60「本物の本気・ゆいの覚悟
——フェス参加宣言から1週間後
【田中家・朝のリビング】
「うぁぁぁ……私、才能ないわぁ……」
私はテーブルでノートに書き綴っては消して、頭を掻きむしっていた。
「お姉ちゃん、まだやってるの?」
ゆいが心配そうに尋ねてくる。
「作詞担当になったから仕方ないでしょ!」
「でもお姉ちゃん、ラップのリリックは即興でポンポン出てくるじゃん。その蛇口ひねればいいでしょ」
「あれは私の魂を吐き出してるんだよ!これは三人のための歌なんだよ!ぜんぜん勝手が違うの!」
「へえ。じゃあお姉ちゃんの魂って、自分のことしか考えてないってこと?」
「違う!そうじゃなくて……ラップは怒りとか悲しみとか、感情をそのまま出せばいいけど、こういう歌詞は……」
「つまりお姉ちゃんには、他人のために何かを考える脳みそがないと」
「ゆい!人の話を最後まで聞きなさい!」
「聞いてるよー。要するに36年間ぼっちだったから、人を想う語彙力がゼロなんでしょ?」
「ゼロって……そこまで言う!?」
「だって恋愛経験もないしさ。友達も艦長だけだから、アイデアの種すら無いんだよ」
「うっ……それは……おまえには、人の心の痛みが……だから陽キャは」
「まったく。ラップのバトルは無敵なのに、口喧嘩は相変わらず最弱だね……」
ゆいが呆れたように笑う。
——くっ……妹に完全論破される36歳って……。
私は完全に打ちのめされた。
でもなんか、肩の力が抜けた気がする。
するとゆいのスマホに通知が来た。
画面:『J-ROCKフェスティバル2025 参加者発表』
「出た!FAKE-3は新人枠で出場決定だよ!」
「よかった...!ってなおさら早く歌詞考えないと!」
私が再びノートに向かおうとした時。
「え……うそでしょ。ありえないんだけど」
ゆいの声のトーンが、急に変わった。
「ん?どうしたの?」
「これ見てよ。フェス特別出演枠のバンド名……これ!」
私が画面を覗き込む。
「……え。まさかこれが、私が煽って呼び出した"本物"?」
「やばすぎる……ありえない。こんなの相手に、新人バンドが勝てっこない」
ゆいの顔が、蒼白になっている。
◆
——同じ頃、鍋島松濤公園。
シオンは朝方の池のほとりの庵で、いつものように水面を眺めていた。
陽射しが、水面に無数の光の粒を散らしている。風が吹くたび、それらは生き物のように揺れ、形を変え、また静かに元の場所へ戻っていく。
シオンはその繰り返しを、何も考えずにただ見つめていた。
この時間の公園には人影もまばらで、遠くで通学する子供の声が聞こえるだけだった。
シオンにとって、ここは世界で唯一落ち着ける場所だった。誰も彼女を知らない。
誰も話しかけてこない。
ただ水と光と風だけがある。
だが今日だけは、その静寂を足音が破った。
砂利を踏む音。
規則正しく、でもどこか躊躇いを含んだリズム。
シオンは顔を上げなかった。
そんな誰かが通り過ぎるのをじっと待つ。
いつもそうしてきた。
でも——足音は、止まった。
彼女の真横で。
「やあ。シオン……やっぱりここにいた」
その声を聞いた瞬間、シオンの心臓が跳ねた。
知っている声。
でも三年間、聞いていなかった声。
ゆっくりと顔を上げると、逆光の中に人影があった。
二十五歳くらいの男性。ハーフ特有の彫りの深い顔立ち。
髪は少し長めで、無造作に風になびいている。
黒いジャケットの下にはシンプルな白いTシャツ。
背中には、見慣れた形のギターケース。
朝の陽射しが彼の輪郭を金色に縁取り、まるで別世界から現れた存在のように見えた。
でも——その目は、どこまでも悲しかった。
「レイ……なんでここに?」
シオンが、顔を上げる。その表情が、わずかに強張る。
「はやいね、もう三年振りだね」
「だね……あ、米国ツアー……おめでとう」
シオンの声は、小さい。
「……ああ。別に俺が望んだわけじゃないけどね」
レイが、シオンの隣に座る。
「レイはすごいよね……聴いたよ新曲」
「……もうすっかりワールドクラスだね」
シオンが、遠くを見る。
「……本当はシオンと一緒に……音楽やる予定だったんだけどね」
レイの声が、低くなる。
「……ごめん」
シオンが、俯く。
「……君がグズグスしてるから、俺だけどんどん先に進んじゃってるよ」
「……うちは、無理なんや」
シオンの指が、膝の上で握られる。
「俺の親父がそんなに嫌い?理由はそれだけなの?」
レイが、シオンを見る。
「……それだけやない。うちの、心の問題もあって」
沈黙。
池の水面に、風が波紋を作る。
「へえ……」
レイが、遠くを見た。
