61「ゆいと叢雲の過去・運命で引き合う魂」
【田中家・リビング】
私は夜のリビングで、ゆいと向き合っていた。
さっきまで二人で叢雲のプロフィールを見ていたのだが、ゆいの表情が急に曇った。
「ねえ……お姉ちゃん」
「どうしたの?」
ゆいが、スマホの画面を見つめたまま呟く。
「叢雲のことなんだけど……あたし、お姉ちゃんに話してないことがあって」
「話してないこと?」
私は紅茶を飲みながら、ゆいの言葉を待った。
「実は、叢雲って……」
ゆいが顔を上げる。
「あたしの高校時代の同級生なんだ」
——え?
私は思わず紅茶を吹き出しそうになった。
「えええええ!?」
「しーっ!夜中だよ!」
ゆいが慌てて私の口を塞ぐ。
「ちょっと待って、あの天才作曲家の叢雲が、ゆいの同級生?」
「そう……本名は叢雲流唯」
——流唯?るいって男?女?どっち?
「なんか運命的な出会いだね」
「まあ……そうなんだけど」
ゆいが遠い目をする。
「あたし、高校時代にネットで『歌い手』やってたんだ」
「歌い手?」
「うん。『歌ってみた』って呼ばれる文化があってね。有名な曲をカバーして動画投稿するの」
ゆいがスマホで当時の写真を見せてくる。
マスクで顔を隠した女子高生、カラフルなコスプレ姿で写っているゆいの姿があった。
「これ、ゆいだよね?」
「そう。スマイル動画ってサイトで投稿してた。フォロワー1万人くらいいたんだよ」
——1万人?
「それすごくない?高校生なのに」
今のYUICAの登録者数とは比較にならないが、高校生で1万人はかなりすごい。
それなのにVtuberだと2000人だったんだ。やっぱ生のビジュアルか。
「まあ、あたしは、顔もスタイルも結構よかったからね。配信者向きだったんだよ」
——自分で言うのかそれを。まったく陽キャって生き物は。
——まあでも、実際にかわいい。女でも普通にフォローしちゃいそう。
「そっか、ぜんぜん知らなかった……」
「まあ、あの頃のお姉ちゃん企業勤務で毎日残業してたからね」
——ああ、私が過労で倒れていた頃か。
確かにゆいの様子なんて全然見てなかった。
妹に心配かけまいと、ボロボロで帰宅しても「大丈夫」って言い続けていた。
でも本当は全然大丈夫じゃなかった。
両親が亡くなった直後で、ゆいを大学にいれなきゃとか、将来どうやって生きていくのか心配で仕方なかった。
「で、その歌い手活動のために防音室を借りる必要があってね」
ゆいが続ける。
「現代音楽部っていう部活に所属したの」
「現代音楽部?」
「うん。人気の軽音楽部とは違って、DTMでパソコン使って作曲したり、ボカロに歌わせたりする部活」
「オタク系の部員が多かったけど、ほとんど幽霊部員で……実質、部室で活動してたのはあたしと叢雲の二人だけだった」
ゆいの目が、遠くを見ている。
「叢雲くんはいつもヘッドフォンして、PCに向かって黙々と音楽作ってた」
「前髪が長くて目元が見えなくて、雰囲気も暗い感じで……正直、近寄りがたい人だったな」
「たまに挨拶しても、無視されるか軽く会釈される程度で。かなりの人嫌いだと思ってた」
——ああ、何となく想像できる。今の叢雲のイメージとも一致する。
「でもある日ね……」
ゆいの表情が、少し柔らかくなる。
「話してもいい?」
「もちろん」
私は紅茶を置いて、ゆいの言葉を待った。
ゆいが目を閉じる。
「……あれは高校2年の時だ」
【13年前・高校2年の秋・現代音楽部の部室】
——ゆいの回想
放課後の部室。
夕日が窓から差し込んでいる。
あたしは防音室の予約表を確認していた。
部屋の隅では、叢雲流唯がヘッドフォンをつけてPCに向かっている。
前髪が長く、目元が見えない。
いつものように、黙々と音楽を作っている。
——今日も無言か。
あたしは少し寂しくなった。
この部室で活動しているのは、実質二人だけなのに。
彼とまともに会話したことなんて数えるほどしかない。
「叢雲くん、おつかれさま」
声をかける。
でも、返事はない。
ヘッドフォンで聞こえていないのだろう。
——まあ、いつものことだけど。
あたしは荷物をまとめ始めた。
その時——
叢雲が立ち上がった。
ヘッドフォンをつけたまま、本棚に向かって歩き出す。
そして——
プラグが抜けた。
スピーカーから、音楽が流れ出す。
美しいピアノとギターのメロディ。
繊細で、でも力強くて、どこか切ない。
まるで誰かの心の叫びを、そのまま音にしたような——
あたしの動きが止まった。
叢雲は慌ててPCに戻り、音を消そうとする。
でも、あたしは叫んでいた。
「待って!!」
叢雲の手が止まる。
「消さないで!聴きたい!」
あたしは駆け寄る。
