問いかける。


「……あのライブ直前に……お父さんらと話したこと」


 シオンの声が、かすれた。


「ここで最後の、お父さんとのこと……」


 ◇


 ——12年前。


 あの日も、このスタジオは涼しかった。


 11歳のうちは、お父さんの背中を見ていた。


 Zyx’sの二人——お父さんと、龍おじさんが並んでギターを弾いている。


 15周年記念ライブのリハーサル。東京ドーム公演の、三日前やった。


 二人の音は、いつ聴いても心が震えた。


 今、合わせている曲は『蒼雷』。

 

 お父さんのギターは雷みたいに激しくて、龍おじさんのボーカルは風みたいに自由で。


 二つが重なると、嵐が生まれる。


 うちはその音が、この曲が大好きやった。


 でも——


 ——お父さん、なんか変や。


 お父さんの額に、汗が滲んでいる。


 いつもより多い。いつもより、顔色が悪い。


 リハーサルが終わると、お父さんはそっと胸を押さえた。


 その仕草を、うちは見逃さなかった。


「お父さん……大丈夫?」


「ん? ああ、大丈夫や。ちょっと疲れてるだけや」


 お父さんは笑って、うちの頭を撫でた。


「でも、なんか苦しそうやん……」


「本番終わればゆっくり休める。ここで頑張らな、もう一生頑張る機会もないやろからな」


 その時——龍おじさんが近づいてきた。


「和志。お前無理しすぎんなよ……いつもより顔色悪いぞ」


「なんだよ、お前まで。大丈夫だって」


「……15周年だからって、気負いすぎだ」


「気負って何が悪いねん! 命かける価値があるやろ!」


 龍おじさんが、眉をひそめた。


「おい、子供の前でそういうこと言うな! 仮にも親だろ、お前って奴は……」


「またお小言か! おまえは親か! ……ほんまに真面目やな」


 お父さんが笑う。


 でもその笑顔が、どこか無理をしているように見えた。


 龍おじさんは、ため息をついた。


「でも本当に無理はすんなよ」


「ああ。……ただ、ちょっと思うことがあってな」


「何だよ」


「いや……俺たち、15年やってきただろ」


「ああ……長いようで、あっという間だったな」


「次の15年後も、こうやってステージに立てるのかなって思ってな」


「……何言ってんだ。当たり前だろ!」


 龍おじさんの声が、少しだけ大きくなった。


「そうだな。……そうだよな」


 お父さんが、遠くを見るような目をした。


 その時——うちは、口を開いていた。


「15年後は、おっさんになったお父さんたちのかわりに、うちらがステージに立ってあげるわ!」


 お父さんと龍おじさんが、うちを見た。


「なあ、レイ! そうやんな!」


 うちは、隣に立っていたレイの方を向いた。


 レイ——龍おじさんの息子で、うちの幼馴染。


 いつも一緒に遊んで、一緒に音楽の練習をしてきた。


 うちより一つ年上の、12歳。


 レイは、静かに頷いた。


「うん。俺と志音なら……父さん達より上手くなってると思う」


「ふざけんな!」


 お父さんが、笑いながら叫んだ。


「そんころ俺たちはレジェンドどころか、ロックの神様になっとるわ! クソガキどもが!」


「クソガキとか言わんとって!」


 うちが抗議すると、お父さんはうちの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。


 龍おじさんが、珍しく笑った。


「本当にこいつらが跡を継いでくれるなら……素直に嬉しいな」


「……ああ。そうや」

「いつでも安心して、ステージで死ねるわ」


 お父さんの目が、真剣になった。


「おい、だからやめろってそういうの」


 龍おじさんが呆れる。

 

「せやからカッコ悪い背中、見せられへんのや! さあ、もっかい合わすぞ龍!」


「たく。はいはい」


 父がギターを、龍おじさんがマイクを構える。


 レイが、うちのすぐ隣に来た。


「志音。さっきの話、俺は本気だから。絶対に二人でステージに立とうな」


「……うん。約束や」


 うちは頷いた。


 でも——胸の奥に、小さな不安があった。


 お父さんの顔色。胸を押さえる仕草。


 ——大丈夫やんな。お父さんは強いから。


 そう自分に言い聞かせた。


 お父さんと、このスタジオで会話したのは——


 それが最後になった。


 そしてレイと一緒にステージに立つという約束も——


 果たされることは、なかった。




 ——お父さんを助けて!!!




