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65「プロジェクトの真実──告白の決意」


【翌朝・田中家・リビング】


 朝6時。


 私は、リビングでコーヒーを飲んでいた。


 ゆいが、階段を降りてくる。


「お姉ちゃん、早いね」


「うん……眠れなくて」


 ゆいが、隣に座る。


 私は、スマホの画面を見つめていた。


 山之内部長からのメッセージ。


『午前10時にお待ちしています』


「ねえ、ゆい」


 私が口を開く。


「やっぱり……山之内部長に、YUICAの正体を明かそうと思うんだ」


 ゆいの表情が、強張る。


「お姉ちゃん……」


「このまま嘘をつき続けるのは、もう無理だと思う」


 私は、コーヒーカップを握りしめる。


「あの人たちは、私たちのために必死で動いてくれてる」


「それなのに、私は嘘をついたまま……」


「待って」


 ゆいが、私の手を握る。


「お姉ちゃん、もう一度だけ考えて」


 ゆいの目が、真剣になる。


「"鏡像崩壊"について、ちゃんと説明させて」


「鏡像崩壊……?」


「うん」


 ゆいが、深呼吸する。



「Vtuberのファンは、アバターの向こうに"理想の存在"を見てる……って前に説明したよね」


「それが鏡像——」


 ゆいの声が、震える。


「でも……中身が誰かわかった瞬間、その全てが変わるかもしれない」


「どう変わるの?」


「まず、一部のファンは——中身がわかることで、幻想が崩れる可能性がある」


 ゆいが、スマホを取り出す。


「過去に、Vtuberの"中身"が意図せず露呈して炎上したケースがある」


 ゆいが、私を見つめる。


「もちろん、中身を明かして成功してるケースもある。でもそれは——」


「それは、『中の人も含めて応援したい』って思えるファンとの関係を築いてたからなのよ」


「でも……お姉ちゃんの場合は——山之内部長と、そのスタッフたちとは同僚でしょう」


 ゆいの声が震える。


「つまり、現実として身近に存在していた人物が『実は私が、あなたたちの”推し”でした』って明かすってことなの」


「この場合『騙してました』って聞こえるかもしれない」


「そう感じさせることが、一番のリスクなのよ」


 ゆいが説明する。


「『もっと早く言って欲しかった』『裏切られ気分』『ファンタジーが壊れた』」


「悪い影響は色々あるとおもうけど、一番大きいのは——」


 ゆいが、私を見つめる。


「"Vtuberという“鏡像"への信頼が揺らぐこと」


「信頼……?」


「うん」


 ゆいが頷く。


「ファンは、アバターの向こうに"完璧な誰か"を見てる」


「でも、中身がわかると——」


「"ああ、これは普通の人間がやってるんだ"って現実に引き戻される」


 ゆいの声が、小さくなる。


「それは——NEO AVATER PROJECTのスタッフの場合、かなり大きい落差になる」


「みんなYUICAを"デジタル時代の寵児"として崇拝してるし、山之内部長に至っては、もはや人生を賭けてるからね」


 ゆいが、私の目を見つめる。


「でも、その中身が—— 一緒に働いてる同僚の田中美咲だとわかったら?」


 私の胸が、締め付けられる。


「そっか……私という人間と、YUICAとの落差か……」


 ゆいの声が、涙声になる。


「お姉ちゃんが悪いんじゃない——これは中身が人間である限り、仕方がないことなのよ」


「つまりそれが、鏡像崩壊……幻想が壊れるってこと」


 私は——何も言えなかった。


 ゆいの目から、涙が溢れる。


「だから——もう一度だけ、よく考えて選択して」


「誠実に、正体を明かすか。鏡像に、幻想を見せ続けるか」


 私は——コーヒーカップを見つめた。

 湯気が、ゆらゆらと立ち上っている。


 ——ゆいの言う通りだ。


 ——正体を明かせば、何かが壊れる。


「……わかった」


 私は、頷いた。


 ——そうだ。


 ——まず、本当にどうしたいのか、自分の気持ちを確かめよう。


 ——それから、決める。


 

 ◇



【午前10時・NEO AVATAR PROJECT部署】


 エレベーターのドアが開く。


 最上階。


 NEO AVATAR PROJECT部署。


 私は——扉の前に立った。


 深呼吸。


 そして——扉を開けた。


 

