68「狂気の先へ〜YUICAの覚醒〜」
音楽が、流れ始める。
イントロ——『Revolt. 反抗』。
セイラの静かなハイトーンボイスが、曲の始まりを告げる。
続いて激しいアタック。
シオンのギターが、響く。
そして——ここからYUICAのラップパート。
この一発で決めなくてはならない。
その緊張感で、胸が激しく鼓動を打つ。
でも——
演奏が始まると、急に体が軽くなった。
視界が、クリアになる。
いつの間にか、動悸を感じなくなっていた。ギターの細かい音が、シオンが踵でリズムをとる音までが——私の耳に、いや感覚に響いている。
——なんだ、これは?
一瞬、戸惑った。
でも、不思議な浮遊感を感じていた。
決して、緊張していないわけではない。何かその先にある、生存本能のような、不思議な感覚だった。
私のラップが冴える。
何も考えなくても、言葉が紡がれ、フロウに乗る。
——あれ?
「私」という意識が、薄れていく。
YUICAでも、田中美咲でもない。
ただ、音楽そのものになったような——不思議な感覚。
変化は、私だけじゃなかった。
セイラの声も、練習の時とは違う。
何か、生き残りをかけた生物の叫びのような音にも聞こえる。
そのハイトーンボイスが、シオンのギターソロを包み込むように支えている。
セイラの声にフォローされながら、シオンのギターソロがうねる。
父から受け継いだ青いギターが、まるで生きているかのように鳴り響く。
セイラの声とシオンのギターが、絡み合い、高め合い——そして私のラップがその上を駆け抜ける。
急に体の感覚神経が浮き上がったようなこの感じ——もしかしたら私の頭がおかしくなっているのかもしれない。
でも、嫌な感じではない。むしろ心地よい。
そして——
私たちは演奏を終えた。
——あれ、もう終わった?
いつもなら、途中、途中でもっと考えながらやっているのに。
一曲分の時間が、一瞬のようにも、永遠のようにも感じられた。
その瞬間。
急激に肩が重くなり、体重が二倍に増えたような疲労感が押し寄せる。
宇宙飛行士が地球に戻ってきた感覚って、こういう感じなのかもしれない。
でも結果的にFAKE-3は、『Revolt』の演奏をノーミスで終えた。
場が、静まり返っている。
ライブ会場じゃないのだから当然だが、どういう感想だったのか、その空気からは何も察することができない。
私は、深山監督を見た。
彼は、ずっと沈黙している。
私たちを見ずに、モニターの方を凝視しているのか——全く反応がない。
「あの……」
私は、恐る恐る尋ねる。
「二曲目、『Destiny』も続けて演奏したほうがいいですか?」
すると、ようやく深山がこちらを見た。
パチ、パチ、パチ。
ゆっくりと、彼は手を叩いた。
「いいね」
そう言うと、私を見る。
「どんな感覚だった?」
深山が、突然尋ねる。
どういう意味だろうか? 出来栄え? それとも——さっきの感じのこと?
私は答える。
「突然、視界がクリアになって……でも必要なものしか見えない感覚でした」
言葉を探しながら、続ける。
「なんていうか、軽くなった感じというか……上手く言えなくてすみません」
「……へえ」
深山が、一言そう言うと、私たちを見回す。
「試すようなことして、悪かったね」
深山が、立ち上がる。
「撮影を続けよう。スタジオのデッドは23時だから、巻けるとこは巻いていこうと思う。休憩も少ないけど、いいかな?」
——え?
「あの……それって」
「ああ。やるよ……もちろん」
深山が、私たちを見据える。
「これは、俺の曲でもあるからね」
私は、セイラを見る。
セイラは、じっと深山を見つめていた。
いつものあの、燃えるような熱い目だ。そして彼女は、こうなることを最初からわかっていたかのように——まったく動揺も感動もしていないように見えた。
初めて、セイラが私を見た。
そしてシオンを見る。
「YUICA、シオン……休める時はしっかり休んで。適度にサボるのも撮影のコツだからね」
「大丈夫。練習で慣れてるから頑張るよ」
私がそう答えると、セイラが真剣な顔をする。
「練習とは違う」
セイラの声が、低くなる。
「おまえがさっき言ってたやつ。いつもの数倍疲労するぞ」
そう言われてみれば、まだ一曲なのに疲労感がすごい。
「その感覚は、パフォーマンスは上がるが……」
セイラが、私を見つめる。
「ピークを超えたら突然舞台で倒れて病院送りになるからな」
それを見て、深山が笑う。
「よく言うね……」
深山が、セイラをじっと見つめる。
「君は、現場に入ってから常時それを維持してるだろ。……バケモンだな」
そう言って、深山はさらに言葉を続けた。
「あんた、俺と同類かもな」
その言葉に、セイラは一瞬ニヤリとした。
そして深呼吸をして、口を開いた。
「二曲目どうします? 深山監督」
「いや、必要ない。まずは『Revolt』を仕上げよう」
深山が、香盤表をめくる。
「それに、二曲目は、アバターも進化させるって聞いてる。今のまま歌っても、素材として使えないからね」
「そこまでファーストテイクにこだわるんですね」
「まあね」
すると深山は立ち上がる。
そして、つかつかと私たち三人の前に来た。
「『Revolt』には、反抗から革命へつながる演出があるんだけど……」
深山が、私たちを見回す。
「セイラさんは当然として、もうひとり演技担当が必要なんだけど——YUICAさん、君がやってほしい」
「え? 私がですか?」
——さっき大根ってセイラから言われたのに。
ていうか、演技なんて生まれてこの方やったことないですけど。
「君は今、スイッチ入ってるからね」
深山が、私を見る。
「あとひと押しあれば、その先にいく可能性もゼロじゃない」
やる気スイッチみたいなものだろうか。何を言わんとしているのかよくわからない。
でも、シオンはそもそもあの性格だし、シークレットブーツだしで——ここはもう私がやるしかなさそうだ。
「わかりました。なんでもやります!」
「いいね」
深山が、頷く。
「じゃあ、香盤をちょっと入れ替えて、今日の撮影で一番大変なシーンからやろう」
——大変なシーン?
