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67「私たちの赤壁決戦──風を呼ぶ者たち」


【午前9時・渋谷バーチャルプロダクションスタジオ】


 タクシーを降りた瞬間、私の足が止まった。


 目の前に聳え立つ巨大な倉庫のような建物。


 「SHIBAURA VIRTUAL PRODUCTION STUDIO」


 白い壁に黒い文字。シンプルだけど、圧倒的な存在感がある。


 ——ここで、私たちが撮影するんだ。


 隣でゆいが私の腕を掴む。


「お姉ちゃん、顔色悪いよ。大丈夫?」


「うん……ちょっと緊張してるだけ」


 嘘だ。


 緊張なんてものじゃない。全身が震えている。


 昨夜、ほとんど眠れなかった。


 城ヶ崎常務の言葉が、頭の中で何度も反響している。


『累計でも3億再生しているMVなど、国内で20本もない』


『Vtuberという虚構に騙された愚か者たちの末路——個人資金まで投じて、失敗して笑い物になってチーム解散という結末だろうな』


 ——3億再生。


 一ヶ月で達成しなければ、NEO AVATAR PROJECTは解散。


 山之内部長は、個人資金まで投じている。失敗すれば、部長は大損害を被る。


 田村さんも、若いスタッフたちも、全員が職を失うかもしれない。


 そして——それは全部、私のせいだ。


 私が、YUICAだから。私が、Vtuberだから。


 スマホを握りしめる。昨夜、山之内部長から届いたメッセージが画面に表示されている。


『今日は最高の一日にしましょう。田中さん、あなたの仕事は——YUICAたちを、全力でサポートすること。それだけです』


 ——山之内部長。


 あなたは、何も言わなかった。3億再生のプレッシャーも、チーム解散の危機も。


 ただ「最高の一日にしましょう」と。


 その優しさが、逆に胸を締め付ける。


 今日、私は二つの顔を持つ。




 YUICAとして、カメラの前に立つ。


 同時に田中美咲として、NEO AVATAR PROJECTのスタッフとして撮影をサポートする。


 矛盾しているようで、でも——


 昨夜、山之内部長が言った言葉が、頭の中で反響している。


『私の前で居る時は——あなたは田中美咲であり、私の優秀なスタッフよ。それ以上でも、それ以下でもない』


 その言葉が、今の私を支えている。


「行こう」


 私は、ゆいの手を握り返した。


 エントランスをくぐると、冷たい空調が肌を撫でる。受付で名前を告げると、若い女性スタッフが案内してくれた。


「田中様、こちらです。FAKE-3の皆様は、すでに楽屋にいらっしゃいます」


 廊下を歩きながら、周囲を見回す。壁には、これまでここで撮影された作品のポスターが飾られている。


 有名アーティストのMV。映画のワンシーン。CMの撮影風景。


 どれも、一流の作品ばかり。


 私の心臓が、激しく打っている。


 そして——もう一つの不安。


 監督が、誰なのかわからない。


 ゆいから聞いた話では、監督はギリギリまで交渉中で、昨夜やっと第一候補で決まったらしい。でも、誰なのかはまだ教えてもらえていない。


 叢雲が「すごい人を連れてくる」ということだけ聞いてる——


 前日に監督決定なんて、本当に大丈夫なんだろうか。


 スマホを握りしめる。山之内部長からの今朝のメッセージが、画面に表示されている。


『私たちは別室で見てます——現場でYUICAたちを、FAKE-3を頼みます』