 その瞬間——時が止まった。



 オフィスには、椅子にも座らず机に突っ伏して寝落ちしている人。


 床に資料を広げたまま、そこで意識が飛んでいる人。


 目の下に深いクマを作ったまま、モニターに張り付いて作業を続ける人。


 コーヒーカップが、あちこちに散乱している。

 空になったエナジードリンクの缶が、ゴミ箱から溢れている。


 ホワイトボードには、びっしりと撮影スケジュールが書き込まれている。


 そして——


 中央のデスクで、山之内部長が——

 

 完全徹夜で声が枯れ、髪も乱れ、資料に囲まれて、今にも倒れそうになっていた。


「……照明の……位置は……ここで……」


 独り言のように呟きながら、図面に書き込みを続けている。


 私の足が、止まる。


 これ——ぜんぶ……私たちのために。


「……部長」


 私の声に、山之内部長が顔を上げた。


 目は充血し、顔色は青白い。


「あ……田中さん……来たのね……」


 声が、かすれている。


「大丈夫ですか?」


 私は駆け寄る。


「だ、大丈夫よ……心配しないで……」


 山之内部長が、立ち上がろうとする。


 でも——体がフラつく。


「部長!」


 私は、山之内部長を支える。


「ごめんね……ちょっと……立ちくらみ……」


 隣にいた田村さんが、椅子を持ってくる。


「部長、座ってください」


「ありがとう……田村さん……」


 山之内部長が、椅子に座る。


 その時——


 オフィス中から、声が聞こえてきた。


「田中さん!」


 モニターに張り付いていた若い男性社員が、振り返る。


「YUICAさんとのMV撮影の交渉、成功させてくれたんですよね?」


「あ……はい」


「すごいっすよ!FAKE-3の、未公開の音楽を間近で聞けるなんて、仕事冥利に尽きます!」


 別の女性社員も立ち上がる。


「田中さんのおかげで、私たちもこんなに燃えられるんです!これくらいの徹夜どってことないですよ!」


「こういう大勝負、最高に楽しいんで!」


 床で資料を広げていた男性が、笑顔で言う。


「NEO AVATAR PROJECTは、やると決めたらやるんだ!見せてやろうぜ、俺たちの革命を!」


「田中さんは、心配しなくていいですよ!撮影準備は、俺たちが完璧に仕上げますから!」


 次々と声をかけてくる。


 全員、目は充血し、顔色は悪い。


 でも——


 その目は、輝いていた。

 私の胸が、締め付けられる。


 ——この人たち。

 ——私たちが練習してる間も、休んでる時も、徹夜で準備を続けてたんだ。


 名目上、私は……ひとりだけ休みをもらっている状況なのだ。

 

 罪悪感。


 申し訳なさ。


 そして——感謝。


 でも、その感謝の奥に——痛みがある。


 ——私は、この人たちに嘘をついている。


 その事実が、胸を刺す。


「あの……みなさん、本当にありがとうございます」


 私の声が、震えた。


「いえいえ!こっちこそ、田中さんが繋いでくれたんですから!」


「MV撮影、絶対に成功させましょう!」


 全員が、拳を突き上げる。


 私は——


 ただ、頷くことしかできなかった。


 

 ◇



「田中さん、こっちへ」


 山之内部長が、会議室を指す。


「撮影香盤の確認をしましょう」


「はい」


 私は、山之内部長についていく。


 会議室に入ると——テーブルには、分厚い資料が積まれていた。


 撮影香盤。


 撮影スケジュール、カット割り、照明配置、スタッフ配置——


 全てが、細かく書き込まれている。


「これが、明日の撮影プラン」


 山之内部長が、資料を開く。


「午前9時、FAKE-3のメンバー到着」

「午前10時、照明・音響チェック」

「午前11時、撮影開始——Revolt!から」

「午後2時、休憩」

「午後3時、Destiny撮影開始」

「午後6時、撮影終了」


 山之内部長が、一つ一つ説明していく。


「そして——」


 山之内部長が、私を見つめる。


「田中さんには、YUICAたちに密着して現場進行のサポートをお願いしよう思っているの。とりあえず香盤を頭に入れておいてくれると助かるわ」


「え……はい」


 ——どうすればいい。私はYUICAで参加するから、田中美咲としては現場にはいけないのだ。


「私たちのことは気にしなくていいわ。あなたなら、彼女たちとの信頼関係もあるから最初からそっちに居てちょうだい」


「仮に現場で、何かトラブルがあっても——」


 山之内部長が、微笑む。


「あなたなら、うまく調整できると思うの。そこは信頼してるから……任せるわ」


 私の心臓が、激しく打つ。


 ——現場進行のサポート。

 ——つまり、撮影現場に私がいることになる。


 ——顔はださなくていいって言われてるけど……でも。


 ——もし何かのトラブルで、正体がバレたら。


 私の不安そうな顔を察したのか、山之内部長がニコリと笑い話し始める。


「赤壁で孔明が「十万本の矢」の無理難題を、藁船を囮にして敵から奪い、たった一夜で確保した計略があったでしょう?私たちも、普通なら数週間必要な準備を、スタッフ一丸となって二日で調達したわ……」