「あのVtuberたちとは……組めるのに?」
「……それは!」
シオンが、顔を上げる。
「俺さ……子供のころからさ……」
「——シオンのこと好きだったよ」
「え!……ちょっと。急になにいうん……」
シオンの頬が、わずかに赤くなる。
「安心して……ちゃんと過去形だよ。俺はね、今のバンドを組む時に、そういう私情は全部捨てたんだ」
レイの声には、感情がない。
「だから、ここまで来ることが出来た……」
「……感情なんてさ、結局ノイズだったんだよ」
そう言うとすっと立ち上がり、悲しそうな目をするレイ。
彼は、足元にある小さな石を拾い、静かな水面に投げ入れた。
ちゃぷん。
低い音とともに大きな波紋がゆっくりと広がる。
「やりたい音楽、かなえたい夢、俺の本当の望み。そんなもの、本物の世界を前にしたとき、なんの支えにもならない」
レイは、波紋をじっと見つめている。
「……そっか。うちも……レイにはノイズやったんやね」
シオンの声が、震える。
沈黙。
「……そうさせたのは君だろ」
低く悲しい声。
「レイ……」
「俺たち急遽、J-ROCKフェスに……参加することが決まったんだよ」
「……!」
「……え?それって」
シオンが、立ち上がる。
「君たち偽物のバンドごっこに、本物の音楽を聴かせてやれってさ」
「……そんな」
レイはゆっくりとシオンの方を向き、じっと彼女を見つめる。
「べつに親父の命令で動くわけじゃない。俺も納得してるんだ」
レイが、ギターケースに手をかける。
「俺たちが勝てば……。シオンはVtuberバンドを辞めるんだろ?」
「そういう約束だって聞いたよ」
「……そんな……そんな理由で戦わんといてよ!」
シオンの目が、涙で潤む。
「俺にとっては十分な理由なんだよ……シオン」
「なんで……」
シオンが、レイの腕を掴もうとする。
でも——レイは、その手を避けた。
「俺たち本物が、お前ら偽物を本気で潰しに行くから」
「……仲間にそう伝えておいて」
そう言って去っていくレイ。
シオンは——その背中を、ただ見送ることしかできなかった。
池の水面に広がった波紋が、ゆっくりと消えていく。
◆
【午後・マスターズ会議室とビデオ会議】
私とゆいは、自宅からビデオ会議に接続していた。
画面にJ-ROCKフェスの内容が表示される:
『J-ROCKフェス 三日間開催
初日:新人枠あり。上位3組が最終日出場権獲得
投票は入場者専用アプリのみでネット投票なし』
「新人のFAKE-3は初日参加が確定。ここでACT投票 3位に入らないと最終日の勝負の土俵にすら立てない」
※ACT投票とは、各ステージパフォーマンス(=ACT)ごとに観客が評価を入れ、得点を算出する仕組み。期間中に行われた全ACTの得点が集計され、最終日の終了時点で最も多くの総得票(総得点)を得たバンドが、『フェス・キング』の栄冠を手にする。
「しかも投票出来るのは入場券を兼ねた専用アプリのみで、会場に来た人だけだ……」
「つまり完全実力勝負。新人のアタシたちは、完全アウェイってわけよ」
セイラが、腕を組む。
「なんで?自分たちのファンもいるでしょ」
私は画面を見つめながら首をかしげる。
「J-ROCKのチケットは完全抽選の争奪戦だ」
「まず、半分は前売り券ですでに販売が終わってるし、出場者がもらえる関係者枠は1組につき20枚まで」
「残り半分のチケットは出場枠が出揃った1ヶ月後に販売される」
「つまりここで、どれだけ自分らの曲を生で聴きたいファンを集められるかが勝負になる」
「うん、うん、それで?」
「出場者はみなヒット曲があるだろ?それを聴きたいファンがチケット買いに群がるわけだよ」
「……アタシら、まだ歌詞すら完成してないよな」
そういってセイラが私をじっと見つめる。
額に冷や汗を垂らしながら、私はもごもごと応える。
「そうか……私たちってまだ、オリジナル曲すら出してない……もんね」
「それな。そんな新人をわざわざ観に行こうなんて奴は皆無なんだよ」
「あとな……もうわかってると思うけど、敵が用意した対バンがやばすぎる……」
——そう、ここからが本題なのだ。
私たちが勝たなければならない相手が、とんでもない化け物だった。
画面にとあるロックバンドの写真が映される。
「特別出場枠で急遽出てきた"LUNATIC EDGE"」
セイラの声が、低くなる。
「やつらが、アタシらにぶつけてきた刺客だ」
画面に表示されている"LUNATIC EDGE"の資料。
見てるだけで嗚咽しそうになるほどの、圧倒的な実力と結果。
しかも四人のメンバーそれぞれの個性と才能が際立っている。