 ——そうだ。


 今日、私は田中美咲として、YUICAを支える。


 そしてYUICAとして、仲間と共に戦う。


 どちらも、私なんだ。


 楽屋のドアの前で、スタッフが立ち止まった。


「どうぞ」


 私は、深呼吸する。


 震える手で、ドアノブを握る。


 ——大丈夫。一人じゃない。


 ドアを開けた。



 ◇



「YUICA!」


 セイラの声が響いた。ソファに座っていたセイラが、立ち上がって抱きついてくる。


 その隣には、シオンが小さく縮こまっている。背中を丸めて、両手を膝の上で握りしめている。


「YUICA……遅かったな」


「ごめん、ちょっと緊張して……」


 私が楽屋に入ると、シオンがビクリと体を震わせた。その顔は、真っ青だ。


「だ、大丈夫……?シオン」


「う、うん……ちょっと、緊張してるだけや」


 視線は床に落ちたまま。呼吸も浅い。


 ——そうだ。


 シオンにとって、これが初めての「外での撮影」なんだ。


 12年間、家から出られなかった。父の死をトラウマとして抱え続けた。人前に出ることへの恐怖。視線への恐怖。


 この撮影は、彼女にとって——どれほど大きな一歩なんだろう。


「シオン」


 私は、シオンの隣に座った。そっと肩に手を置く。


「大丈夫。私たちが一緒にいるから」


 シオンが、わずかに顔を上げる。その目は、不安で震えている。


「……ありがと」


 小さな声。でも、確かに聞こえた。


 その時——セイラが、わざとらしく溜息をついた。

 


「まったく、おまえはギターは鬼上手いのに、それ以外は気弱なハムスターみたいだな」


「な……!」


 シオンの顔が、一気に赤くなる。


「しょうがないやん!うち、外にほとんど出たことないんやから!」


「おまえなあ、それ22歳の大人のセリフじゃないぞ」


 セイラが、両腕を組む。


「あーあ、これだから世間知らずのガキのお守りは、めんどくさいんだよな」


「そ、外に出ても、セイラみたいにヒステリックな、めんどくさいババアになるだけやん!」


 シオンが、食ってかかる。


「誰がヒスババアだ!このクソガキ!」


 セイラが立ち上がる。


「そのギターに縛り付けて、人のいない銀河の果てまで打ち上げてやろうか!」


「やってみいや!うちのギターは、お父さんの形見なんや!大事に扱わんかったら許さへんで!」


 二人の掛け合いを見て——私は、思わず笑ってしまった。


 ゆいも、クスクスと笑っている。


 そして——シオンの顔色が、さっきより良くなっている。肩の力も抜けている。


 

 そう、セイラは……わざとシオンと喧嘩することで、彼女の緊張をほぐしてくれたんだ。


 

「まあまあ」


 私が二人の間に入る。


「今日は撮影なんだから、喧嘩は後にしよう」


「YUICAもこのガキに何か言ってやれよ。おまえ、妹属性に甘すぎるんだよ」


「ねえ、YUICA!この性悪ババアに注意してや!」


 二人が同時に私に訴える。


 ——この二人、じつは仲がいいんだよな。


 喧嘩しながらも、お互いを気遣っている。それが、言葉の端々から伝わってくる。


「それにしても」


 セイラが、ソファに座り直す。その動きが、少しゆっくりだ。

 さっき抱きついてきた時、やはり体温が高かった。


 ……最近は倒れるようなことはないけど、体調は戻っていないのかもしれない。


 するとセイラが思い出したかのように——

 

