69「神アバターVer3.0 リアルを超えるアンリアル」
撮影を終えた私は、放心状態で椅子に座っていた。
スタッフが差し出してくれたペットボトルの水を、ゆっくりと飲む。
——何が起こったんだろう。
さっきまでの自分が、まるで他人のようだ。
ワイヤーアクションの撮影が始まる直前まで、体はこわばり、足は震え、腰は浮遊するような感覚だった。一歩踏み出すのも難しいと思っていた。
でも——気がついたら、私は何事もなく6メートルの高さまで飛んでいた。
恐怖は、なかった。
いや——ないと言えば、嘘になるかもしれない。
恐怖が、嫌じゃなかった。
それが、正しい表現だと思う。
でも、あれは何だったんだろう。
ふと、隣に気配を感じた。
セイラが、いつの間にか立っていた。
「笑ってたね」
セイラの声。
「そうなの? 自分では覚えてないんだ」
「どんな感覚だった?」
私は、しばらく考えた。
あの時感じたものを、言葉にするなら何と言えばいいんだろう。
「え……言語化できるかな」
目を閉じて、あの瞬間を思い出す。
緊張が限界に達していた。心臓が破裂しそうだった。
私は必死に自分に言い聞かせていた。
——歩け、進め。
そして——
——生き残れ。
ドクン、ドクン、ドクン。
自分の心臓の音が、大きな音を立てて聞こえた。
そして次の瞬間——周囲の音が消え、まるで幽体離脱したかのように、自分の姿が俯瞰して見えた。
しかもそこに立っているのは私じゃなかった。
アバターのYUICAの姿だった。
それを見て、なぜか突然冷静になった。まるで自分が傍観者になったような感覚。自分が操作されるゲームのプレイヤーで、視点を切り替えて見ているような。
空間が、世界が、まるで誰かに作られたもののように見えた。
それでいて、意識では繋がっているような不思議な感覚。
そこに意思はあるのに、思考は停止している。
気がついたら私は悠然と歩き、舞台の上空へ駆け上がっていた。
ただひとつだけ覚えているのは、
——落ちるような静寂だった。
あの一瞬、私は自分の存在が世界から剥がれ落ちる感覚を覚えた。
漠然としたイメージと、ワードが浮かぶ。
「万能感……」
「……へえ」
セイラが、息を呑む。
「なんか、神様にでもなったような、不思議な感じ」
私は続ける。
「恐怖とか緊張も、全部演出みたいに見えて……でもあの感じ、初めてじゃないかもしれない」
「アタシと戦った時のおまえが、同じ顔をしてたよ」
セイラが、静かに言う。
「二回戦で追い込まれた後、突然、年齢や半生を暴露したあの時とな……」
——そうだ、あの時と同じだ。
緊張の限界から、突然、自分が客席にいる感覚になって、自分で自分を演出していたような。
負けることの恐怖が、興奮に変わって、何時間——いや何年でも戦える気分になっていた。
そうか、あれと同じだったんだ。
「もうおまえとは勝負したくないな……」
セイラが、わずかに笑う。
「その感覚。いつでも出せるようにしといてくれ」
「……どうなんだろう。でもなんか、少し掴めた気がする」
「もう一回やれるかもしれない……たぶん」
「はは。たぶんじゃなく……おまえは絶対やれる。そういう奴なんだよ、最初からな」
「……そうなのかな」
「そうだよ」
セイラの声が、優しくなる。
「だからアタシは、自分でもどうしようもなく……おまえに惹かれるんだ」
「おまえを見ていると、自分の弱さまで肯定された気がするよ」
その言葉が、胸に響いた。
でも同時に——私は、セイラのことが心配だった。
「セイラも無理しないでね。ずっと極限状態を維持してるんでしょ? ……そんなの、いつか死んじゃうよ」
「心配すんな、死なないよ。そういう人間なんだアタシは」
「でも」
「大丈夫……おまえを放り出して、ひとりで逝ったりしない」
セイラが、真っ直ぐに私を見る。
「おまえの期待を裏切らない。どんな時でもな」
——この人は、私が抱えるトラウマを理解しているんだ。
婆が突然いなくなった、あの喪失感を。
だからいつも、死という言葉に対して頑なに否定する。