 あの日の自分の叫び声が、今でも耳の奥で響いている。




 ◇



【赤坂・四宮龍の個人スタジオ】


 四宮龍は、あの瞬間を忘れたことがない。



『お父さんを助けて!!!』



 ——あの声が、まだ耳に残っている。


 11歳の少女の、絶叫。


 5万5千人の観客が息を呑んだ、あの東京ドーム。


 和志の体に触れた時の、あの冷たさ。


「おい、和志! しっかりしろ!」


 何度呼んでも、返事はなかった。


 ——俺は、気づいていたはずだ。


 リハーサルの時から、和志の顔色がおかしかったこと。


 何度か胸を押さえていたこと。


 いや、三日前の練習の時から、すでに変だった。


 何か嫌な予感がしていた。


 ——なのに、なぜ止めなかった。


 ——なぜ歌い続けた。


 15周年という節目。

 二人で作り上げてきた伝説の集大成。


 その重圧の中で、俺は——


 本番直前、和志が言った言葉を思い出す。


「何があっても絶対止めるな」


「もし俺が倒れても、ソロを弾き終えた後ならそれは演出だ。盛り上げるためや」


 その言葉を信じたからか。


 ——いや、違う。


 俺は、怖かったんだ。


 和志のあの執念を、魂の叫びを、止めるのが怖かった。


 なぜなら、それはあいつの「魂」を否定することだと思ったから。


 だが、俺の選択は——


 和志を死なせた。


 歌うのを止められなかったから。


 ——あの才能を、音楽界の至宝を。


 ——唯一無二の、親友を。




 ——俺が、殺したんだ。




 その罪を——四宮龍は、12年間背負い続けている。


 彼は、放心したようにモニターを見つめていた。


 画面に映っているのは、FAKE-3のMV。


 『Destiny』のサビで、シオンがギターソロを弾いている。


 ——和志の面影が、そこにある。


 指の動き。体の揺らし方。音に身を委ねる、あの表情。


 まるで和志が蘇ったかのような——


「父さん」


 背後から、声がかかる。


 振り返ると、レイが立っていた。


 24歳になった息子。LUNATIC EDGEのボーカルとして、今や日本のロックシーンを牽引する存在。


 しかし、その目には——12年前とは違った、冷たい光が宿っている。


「また見てるの? あのMV」


「……ああ」


「何度見ても、志音は戻ってこないよ」


 レイの声には、かすかな棘があった。


 龍は、画面を見つめたまま呟いた。


「和志との15年後の約束まで、まだ3年……猶予がある」


「……あの夜の約束なんて、彼女はもう忘れてるのさ」


「……なぜ、そう思う」


 レイは、モニターの中のシオンを見つめた。


 その目が、わずかに細くなる。


「シオンのギターがなんか楽しそうだから」


「……」


「あんな完璧だったのに、今じゃ技術より感情で弾いてる。これじゃもうダメだね」


「なぜそう思う」


「父さんが俺に教えたんだろ。感情で演奏するなって。10回やって10回完璧に再現できないようならプロじゃないって」


「それに、このシオンはギターソロを弾けるようになったわけじゃない。このセイラってボーカルがコーラスで支えてなんとか凌いでるに過ぎない。完璧な志音とは程遠い……欠陥ギタリストだよ、こんなの」



 完璧——その言葉に、龍は12年前を思い出す。


 幼いシオンのギターは、確かに完璧だった。


 和志の厳しい指導を受け、技術は同年代の誰よりも優れていた。


 何より——彼女には迷いがなかった。


 父の背中を追いかけ、ただ真っ直ぐにギターを弾いていた。


 だが今、画面の中のシオンは——


 技術よりも感情を優先している。荒削りで、不安定で、でもどこか生き生きとしている。


 龍は、振り返った。


「レイ。お前は……和志の死を、どう思っている」


 レイの表情が、一瞬だけ固まった。


「……なんで今、その話を」


「答えろ」


 沈黙が、スタジオに落ちる。


 空調の音だけが、静かに響いている。


 そして——レイは、静かに言った。


「愚かだったと思ってる」


「……」


「感情に身を任せて、魂を燃やして、それで死んだ」


 レイの声には、感情がなかった。


「美しい伝説?冗談じゃない。あんなのは——ただの自滅だ」


「……そうか」


 龍の声が、低くなる。


「俺は——美しいと思った」


「……は?」


 レイの目が、見開かれる。


「羨ましいとすら、思った」


「何を——」


「あいつは、燃え尽きた」


 龍が、窓の外を見る。


 夕暮れの光が、スタジオに差し込んでいる。


「ステージの上で、最高の音を出して、そのまま逝った。……俺には、それができなかった」


「何を言ってるんだ、父さん」


「レイ……俺は今、生きてると言えるか」


 龍の声が、震える。


「燃え尽きることもなく、あの日から時間が止まったままだ」


「……」


 ——和志は文字通り、音楽の神様になった。

 ——しかし俺はなんだ。

 ——伝説のまま、権威ばかりが強くなっているだけ。



「ミュージシャンとしての俺は、あの日に死んだも——」


「代わりに俺を、完璧に育てたでしょ」


 レイが龍の言葉を遮る。

 