「そういえば、NEO AVATAR PROJECTの全員が、YUICAの正体を知ってたんだって?」


「え?」


 シオンが、目を丸くする。


「正体が、バレてた……の?」


「うん」


 私は頷いた。そして、昨日のことを話す。


 山之内部長が、最初から知っていたこと。田村さんも、時給3倍の面談の時から気づいていたこと。全員が、私の「設定」を守り続けてくれていたこと。


「へえ……」


 シオンが、小さく笑った。


「たしかに、毎日同じ職場におったんなら、普通に気づくと思う……YUICAって、素と同じでキャラ作ってないし」


「え……そう?」


「そうやで。配信の時と普段と、ほとんど口調が変わらへんし」


 シオンの言葉に、セイラも頷く。


「おまえ、最初からキャラづくりまったく意識してなかっただろ。素を丸出しだったし。まあそれがウケたんだけどな」


 痛いところをストレートに言われて、私の頬が、熱くなる。


「それに、最近おまえ、アバターと見た目も、表情も……似てきてるよな」


 セイラが、私をじっと見る。


「同化してるっていうか……髪の毛をピンク色に染めたら、ほとんど同じじゃないかな?」


「別に意識してるわけじゃないんだけど……」


 私は、自分の髪を触る。


「なんか自分でもそう感じる時があるよ。どっちが本当の自分なのかわかんなくなるというか」


「……いや、どっちもおまえだろ」


 セイラが、真面目な顔で言う。


「キャラ作れるほど器用じゃないだろ。ていうか、演技的な部分はかなり大根だと思うぞ……」


「大根て……」


 私は、思わず抗議する。でも、セイラの言葉は続く。


「おまえら、撮影は初めてだと思うからアドバイスしとくけどな……」


 セイラの声が、低くなる。真剣なトーンだ。


「素人はカメラが回ってるって意識しただけで、普通の自分が出せなくなる」


 セイラが、窓の外を見る。


「……なんて言えばいいかな」


 少し考えて、セイラが私たちを見た。


「自分という本物を、本物として演じる。そういう意識にならないと、自分が自分でなくなるってことだ」


 ——自分という本物を、本物として演じる。


 その言葉が、胸に深く刺さった。


「なんか哲学的だね……」


 私が呟くと、セイラが首を振る。


「そんな難しい話じゃなくてだな。つまりメタ視点で自分を見つめる。そしていつも通りの自分かを常に意識する……って感じかな」


 シオンが、困った顔をする。


「全く意味がわからん……」


「おまえはいつも通りだと逆に使い物にならんから。必死にギターだけ弾いとけや」


「な……うちやってな……一応、芸能人の娘なんや!」


 シオンが、むくれる。


「はいはい、ドーベルマンから生まれたチワワだな」


「くっそ……この」


「どうどう」


 私が、二人の間に割って入る。


 でも、頭の中では——セイラの言葉が反響している。


 自分という本物を、本物として演じる。


 YUICAと田中美咲。二つの顔を持つ私。


 でも、どちらも本物なんだ。演じているようで、演じていない。


 それが——私の生き方なのかもしれない。


「そんなことより、ゆい」


 私は、机の上に置かれた香盤表を見る。


「監督の欄が、まだ空白なんだけど」


「あ……うん」


 ゆいが、少し困った顔をする。


「トリオ漫才が終わるまで待とうと思ってたんだけど……」


 ゆいが、私たちを見回す。


「監督はギリギリまで交渉していて、昨夜やっと第一候補に決まったっぽい」


「おいおい、前日に監督決定て……」


 セイラが、眉をひそめる。


「だいじょうぶなのかそいつ」


「うん……瑠衣くん……、あの叢雲が、すごい人を連れてきてくれたんだよ」


「え?叢雲が協力してくれたんだ」


 私は、驚く。


 叢雲——天才作曲家。『Destiny』と『Revolt』、二曲を提供してくれた大恩人。


「彼もこの二曲には特別な思い入れがあるみたいで」


 ゆいが、スマホの画面を見る。


「以前から彼に音楽提供をオファーしてきてた人物に、この撮影をやることを条件に話をしてくれたらしい」


「ほう。で……そのすごい監督って誰……」


 セイラが身を乗り出す。


 その時——


 コンコン。


 楽屋のドアがノックされた。


 四人が、一斉にドアを見る。


 ゆいが立ち上がって、ドアを開ける。


 そこに——


「やあ」


 長い前髪。背が高く、線が細く、色白。いわゆるイケメン。


 叢雲瑠衣だった。


「瑠衣くん……!」


 ゆいの声が、震える。


「忙しいのにありがとう。でも、こうやって会うのは高校以来だね……」


「うん」


 叢雲が、優しく微笑む。


「君も雰囲気は学生の頃のままだね。あ、でもより綺麗になったと思う」


 ゆいの顔が、一気に赤くなる。


「ちょっと……やめてよ。君、そんなこと言うキャラじゃなかったでしょう」


「……いや、僕は、昔から、本当に思ったことしか言わないだけだよ」


 叢雲が、ゆいを見つめる。


「興味がないから誰とも会話してなかっただけで……ゆいちゃんは特別だよ」


 ——なんだこの空気。


 私とセイラが、顔を見合わせる。シオンも、目を丸くしている。


 ——高校の同級生というわりには……なんか。

 

 あれから二人の間に、何かあったのか?恋愛経験がない私には、わからない。


 