でも、それが逆に怖いと感じることもある。
「セイラ……」
「アタシがおまえを……見たことないステージへ、必ず連れていく」
セイラの瞳が、燃えている。
「そして一緒に見るって約束する」
「だから、アタシを信じろ。YUICA」
「……うん。信じる」
セイラが、手を伸ばす。
私は、その手を掴んで立ち上がった。
細くて暖かい手。
こんな華奢なのに、この人はなんでこんなに強いんだろう。
◇
そして撮影が再開された。
そこからの私は、まるで人が違ったようだった。
セイラへの負担をかけたくないという思い。
自分が彼女たちを引っ張っていこうという気持ち。
何かに目覚めたかのように、すべての演技も、要求も、流れる水のように澱みなくこなせていった。
深山監督が求める細かいニュアンス。
撮影スタッフからの立ち位置の指示。
照明の角度に合わせた微妙な表情の調整。
どれもが、自然に——まるで最初から知っていたかのようにできた。
そして『Revolt』の最終カットを撮影し終えた。
気がつくと、想定より1時間早く香盤を巻いていた。
私に影響されたのだろうか。
シオンが突然、自分もワイヤーで飛ぶと言い始めた。
「ギターを弾いてればだいじょうぶや」
強気のシオンだったが、3m上がった時点でギブアップした。
「むむむ……無理無理無理! 降ろして! 今すぐ降ろして!」
シオンの悲鳴がスタジオに響く。
「怖いわ! YUICAなんでこんなん笑ってできるん!?」
「あたまくるってるんちゃう?」
でも、深山監督はそのシーンを気に入ったらしい。
「いいね。下を見れなくて、ずっと上を向いてる感じ。ある意味でリアリティがある。必ず使うよ」
シオンを褒めていた。
「え? うちのビビってる姿が使われるん……?」
「ギターを抱えて天に召される感じが出てる。YUICAの飛翔も映える」
深山が、腕を組む。
「俺のファーストテイク撮影は、基本的に香盤より早く終える。その分、追加のアイデアが使える。思いついたら提案してくれ」
「作品てのは監督一人でつくるもんじゃない」
「へえ。意外ですね、そういう柔軟性あるんだ」
セイラが、少し驚いたように言う。
「まあね」
深山が、モニターを見ながら続ける。
「仮に俺の天才的能力が最高で100だとする。それをフルで発揮できても100にしかならん。でもそこに別の天才の100が重なれば200になる」
「世界を変える創造ってのは、つねにそうやって生まれるんだよ」
深山が、私を見る。
「傲慢やエゴだけじゃ、革命なんておこせない」
「そうだろ、YUICAさん」
「……役に立てるかは、私にそんな才能があればですけど」
「才能? ……あんたそれマジで言ってる?」
「え……変ですか」
「無自覚か……まあそれもいいかもね」
深山が、小さく笑った。
◇
休憩を終えると、『Destiny』の撮影準備が整っていた。
そしてアバターの画面を見て、私たちは驚いた。
さっきまでと明らかに、アバターの精度が違う。
キャラクターが、やたらと高精細になっている。
「ついにお披露目だね」
ゆいが、モニターの前で嬉しそうに言う。
「これがFAKE-3の新アバター……ライブバージョン3.0だよ!」
「これが……3.0」
私は、画面に映るYUICAを見つめた。
同じYUICAなのに、まるで別人のようにリアルだ。
「新アバター3.0は配信用とは違って、音楽の演奏、歌唱に特化したモデルなの」
ゆいが説明を始める。
「YUICAに関しては、ラップの動きに特化していて、稼働部が多い。衣装は3パターンを状況に応じて瞬時に変更できる」
画面の中のYUICAが、試験的に動く。
表情の変化が、恐ろしく滑らかだ。まるで人間のように見える。
いや——リアルな人間よりもよりリアルというか。
画面に映るYUICAは、私よりも“私らしい”のかもしれない。
——その事実に、胸が少しだけざわついた。
そう、感情の表現に関しては、偽物が本物を超えているのではないかとさえ思える。
「セイラに関しては、身長が少し伸びてるよ」
