70「三章終幕『天才たちの素顔』」
【撮影終了後・スタジオ控え室】
「撤収——!」
監督の声が、スタジオに響き渡った。
その瞬間——
「う~~~~~~っ! 終わったぁぁぁぁぁ!」
シオンが、その場に崩れ落ちた。
そのまま控え室へ運ばれるように移動し、ソファにダイブ。
完全に液状化していた。
「もう……無理……指も足も……ガクガクや……」
魂が口から出かかっている。
無理もない。
極限の集中力を——何時間も維持していたのだから。
私もソファに腰を下ろす。
全身の力が、抜けていく。
今日一日が、まるで一週間分のように感じられた。
「だらしねぇな、クソガキ」
プシュッ。
セイラが缶ビールを開けながら笑う。
彼女のオフ状態とも言える、メガネを掛けたその顔は——汗でメイクが少し崩れているけれど。
最高に、いいドヤ顔だった。
「でもまあ……格段に良くなってたぞ。お前のギター」
「……へへ。あんがと、ババァ」
シオンが、ソファに埋もれたまま笑う。
私は——その光景を見ながら、安堵のため息をついた。
張り詰めていた空気が、ゆっくりと緩んでいく。
控室の照明が、やけに眩しい。
「でもさ——」
シオンが、私を見た。
「一番変わったのは、YUICAだよね」
「……え?」
「もう怖いくらいに別人みたいだったやん。あのワイヤーアクションの後から」
シオンが、へらりと笑う。
「はは……変なスイッチ入っちゃったのかもね」
私が照れると——セイラがニヤリと笑った。
「今は、いつものポンコツYUICAに戻ってるけどな」
「……たしかに。なんかいつもどおりやね」
「おまえもな」
すかさずツッコミを入れるセイラ。
「はあ? どこがやねん」
「全部だよ全部」
そんなやり取りを聞きながら——私は、小さく笑った。
こういう時間が。
今の私には、何よりも愛おしい。
◇
「おつかれさま、みんな!」
ゆいが、大量のお菓子とジュース(とセイラ用の追加ビール)を抱えて入ってきた。
「はい、補給物資だよ!」
「お、気が利くじゃんブタP」
セイラがポテトチップスの袋を開ける。
パリッ。
その音が、なんだか心地いい。
私も、オレンジジュースを手に取った。
冷たい缶が、火照った手のひらに染みる。
控え室に——いつもの「わちゃわちゃ」した空気が戻ってくる。
ポテチをつまみながら、セイラがふと思い出したように言った。
「——深山潔、噂に違わぬ天才だったな」
「確かに……あの集中力とこだわりは見習いたいね」
撮影を思い出しながら、三人は何度もうなづいた。
「そういやさ——今回の二曲……本当に凄かったな」
「うん……神曲やわ」
シオンが起き上がり、ジュースを飲む。
「でも、途中で帰っちゃったからお礼もろくに言えなかったね」
私が呟く。
叢雲にはDestinyの演奏もぜひ聴いて欲しかった。
でも——さすがに超売れっ子を長時間拘束するわけにもいかない。
「叢雲瑠衣……天才っていう噂は聞いてたけど、ここまでとはな」
セイラが、感心したように天井を仰ぐ。
「でもさ——あいつ、性格はヤバいんだろ?」
「……ヤバいって?」
「大物歌手の企画書にマジックでデカデカと『ゴミ』って書いて送り返したって話、本当だからな」
「……サイコパスなんかな」
シオンが身震いする。
「でも、なんか優しそうに見えたんやけど」
私も——噂では聞いていた。
天才ゆえの奇行。狂気。
関わったら火傷するタイプだと。
でも——実際に会ってみて、そんなふうには見えなかった。
「あ、それ違うよ」
ゆいが、きっぱりと否定した。
「え?」