 その時——叢雲の後ろから、男性の声が聞こえてきた。


「おーい、そろそろラブコメシーンを終わってくんないかな」


 低い、でもどこか軽快な声。


「俺ずっとここで待ってるんだけど」


「あ、ごめん深山さん」


 叢雲が、慌てて横に移動する。


 すると——



 叢雲の背後から、のそりと姿を現す男性。


 黒いシャツ。黒いジーンズ。


 寝癖かセットかわからない無造作な黒髪。目の下には、慢性的なクマ。無精髭をはやしているけれど、不潔な感じはない。


 でも——


 その目が、異様だった。


 鋭く、冷たく、何かを探るような目。


 まるで、私たちの内側を透視しようとしているような——そんな目。


 そして、その目には——怯えているような、何かから逃げているような、不安定な光が宿っている。


 口元はわずかに歪んでいる。笑っているのか、それとも何かに苦しんでいるのか。


 全身から、ピリピリとした緊張感が漂っている。まるで、一触即発の爆弾のような——そんな雰囲気。


 でも同時に、圧倒的な才能の匂いもする。



 そして私は——この人を知っている。


 

 映像監督、深山潔(みやま きよし)


 

 元々、ミュージックビデオの監督として数々の傑作MVを生み出し、その後に映画監督へと転身。


 今では実写映画もアニメ映画も手がける、若き映像の奇才。


 特にアニメ映画のデビュー作品『幻影少女』は——興行収入100億円超え。


 細田守、新海誠に続く、日本を代表する映像監督だ。


 そして——


 彼の作品には、ある共通点がある。


 「本物と偽物」「存在と虚構」——そういったテーマを、一貫して描き続けている。


 私たちVtuberにも通じるテーマだ。


「おや、はじめまして」


 深山が、楽屋に入ってくる。


「FAKE-3の皆さんだよね?今日、急遽監督を任された深山です。よろしく」


 私たち三人は、慌てて立ち上がって頭を下げる。


「よ、よろしくお願いします!」


 深山が、私たちを見回す。その目は——観察している。


「Vtuberの撮影は初めてだけど……」


 深山が、わずかに眉を上げる。


「へえ、意外だな。中の人とアバター、あまり雰囲気が変わらないんだね」

 

「誰が、どのキャラなのか、一目でわかる」


 その言葉に、私たちは顔を見合わせる。


 そして、深山はわざとらしく両手を上げる。


「しかも、みんな美人だ。うれしいね」


「あまり失礼なことを言わないようにしてくれよ」


 叢雲が、困ったように言う。


「どこが失礼なんだよ。褒めてるんだろ」


 深山が、肩をすくめる。


「ったく、セクハラだのルッキズムだのと最近めんどくさ……おっと」


「それより——」


 深山の目が、鋭くなる。


「叢雲。新作アニメ映画の楽曲提供。本当に受けてくれるんだろうな?」


「もちろん」


「トレイラーの公開が、10日後……間に合うんだろうな?」


 ※トレイラー(コマーシャル用の映画予告映像のこと)


「うん、もう出来てるからね……今日撮影する二曲が、それだよ」


「え?」


 ゆいが、声を上げる。


「そうなの?」


「おい……」


 深山が、険しい表情になる。


「Vtuberだからどうこう言う気はないけど、今回のは——俺の新作だぞ」


 深山が、叢雲を睨む。


「タイムリープした平行世界で理不尽な事件に巻き込まれ、数奇な運命を辿る二人の男女の物語だ。プロットと映像見せただろ?そんな適当な曲じゃダメなんだよ!」


 その声に、怒りと——何か別の感情が混じっている。


 なにか執念、のようなもの。

 この人も——おそらく「本物」という幻影に取り憑かれている。


 私は、直感的にそう感じた。



「いや、見たからこそだよ」


 

 叢雲が、静かに言う。


「今回の『Revolt』と『Destiny』は、深山さんの作品の意図と共鳴している」


「だからって……」


 深山が、舌打ちする。


「ええ?俺は騙されたのか?」


 深山の目に、失望の色が浮かぶ。


 ——やっぱりこの人、本物にしか興味がないんだ。


 偽物を、心から嫌悪している。


 だから、Vtuberである私たちを——おそらく”まだ”信用していない。


  