 山之内部長は寝落ちしているスタッフを見つめながら、ふと笑う。


「存外、天才は……諸葛孔明は……皆の心にも宿っているのかもしれないわね」


「もちろん……田中さん。あなたの中にもね」


 山之内部長が私の肩を叩く。


 私は——


「は、はい……頑張ります!」


 ——だめだ。

 

 こんなに頑張ってくれてる人たちを前に、ひとりだけ”休みます”なんてとても言えない。


「ありがとう」


 山之内部長が、資料を閉じる。


「これで、合戦の準備は間に合ったわね」


「いよいよ明日が本番——」


 山之内部長の目が、燃える。


「赤壁の戦いよ……必ず、勝ちましょう」


 その言葉が——


 私の胸に、深く刺さった。


 

 ◇



【午後1時・社内カフェテラス】


 部長とスタッフを交えた会議が終わり——


 私は、社内のカフェテラスに向かった。


 コーヒーを買って、ソファに座る。


 体が、重い。


 精神的に、限界に近い。


 ——どうしよう。


 ——明日、田中美咲としても現場にいなきゃいけない。

 ——でも、私はYUICAとして撮影される。

 ——共存することは物理的に、不可能だ。


 コーヒーカップを手に取る。


 その時——


 隣の席から、知らない男性社員の声が聞こえてきた。


「ついに山之内の時代も終わりだな」


 私の手が、止まる。


「今回のMV、予算申請却下されたんだってよ」


「マジ?じゃあどうすんの」


「山之内が個人で資金を工面したらしい。バカだよあのババア」


 ——え?


 私のコーヒーカップが、カタカタと震える。


「失敗したら終わりだろ……部下がかわいそうに」


「まあ、あいつの自業自得だけどな」


 私は——


 震える手を、必死で押さえた。


 ——山之内部長が……個人で?


 ——MV制作の資金を?


「Vtuberなんて、所詮は虚構だろ」


「そんなもんに会社の金を使うとか、まして自分で資金を出す?もはや正気じゃねえよ」


 その言葉が——


 胸を刺す。


 私は、立ち上がろうとした。


 でも——


 そこに、一人の男性が現れた。


「おい、あまり余計なことを話すな」


 低い、威圧的な声。


 隣の席にいた二人が、慌てて立ち上がる。


「じょ、城ヶ崎常務!お疲れ様です!」


「外にまで聞こえているぞ」


 城ヶ崎常務——50代くらいの、ゼニア生地の高級スーツを着た男性。


 年齢の割に痩せた体型と鋭い目つき。

 何より、感情の起伏を感じない冷たい笑み。

 保守的で冷徹な人物として社内でも知られてる。


 そして——


 その視線が、ふと私に向けられた。


 一瞬目が合う。

 すると城ヶ崎常務の口角が、わずかに上がる。

 

 私は何事もなかったように目をそらす。

 

「おやおや……山之内の"ネズミ"がここにいるじゃないか」


 ——ネズミ?


「ネズミに……人の言葉が通じますかね?」


 部下たちが、嘲笑う。


 私は——拳を、握りしめた。


 城之内常務は、まるで私に聞かせるように、部下達に話を続ける。


「ふん。今回の予算執行を止めたのは私の功績だ」


 その声に、自信が満ちている。


「Vtuberなど、無価値なコンテンツに貴重な運転資金を投じる愚行……」


「これ以上会社の金を、愚かな虚構に使うなど——許されるはずがない」


 城ヶ崎が、冷たく笑う。


「にしても……まさか自己資金を使うとは……山之内も潮時だな」


 そして——決定的な一言。


「なんでも、『MVが公開から一ヶ月で3億再生超えなければ即チーム解散する』と社長に約束したそうだ」


 ——え?