私たちはそれを、異世界のキャラクターでも見るように、しばらく眺めていた。
----------バンド名:LUNATIC EDGE------------------
――狂気と理性、その境界線で鳴らす音。
“月の裏側で生まれたロック”を掲げ、結成わずか3年で日本・アジアツアーを制覇。
王道ロックを軸に、ラップ、EDM、オーケストラ要素のクロスオーバーまでを自在に融合する“四人の異能集団”。今年の9月から米国ツアーをスタートする。
コンセプト:“革命を鳴らす。古典と未来の狭間で。”
音楽性は「オルタナ+ラウド+ヒップホップ+シネマティック」。
ボーカルのレイは日英のハーフで歌の天才。英語/日本語を自在に切り替える。
サウンドはロック+ラップ+ギターリフの重量感 × シンセとサンプラーの浮遊感。(例えるなら:YOASOBI+ONE OK ROCK+米津玄師を掛け合わせたイメージ)
MVは常に物語的で、映像監督との共同演出が売り。
世界的ヒットのアニメ『NEON PULSE』とのタイアップで世界的にブレイク。
楽曲総再生数は YouTube 22億超、Spotifyでも10億再生超え。
メンバーそれぞれがSNSで強い個性を発揮し、“多面的アーティスト集団”としても人気。
代表曲:
「NOISE IN THE HEAVEN」::7億再生 世界的アニメの主題歌で世界ツアーのテーマ曲。宗教とテクノロジーをテーマ。
「METALIC SOUL」:5億再生:デビュー曲で映画主題歌。MVは都市の崩壊と再生を描く。
「REVIVER」:3億再生:亡くなったミュージシャンへの追悼を基に制作された“名曲”。
メンバー構成:
ヴォーカル/RAY本名:非公開。24歳。
「声色を武器に世界を征服する男」
ラップもバラードも自在に操る天才。ステージでは獣のように叫び、インタビューでは静かに哲学を語る。 歌唱力・リリック・英語発音すべてに優れる。ファンからは“変幻の声(Voice Shifter)”と呼ばれる。
ギター/JIN本名:神崎迅。27歳。
通称“ミスターパーフェクト”。チューニング、構成、音圧、ライブ演出に一切の妥協がない。
ステージ裏では冷静沈着だが、誰よりも音に情熱を燃やす完璧主義者。
ギタートーンの再現度・作曲精度が世界水準。「彼のギターはもはや理論の結晶」と称される。
ドラム/SHO本名:真野翔平。年齢不詳。
元ラッパーでストリート出身のパワードラマー。
リズムの“抜き”と“跳ね”が持ち味。黒人音楽に精通し、グルーヴを担当。
RAYとは旧友で、バンドの“魂の基盤”。「ステージで最初に汗をかく男」。
ライブでは笑顔で暴れる“陽の狂気”。
ベース/SENA本名不明:24歳。 唯一の女性メンバー。
プロデュースも手掛けるトラックメイカー。
デジタルと生音を繋ぐ“橋渡し”。「沈黙の指先」。無表情ながら、アレンジで全体を支配する。
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ゆいが、データを読み上げる。
「デビュー三年でMV総再生数22億……最新曲だけでも7億再生を超えてる」
「特に最新曲は世界的な人気アニメの映画『NEON PULSE』とのタイアップで世界的ブレイクしてる」
「つまり、彼らのファン層は日本を飛び越えて、もはや世界レベルなわけだね」
ゆいの言葉に、セイラが重々しく口をひらく。
「しかも、ラップを使うし多様なジャンルを完璧に歌える。完全にアタシらの超上位互換で、すべてにおいて上回ってる」
セイラが、椅子に深く座る。その表情は暗い。
「それだけやない……ねん」
珍しくシオンが会話に入ってきた。
全員が、シオンを見る。
「ボーカルのレイの本名は、四宮零……」
「うちの幼馴染で……あの人の息子や」
沈黙。
——四宮龍の息子?七光なんてレベルじゃ無い。
シオンの存在が霞むくらいの天才じゃないか。
まるで、こっちのユニークをすべて消しにきてるみたいだ。
やることなすこと完璧すぎて背筋が冷たくなる。
ビデオ会議の空気が、凍りつく。
「まあ正式に発表されてるわけじゃないが、その話は業界内では結構知られてる事実だ」
「シオンとの因縁に、わざわざ自分の息子をぶつけてくるとはね。そこまでやるのかって感じだな……」
セイラの拳が、握られる。
「……ごめん。なんかまた、巻き込んじゃったね」
シオンの声が、小さくなる。
「謝る必要ないよ」
私は優しく言った。
でも——三人とも、不安な表情。
沈黙が、会議を支配していた。
パン!パン!