まさか、あれか。
監督演出用に空白になっていた1時間分の撮影枠。何をするのか、私たちも知らない。
「ワイヤーアクションって知ってる?」
「あ、あのワイヤーで宙吊りになったりするやつですか?」
「そう」
深山が、天井を見上げる。
「君には、このスタジオの一番高いところまで飛んでもらう」
そう言って、彼は天井を見上げニヤリと笑った。
私も見上げる。
——間違いなく7メートル以上ある。
あそこまで吊られるってこと?
「ちなみにこれも、1カットで決めてもらうからね」
ゆいが、心配そうに私に声をかける。
「お姉……YUICAって高所恐怖症だったよね? 飛行機も苦手だし……大丈夫?」
そう、私は小さい頃から高い場所が苦手なのだ。
自分の身長より高い場所に立つと、腰のあたりが変な感じになり、足が震えて力が入らなくなる。
「YUICA、無理しなくていいぞ。なんならアタシが——」
私は、セイラを見る。
彼女は、たぶん今も熱がある。
ただでさえ負担が大きいボーカルなのに、これ以上無理をさせるわけにはいかない。
「大丈夫です。やります」
私は、深山を見た。
「スイッチ入ってるんで」
深山は、私の顔をじっと見つめる。
彼の目線は、何かを探るような、観察するような、独特の気配がある。
正直、ちょっと怖い。
「いいね……」
深山が、頷く。
「じゃあ技術スタッフと一緒に準備を始めてくれ」
そう言うと、私はハーネスという装備を装着するために別室に連れていかれた。
◇
ステージの上では、技術スタッフがYUICAを囲んで装着したワイヤーの調整を行っている。
彼女は数メートルウォーキングした後に、一気に6mの高さまで吊り上げられることになる。
それはMVのラストを飾る、反抗から革命へと至る重要な場面らしい。
深山はディレクターチェアに腰掛け、ペットボトルのお茶で軽食のおにぎりを胃に流し込んでいた。
「あと10分でシュートだ。一発で決めるからよろしく」
すると——
深山の隣に、いつの間にかセイラが立っていた。
「監督……高所恐怖症のキャストを6mも吊り上げるなんて鬼ですね」
「はは。一回で終わらせるんだから、むしろ優しい方だと思うけどな」
深山が、肩をすくめる。
「YUICAをどう思います?」
セイラが、真っ直ぐに尋ねる。
「さあね……どっちだろうね彼女は」
深山が、モニターを見つめながら答える。
「彼女は、たぶん……あなたの想像を超えてますよ」
セイラの声に、確信がこもっている。
「へえ……知ってるんだ」
深山が、わずかに目を細める。
そして、興味深そうにセイラを見る。
その時——
「監督! ワイヤー準備オッケーです!」
助監督の声が響いた。
「よし」
深山が立ち上がる。
「YUICAさん!俺の合図でカメラが回ってるが、すぐに動く必要はない」
「やれると覚悟が決まったら、前に歩き始めてくれ」
深山の声が、スタジオに響く。
「で、バミってる線に来たらワイヤーを引く。すると垂直に一気に君の体が上昇する」
※バミ(役者の移動位置を示すためにスタッフがつける床の印)
「は……は、はい」
YUICAの声が、わずかに震えている。
「もし、わ、私の演技が失敗だったら、どうしたら……」
「失敗なんてないよ」
深山が、きっぱりと言う。
「どうなろうと一回しか撮らない」
「だからその時の君の感情や、表情、姿勢……それが『Revolt』の意思ってことになる」
「私の反応が、『Revolt』の意思……」
「そういうことだ」
深山が、YUICAを見据える。
「誰も答えは知らない。君だけが結論を出せる」
高度な技術を要するワイヤーアクションを1テイクしか撮らないという宣言。
こうして現場の緊張感が高まる中で、YUICAは撮影のスタートを待つ。
「ずいぶん。追い込みますね」
セイラが、低い声で言う。
「彼女は今、極限まで緊張しているだろうね」
深山が、モニターを見つめる。
「でも緊張っていうのは人間の生存本能だ」
「ドーパミン、アドレナリン……脳が生き残るために、あらゆる手段を使ってくる」
「そして魂が踊る……極限状態に入る」
「……ゾーン」
セイラが、呟く。
「緊張に飲まれるか……逆に使いこなすか」
深山が、腕を組む。
「それで彼女が何者かわかる。そして、このMVの出来が決まる」
そういうと、恐れているのか笑っているのかわからない。
独特の表情を見せた。
「監督って……やっぱ狂人ですね」
セイラが、わずかに笑う。
「はは。……とはいえ、人としてはどうかと思う」
深山も、苦笑する。