「こないだ、打ち合わせで食事した時に聞いたんだけどね」
「おまえ……あの叢雲とメシ行ったのか?」
セイラが、目を丸くする。
「うん。それでね——」
ゆいが、苦笑いしながら説明する。
「あれ、ただの事務的なミスだったらしいの」
「……は?」
「流唯くんね、断った企画書をシュレッダーにかける時に——スタッフが間違えて処理しないように、裏に『ゴミ』って書いて分類する癖があるんだって」
シーン。
控え室が、静まり返った。
「で、その大物歌手の企画を断った時に相手が激怒して『企画書を返せ!』って電話してきたみたいで」
「——その『ゴミ』って書いたままの企画書を、スタッフが封筒に入れて送り返しちゃったのが真相らしいよ」
「……なんだそれ」
セイラが、脱力する。
ゆいが、肩をすくめる。
「相手に抗議された時も『いや、本当にゴミっだったから……』って言葉足らずで伝えちゃったらしい」
「……アホの子なんか?」
シオンが呟く。
「不器用なだけだよ」
ゆいが、懐かしそうに目を細めた。
「音楽以外のことになると、途端にポンコツになるんだから」
その表情を見て——セイラが、目を細めた。
「ふーん……」
ビールを煽る。
「でもさ——なんであいつ、この仕事引き受けたんだ?」
「え?」
「いくら不器用でも、天下の叢雲だぞ?」
セイラが、ゆいをじっと見る。
「三日で二曲。しかも無名の新人バンドの曲を作るなんて——常識じゃありえない」
その目が、鋭くなる。
「おまえ、何か弱みでも握ってんの?」
「ち、違うよ!」
ゆいが、慌てて手を振る。
「じゃあ、なんでだ?」
「それは……」
ゆいが、少し言い淀む。
そして——頬を赤らめながら、俯いた。
「……高校の時の、約束だから」
「約束?」
「うん」
ゆいの声が、少し潤む。
「あたしが彼の曲を歌って、一緒に公開するっていう約束……お姉ちゃんには話したけど」
私は、頷いた。
あの日、ゆいから聞いた話を思い出す。
「流唯くん、言ってたんだ——」
ゆいが、遠くを見る。
◇
——ゆいの回想。
レストランの個室。
少し大人びたスーツ姿の叢雲が、ワイングラスを見つめながら言った。
『この道を選んだのは——あの日、君が僕の曲を聴いて泣いてくれたからだよ』
彼の声は、あの頃と変わらず優しかった。
『そして——一緒にデビューしようって決めた、あの日の約束があったから』
グラスの中で、赤いワインが揺れる。
『僕はプロになった。成功もした』
彼が、ゆいを真っ直ぐに見つめる。
『でも——それは僕にとっては、違った形なんだ』
静かな声。
でも——そこには、確かな熱があった。
『君が企画して、お姉さんが歌詞を書いた、あの二曲で——』
『僕はやっと、本当の意味で、歩きたかった道へ一歩踏み出すことになるんだ』
そして——照れくさそうに、笑った。
『だから、ゆいちゃん……今度こそ一緒に』
『僕は絶対に——君を後悔させない』
——回想終わり。
◇
「……ってことなんだよね」
ゆいが、オレンジジュースのストローをいじりながら言う。
「流唯くんって……ほんと律儀だなって思う」
沈黙。
セイラが——口を開けて固まっている。
シオンが——ニヤニヤしている。
「……おまえ、それって……もう」
セイラが、私を見る。
——恋愛経験のない私でも、さすがにわかる。
これは——叢雲からゆいへの告白じゃないか。
「今度こそ一緒に」「君を後悔させない」って。
もう——プロポーズみたいなもんじゃないか。
気づいてないのだろうか、この妹は。
陽キャ過ぎて、陰キャの必死の魂の叫びが聞こえないのか?