ゆいが、画面を切り替える。
確かに、セイラのアバターは以前より背が高い。
「10センチ高いブーツを履くことで、全体とのバランスをとってるの」
そして——一番驚いたのは年齢設定だった。
永遠の19歳だったはずのセイラのアバターが、明らかに大人っぽくなっている。
「27歳くらいの設定に変更してる。今までの艦長セイラと比べても、雰囲気が違うでしょ?」
「へえ……」
セイラが、モニターを覗き込む。
「実年齢より4つも若く見えるってことか。悪くないな」
その顔は、明らかにご満悦だった。
「もう31歳って暴露してるから、19歳設定は無理があったしなぁ。でも27歳なら——」
「実際より若く見えて、かつ大人の色気も出る。完璧じゃないか」
セイラが、腕を組んで頷いている。
「……なんか嬉しそうだね、セイラ」
「当然だろ。アタシは永遠に若いんだよ」
——この人、意外とそういうの気にするんだな。
「一番変わったのはシオンのモデルだよ」
ゆいが、画面を切り替える。
シオンのアバターが表示された。
——確かに、印象が違う。
以前のやけに大人びていたモデルから、22歳の実年齢に近い風貌になっている。
身長も5cm低くなっていて、結果的に私たちと身長が揃っていた。
「え……うち、子供っぽくなってへん?」
シオンが、心配そうに画面を見る。
「何いってんだガキ。もともとオマエは子供っぽいだろうが」
セイラが呆れたように笑う。
「あんたなぁ!これでも気にしてるんやから!」
宥めるように、ゆいがシオンの肩を叩く。
「ブーツも低くできるし、パフォーマンス的には安全だよ。それにもう風間和志の子供だって公開してるから、年齢を誤魔化す方が不自然でしょ」
「たしかに……そうやね」
シオンは、しぶしぶ納得したようだった。
「それぞれのモデルには別のオプションもあるの」
ゆいが、説明を続ける。
「まず、3人とも演奏モードと、プライベートモードという設定がある」
画面が切り替わる。
「プライベートモードでは——YUICAの髪色が黒い長髪になる。メイクもナチュラルに」
確かに、画面の中のYUICAは、私に近い雰囲気になった。でも実年齢よりは見た目が若い。セイラモデルと同じくらいかな。
「セイラは単純に、メイクがナチュラルになる。シオンは、優しい表情になってリアルのシオンに近い」
「これはPV撮影時に、中の人を想定した演技をするために使用するの。演出に私たちのドキュメンタリーに近いパートがあるから」
なるほど。MVの中で、アバターと中の人の両面を見せる演出があるということか。
「そして極めつけは——演奏時のブーストモード」
ゆいの声に、熱がこもる。
「このモデルはリアルな分、ただでさえデータ負荷がかかる。そこで、各自のバイタルをモニターして、極限状態になるとリソースを表現力に特化させるモードがあるの」
「極限状態で……?」
「YUICAの場合は、泣きぼくろが現れて、表情の豊かさがさらに増える」
画面のYUICAの目元に、小さなほくろが浮かび上がる。
「セイラの場合は首筋に機械のような模様が現れて、ボーカルとしての表情変化に特化する」
セイラのアバターの首筋に、精密な機械模様が走る。
「あは。まさに完璧仮面じゃねえか」
セイラが苦笑いする。
「極めつけはシオン」
ゆいが、画面を切り替える。
「極限状態で——目が紫色に光る」
シオンのアバターの瞳が、鮮やかな紫色に輝いた。
「そうなるとギター演奏に特化したモデルになって、Vtuberの欠点だった演奏によるパフォーマンスが可能になる」
「ただし、その代償として表情の変化が極端に乏しくなる」
「え……それってデメリットやん」
シオンが、首を傾げる。
「シオンは元々表情の変化が乏しいから、あまり問題ないかなって」
「それ、フォローになってないで!」
シオンが叫ぶ。
でも——画面に映る紫色の瞳を見て、シオンの表情が変わった。
「……でも、これ、カッコええな」
目を輝かせている。
「なんかヒーローみたいやん。ターボモード的な」