「……この曲、すごい——」
音楽が、部室に響く。
あたしは目を閉じて、その音に身を委ねた。
なぜだろう。
自然と涙が溢れてくる。
——なんで泣いてるんだろう、あたし。
でも止まらない。
音楽が、心の奥底に眠っていた何かを揺さぶる。
両親を亡くした悲しみ。
働きすぎな姉の心配。
そして、将来への不安。
たぶん全部、全部だ——
なんだかそんな悩みを音楽が、あたしの代わりに奏でてくれている。
そして、包み込んでくれてるような気がした。
曲が終わった。
静寂が戻る。
あたしは涙を拭いて、叢雲を見た。
彼は——動けないでいた。
前髪の隙間から、少しだけ目が見える。
「すごいよ、この音楽!」
あたしは笑顔で言った。
「絶対才能あるよ!叢雲くん!」
叢雲が、小さく震える。
「……」
「なんで泣いたのか理由はわからないけど」
あたしは胸に手を当てる。
「あたし、叢雲くんの音楽、好きだな」
その瞬間——
叢雲の目から、涙が一筋流れた。
そして——小さく、とても小さく頷いた。
【数日後・部室】
その日から、叢雲が変わった。
あたしが部室に入ると、ヘッドフォンを外して挨拶するようになった。
「た、田中さん……こんにちは」
「ちわ!!叢雲くん!」
たどたどしい挨拶。
でも、一生懸命話しかけようとしてくれてるのが嬉しかった。
「あの……防音室、今日の17時から空いてるよ」
「ほんと?ありがとう!」
叢雲が、少しだけ笑った。
それから、彼は時々あたしの配信の準備を手伝ってくれるようになった。
カメラの設置。
照明の調整。
音響のチェック。
「これで……いいかな」
「完璧!叢雲くんって、意外に優しいんだね!」
「……いや、別に。部員として、協力してるだけだから」
そう言いながらも、叢雲の表情は少しだけ柔らかくなっていた。
【ある日の放課後・駅までの帰り道】
「ねえ、叢雲くん」
あたしが話しかける。
「今日も新しい曲作ってたでしょ?」
「……うん」
「また聞かせてよ!」
「……恥ずかしいから、やだ」
「えー!あんなにいい曲なのに!」
あたしたちは並んで歩く。
夕暮れの商店街。学生たちが行き交う。
「ねえ、叢雲くん」
「……なに」
「君はすごいよ」
あたしは真剣な顔で言う。
「あたしは自分の歌を大勢の人に披露してるけど……それって誰かが作った曲だから」
「でも君は、ゼロから音楽を生み出してる……素直に尊敬できる」
「そんなこと……ないよ」
「本当にすごいことだよ!叢雲くんも発信すればいいよ!」
「今はボカロの作曲者とかが人気でさ、そこからプロになった人もいるんだよ!」
「君なら絶対人気者になるよ!」
叢雲が立ち止まる。
「……でも」
「ん?」
「表に出せば良い意見ばかりじゃないし」
叢雲が俯く。
「ネットでは必ず叩かれるだろ」
「僕は……人に評価されるのが、怖いんだよ」
「田中さんのほうが全然すごいよ、勇気があって……」
その声が、震えている。
あたしは少し考えて、言った。
「すごく才能あるのに、もったいないなあ」
「……」
「あたしだったら、君の音楽で歌いたいです!ってすぐDM送っちゃうけどね」
叢雲が、あたしを見る。
前髪の隙間から、その目が見える。
「……ねえ田中さん」
「ん?」
「あたしね、前から思ってたけど、その呼ばれ方いやだな」
あたしは首を傾げる。
「……え」
「ゆいって呼んで。ゆいちゃんでもいいし」
叢雲の顔が、少し赤くなる。
「……あ、ゆ、ゆいちゃんさ」
叢雲が、視線を逸らす。
——呼んでくれた。
あたしの心臓が跳ねた。
「あの、じゃあ君の曲をつくったら……その……歌ってくれる?」
時が止まった。
「え?!」
「……嫌ならべつに」
「いいの?!本当に?めちゃ嬉しいんだが」
「……うん」
叢雲が小さく頷く。
「公開してもいいの?」
「うん……一緒だったら、公開しても後悔しないかも」
「なにそれ韻踏んでんの?」
あたしが笑うと、叢雲が慌てて首を振る。
「ちがうよ!本気でそう思ってる……」
「……本当に?」
「本当」
叢雲の目が、真剣だった。
「いいよ!じゃあいよいよ叢雲くんの才能が世界にしれちゃうね!」
「あたしも一緒に人気者になちゃうかもね!」
あたしは飛び跳ねる。
「じゃあ曲ができたら、歌詞を書いてよ」
「わかった!めっちゃ楽しみ!」
あたしたちは笑顔で別れた。
夕日が、二人の背中を照らしていた。
——これが、始まりだった。
——新しい何かの、始まりだった。
でも——
この数日後。
全てが変わる。
【数日後・病院】
あたしは病院の廊下で、携帯を握りしめていた。
姉の美咲が過労で倒れた。
入院が必要だと言われた。
——どうしよう!