 私の思考が、停止する。


「まったく……哀れだな。バカな上司を持つと部下もつらかろう」


「累計でも3億再生しているMVなど、国内で20本もない」

「あの米津玄師のLemonですら達成まで数ヶ月かかったというのに……不可能だ」


「しかもVtuberの歌だと?仮面をかぶった偽物。そんなサブカルに何ができるというのだ、馬鹿馬鹿しい」


 城ヶ崎常務が、ニヤリとしながらこちらを見た。

 

 心の奥から怒りが込み上げてくる。


 ——ふざけるな。

 ——あんたに、何がわかる。

  

 みんなの日々の努力も、苦悩も、何もしらないくせに。

 

 でも——ここは社内だ。


 私は——怒りと震えを抑えて、必死に耐えようとした。


「つまり山之内は、Vtuberという幻想に溺れて人生終了する……バカな女に成り下がったんだ」

 

 ——無理だ。

 

 私は俯いたまま、ついに声をだした。

 

「はあ?」

 

 城ヶ崎常務の目が、細くなる。


「……いまネズミが鳴いたか?」


 私は城ヶ崎の顔を、冷静な視線でみつめる。

 

「今、不可能とおっしゃいましたよね」

 

「ああ、不可能だな」

 

「へえ……」

 

 私は、立ち上がる。


 すこし顎を上げ、右の口角を上げてニヤリとする。

 その表情は、まるでYUICAそのものだった。

 

 あまりに自然に表情が動いたので、自分でも少し驚いた。

 

「じゃあ、もしその無価値なVtuberが……3億再生達成したら、あなたは土下座でもしてくれるんですか?」

 

「なんだと、貴様」


「失礼。ネズミの戯言です……」


 城之内常務が、鼻で笑う。


「くだらん……さすがネズミだな」


「だが——」


 城之内常務が、不敵に笑う。


「もし本当に達成したなら、山之内の前で土下座でもなんでもしてやる」


 そして——


 城之内常務が、完全に聞こえるように言い放つ。


「だが現実は、Vtuberという虚構に騙された愚か者たちの末路——」


「個人資金まで投じて、失敗して笑い物になってチーム解散という結末だろうな」


「まあ……せいぜい、夏の最後の風物詩として、愚かな花火で私を楽しませてくれ」


「さすが常務、上手いですね!」部下たちが、笑う。


 そう言ったあと、城之内常務たちは、こちらを一瞥して去っていく。


 私は——その場に立ち尽くしていた。


 震えが、止まらない。


 ——部長は、個人資金まで使って……?

 ——会社の命運と、敵まで背負って……?

 ——もし3億再生できなければ、チーム解散?

 ——そんな人たちを、私は欺いている?


 胸に刺さる痛み。


 コーヒーカップを持つ手が、震える。


 カップが——床に落ちた。


 ガシャン。


 音が、カフェテラスに響く。


「……もう嘘はつけない」


 小さく呟く。


 この時、私の”選択”と”覚悟”が——固まった。


 

 ◇



【NEO AVATAR PROJECT部署・会議室】


 私は、会議室に戻った。


 山之内部長と、スタッフが——


 そこにいた。


「田中さん、どうしたの?顔色悪いわよ」


 山之内部長が心配そうに聞く。


「大丈夫……です」


 私は、深呼吸する。


 ——今だ。

 ——今、話さなければ。

 ——これ以上、嘘はつけない。


 ゆいの言葉が、頭をよぎる。


『鏡像が崩れると……信頼が壊れるかもしれない』


 ——わかってる。

 ——でも。


 私は——

 一歩前に出た。


 全員の視線が、私に集まる。


「……あの」


 私の声が、震える。


「皆さんに——」


 深呼吸。


「大事なお話が、あります」


 会議室が、静まり返る。


 山之内部長が、私を見つめる。


「どうしたの、田中さん?」


 私は——拳を、握りしめた。

 震えが、止まらない。


 でも——


 言わなければならない。


「実は……」


 私の目から、涙が溢れそうになる。


「私……」


 全員が、息を呑む。


 山之内部長の目が、私を見つめている。


 田村さんも、他のスタッフも——


 全員が、私の言葉を待っている。


 口を開いた。


「私は——」



(つづく)



 次回——「崩れゆく幻想──私たちの選択」



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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 最初は妹の代打(?)から始まったのに、今はこんなに多くの人の未来とお金を背負う状況にまでなってしまったんですなぁ。 真実を話すことにより、背負ったものがまた流転する訳ですが…果た…
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