「ねえ……ゆい」
私が、恐る恐る口を開く。
「私が言うのもなんだけどさ」
「どうしたのお姉ちゃん?」
ゆいが、キョトンとしている。
その目は——あまりにも純粋で、無垢で、そして——鈍感だった。
「そ、そ、それって——叢雲は……ゆいのこと、好きって言ってるんじゃないの?」
言った。
言ってやった。
すると——ゆいは、私の顔をじっと見つめ。
何やら、生ゴミでも見るような、微妙な顔をした。
「……は?」
そして——呆れたようにため息をついた。
「お、おい! やめろ!」
私は、思わず声を上げる。
「『お姉ちゃんになにがわかんねん』みたいな顔をするな!」
「だって……説得力ゼロじゃん」
ゆいが、冷たく言い放つ。
「お姉ちゃん、彼氏いない歴=年齢だよね?」
「ぐっ……」
「まともに告白されたこともないよね?」
「がはっ……」
「そんな人の恋愛分析なんて、参考にならんでしょ」
容赦ない言葉のナイフが——私の心臓を滅多刺しにする。
「あ、あのな! こう見えても恋愛漫画や小説は人一倍読んでるんだ!」
私は、必死に反論する。
「理屈はわかってるんだ!」
「はいはい。妄想乙」
ゆいが、ポテチを口に放り込む。
「流唯くんはね、音楽に対して真摯なだけなの。同志としての絆だよ、絆」
「いや、絶対違うって!」
私は、助けを求めるように振り返った。
「ねえ、セイラ! シオン!言ってやって!私のが正しいって!ねえ、ねえ」
「ねえ、ねえ、ってDestinyかよ」
セイラは——肩をすくめた。
「まあ、本人がそう言うならそうなんじゃねえの?」
ニヤニヤしている。
シオンも、口元を隠して笑っている。
「……鈍感ヒロインって、実在するんやな」
「え? シオンなんか言った?」
「なんでもありませーん」
——この妹。
プロデューサーとしては優秀なのに、自分のことになるとポンコツすぎる。
でも——まあ、いいか。
二人の時間は、また動き出したんだから。
私は——幸せそうにジュースを飲む妹を見て、少しだけ温かい気持ちになった。
◇
【午後11時・帰り道】
打ち上げも終わり、解散となった。
ゆいとシオンはタクシーで先に帰った。
でも——セイラが「風に当たりたい」と言うので、私は付き合うことにした。
夜風が、心地いい。
スタジオを出ると——東京の夜景が広がっていた。
ビルの明かりが、星の代わりに瞬いている。
少し飲みすぎたのか、セイラの足取りはたまにフラつく。
カシャ。
私は、スマホでその姿を撮った。
今日は楽屋にいる時から、けっこうセイラの写真を撮っている。
今までも——レストランで会食した時などに彼女の写真を数枚撮っていたけど。
今日は、やたら撮りたい顔をするのだ。
「お? また撮ってるんか? アタシは高いぞぉ」
セイラが、振り返って笑う。
——私は、セイラの写真を見ると、なぜか安心する。
特に——気を抜いた顔をしている時の瞬間が、好きだ。
自動販売機の前で——セイラが、またふらついた。
「ねえ、大丈夫?」
「へーきへーき……うぃ~」
セイラが、私の肩に寄りかかってくる。
その体は——熱い。
お酒のせいだけじゃないかもしれない。
ふと——セイラが小さく咳き込んだ。
「無理しちゃだめだよ」
「……分かってるよ」
セイラが、小さく呟く。
私たちは——並木道をゆっくりと歩いた。
街灯が、二人の影を長く伸ばしている。
夜風が、私たちの髪を揺らす。
どこかで、虫の声が聞こえる。
夏の夜に囁く、静かな音。
「なあ、YUICA」
「ん?」
「ここまで……来ちまったな」
セイラが、空を見上げる。
東京の空には——星は見えないけれど。
私たちの目には、確かに見えている気がした。
「うん。……信じられないよ」
私は、振り返る。
誤配信から始まった、この奇妙な物語。
罵倒して、炎上して、日本一に喧嘩を売って。
MCバトルに出て、師匠を亡くして、それでも歌って。