「気に入った?」
「……まあ、悪くないわ」
正直、ちょっと怖いと思うんだけど、若い子の感性はよくわからない。
◇
こうして『Destiny』の撮影も始まった。
『Revolt』とは違い、未来都市が舞台だった。
背後のLEDに映し出されるのは、透明な高層ビル群と、光の粒子が舞う幻想的な空間。
アバターの表現力は大きく向上していて、まるで本人がそこにいるかのように見えた。
特に、新アバターによるセイラの表現力が桁違いだった。
まさに水を得た魚。
歌声に合わせて微細に変化する表情。感情の機微が、アバターを通じて完璧に伝わってくる。
セイラが改めて天才であることを、私は確信した。
私も多くの演技を求められたが、恐ろしいほど自然にできた。
まるで最初から、どうやるべきか知っているかのような不思議な感覚があった。
シオンのギターソロも、圧巻だった。
新アバターのブーストモードが発動したのか、彼女の瞳が紫色に輝く瞬間があった。
セイラのコーラスのフォローが欠かせないものの、その時のギターの音は——まるで父・風間和志が蘇ったかのようだった。
こうして、撮影は恐ろしく順調に進んでいった。
深山監督のファーストテイク撮影と、新アバターの表現力と、私たちの覚醒が噛み合って——
すべてが、一発で決まっていく。
◇
そして撮影を終えた。
時計を見ると、22時。
想定より早く終えていた。
「おつかれさま」
深山が、ディレクターチェアから立ち上がる。
「こんな楽しい撮影は何年ぶりだろうね。早く帰って編集にはいりたい」
その言葉に、私たちは顔を見合わせた。
——楽しい撮影。
あの天才監督が、そう言ってくれている。
インカムから、山之内部長の声が聞こえてきた。
「FAKE-3のみなさんお疲れ様でした」
いつもの明るい声。
「曹操軍は退却。我々は勝利しましたよ。このMV絶対に成功します、確信してます!」
私は、心の中で微笑んだ。
——部長、また三国志だ。
でも、その熱量が——今日の成功を物語っている気がした。
私たちは、楽屋に戻った。
衣装を脱いで、私服に着替える。
体中が——心地よい疲労感に包まれていた。
「終わったね……」
シオンが、椅子にぐったりと座り込む。
「なんか、夢みたいやったわ」
「夢じゃないよ」
セイラが、シオンの頭を軽く叩く。
「おまえの演奏、すごかったぞ。本当にな」
「……そうかな」
「そうだよ」
私も、頷いた。
「シオンのギターソロ、鳥肌が立った」
「えへへ……」
シオンが、照れたように笑う。
ゆいが、私たちにペットボトルのお茶を配る。
「YUICAも、セイラも本当に良かったよ。……プロってすごいな」
「私は……なんで上手く出来たのか、自分でも信じられないけどね」
私は、お茶を受け取りながら答える。
「おまえらしいわ。でも——これがスタートだよ」
セイラが、立ち上がる。
「MVが完成して、公開されて、3億再生を達成するまで——まだまだ戦いは続く」
「うん」
私も、立ち上がった。
「でも、今日の撮影で——少し、自信がついた」
「アタシたちなら、やれる」
セイラの瞳が、燃えている。
「絶対に、やれる」
私たちは、顔を見合わせた。
YUICA、セイラ、シオン、そしてゆい。
4人の視線が、交わる。
「じゃあ——」
セイラが、手を差し出す。
「いくぞ、FAKE-3」
私たちは、その手に手を重ねた。
「——おう!」
(つづく)
次回——「偽物たちの逆襲〜MV公開、その時」
二曲のMVを公開しています。
よければこちらからご覧ください。
▶『Revolt. 反抗』MV(YouTube)
https://youtu.be/ghzdzuQHjAQ?si=Qg20LB-tK5aCdHYA
▶『Destiny 運命・孤独の星』MV(YouTube)
https://youtu.be/tFWSnbp10jI?si=Qqv9ABAIbYWX0B8W
原作と映像が互いの未来を照らし合う、
そんな新しい体験になっていたら嬉しいです。