——お姉ちゃん、大丈夫かな。
携帯が震える。
叢雲からのライン。
『曲ができたよ。明日聞かせたい』
あたしの指が、止まる。
——今、それどころじゃない。
——バイト探さなきゃ。
——お姉ちゃんを支えなきゃ。
返信を打つ。
『ごめん。今はちょっと色々あって無理だ』
送信。
それから——
あたしは、必死すぎて、叢雲に連絡することすら忘れていた。
現代音楽部にも行くことも無くなった。
何度か、叢雲からラインがあったけど、同じ返事をした。
やがて、叢雲からの連絡は、来なくなった。
【現在・田中家リビング】
ゆいが両手で顔を覆う。
「それから卒業するまで……彼と話すこともなかったよ」
「なんで?!」
私が聞くと、ゆいがゆっくりと顔を上げた。
「お姉ちゃんが倒れて入院してから、あたしもバイトはじめて忙しかったし」
「もう青春やってる場合じゃないって、自分を戒めてたのかもね」
「今思えば……子供だったなって思うよ」
——ああ。
私の胸が痛んだ。
「あとは知っての通り、叢雲はその数年後に音楽を配信し始めて大ブレイク。今では日本でトップのヒットメーカーになった」
——私が倒れたせいで、ゆいの青春が、壊れたのか。
もし、叢雲とゆいが曲を出していたら、その運命も。
「でもね……問題はここからなんだよ」
「……あたしがVtuberを始めて苦悩してる時だった」
「再び、叢雲にコンタクトしたの——」
ゆいが、スマホの画面を見つめる。
「その頃のあたしは、デビューから一年半も経ってるのに、まったく人気が出ない状態を何とかしようと思って……オリジナルソング作ることにしたんだ」
「それで、ラインに残ってた叢雲のアドレスにメッセージ送った」
「最初は迷ったよ。もう十年以上も前のことだったし、繋がらないかもしれないし、覚えてないかもしれない」
「でも……あたしにとってはそれが最後の打ち手だったんだよ」
私は息を呑んだ。
ゆいが、どれだけ必死だったか。
それが痛いほど伝わってきた。
「そして、叢雲から返事があったの」
「驚いたよ。あたしのことも覚えてくれてた」
「しかも、『曲の企画書と歌詞を送ってくれたら考える』って」
ゆいが苦笑する。
「とんでもない奇跡だと思った。そもそもこっちは、登録者二千人のド底辺だよ」
「常識的に考えて、話せるような相手じゃなかったからね」
「同級生の強みだって心躍った。あたしはラッキーだって」
「でも……」
ゆいの表情が、暗くなる。
「企画書と歌詞を読んだ叢雲の返事はひどいものだった」
「『君の歌詞には魂がない。今の僕にはつくれない』」
「その一言で断られた」
——魂がない。
確かにひどい言い方だ。でもゴミとか書いて送り返す人にしては……優しいほうなのかも。
「ひどいと思ったよ。もっと話を聞いてくれてもいいのにって」
「あの時は、あたしに曲をつくってくれるって言ったのにって」
「さすがにプライドが傷ついたし、裏切られたって感じた」
「それから、もう二度と彼には連絡しないって決めてた」
『売れたからって調子にのってクソな奴になったんだね』
「そんな、失礼な捨て台詞を書いちゃった」
ゆいが、深く息を吐く。
「今思えば……あたしが悪いんだけどね」
「話を聞いてくれただけでも感謝しなきゃいけないのに、あの時は必死で精神的にも追い込まれてて……そんな余裕なかったよ」
そこで、ゆいの目から涙が溢れた。
私はそっと彼女を抱き寄せ、頭を撫でる。
——どっちの気持ちもわかる。
——どっちの辛さも。
ゆいは必死だったんだ。
叢雲も同級生だからといって、プロとして妥協したくなかった。
どちらも間違ってない。