突然ゆいが手を叩き、その沈黙を破った。
「みんな、はっきり言って、このままじゃフェスには勝てない」
その声は、冷静だった。
「今のあたしたちに、絶対的に必要なものがある!」
ゆいが、資料を開く。
「それが——神曲だよ」
「神曲……?」
私は首を傾げた。
「LUNATIC EDGEは総再生数22億の楽曲群を持ってる。どの曲も世界レベルのクオリティなのよ」
ゆいが、データを表示する。
「対して、あたしたちは——まだ一曲も世に出してないよね?」
「でもそれって、最初の曲を期待する人たちも多いってことよね?」
「さすが……よくわかってんじゃん」
セイラが、何度もうなづく。
そしてゆいが、真剣な顔で叫ぶ。
「FAKE-3 が初披露する楽曲で、未来が決まるってことだよね!」
「つまり、一曲目で最高に聴きたくなる神曲を作って、世界でバズらせる必要があるんだよ!」
「ゆいちゃ……いや、ブタPさん、君、簡単にいうけどさ……」
セイラが口を挟む。
「そんなの今からじゃどうにもならんだろ」
「それこそ、出すだけで何億再生も稼げる天才・人気作曲家に、偶然廊下でぶつかって意気投合するとかアニメみたいな奇跡でもないかぎり……無理だわ」
セイラがお手上げのポーズで天を仰ぐ。
「その通り。だから——あたしがやる」
ゆいが、三人を見渡す。
「——策があるんだ。聞いてくれる?」
私とセイラとシオンが——頷いた。
ゆいが、一枚の資料を画面に映す。
そこには、一人の人物のプロフィールが表示されている。
『作曲家:叢雲
過去5年間でチャート1位を12曲輩出。
提供楽曲総再生数は36億回を突破。
年間配信ランキングTOP100に、彼の手がけた楽曲が常に15曲以上ランクイン。
音楽業界では「叢雲が触れた曲は必ずヒットする」とまで言われ、
新人でも彼が作曲すれば一夜でスターになれると囁かれる、稀代のヒットメーカー。
しかし本人は極度の人嫌いで知られ、オファーは常に数ヶ月先まで埋まっている。
たとえスケジュールに余裕があっても、歌詞や世界観に1ミリでも妥協を感じれば、どれほどの大物アーティストであろうと容赦なく断る完璧主義者。
業界内では「天才」と「狂人」、両方の呼び名で恐れられている』
「この人に、楽曲を作ってもらう」
沈黙。
「……は?」
セイラが、目を見開く。
「叢雲って……あの叢雲?」
「そう。天才作曲家の」
ゆいが、頷く。
「ちょ、ちょっと待って!」
私は慌てた。
「叢雲って超売れっ子で、オファーが数ヶ月先まで埋まってるんでしょ?」
「しかも人嫌いで有名な変人だって……」
シオンが、小さく呟く。
すかさずセイラが横から入る。
「変人ていうか、狂人だよ」
「歌詞や世界観に納得したものでなければ絶対につくらないって有名だ」
「大物歌手の企画書を破って、”ゴミ”って書いて送り返したこともあるらしい」
「そんな人が新人の、ましてやVtuberバンドの依頼なんて受けてくれるはずないだろ……」
「その通り」
ゆいが、冷静に応える。
「だから——普通にオファーしても、絶対に断られる」
「じゃあ、どうすんのさ……」
ゆいの目が、光る。
「じつは、あたし——叢雲にツテがあるんだ」
その直後、ゆいが少し困った顔をする。
「ちょっと因縁があってね……もう二度と、絶対に話したくないって思ってた相手なんだ」
「でも——みんなのために、プロデューサーとして、コンタクトしてみる!」
「あたしは、これに……人生のすべてをかけるつもりだよ」
その気迫に、皆が沈黙した。
私からみても、ゆいの、こんな真剣な表情を見るのは初めてだった。
「ならアタシたちも——覚悟を決めるしかないな」
セイラが、立ち上がる。
「シオン、YUICA、考えても仕方ない。今夜練習再開だ、死ぬ気でやるぞ」
「……うん」
シオンが、小さく頷く。
画面越しに、ゆいが微笑む。
「絶対に叢雲を、口説き落としてみせるから」
(つづく)
次回——「狂気の音楽家とゆいの過去」