天才はもれなく何かしらの狂気を抱えている。
おそらく彼も、その性質ゆえに、常に孤独を感じているのかもしれない。
「まあ……話すとだいたいが引くね」
「でしょうね……」
セイラが、深山を見る。
「でも友達になれそう」
「君も……たいがいだね」
二人は互いをみてニヤリと笑った。
「……監督は、その先を見たことあります?」
セイラが、静かに尋ねる。
「その先?」
「極限状態の……さらに先ってこと?」
セイラの目が、ステージ上のYUICAを捉える。
「恐怖を制御するんじゃない。恐怖が消えるわけでもない」
「恐怖すら燃料にして……もう一段階、人が覚醒する領域」
深山が、わずかに目を細める。
「概念としては知ってるよ。武道の世界では無心とか、宗教では解脱とか呼ばれてる」
「でも実際に見たことは?」
「……ないね」
深山が、正直に答える。
「極限状態を長く維持できる人間は何人か見てきた。君もそうだろう」
「でも、その先に行ける人間は……まあ、世の中には居るんだろうけど」
「アタシは……見たことがありますよ」
セイラが、静かに言う。
「それに負けましから。人生で初めての敗北でしたよ」
「……へえ」
深山が、興味深そうにセイラを見る。
「それを持ってるかもしれない奴が、今あそこで震えてるってわけか」
「でも、最後に震えるのは……アナタのほうかも」
するとスタッフの声が響く。
「機材、照明、すべてチェックオッケーです!」
「よし、はじめよう!」
深山が、手を振り上げる。
「回りました」
カメラスタッフの声。
「ヨーイ……アクション!」
その声と同時に——
数秒間、俯いていたYUICAがすっと姿勢を正し顔をあげた。
さっきまでビビり散らかしていたはずの表情が、明らかに変わっている。
まるで別人ように見えて、でも間違いなくYUICA本人だ。
そして軽やかに、うっすら不敵な笑みを浮かべながら——堂々と歩き始める。
一歩、二歩、三歩、四歩……
ワイヤーアクションのポジションに来た。
ギューーン。
滑車とワイヤーが滑る乾いた音がスタジオの中に響き——
YUICAの体が、一気に上空へと舞い上がる。
深山は、その状況をじっと見つめていた。
「まじかよ……」
そして、うっすらと口角を上げ——笑っているのか恐れているのかわからない表情をした。
「あいつ……笑ってやがる」
その瞬間——スタジオの空気が一段階、沈んだ。
誰も動けない。
誰も言葉を選べない。
あれは——
狂気じゃない。
人間の……覚醒だ。
この時、YUICAの中で、何かが産声を上げた。
(つづく)
次回——「神アバターVer3.0 リアルを超えるアンリアル」
いつもは怒涛のごとくストーリーを進めますが、セイラもYUICAも疲れちゃうので、深山潔の話はすこしゆっくり進めてます。
今回のエピソードを書く前に、実はひとつ実験をしました。
それが『Revolt. 反抗』のMVを事前に公開するという試みでした。
MVを視聴していた人は、YUICAが覚醒したワイヤーアクションの“ラストシーン”を、原作公開より先に見ていた——という逆転した体験があったはず。
普通は原作 → 映像ですが、今回はその順序をあえて崩しています。
先にMVを見ていた読者ほど、今日のシーンの意味が“逆方向から”つながるはずです。
「あの笑い顔は、こうして生まれたのか」と。
「この瞬間の裏に、こんな物語があったのか」と。
そしてもう一度MVを見直してしまう。
もしまだ見てない方は、よければこちらからご覧ください。
▶『Revolt. 反抗』MV(YouTube)
https://youtu.be/ghzdzuQHjAQ?si=Qg20LB-tK5aCdHYA
原作と映像が互いの未来を照らし合う、
そんな新しい体験になっていたら嬉しいです。
実はDestinyも作ってます。
▶『Destiny 運命・孤独の星』MV(YouTube)
https://youtu.be/tFWSnbp10jI?si=Qqv9ABAIbYWX0B8W
結構前からコツコツ作ってたんですが、職業柄の凝り性が出てしまい、ついに正真正銘のフルアニメーションで制作してます。
セイラもシオンもNetflixのアニメのように動いてます、なかでもシオンのギターソロがやばいかもです。
アバターも3.0に強化され、見た目も動きも、クオリティももはやネット小説の「おまけ映像」を超えそうです。
こんなもの趣味で作ってていいんだろうかと内省しつつ、面白くてやめられないです。