そしてバンドを組んで——MV撮影を終えた。
しかも、叢雲の音楽、深山潔の映像、天下に名の轟く二人の天才が私たちのためにタッグを組んだ。
「私……ずっと一人だと思ってた」
言葉が、自然と口から出た。
36年間。
暗い部屋の隅で、膝を抱えていた。
世界は敵だらけで、誰も私を必要としていないと思っていた。
「でも……違ったんだね」
私は——セイラの手を握った。
ゆいがいた。
セイラがいた。
シオンがいた。
叢雲がいた。
深山監督がいた。
山之内部長や田村さん、スタッフのみんながいた。
スナック韻の仲間たちがいた。
そして——
画面の向こうにいる、数百万人の「ブタども」がいた。
「みんなが……私を、ここまで連れてきてくれた」
私の言葉に——セイラが、優しく微笑んだ。
「違うよ」
「え?」
「おまえが——みんなを連れてきたんだよ」
セイラが、私の手を握り返す。
その手は——温かかった。
「おまえが叫んだから、みんなが集まった」
「おまえが走ったから、みんなが続いた」
街灯の光が——セイラの横顔を照らしている。
「……おまえは、もう立派なスターだよ」
セイラが、私を見る。
「最強のフェイクスターだ」
その言葉が——胸に、染み渡る。
スター?
私が?
——そうか。
私はもう、逃げるだけの陰キャじゃない。
みんなの想いを背負って、先頭に立つ——「偽物の星」なんだ。
「ありがとう、セイラ」
「礼を言うのはこっちだ」
セイラが——私の肩に、頭を預ける。
少し——体重がかかっている。
やっぱり、疲れているんだろう。
「……楽しかったよ。今日」
「うん。私も」
「これからも……もっと楽しいこと、しような」
「うん。約束する」
私たちは——しばらく無言で歩いた。
言葉はなくても——心は、通じ合っていた。
夜風が——私たちの髪を揺らす。
嵐の前の——静かで、優しい夜。
三日後には——MVが公開される。
世界に向けて、私たちの革命が放たれる。
きっと、批判もあるだろう。
笑われるかもしれない。
巨大な壁が、立ちはだかるだろう。
でも——
もう怖くない。
私には——こんなにも頼もしい仲間がいる。
そして——信じてくれる人たちがいる。
私は、空を見上げた。
——見ててね、婆さん。
——そして、画面の向こうのみんな。
私たちの革命は——これからが本番だ。
(第三章・完)
-------------あとがき-------------
第三章『フェイクスターの証明』、これにて完結です。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
美咲の覚醒、シオンの救済、そしてセイラとの絆。
書いている私自身も、彼女たちの成長に何度も胸を熱くしました。
そして何より——応援してくださる読者の皆様のコメント、レビュー、応援が、執筆の最大の原動力でした。
作中のYUICAが「ブタども」に支えられているように、ボクもまた、皆様に支えられてここまで来ることができました。
本当に、感謝しかありません。
さて——いよいよ次は、第四章『私たちの革命』です。
物語はここから、クライマックスへ一気に加速します。
公開されるMV、巻き起こる社会現象、そして立ちはだかる「本物」の壁。
日本最大のフェス「J-ROCK」での決戦。
FAKE-3は、世界を変えることができるのか。
そして——美咲とセイラの運命は。
全ての伏線が回収され、最高のカタルシスへ向かう最終章。
どうか最後まで、彼女たちの革命を見届けてください。
次回——第四章開幕。
おまけ。
YUICA(美咲)が撮り溜めているセイラの写真を見ることができます。
スマホで撮ったような日常の一コマのような自然さを出すことで、セイラが本当にいるのではと感じられる。仮想と現実の境界線を曖昧にする試みです。
https://www.pixiv.net/artworks/138065767