 そして、静かに言った。


「和志さんに出来なかったことを、続けてる」

「それが父さんの選択だったんだ。俺はそれでいいと思ってる」



 龍が、レイを見つめる。


 その目に、深い悲しみが浮かんでいる。


「お前は——俺に似ている」


「……そりゃ息子だからね」


「いや、燃え尽きることを恐れて……『完璧』に逃げてるところがだ」


「はあ?俺は、逃げてなんかいない」


 レイの声が、硬くなった。


 龍が静かに尋ねる。


「シオンを壊したいと言ったな。なぜだ」


 レイの拳が、握りしめられる。


 その手が、かすかに震えている。


「……あいつが、許せないからだよ」


「……」


「12年間、俺はずっとあの約束を信じて、待ってた」


 レイの声が、震える。


「だからこそ、あの日の四宮龍を超えるために……感情も、やりたかったことも全部捨てて、完璧を目指してきた。なのに——志音は」


 その目に、冷たい炎が燃える。


「今のシオンは、あんなのは……俺の待ってた志音じゃない」


「……」


「俺と一緒に立つはずだった……俺たちが目指してた『本物のステージ』を捨てて、あの偽物たちと——」


 レイが、顔を上げる。


「だったら、もう……壊しちゃった方がいいでしょ」


「レイ——」


「俺が、あいつの『選択』を、叩き潰す」


 レイの声から、感情が消えていく。


 代わりに、氷のような冷たさが滲む。


「その甘い希望ごと。不完全でも良いなんて幻想を、俺の『本物の音』で粉砕するんだよ」


「それが……お前の『本心』なのか?」


「そうでなきゃ——」


 レイが、龍を見つめた。


 その目は、どこまでも深く、どこまでも暗かった。


「俺の生きてる意味がなくなる」


 沈黙。


 龍は、何かを言いかけて——やめた。


 12年前、和志を止められなかったように。


 今また、息子を止められない自分がいる。


「俺が本気だってこと、いま証明しようか」


 そう言うとレイはスマホを取り出した。


 SNSを開く。FAKE-3の公式アカウント。


 その指が、画面の上を滑る。


 そして——公開リプライを送信した。


『J-ROCKフェスで会おう。

 俺が「本物」を教えてやる。

 ——特に、シオン。お前にはな。』


 送信完了。


 龍は、黙ってその様子を見ていた。


 息子の顔には、何の感情も浮かんでいない。


 完璧に制御された、仮面のような表情。



 ——お前は似ている。和志と出会う前の……俺に。




 ◇



 投稿は、瞬く間に拡散された。


『LUNATIC EDGEがFAKE-3に宣戦布告!』

『レイがシオンを名指し! 因縁の対決か!?』

『J-ROCKフェス、ガチの頂上決戦確定!』


 SNSが、炎上していく。


 その様子を見ながら——レイは、静かに呟いた。


「待ってろ、シオン」


 スタジオの照明が、レイの顔を照らす。


「お前の『偽物の希望』を——」


「俺が、壊して——すべてを終わらせてやる」


 その表情は、美しく——


 そして、どこか壊れていた。


(つづく)


 次回——「嵐の前の静けさ」

『蒼雷』作中でもセイラが歌ったり、シオンが演奏したり、またこの先も重要な楽曲になっていくので、今回あえて12年前に流れていた想定のフルバージョンを作詞・作曲してみました。


蒼雷/Zyx's

https://www.youtube.com/watch?v=s9MeNqcwyT8


Zyx'sは(vocal 四宮龍・guitar 風間和志)90年代中盤〜2010年代を駆け抜けた伝説の二人組ロックバンド。

小説のなかで度々登場する曲名「蒼雷」は、FAKE-3のギタリスト、シオン(風間志音)の父親、風間和志が12年前にライブ中に突然死した際に演奏した最後の曲。


<概要>

暗闘の日々に光を求めて——

自分を殺して生きてきた。誰かの期待に応えるために、本当の声を押し殺してきた。それでも、どこかで信じていた。この胸を撃ち抜く「救い」が、いつか降りてくることを。

蒼い稲妻よ、今こそ落ちて来い。臆病だった過去を焼き払い、俺を生まれ変わらせてくれ。

轟く雷鳴とともに、魂の叫びを解き放つパワーバラード


2000年代初頭の王道的な日本のロックポップスを意識しつつ、年代的に懐かしさも感じる工夫をしてみました。

そして人気ロックバンドの成熟期らしい、ややマイナーでオルタナティブなエッセンス。

例えばマイナーキー中心、時にメジャーへの転調で「救い」を見せる。

ギターソロは歌メロの変奏のように「歌う」。ストリングスとディストーションギターの対比、そして当時に日本のロックポックス的な「未練」「余韻」を残すエンディングが特徴です。



未完成の歌に君の名を/ゆい with 叢雲

https://www.youtube.com/watch?v=gFcxE5At-E0&list=RDgFcxE5At-E0


天才音楽家「叢雲流唯」とYUICAのプロデューサーで妹の田中ゆいが高校時代に帰りに道で交わした約束。

13年の時を経て、再び運命的に交わった二人の不器用で誠実な気持ちを歌った、架空の共作音楽です。ゆいと叢雲のデュエットバラードになります。

※実は、ゆいは美咲より歌が上手いです。


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