ただ、タイミングが悪かっただけ。
「ねえゆい。それなのにもう一度叢雲に連絡をとるの?」
私が優しく聞くと、ゆいが顔を上げた。
「うん……今度は土下座してでも頼む。意地でも食い下がる」
「みんなのためにプロデューサーとして、妹として、安っぽいプライドなんて捨てる」
「あたしね、これに——」
「命をかけてもいい。本気でそう思ってる」
ゆいの目に、強い決意が宿っている。
「でも……まったく自信はないんだよ。最初のも一生懸命書いたけど、響かなかったし」
「相手も絶対に怒ってるとおもうし」
私は少し考えてから、言った。
「ねえ、ゆい。叢雲は、あなたのために作った曲の話を……聞いて欲しかったんじゃない?」
「え……」
ゆいが、目を見開く。
「だって、そうでしょ?私なら、それに触れられなかったらちょっとショックだな」
ゆいが目をぱちくりさせて私をみている。
何か変なこと言ったか?
「……さすが陰キャの女王だね。そこには気がつかなかった」
「誰が陰キャの女王だ……」
私は少し笑って、ゆいの肩を叩いた。
そして、ふとカレンダーを見る。もしコンタクトに成功したとして、時間的に間に合うのか考えていた。
その時だ。
「今日は、七夕か……」
「あ、そういえばそうだね」
——天の川の銀河で、乙姫と彦星が会える。運命の日。
その時、私の脳裏に閃きが起こった。
まるで雷に撃たれたような、不思議な感じだった。
「ねえ、ゆい。運命って信じる?」
「運命?」
「うん……その時のゆいは、両親が亡くなって必死だったでしょ?そして叢雲も、自分の殻から出たくて必死だった」
「……そうかもしれない」
「その出会いって、お互いが必要として、引き合って生まれたんだと思う」
「だから偶然じゃなくて『運命』なんだよ」
——そう、私とセイラの出会いも、お互いが足りないものを必死で求めて、天が引き合わせた『運命』なんだ。
「運命の出会いってやっぱりあるんだよ。私とセイラだってそうだったみたいにね」
「そして今、ゆいが必死で求めているように、叢雲も何かを求めている。だから再び『運命』が二人を引き寄せたんだよ」
ゆいが立ち上がる。
「……運命か」
「ねえ、ゆい。私、今ね、歌詞のイメージが降りてきた」
「今夜中に歌詞を仕上げるから。ゆいも企画書を書いて」
「わかった!どんな歌詞なの?」
「タイトルは『Destiny・孤独の星』内容は………」
私は今ある歌詞の構想をざっくりとゆいに伝えた。
「……それってお姉ちゃんとセイラの歌でもあるし、運命で引かれあった二人を歌った歌でもあるんだね」
「わかった!それを叢雲にプレゼンする」
ゆいが拳を握る。
「そしてあたしの気持ちも全部、裸でぶつけてみる」
私は頷いた。
「じゃあ、私も歌詞書くね」
「うん!お姉ちゃん、よろしく!」
ゆいが微笑む。
その笑顔は、どこか高校時代の彼女を思わせた。
そして私は、自室の部屋のパソコンの前に座る。
——叢雲流唯。
まだ見ぬ天才作曲家。
彼に、私の“魂”は届くだろうか。
私は深呼吸して、歌詞を書き始めた。
【翌朝・空が暗い明朝】
ゆいが歌詞を見つめながら涙を流していた。
「お姉ちゃん……すごい。泣いた。これなら彼にも届くと思う」
「少なくとも、あたしには刺さった」
「企画書も完成した。今日、叢雲に送る」
「もし断られても、何を言われても、今度こそ——今度こそ、絶対に食い下がる」
「これは『運命』の戦いだから」
私はゆいを見つめながら、大きく呟いた。
夜が明ける。
私たちの『運命』への挑戦が、始まろうとしていた。
(つづく)
次回——「天才作曲家・叢雲の返答」