「深山監督!」

 


 私は、一歩前に出た。


「それは、私たちの演奏を見てから決めてもらって良いですか?」


 深山の鋭い目が、私を見る。


「それで使えないと思ったら、途中で降りてもらってかまいません」


「……そんなこと言って大丈夫かい?」


 深山が、わずかに笑う。でも、目は笑っていない。


「気に入らなかったら俺、本当に帰っちゃうけど」


「構いませんよ」


 セイラが、私の隣に立つ。


「深山監督が気に入らない曲なら、作品に使うべきじゃないです」


 セイラの声が、強い。


「本物を追求する姿勢。同じクリエイターとして尊重します」


「……へえ」


 深山が、セイラをじっと見る。


「なるほど」


 何かを確かめるような目。


「だったらまずはライブシーンから撮影しよう。あぁ、香盤もそうなってるね」


 深山が、香盤表をパラパラとめくる。


「そのかわり、私たちからもお願いがあります」


 私は、深山を見据えた。


「もし撮るって決めたなら……二曲合わせて、一ヶ月で3億再生を達成するMVにしてください」


 場が、静まり返る。


 セイラが、私を見る。


「おい!YUICA、それは——」


「この二曲で3億再生という条件に、撮影を実現してくれた私の……」


「大切な仲間たちの……人生がかかってるんです」


 私は、深々と頭を下げる。


「お願いします」


 沈黙。


 深山が——小さく笑った。


「これまた、とんでもない条件だな……」


 深山が、腕を組む。


「でもまあ、二曲あるんだよね?……なら不可能じゃないかもな」


「僕もそう思う」


 叢雲が、頷く。


「僕が深山さんと組むのも初めてだし、相乗効果は計り知れない」


「天才叢雲が初めて二曲同時提供したアーティストのデビュー」


 ゆいが、スマホに何かをメモしながら言う。


「それを天才深山潔がMV撮影。そして新作映画の主題歌に……たしかにニュース性がものすごい」


「二曲合わせて3億再生か……」


 深山が、天井を見上げる。


「二曲同時に公開するとバラけて不利な場合もあるんだが」


「この場合、叢雲の連作だから、話は別だ。一曲単独で3億は確かに無謀だが、二曲の累計なら……」


「それに俺の映画の宣伝効果も期待できる、戦略次第ではいけるかもしれない」


 深山が、私たちを見る。


「まあそれも、君たちの曲と演奏次第だけどね」


 その目に、まだ疑いの色がある。


 でも——同時に、何かを期待しているような光も。


「じゃあさっそく、撮影にとりかかろう」


 深山が、時計を見る。


「一時間後にシュートでよろしく」


 ※シュート(撮影準備を終えて撮影を開始するタイミングのこと)


 

 ◇



【午前10時30分・撮影用ステージ】


 撮影用のステージに立つと、圧倒される。


 背後には巨大な湾曲LED。幅10メートルはあるだろうか。


 これがバーチャルプロダクションシステム——背景が映し出されることで、演者がまるでその場にいる感覚で演技が可能になる。ハリウッドでも採用されている最新システムだ。


 数台のカメラと、クレーンで自在に移動するメインカメラ。


 撮影スタッフ20人とは別に、VR技術スタッフが10人以上、ヴァーチャル機材のチェックをしている。


 そして——


 スタンディグモデルで撮影された映像が、リアルタイムでアバターへと反映され、合成された状態でモニターに映し出される。


 ※スタンディングモデル(主演や演者が準備している間に、テスト撮影をするモデルまたは役者。本人と身長や体型が近い新人などが担当する)

 

 モニターには、すでに私たちのアバターが映っていた。


 YUICA、セイラ、シオン——三人が、そこにいる。


「すごい……」


 私は、思わず呟く。


 これが、業界最先端の撮影技術。


「このシステムなら、アバターを意識しなくても、中の人の君たちを思い通りに撮影するだけで成立する」


 深山が、ディレクター席に座る。


「いやあ、先進技術は素晴らしいね。おかげで能力を最大限発揮できそうだよ」


 深山の隣には、リアルな映像と、合成されたアバター映像が同時に映し出されるモニターが並んでいる。


 山之内部長始めNEO AVATER PROJECTの面々は別室の視聴ルームでアバター側の映像だけを見ていて、インカムでスタッフと会話だけがつながっている。


 これも、中の人に心理的な負担をかけない配慮だ。



「わかってると思うけど、今日一日で二曲分の素材を撮影することになる」


 深山が、香盤表を開く。


「一曲目『Revolt』は、内戦で荒れ果てた都市の中で、圧政に反抗して立ち上がる三人の革命」


「二曲目『Destiny』の世界観は——透明な幻影の嘘を脱ぎ捨てて、運命の相手を見つける物語」




 深山が、私たちを見る。


「それぞれの世界観を、背景に投影しながら、君たちを表現者として撮る」


「はい、すべて把握してます」


 私は、頷いた。


「いつでも大丈夫です」


「まずは二曲の演奏風景をライブ撮影する」

「その音楽を聞いて、この撮影を俺がやるか決める……これで相違ないよね?」


「はい」

 

 すると深山が、立ち上がる。


「今日の撮影はワンテイク&ノンストップ。つまりカメラを止めない」


 ——え?


「本番一発撮りか……」


 セイラが、小さく呟く。


「ONE TAKEに出演した時を思い出すな」


 これが噂に聞いた深山監督のFirst take撮影——彼が最初のテイクを使うと宣言すると、技術的な原因以外で監督からはNGを出さないと聞く。


 役者や演者、現場の緊張感を究極に高めるために、そうするらしい。


「監督は、なんでファーストテイクにこだわるんですか?」


 私が尋ねると、深山が振り返った。


「本物の瞬間は、一度しか訪れないからだよ」


 深山の目が、鋭くなる。


「人間の、本気の集中力は、思ってるほど長く持たない」

 

「慣れが出てくる二度目、三度目は——もう本物じゃない。演技になる。計算になる」


 深山が、私たちを見据える。


「俺が欲しいのは、君たちの極限の集中力から絞りだされた、『最初の一滴』なんだよ……」


「魂の叫びは——リハーサルじゃ出てこない」


「デッドオアライブ……そこに本物の魂が宿るんだ」

 

 深山の言葉が、胸に刺さる。


 

 ——本物の魂。

 

 この人は、それを見抜こうとしている。


 Vtuberである私たちの音楽が、本物なのか偽物なのか——


 深山は、それを試すつもりだ。


 私の緊張が、一気に高まる。


 シオンもギターを持つ手が、わずかに震えている。


 ——父さん。


 シオンの心の声が、聞こえる気がした。


 父・風間和志も、こうやってステージに立っていた。カメラの前で、何千人もの視線の中で。


 そして——あの日、倒れた。


 シオンにとって、ステージは恐怖なんだ。


「シオン」


 私は、シオンの手を握る。


「あなたは、もっと凄いステージを、何度も何度も間近で見てきたでしょ」


 シオンが、私を見る。その目に、涙が滲んでいる。


「……うん。そうだね」


 小さく、頷いた。


「本当に、この1テイクですべてを決めるからね」


 深山が、ディレクター席に座る。


「じゃあ始めようか」


 スタッフが、カメラ位置を調整する。


 照明が、私たちを照らす。


 背後のLEDに、赤く染まった空と煙が立ち上る廃墟の都市が映し出される。


 ——始まる。


 私の心臓が、激しく打っている。


 セイラが、マイクを握る。

 シオンが、ギターを構える。


 私も、婆のマイクを握りしめる。


 ——見守ってて、婆。


 深山が、手を上げる。


「それじゃあ——はじめようか!」


 ビデオエンジニアが応える。

 

「カメラ回りました」


「よーい……アクション!」


 深山の手が、下ろされる。


 そしてクレーンカメラが、ジワリと動き始めた。


 音楽が、流れ始める。


 イントロ——『Revolt. 反抗』。


 セイラの静かなハイトーンボイスが、曲の始まりを告げる。

 

 続いて激しいアタック。

 シオンのギターが、響く。


 そして——ここからYUICAのラップパート。


 今、私たちの反抗が、始まった。



(つづく)


次回——「魂を映す鏡──深山潔の選択」


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